読解
小世界という愉しみ。〈夏休みドールハウスに世界地図/渡部有紀子〉ドールハウスに小さな世界地図がある。それを見て人形たちの旅を思う夏休みのささいな楽しみ。似た趣きは〈夜店の灯にはかに玩具走りだす/渡部有紀子〉や〈箱庭の夕日へすこし吹く砂金/…
〈しまうまのこれは黒側の肉だってまたおれだけが見分けられない/虫武一俊〉しまうまの黒側の肉と白側の肉が違う肉だと見分けるのは色ではない、味だ。〈自販機の赤を赤だと意識するたまにお金を持ち歩くとき/虫武一俊〉コカ・コーラの赤だろう。赤は目に…
〈採血車すぎてしまえば炎天下いよよ黄なる向日葵ばかり/伊藤一彦〉赤と黄と青の色彩、採血車という危機めいた暗示。〈おびただしき穴男らに掘られいて恥深きかなまひるわが街/伊藤一彦〉工事現場だろうけど違う肉穴も想像してしまう。〈漂泊のこころもつ…
水銀は輝く。〈疑問符をはづせば答へになるやうな想ひを吹き込むしやぼんの玉に/光森裕樹〉答えを求めて問いを発する人は、すでに答えを持っている。〈どの虹にも第一発見した者がゐることそれが僕でないこと/光森裕樹〉二番手でも三番手でも僕にとっては…
第一歌集『ゆるがるれ』部分。〈父子というあやしき我等ふたり居て焼酎酌むそのつめたき酔ひ/林和清〉父子という関係の不思議さが三つの酉に現れている。〈熱帯の蛇展の硝子つぎつぎと指紋殖えゆく春から夏へ/林和清〉ふえる指紋に生き物の気配を感じる。…
蟋蟀だな。〈うすばかげらふ空に時計の針余り/山岸由佳〉残り時間をもたない虫と余った時計の針の対比がすごい。〈雪原の真下をとほる水の音/山岸由佳〉それは見えないけれど聴こえる。〈ストローを上る果肉や成人の日/山岸由佳〉狭き門より入ように成人…
蠅について考えた。〈天の川バス停どれも対をなし/岩田奎〉上りと下りの対、宇宙と時刻表の調和のような。〈合格を告げて上着の雪払ふ/岩田奎〉胸の高鳴りを抑えて、平静を装うかのように雪を払う。〈東国のほとけは淡し藤の花/岩田奎〉深大寺と詞書。比…
日常の道具にかすかに開かれた異世界へ。〈再会や着ぶくれの背を打てば音/斉藤志歩〉再会を喜ぶ快音が出た。〈ラガーの声ところどころは聞き取れて/斉藤志歩〉アルプススタンドからか受像機からか。ラグビーは全体を眺めるもの。〈文法書終はりに近く冬の…
この鼓直とはかのラテンアメリカ文学の翻訳者、鼓直である。〈わが胸の流氷もまた軋みおり/鼓直〉春への兆しに音を立てて軋む。〈花冷えと言うひとの手のぬくさかな/鼓直〉そんなことを言う人が隣にいるあたたかさ。〈石垣を喰い破ったか鬼あざみ/鼓直〉…
華麗なイメージと技の連なり。〈空蝉に棲む在りし日の青年は/小津夜景〉思念は空蝉に棲むというより、ただ蝉の声だけがある世界にその青年の虚像がある。〈脱皮したのは虹の尾をふんだから/小津夜景〉蛇族の虹の尾を踏む。〈おはやうのやうなさよなら夏隣…
L'écriture libyco-berbère et les tifinagh Tifinagh ティフィナグ文字またはティフナグ文字(wikipedia) 1月9日(月)午前、プロギング浜松の旗を浜松城公園で観た。そんなふうに土日祝に公園や路上で何か誰でも参加できるゲーム・あそび・競技をやってい…
風にたよりがち。〈月末の僕は公共料金を支払うことにためらいがない/平出奔〉自動機械のように当たり前とも疑問とも思わず払う。違う生き方もあったかもしれないけれど、とりあえず払う。〈本名で仕事をやってあることがたまに不思議になる夜勤明け/平出…
すべての言語は人が携わった人工語であるという立場に立てば、自然発生的な民族語と近代国家のために整備された計画語とが対置される。 民族語か計画語かは程度の問題であり、エスペラント語はほぼ計画語、日本語の文語は民族語、明治時代以来の言文一致運動…
ひとつ、あるいはふたつの印象的なことばから展開される広大な世界へ少年とともにゆく。ときどき漢語を歯がゆく思った。〈ボールペンの解剖涼やかに終わり少年の発条さらさらと鳴る/鈴木加成太〉発条にばねとルビ、日常のどこにでもある光景なんだけど「少…
〈夜空から直接風が吹いてくる実家とは荒削りなところ/雪舟えま〉「直接」がいい。田舎の、平原にぽつんと建つ一軒家を思う。星空の下の灯とか。〈やすらぎは死後でじゅうぶんだといって君は私を妻と定めた/雪舟えま〉ファムファタール味がある。〈ヤクル…
〈土くれがにおう廊下の暗闇にドアノブことごとくかたつむり/佐藤弓生〉暗闇のなかのドアノブは、異世界と通じてぬらぬらと光るかたつむりのような冷たさと異物感とがある。〈泣き方を忘れた夜のこどもたち蛙みたいに裏返されて/佐藤弓生〉新生児室だろう…
中立的というより詩の混沌にまで昇華できた社会詠をときどき読みたくなる。〈占領期といふ濃霧の日々ありき謀殺の文字ただ忌しく/栗木京子〉1949年国鉄三大ミステリー事件の一つ下山事件について。濃霧の日々というのが歴史感覚と合う。〈前を行く男女のつ…
恵まれた世代の詩という感じ。〈雁垂れの厨と厠を書き込めば図面に水音仄かにひびく/春日いづみ〉設計図面に生活がありありと再現された、水道管はまだ書き込まれていないけれど。〈国家なきクルドの民に長閑にも「お国はどちら」と聞きてしまへり/春日い…
レモンが印象に残った歌集だった。〈ボディソープぬりたくっているやわらかい刃に指を滑らせながら/加藤治郎〉やわらかい刃は熱を帯びた危険な皮膚だ。〈あちこちにスイッチがあるまちがって明るくなった地球の一室/加藤治郎〉地球から一室への想像力の落…
噴水へのこだわりと季節への哀惜が感じられる。噴水は吟行地にあるのかな?〈春の旅島が寄つたり離れたり/黛まどか〉動く船を定点として航路から観察している。旅の躍動感がある。〈青空に触れて噴水折れにけり/黛まどか〉重力の存在を忘れた主観からの知…
〈だしぬけに孤独のことを言う だって 銀河は銀河の顔を知らない/佐藤弓生〉象の背を知らない象のように向き合えない銀河の巨大さ、孤独がある。〈弥生尽帝都地下鉄促々と歩行植物乗り込んでくる/佐藤弓生〉年度末に通勤する種族は脳のない植物人間のよう…
平らかに心すべってゆくか。〈ひとところ黒く澄みたる柿の肉/岸本尚毅〉黒く、だけではなく澄んでいる。そこが甘いところでもある。〈はらわたの動くを感じ日向ぼこ/岸本尚毅〉不随意、つまり意識外の臓器が動く。体内で別の意志が働くのを恒星からの光で…
あまりにも独特すぎる調べはそれぞれの読み手に自分だけの内在律かもと錯覚させる。〈四番目に来た男の靴が濡れていて雨に飛び降りた人だと思う/野村日魚子〉どこの、何の列だよ。服が濡れていないのは靴を脱いだからか。〈生きてると死んだの間に引く線の…
〈エレベーター昇る眞中に蝶浮ける/堀田季何〉重力とか地上の力から解放された存在としての蝶だ。〈紋白蝶重し病者の鼻梁には/堀田季何〉本当にその紋白蝶いますか? と病者へ訊ねてはならない。〈閉館日なれば圖書みな夏蝶に/堀田季何〉読む者が帰ってく…
職業詠のひとつである肉体労働者詠は私の配達者詠と重なるところがある。〈先芯が鉄から樹脂へ替えられて安全靴はやや軽くなる/奥村知世〉樹脂と軽さに一抹の不安。〈夏用の作業着の下をたらたらと流れる汗になる水を飲む/奥村知世〉汗を流すための水分と…
ときどき季語は添え物にも思えてくる。でもその添え感を好ましくも思えてくる。〈工場を抜けて河口や秋の暮/相子智恵〉海際にある工場地帯だろう、広々とした秋の暮が思い浮かぶ。〈地下鉄の風に向かふや卒業す/相子智恵〉地下鉄のやや生ぬるい風が未来だ…
みんな谷川電話の恋人になりたがる。〈幻に負けない暮らし 心から白湯を冷めても白湯と呼びたい/谷川電話〉幻に名をつけ愛でるフェティシズムは、しかし人を、人の暮らしを支えてきた。〈水槽を光と影を飼育するために窓辺に置いてそれから/谷川電話〉何も…
〈台風近し猫ら変身して空を飛ぶ/天沢退二郎〉強風に乗って逃げる。〈冬の本行間に註こだまして/天沢退二郎〉行間を読むどころの騒ぎではない。〈蓮池に誤植幻想振り捨てて/天沢退二郎〉蓮池は蒸し暑い。汗を拭うように誤植への執着を振り捨てる。〈美少…
野を焼く火として『ヘクタール』を読む。〈からだのなかを暗いと思ったことがない 風に痙攣する白木蓮/大森静佳〉からだのなかは赤く光っているのかも、あるいは白木蓮のように白く輝く肉なのかも。生きている限り暗いなんてことはない。手術映像のイメージ…
接していないか接しているかのすれすれとして『ことり』を読む。〈段ボール引いてあそんで犬ふぐり/小川楓子〉子供の遊びだろう、犬ふぐりで段ボールが引かれた地面や濡れた段ボールの端へ視線を集める。〈夏来る箸でわけあふメンチカツ/小川楓子〉夏が孵…