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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

読解

岸本尚毅『雲は友』ふらんす堂

平らかに心すべってゆくか。〈ひとところ黒く澄みたる柿の肉/岸本尚毅〉黒く、だけではなく澄んでいる。そこが甘いところでもある。〈はらわたの動くを感じ日向ぼこ/岸本尚毅〉不随意、つまり意識外の臓器が動く。体内で別の意志が働くのを恒星からの光で…

野村日魚子『百年後嵐のように恋がしたいとあなたは言い実際嵐になったすべてがこわれわたしたちはそれを見た』ナナロク社

あまりにも独特すぎる調べはそれぞれの読み手に自分だけの内在律かもと錯覚させる。〈四番目に来た男の靴が濡れていて雨に飛び降りた人だと思う/野村日魚子〉どこの、何の列だよ。服が濡れていないのは靴を脱いだからか。〈生きてると死んだの間に引く線の…

堀田季何『人類の午後』邑書林

〈エレベーター昇る眞中に蝶浮ける/堀田季何〉重力とか地上の力から解放された存在としての蝶だ。〈紋白蝶重し病者の鼻梁には/堀田季何〉本当にその紋白蝶いますか? と病者へ訊ねてはならない。〈閉館日なれば圖書みな夏蝶に/堀田季何〉読む者が帰ってく…

奥村知世『工場』書肆侃侃房

職業詠のひとつである肉体労働者詠は私の配達者詠と重なるところがある。〈先芯が鉄から樹脂へ替えられて安全靴はやや軽くなる/奥村知世〉樹脂と軽さに一抹の不安。〈夏用の作業着の下をたらたらと流れる汗になる水を飲む/奥村知世〉汗を流すための水分と…

相子智恵『呼応』左右社

ときどき季語は添え物にも思えてくる。でもその添え感を好ましくも思えてくる。〈工場を抜けて河口や秋の暮/相子智恵〉海際にある工場地帯だろう、広々とした秋の暮が思い浮かぶ。〈地下鉄の風に向かふや卒業す/相子智恵〉地下鉄のやや生ぬるい風が未来だ…

谷川電話『深呼吸広場』書肆侃侃房

みんな谷川電話の恋人になりたがる。〈幻に負けない暮らし 心から白湯を冷めても白湯と呼びたい/谷川電話〉幻に名をつけ愛でるフェティシズムは、しかし人を、人の暮らしを支えてきた。〈水槽を光と影を飼育するために窓辺に置いてそれから/谷川電話〉何も…

天沢退二郎『アマタイ句帳』思潮社

〈台風近し猫ら変身して空を飛ぶ/天沢退二郎〉強風に乗って逃げる。〈冬の本行間に註こだまして/天沢退二郎〉行間を読むどころの騒ぎではない。〈蓮池に誤植幻想振り捨てて/天沢退二郎〉蓮池は蒸し暑い。汗を拭うように誤植への執着を振り捨てる。〈美少…

大森静佳『ヘクタール』文藝春秋

野を焼く火として『ヘクタール』を読む。〈からだのなかを暗いと思ったことがない 風に痙攣する白木蓮/大森静佳〉からだのなかは赤く光っているのかも、あるいは白木蓮のように白く輝く肉なのかも。生きている限り暗いなんてことはない。手術映像のイメージ…

小川楓子『ことり』港の人

接していないか接しているかのすれすれとして『ことり』を読む。〈段ボール引いてあそんで犬ふぐり/小川楓子〉子供の遊びだろう、犬ふぐりで段ボールが引かれた地面や濡れた段ボールの端へ視線を集める。〈夏来る箸でわけあふメンチカツ/小川楓子〉夏が孵…

山田航『寂しさでしか殺せない最強のうさぎ』書肆侃侃房

東へ夜の特別軍事作戦に出かけた日、『寂しさでしか殺せない最強のうさぎ』を読む。〈踊り場ですれ違うとき鳴る胸のビートがリズム無視してくるよ/山田航〉「リズム無視してくるよ」の野放図さが青春っぽい。〈なけなしの金で乗るバス行き先は廃タイヤ積ま…

染野太朗『あの日の海』書肆侃侃房

自分の車を自分の家へみしみしとめりこませる人を見た日、『あの日の海』を読む。〈向き不向きを言い合う教育実習生の控室にも白い電話が/染野太朗〉この会話を誰かが聴いているかも、ということだろうか。白さが際立つ。〈生徒らの脳に蛍があふれいて進学…

水野葵以『ショート・ショート・ヘアー』書肆侃侃房

始末書を書き終えた日、『ショート・ショート・ヘアー』を読む。〈堂々と慰めたあとゴミ箱の深部に埋める二重のティッシュ/水野葵以〉一重だと漏れてきてしまうから。〈七月は動く歩道のスピードで気づけば夏の真ん中にいる/水野葵以〉七月の速度に気づか…

toron*『イマジナシオン』書肆侃侃房

トロン『イマジナシオン』書肆侃侃房を読解した。

吉川宏志『西行の肺』角川書店

誌上句会(テーマ「交」)で〈初夏の看護学生泡まみれ/以太〉への方子さんの評を読み、自分の心が穢れていたことを知った日『西行の肺』を読んだ。〈身ごもりし人の済ませし校正の厳しすぎる朱を元に戻しぬ/吉川宏志〉妊婦が胎児を守るために宿した他人へ…

『鈴木六林男句集』芸林書房

鈴木六林男賞があるらしいので鈴木六林男の句を読む。〈蛇を知らぬ天才とゐて風の中/鈴木六林男〉その齢まで蛇を知らずにいれたのだから天才なのだ。〈眼玉濡らさず泳ぐなり/鈴木六林男〉泪で濡れている眼玉を「濡らさず」泳ぐ。それほど慎重に泳ぐ。〈断…

抜井諒一『金色』角川書店

『金色』を読んだら元気になった。〈カーラジオ消して遠花火を探す/抜井諒一〉音で花火を探し、車で近づく。〈花火とは別の夜空へ帰りたる/抜井諒一〉花火の夜空より少し寂しいけれどあたたかい自宅の夜空へ帰る。〈目の前を運動会の砂の音/抜井諒一〉リ…

越智友亮『ふつうの未来』左右社

好きになってはいけない人を好きになったかもと思った日、『ふつうの未来』を読む。〈雲雀野や空は球体なのだろう/越智友亮〉球から垂直に線を引いたとき、見下ろした空が球体だといつから気づき、いつから忘れるのか。〈八月の蛇口をひねる水がでる/越智…

片山一行『凍蝶の石』ふらんす堂

『凍蝶の石』を戴く。〈本棚の広き抜きあと春兆す/片山一行〉本の抜きあとは影である、しかしそこに戻るべき本の色彩を想像させる。春の予感がする。〈音楽の吊るされてゐる立夏かな/片山一行〉楽譜を糸に吊るしてインクを乾かす映像を見たことがある。白…

島楓果『すべてのものは優しさをもつ』ナナロク社

夏祭の日、『すべてのものは優しさをもつ』を読む。〈トースター開けたら昨日のトーストが入ったままでゆっくり閉じる/島楓果〉他人事とは思えない。〈郵便の入れられる音が二回して郵便受けを見に行くと空/島楓果〉これを解説すると、一回投函したけれど…

上坂あゆ美『老人ホームで死ぬほどモテたい』書肆侃侃房

ファンシーな商品で過半を埋め尽くされた文房具店でA4原稿用紙を買った日、『老人ホームで死ぬほどモテたい』を読む。〈ロシア産鮭とアメリカ産イクラでも丼さえあれば親子になれる/上坂あゆ美〉アメリカはアラスカでロシアはシベリアと言っては無粋に過ぎ…

岡本真帆『水上バス浅草行き』ナナロク社

〈教室じゃ地味で静かな山本の水切り石がまだ止まらない/岡本真帆〉がぎりぎりまで見つからなかった日、『水上バス浅草行き』を読む。〈にぎやかな四人が乗車して限りなく透明になる運転手/岡本真帆〉四人に対して相対的に透明へ近づいていく運転手。その…

髙柳克弘『涼しき無』ふらんす堂

〈麗らかに育てよ父に尿掛けて/髙柳克弘〉私事だが、はじめてのお襁褓替えのときに尿を掛けられた。〈本書くに読む本の数柚子の花/髙柳克弘〉一冊の本を書くために百冊、千冊読む必要がある。一つの柚子の実のために何十の花を咲かせ、そして何十の花を間…

堀本裕樹『一粟』駿河台出版社

誌上句会で〈朝霞棺と思う部屋にいて/以太〉が採られていた日、『一粟』を読む。〈囀りを終へたる舌の余熱かな/堀本裕樹〉鳥の舌はまだ震えつつ熱を帯びている。〈落花生剥くとき小さき闇に触る/堀本裕樹〉旨味のある闇を隠している落花生の殻。〈ゆかり…

江里昭彦『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』弘栄堂書店

俳句が共感を皮にかぶった違和感だとしたら短歌は違和感を皮にかぶった共感だろうか。〈富士はいつも富士削りとる風のなか/江里昭彦〉何千年も何万年もかけて平地へ戻される。〈ピアノから手首はみだし芒原/江里昭彦〉その手首はかつてピアノを弾く手であ…

第五回尾崎放哉賞受賞作品を読む

第五回尾崎放哉賞入賞作品が発表になった。私が十二月に提出した〈手話の降りつもり暖かな列車/以太〉は入賞した。受賞作品のうち気がかりな句について読む。大賞の〈蝉時雨浴びて秘密基地の入り口/大川 久美子〉は蝉時雨を浴びなければ現れない秘密基地へ…

嶋稟太郎『羽と風鈴』書肆侃侃房

〈止めていた音楽をまた初めから長い時間が経ってから聴く/嶋稟太郎〉初めから聴くけれど、もしかしたら止めたときの記録や栞のような痕跡が残っていたのだろうかと思わせる。〈やがて森の設計図となる旅客機が東の空にともされてゆく/嶋稟太郎〉飛行機の…

荻原裕幸『リリカル・アンドロイド』書肆侃侃房

〈さくらからさくらをひいた華やかな空白があるさくらのあとに/荻原裕幸〉その空白は決して虚しくない。〈ここはしづかな夏の外側てのひらに小鳥をのせるやうな頬杖/荻原裕幸〉「夏の外側」という疎外感がなじむ。〈皿にときどき蓮華があたる炒飯をふたり…

柴田葵『母の愛、僕のラブ』書肆侃侃房

〈そとは雨 駅の泥めく床に立つ白い靴下ウルトラきれい/柴田葵〉ウルトラは広告宣伝の強調のための文句だったのかもしれない。異常なほどの低視線がある。〈紫陽花はふんわり国家その下にオロナミンC遺棄されていて/柴田葵〉オロナミンCに実存感が出る。…

鷲谷七菜子「花寂び」『現代俳句体系第十五巻』角川書店

〈寒林の奥にありたる西の空/鷲谷七菜子〉西は仏教的な西方浄土だろう、そこへ辿り着くには寒林をぬけるしかない。明暗の対照がある。〈流し雛に水どこまでもうす明り/鷲谷七菜子〉鮮烈な「うす明り」の表現。〈孕み鹿のうなづき寄るも重まぶた/鷲谷七菜…

渡辺松男『雨る』書肆侃侃房

〈病棟に孤独の落ちてゐた朝はいちまいの楓のやうに拾ひぬ/渡辺松男〉孤独→楓の転換が鮮やか。〈生は死のへうめんであるあかゆさにけふ青年は遠泳したり/渡辺松男〉遠泳しているかのような息継ぎのような生として捉えた。〈こゑのうらこゑのおもてとひるが…