以太以外

蒼褪めた巨漢は笑う水澄んで 以太

「O」「斉唱」『岡井隆全歌集』思潮社

朝日新聞に第49回全国短歌大会の記事が出ていた日、「O」と「斉唱」部分を読む。〈街上に白墨の矢がのこりたりいかなる意志を伝へむとせし/岡井隆〉白墨は、黒板というより木材やコンクリートに書かれた工事用の指示だろう。本来はその指示の受け手ではない…

小島ゆかり『憂春』角川書店

第49回全国短歌大会の学生短歌賞受賞者に既視感を覚えた日、『憂春』を読む。〈遠山はいちじく色に日暮れつつそこに谺す川魚のこゑ/小島ゆかり〉川魚の声が谺するのが聴こえるほど色濃い山行の思い出がある。〈下り行くわれの後ろにしばしばも鉄扉は閉ぢぬ…

檜葉記(三)

現代俳句協会関西青年部による「翌檜篇」(21)『現代俳句』令和二年九月号を読む。〈両面刷りの春あふれだすアイドル誌/縞田径〉多色刷りでもなく両面刷りの字余りと「春あふれだす」に表も裏もない喜びが籠められている。〈恐竜になり木二本食う初夢/縞…

「黃旗」『山口誓子句集』角川書店

週刊金曜日の金曜俳句に一句採られた日、「黃旗」部分を読む。〈ほのかなる少女のひげの汗ばめる/山口誓子〉観察力の賜物と言うべきか、あるはずのないものがあるに言及する方式と呼ぶべきか。〈夏草に汽罐車の車輪來て止る/山口誓子〉詞書は「大阪驛構内…

阿波野巧也『ビギナーズラック』左右社

ある学生向け短歌大会で選者賞をくれると電話のあった日、『ビギナーズラック』を読む。〈イヤフォンのコードをほどく夕ぐれの雑誌売り場に取り残される/阿波野巧也〉町のスピード感から、町に求められるスマートさから、ひとり取り残される。加速しない自…

小島ゆかり『ヘブライ暦』短歌新聞社

新聞歌壇にはじめて採られた日、『ヘブライ暦』を読む。〈水にほふ冬のはじめは街角にペンギンが立つてゐるかとおもふ/小島ゆかり〉黒と白のまだらが見えたのだろう、ペンギンと見間違えるくらいの。たぶん〈薬局を出でて冬陽のなかをゆく白髪の浦島太郎を…

小島なお『乱反射』角川書店

浜松古本ショッピングについて考える夜、『乱反射』を読む。〈なんとなく早足で過ぐ日差し濃く溜れる男子更衣室の前/小島なお〉学校建築として更衣室は廊下の東西南北のどちらにあるのか考えてしまう。まぶしいほどに異性へのとまどい。一方で持統天皇的な…

宇佐美魚目『天地存問』角川書店

ある短歌大会で学生向けのすこし大きな賞をいただけると知らされた日、『天地存問』を読む。〈水こえる波の明るさ寒の蕗/宇佐美魚目〉せせらぎと蕗の景か、波が水をこえるという繊細さと明るさを見抜く鋭さ、波のように明るい寒の蕗。〈墨の香や夜空の中の…

玉葉和歌集の雑歌

雑歌部分を読む。〈咲かぬ間の花待ちすさぶ梅が枝にかねて木伝ふ鶯の声/平時邦〉本番に備えて練習する鶯という「かねて木伝ふ」の面白さ。〈嬉しさも匂ひも袖に余りけり我がため折れる梅の初花/信生法師〉「袖に余りけり」という嬉しさの感情。現代なら「…

「冬の犬」「冬の犬以後」

投句した鉄塊の第十回VT句会が開かれた日、『石部明の川柳と挑発』新葉館出版の続きを読む。〈どの継目からも水洩れする身体/石部明〉継目のある身体という新たな視点がある。〈毛を抜いてしずかに月のふりをする/石部明〉月は無毛という断定がある。〈マ…

堺利彦『石部明の川柳と挑発』新葉館出版

後世に自分と同レベルの読み手が現れるだろうと世界への信頼を持てる人は強い。「馬の胴体」「賑やかな箱」「遊魔系」部分まで読む。〈鳥籠に鳥なく母は午睡せり/石部明〉鳥籠の空白を午睡の母に重ねるとき、空白は妖しい部分に至る。〈諏訪湖とは昨日の夕…

梅雨明け微分方程式

『円錐』第八十六号が届く。第四回円錐新鋭作品賞受賞者最新作を読む。「天国があると思って話していた」より〈なつのまち鏡のなかになつのまち/来栖啓斗〉上五が漢字で下五が仮名に開いてなんて無様ではなく、両五とも仮名、素晴らしい。「みんな」より〈…

檜葉記(二)

現代俳句協会青年部による「翌檜篇」(20)『現代俳句』令和二年八月号を読む。「でも」から〈機影また雲間に消ゆる夏野かな/内野義悠〉「機影また」から夏野を覆う空の高さと大きさとを想像させる。その空や雲を含めて巨大な「夏野」であるかのような連…

千種創一『千夜曳獏』青磁社

また景色を見たくて『千夜曳獏』を読む。〈でもそれが始まりだった。檸檬水、コップは水の鱗をまとい/千種創一〉「水の鱗」は想像への衣として。〈あらすじに全てが書いてあるような雨の林を小走りでゆく/千種創一〉一が千であり千が一となるような、連続…

馬場めぐみ「たわむれ」『文藝誌オートカクテル』白昼社

浜松市の夜の街から三十人の感染者が出た日、『文藝誌オートカクテル2020』収録の連作「たわむれ」を読む。与えられた生とは理不尽の別の名なのかを考えながら。〈ひとの頬ほどに眩しく明日には腐っていたかもしれない桃だ/馬場めぐみ〉「明日には腐ってい…

松村由利子『耳ふたひら』書肆侃侃房

もし世が世なら東京オリンピックの開会式がある日、『耳ふたひら』を読む。〈都市の力見せつけているキオスクの朝刊各紙の厚き林立/松村由利子〉田舎のコンビニには都市の駅のキオスクほど朝刊を揃えていない、キオスクの朝刊は都市の兵站力を見せつけてい…

池田澄子『此処』朔出版

毎朝毎夕兜虫の雄か雌かと鉢合わせる日々に池田澄子『此処』を読む。〈花冷えのこころが体を嫌がるの/池田澄子〉では気温の低下による鬱気な心を主体とさせ、〈花ふぶき体がこころを捨てたがる/池田澄子〉では風が体を主体とさせる。〈満潮の河の厚みと百…

北大路翼『見えない傷』春陽堂書店

湯豆腐とヨーグルト、遺句集として読む。〈一月の茶碗の中の山河かな/北大路翼〉一月の茶碗の中には一月の川や一月の谷が収められている。趣味人の模型のような造形、さまざまな角度から見る。〈湯煙は常に流れて寒桜/北大路翼〉冬風の吹く温泉街のさりげ…

「凍港」『山口誓子句集』角川書店

続く梅雨に「凍港」部分を読む。〈鏡中に西日射し入る夕立あと/山口誓子〉西日と鏡に照り返された西日とで二倍明るさを強調された夕立あと。〈鱚釣りや靑垣なせる陸の山/山口誓子〉陸くが、鱚釣りなのに周囲を取り巻く山々へ着目させる景作り。〈競漕の空…

「幻燈」『林田紀音夫全句集』富士見書房

筑後川が氾濫した日、「幻燈」部分を読む。〈少女が黒いオルガンであった日の声を探す/林田紀音夫〉女の子は黒いオルガンとともに歌っていた時代を振り返っている。その声の思い出とともに、思い出のありかを探している。〈体温を風にさらわれ親身な河口/…

『明石海人歌集』岩波文庫

かりん糖を貰った日、『明石海人歌集』を読む。〈とりとめて書き遺すこともなかりけむ手帖にうすき鉛筆のあと/明石海人〉は〈鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ/林田紀音夫〉と並べられる。「うすき鉛筆」は世への未練か。〈大楓子油注射のときを近づきて口覆…

地図のある小説/鈴木ちはね

梅雨、流れ着くように届いた『bouquet, 2020』稀風社が郵便受箱に立っていた日、連作「地図のある小説」を読む。〈地図のある小説の良さ この世界も地図のある小説であればいい/鈴木ちはね〉地図のある小説というとファンタジー小説がぱっと思いつく。いま…

『宮柊二歌集』岩波文庫

牛乳を飲んだ日、『宮柊二歌集』を読む。〈かうかうと仕事場は灯の明くして夜深き街を旋風過ぎたり/宮柊二〉夜業のいつ果てるともない不安、心の荒涼。〈ちりぢりに空の高処をひかりつつ小鳥わたれり山は寒しも/宮柊二〉失意の地を睥睨するかのような小さ…

与謝野晶子『みだれ髪』新潮文庫

枇杷が発芽していたのを知った日、『みだれ髪』を読む。〈その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな/与謝野晶子〉いまの二十歳は子どもだけれど明治期の二十歳は年増である。その子は令和期では二十代なかばから三十歳までの感覚だろうか、…

『若山牧水歌集』岩波文庫

「死か芸術か」以降の部分をざっと読む。〈浪、浪、浪、沖に居る浪、岸の浪、やよ待てわれも山降りて行かむ/若山牧水〉山道をおりて開けた場所に出て、どうっと海が広がったのだろう。「、」は寄せて返す浪の間だ。〈なにゆゑに旅に出づるや、なにゆゑに旅…

檜葉記(一)

伊那から帰った日、現代俳句協会青年部による「翌檜篇」(19)『現代俳句』令和二年七月号を読む。「目印」より〈厚あげの断面ほどの冬銀河/珠凪夕波〉厚あげという厨のなかの卑近と銀河という宇宙規模の広大さを並べたところに興が起こる。厚あげの白さ…

「独り歌へる」「別離」「路上」『若山牧水歌集』岩波文庫

諏訪大社上社本宮と神長官守矢史料館うらのミシャグジ社を訪れた日、「独り歌へる」「別離」「路上」部分を読む。〈角もなく眼なき数十の黒牛にまじりて行かばやゝなぐさまむ/若山牧水〉あるべきもののない動物と行く寓話。漂泊の究極形だろう。〈玻璃戸漏…

「海の声」『若山牧水歌集』岩波文庫

鳶の飛ぶ諏訪湖を見ながら「海の声」部分を読む。〈白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ/若山牧水〉「青」と「あを」を書き分けたのは空と海の色の違いによるものだろうけれど、やや理屈っぽいかもしれない。俳句なら同じ漢字を使う。〈海…

玉葉和歌集の冬

都田図書館へ行ってみたくなった日、「冬」部分を読む。〈おのづから音する人もなかりけり山めぐりする時雨ならでは/西行法師〉さびしさのはてなむ国ぞ。〈神無月時雨飛び分け行雁の翼吹き干す峰の木枯らし/後鳥羽院御製〉「翼(を)吹き干す」の技巧は写…

玉葉和歌集の秋

若山牧水の「梅雨紀行」を読んだ日、「秋」部分を読む。〈尾花のみ庭になびきて秋風の響きは峰の梢にぞ聞/永福門院〉庭という近景と峰の梢という遠景とを同時に見て、聴いている。この近景と遠景を併置するのは〈我が門の稲葉の風におどろけば霧のあなたに…