以太以外

蒼褪めた巨漢は笑う水澄んで 以太

伊藤一彦『微笑の空』角川書店

磐田市中央図書館で借りた『微笑の空』を読む。〈いつよりか男もすなるごみ出しをわれも励めり当然として/伊藤一彦〉新時代を生きるために必要なこと。〈兵役を経ずに六十代になりたりとゴミの袋を出しつつ思ふ/伊藤一彦〉も。〈鉛筆の尖りて赤し 憎しみに武器とならざるものなき教室/伊藤一彦〉憎しみさえ抱けば全てを武器とすることができる。〈「一斉」をきらへるゆゑに給食も授業も拒み家にゐる少女/伊藤一彦〉かつて「みんな」に苦しめられてきたのだ。〈あまりにも「いい子」の君は手首切る過剰期待はすでに虐待/伊藤一彦〉脚韻はすでに語と語に意味的なつながりを表す。さらにその上に構文でのつながりがある。〈よき長男よき委員長のこと生徒よく磨かれし嵌め殺し窓/伊藤一彦〉「嵌め殺し窓」の語の強さとそれまでの柔らかさとの落差。〈沿道に立ちて媼の売りをれば婆篦アイスと地の人言へり/伊藤一彦〉高知のアイスクリンと秋田のババヘラアイス。

男流俳人宣言

私は自覚的な男流俳人である。

多様性とジェンダー平等の社会を尊重するからこそ、社会へ抗うための道具である言語表現においては群衆の流れを遡る男流俳句を志す。

多様性やジェンダー平等の名の下で行われるあらゆる偏狭と不平等を目撃しても、私は見過ごす勇気を持つ。

上っ面では平等が謳われながら、底では重い負担と忍耐とを強いられる男の悲哀を自嘲する。

抗わず、遡る。

男流俳句はここ数年の読者のためには書かれない。現在における上から作られた風潮が下からの突き上げにより失敗に終わったのちの十数年後の読者のために書かれる。

この宣言は性自認を男とする人以外を排除せず、全ての無用者を受け容れる。

中日歌壇朝日歌壇2021年7月25日

中日歌壇

島田修三選第一席〈フォークダンス君まで廻るかそれだけが気掛かりだった遠き日のあり/藤井恵子〉隣を見ながらマイム・マイムを踊る。〈簡易局の入口の上に燕の巣笑みもて見上げ帰る客らは/吉田恵子〉糞が落ちてくるかもしれないから見上げる。小島ゆかり選第二席〈くじ運の悪き我ゆえアナフィラキシー当たらぬものと信じつつ打つ/磯貝雅人〉当たりはどちらか。〈身重ながら町の会計担ひし人初夏の美化の日ベビー連れくる/中條にむ子〉美化の日とは何だろう。

朝日歌壇

馬場あき子選〈「美しき戦いの終わり」とう文字が雨に濡れてる蘋果日報/今西富幸〉蘋果にりんごとルビ。ことばが消える。〈ガラス戸に「いらっしゃいませ」の文字残り閉店ながき村の理髪屋/内海恒子〉白の文字だろうか。だんだん風化して消えていく。佐佐木幸綱選〈マリトッツォ一つで緩む頬持てば行列厭わぬ夏至の日の午後/瀬口美子〉これぞマリトッツォ短歌である。高野公彦選〈好奇心・未読乱読・在野主義 立花隆氏が貫きしもの/今西富幸〉立花隆耳をすませばの雫のお父さんの声という印象が強い。永田和宏選〈河童忌はありて河童はあらざるに夏の部もつとも厚き歳時記/庭野治男〉芥川龍之介の河童をもう一度読んでみよう。

小林理央『20÷3』角川文庫

五歳から十五歳までの歌とのこと。〈道ばたのポストの口は今までに何回手紙を迎え入れたの/小林理央〉「おまえは今まで食べたパンの数を覚えているのか」とポストに言われそう。〈人間が生まれて初めて見る空とさいごに見る空おんなじ青かな/小林理央〉そのうち「青」ではないと知る。なぜなら〈雪の色何色かって聞かれたら白と答えない人になりたい/小林理央〉だから。〈夕立に濡れてみたいというよりは私が夕立になって降りたい/小林理央〉大人になった。

奥田亡羊『亡羊』短歌研究社

磐田市中央図書館で借りた『亡羊』を読む。〈宛先も差出人もわからない叫びをひとつ預かっている/奥田亡羊〉そして、ときどき誤配したりする。〈のどかなる一日を死者よりたまわりて商店街のはずれまで行く/奥田亡羊〉慶弔休暇だろう。悼むべきだが少し心は浮つく。〈つり革に腕を1000本ぶらさげて明日の平和を祈願している/奥田亡羊〉満員電車という日常こそが平和へ連なる。〈宵宮の金魚すくいの店の上に大きなる赤い金魚ともりぬ/奥田亡羊〉こういうオドロオドロとした装置が日本の昔からの祭そのもののようだ。〈何もない部屋の日暮れに点してはガスの炎を楽しんでいる/奥田亡羊〉青い火は暖炉のように。〈辞令書の四隅の余白広々とさあどこへでも行けというのだ/奥田亡羊〉辞令書の余白の広さは自由のようだが、あくまでもそれは辞令書なのだ。〈明日もまた何もするなと言うような私自身の夕暮れである/奥田亡羊〉そんな夕暮れの空の色であるというのだ、無力感。〈いいと言うのに駅のホームに立っていて俺を見送る俺とその妻/奥田亡羊〉俺?

中日歌壇朝日歌壇2021年7月18日

中日歌壇

島田修三選第二席〈片足を上げては水を払ひつつ浅瀬をゆっくり歩く青鷺/山本栄子〉水田などで獲物を狙う青鷺の足取り。小島ゆかり選第三席〈自宅にてコロナワクチン接種受く奥三河ここ無医地区なれば/大野富士夫〉愛知・東栄とのこと。無事を祈る。〈贈られし京都の氷菓日に透けて抹茶の深きみどりこそ夏/高橋尚子〉京都の氷菓というのが涼しげだ。

朝日歌壇

永田和宏選〈躓きはやはり「モル」らし子も孫もげに厄介なアボガドロ数/宇和上正〉未だにモルが何のことかわからない。〈遅刻して尚且つ辿り着けぬ夢見て夏至の本棚にカフカ/森谷弘志〉『城』ですね。馬場あき子選〈プラ芥に慄へたりとぞ憧れて海女となりしひと潜き始めて/巻桔梗〉芥はごみとルビ、ぶるぶるっとする感覚がある。佐佐木幸綱選〈二人とも介護の職に就く夫婦二台の車揃ふことなし/朝岡剛〉昼夜を問わない共働きの時代。高野公彦選〈父の日に食べごろとなるメロン二個送りし娘ら当日に来る/小島敦〉持ってくればいいのに。

ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナの自然区分論について

十七世紀オランダの哲学者スピノザはその主著『エチカ』にて、スコラ学派が使った能産的自然natura naturans・所産的自然natura naturataという用語に汎神論的定義を与えた。スピノザ以前では九世紀のアイルランド出身で西フランク王国で活動したヨハネス・スコトゥス・エリウゲナが汎神論につながる思想を示した。

エリウゲナの著書『ペリフュセオン Periphyseon』では万物は「存在するものと存在しないもの」に分割され、その両者を包括して自然naturaと呼んでいる。この自然は四つの種に区分される。①創造し創造されないものcreat et non creatur、すなわちすべてのものの原因である神。②創造され創造するものcreatur et creat、神の知性のうちにあるいっさいの原型つまりプラトンイデア。③創造され創造しないものcreatur et non creat、被造物の世界。④創造せず創造されないものnec creat nec creatur、再び神。 自然の名の下に万物を神の創造による変状と捉える思弁的体系は汎神論と言える。

さらにエリウゲナは非存在としての神に言及する。④は万物が発出された根拠物へ還帰する神化であり、終わりにしてはじまりである。アウグスティヌスの場所と時間論を発展させたエリウゲナは世界の終わりにおいて場所と時間とは発出根拠である神へ還帰すると考えた。④についてはエリウゲナ自身が「それが存在することがありえない不可能なことがらに属している」と書いてある。エリウゲナは神が存在するとも述べるけれど、あくまでもそれは類比の表現であり、彼はその卓越性のゆえに神を、存在を超えた非存在、無nihilとみなした。エリウゲナの「非存在の神」は無から世界を創造し、やがて無へ還帰する。

1225年に教皇ホノリウス三世はエリウゲナの『ペリフュセオン』に異端宣告を下し焚書を命じる。論理学によって導かれたエリウゲナの「非存在の神」は確かに無神論の匂いがする。しかし神の卓越性を論理学により言表するならば無神論は避けて通れないことをエリウゲナは示した。

のちにドゥンス・スコトゥスが論理学の異なる手法により無神論に陥らない神の卓越性を示す。

参考文献

中日歌壇朝日歌壇2021年7月11日

中日歌壇

島田修三選第二席〈補聴器を初めて付けて食べる時キャベツ噛む音すさまじきかな/松岡準侑〉骨伝導音も補聴器では大きく聴こえるのか、知らなかった。〈「アカシアは萌え」で始まる女子校歌口ぱくだった音痴の私/後藤幸子〉先生から口パク指示が出ていたり。〈ひ孫まで生まれんと言うその昔琵琶湖に消えし十五の友よ/宮尾美明〉琵琶湖で何があったのか気になる。小島ゆかり選第三席〈キッチンとも厨とも違う台所にあお豆ご飯の匂い立ちおり/竹内美穂〉「キッチンとも厨とも違う」が面白い。たぶん昭和風のペコペコの金属板とか花柄とか。〈びっしりと実を寄せ合っている葡萄よかったなぁ人間ではなくて/梅村和生〉人は密を恐れるようになった。

朝日歌壇

「さん」「氏」付けは大事である。高野公彦選〈服重ね寒さに耐えた周庭さん沈黙の語る自由の重さ/人見江一〉やはり沈黙に注目。「さん」付けは偉い。〈「愛」には有り「名曲」には無き賞味期限 昭和歌謡を台所で歌う/江口康子〉うまい。永田和宏選一首目〈沈黙が全てを語つてゐるやうなフラッシュ浴びる周庭氏の貌/桑内繭〉周庭氏にアグネスとルビ、やはり沈黙に。「氏」を付けて偉い。〈風音のしずかにつづく夜零時カーテン寄せれば眉月の見ゆ/児嶋きよみ〉梅雨の荒天続きのなか、ホッとする夜。馬場あき子選第三首〈痛風で腫れ痛む足白衣着た研修生等が触りてゆきぬ/梶正明〉もはや見世物、痛いのに。〈苦しそうな声上げながらたくさんの隠し事飲み込むシュレッダー/山田真人〉昨日私も隠し事をシュレッダーにかけた。〈一死二死憤死に死球おもしろくやがて悲しき野球の用語/武藤恒雄〉佐佐木幸綱選〈香港の周庭さんの沈黙に語らぬことの重さ推し量る/三ツ木稚子〉やはり沈黙に。そして「さん」付け。〈「南国風容姿の方歓迎」と夏ならではのバイトの募集/上田結香〉タピオカドリンク屋さんかな。沖縄奄美の人有利。

石川美南『砂の降る教室』書肆侃侃房

折込チラシと段ボールで七夕飾りを作った日、『砂の降る教室』を読む。〈親知らずの治療控へてゐるごとき夕立雲を見上げをるなり/石川美南〉不安と郷愁と逃亡癖とが積み重なったような夕立雲だろう。〈半分は砂に埋れてゐる部屋よ教授の指の化石を拾ふ/石川美南〉この古い校舎が実在しなくても構わないと思えてくる、地点の記録。〈満員の山手線に揺られつつ次の偽名を考へてをり/石川美南〉駅ごとに名前と人生がある。〈海底の匂ひをつけて帰る人 開けつぱなしのピアノのやうに/石川美南〉そうかピアノの内側のあの匂いは海底の匂いだったのか、音もまた海底の音。〈虫籠を二時間かけて選びたり森の暗闇ども覚悟せよ/石川美南〉風の谷のナウシカの逆、近代科学的な思考としての「覚悟せよ」。〈カーテンのレースは冷えて弟がはぷすぶるく、とくしやみする秋/石川美南〉高貴と見せかけて学校生活という卑俗に裏打ちされている。〈グランドピアノの下に隠れし思ひ出を持つ者は目の光でわかる/石川美南〉自作の「海底の匂ひ」からの連想だろう。〈ブラインドに藤棚映り書評でしか知らない本のやうな明るさ/石川美南〉本物を知らないほうがよいこともある。

 

 

榊原紘『悪友』書肆侃侃房

※ 二読目です。(一読目)でも諸事情により書き終えらなかったので、途中まで載せます。

 観念への憧れがある。実際の名は実体を表さないし、表された実体も歪で観念には至らない。

五千年後の語彙を想像してみてよ ティースプーンでスコーンを割る 榊原紘

 なぜ「ティースプーン」で「スコーン」というティーではない、おそらく硬い食品を割ったのかを榊原は問う。ティースプーンは五千年後にはスコーンスプーンという名に変わっているかもしれない。新商品の開発にも利用されうるような、ことばへの基礎的な問いに満ちた歌集、榊原紘『悪友』書肆侃侃房を読む。

店名の由来はスペルミスらしい指先だけをおしぼりで拭く 榊原紘

 実際の店舗かどうかはどうでもいい。焦点は「スペルミス」にある。スペルミスで決められた店名が店名としては正しいスペルでグーグルマップや駅前の地図やホットペッパー食べログに載っていることを読み手に想像させる。その指先はスペルミスらしい「店名」に触れて経路を検索したのかもしれない。正しさへの疑念を拭うようにおしぼりで指先を拭く。今まで正しいと信じてきたことばが、実は誤記であったかもしれないと読み手に反省させる。

文字化けのむこうにあった文字のよう振り向く前のあなたの貌も 榊原紘

 文字化けと文字の関係はスペルミスの店名と正しいスペルの関係と似ている。下の句の振り向く前のあなたの貌は文字の方だから、実際振り向いて見たあなたの貌は文字化けでスペルミスということになる。

指にあるときに指輪は線であり、由来にまつわる話がしたい 榊原紘

 ティースプーンとスコーンへの疑問と同じつくりをしている。確かに指輪は指線とも言うべきで、輪ではなく曲線として見える。指のせいで決して輪には見えない。指輪と名付けられたとき、それは指に嵌められていなかった。つまり指輪は指の輪ではなく指への輪だったかもしれない。

 ことばへの疑念は社会をつくる仕組みへの疑念である。このような疑念は社会へ怒りや不安を持つ者が抱くことが多い。

半袖は実際三分袖だよね 次暮らす街ってどんなとこ 榊原紘

 五分袖に満たない物を半袖と呼ばなくてはならないのである。日常に知性と論理は屈する。

機嫌なら自分でとれる 地下鉄のさらに地下へと乗り換えをする 榊原紘

 「地下鉄」は地下を通る鉄道で、「さらに地下へと」と榊原は付け加える。地下のさらに地下はそれでも地下でしかないのだが、そこを通る鉄道に新しい名前をつけられそうな気もする、地下地下鉄とか。

 「機嫌なら自分でとれる」は感情のかたちへの推察である。感情とひとくくりに呼んでしまっていたものにストア派のように名前をつけて分類し自分でコントロールしようとする。たとえば衝動と同意のように。名前をつけることで感情というものの原因と結果を分類し、把握する。

ことばから補助輪が外されてなお漕ぎ出した日のことを言うから 榊原紘

 子供のときはことばは与えられるもので、社会から与えられた意味を補助輪のようにして生きていけた。しかし自分でことばに意味を与え、名前をつける能力が身についたとき補助輪は外される。「なお漕ぎ出した」人はどんな意味をことばに与えるだろう。

舌という湿原を越えやってくるやさしくなりきれない相槌よ 榊原紘

 舌と湿原が強い比喩の関係になるためには舌蕾の形状だけではなく、舌→ことば→失言→シツゲン→湿原という連なりが必要だ。

ゴミの日がかわりますって回覧をまわすくらしに飛び地はなくて 榊原紘

マーガリンなしでジャムだけ塗る朝に飛び級みたいにこいびとになる 榊原紘

 「飛び地」「飛び級」は同じような使い方をされている。町内会の回覧を回す日常とパンにマーガリンを塗ってからジャムを塗る日常、前者はないもの、後者はそうしてみたことの喩えとして表される。

 

悪友

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朝日歌壇2021年7月4日

今朝の中日歌壇は大雨による熱海の土石流災害報道のためお休み、11日に掲載されるとのこと。

朝日歌壇

佐佐木幸綱選第一首〈神職の注視の先をかろやかに田植機がゆく御田植神事/北野みや子〉機械もまた人事。高野公彦選〈田の跡の白き家並み吹きぬける風は蛙の歌を知らない/畠山水月〉水田跡の団地だろう。蛙は目高は田螺はどこへ行ったのか。〈流れ星の気分になってこいでゆくあたらしい自転車は夜空色/山添葵〉「夜空色」がいい。永田和宏選三首目〈東京へ来ないでよりも東京に来ないでの方が少し険ある/四方護〉格助詞の違い、「東京方面へ来ないで」より「東京を目的地に来ないで」の方が確かに険しい。〈好きになれぬ職に就く暇人生になしと唯一子に言い残す/長尾幹也〉沁みる言葉だ。座右の銘にしたい。馬場あき子選〈「顔を見せろ」とうるさかった実家にも「帰って来るな」と言われるコロナ/上田結香〉来いも来ないも親心。〈失敗を話せばさらにその上の失敗を話す友のいる夏/高田真希〉失敗マウントの取り合い、という友情。

千葉聡『微熱体』書肆侃侃房

雨続きで滅入る日、『微熱体』を読む。〈教科書など鞄の底に押し込んで夏は海辺のホテルでバイト/千葉聡〉本の形がはみ出た鞄を持って毎朝海へ通う、光り。〈コンビニまでペンだこのある者同士へんとつくりになって歩いた/千葉聡〉創作に手を染めた罪深い二人だけどお似合いの二人として。〈二人して交互に一つの風船に息を吹き込むようなおしゃべり/千葉聡〉今そこで言わないと何かが破裂しちゃいそうなおしゃべり。〈半分だけポストに入れた朝刊は超夜型の天使の羽かも/千葉聡〉配達短歌のひとつの到達だろう。〈ボクサーと走る夜明けの海沿いの道 足音の残響を聞く/千葉聡〉定型を外れた「道」が際立つ。〈セロテープ引きだし続けているような雨音 渋谷は空に傾ぐ/千葉聡〉渋谷という湿気都市が好配置。角海老の裏手、東急ハンズ感がある。〈演劇論をたたかわせてもコカコーラ、アイスコーヒー見た目は同じ/千葉聡〉黒い液体、褐色に泡立つのは同じ。飲んでみないと分からない。〈真夜中の屋上に風「さみしさ」の「さ」と「さ」の距離のままの僕たち/千葉聡〉発見の詩。〈海岸へ続くレールに捨てられた手紙は雲の影に轢かれて/千葉聡〉海と空と大きな景のなかの手紙の小ささ、されど大事さ。

 

 

中日歌壇朝日歌壇2021年6月27日

中日歌壇

島田修三選第一席〈グーグルでわが町少し散歩すれば突如日傘の妻が現る/三上正〉日傘はGPS除けだったりして。第三席〈白鳥の哀しみほどではないとして布団の角で転ぶも悲し/林建生〉ずっと寝ていたいのに。〈横恋慕しないがよいと知己が言う一首の傍に一句を読めば/梶村京子〉文芸ジャンルなんて横飛びすればいいのです。小島ゆかり選〈老いたれば従容として迷ひなくみな受け入れて腕差し出だす/伊藤達夫〉受け容れるのは新型コロナウイルスのワクチン接種でもあるし、死でもある。〈既読5でとまる数字は友一人欠けたることを容赦なく告ぐ/広瀬尚代〉ラインのグループだろう。変わらないことが告げるということ。

朝日歌壇

馬場あき子選〈活字では読み飛ばしていた一文が光を帯びる朗読者の間で/吉谷往久〉朗読の節回しでその一文が朗読者にとって大切だと気づかされる。スポットライトを浴びて。佐佐木幸綱選第三首〈早苗田にバス停湖の島のよう試合帰りの少女が降りる/塩田直也〉湖にうみとルビ、なぜこんなところにバス停を設けたのだろう。エリック・カールの二首高野公彦選〈サプライズ好きのむすこになったのは「はらぺこあおむし」の蝶の翅みて/松本知子〉永田和宏選〈子の本もその子の本も補修テープ貼り重ねたり「はらぺこあおむし」/水野一也〉わが家ではももんちゃんにおされそこそこの人気のはらぺこあおむし

穂村弘『シンジケート』講談社

〈別件の顔をしてくる会社員/以太〉が麦誌上句会テーマ「別」特選になっているのを見た日、『シンジケート』を読む。〈郵便配達夫の髪整えるくし使いドアのレンズにふくらむ四月/穂村弘〉郵便配達夫にメイルマンとルビ、そういう時代もあったのだろうか。今はみんなヘルメットを被っているし、そんな人見たことない。〈「とりかえしのつかないことがしたいね」と毛糸を玉に巻きつつ笑う/穂村弘〉失うために努める。〈夕闇の受話器受けふいに歯のごとし人差し指をしずかにおけば/穂村弘〉受話器受けにクレイドルとルビ、押せば引っ込む歯として。〈マジシャンが去った後には点々と宙に浮かんでいる女たち/穂村弘〉女たちの顔を想像するとおもしろい。ソラリスのような表情だろうか。〈はしゃいでもかまわないけどまたがった木馬の顔をみてはいけない/穂村弘〉視界に入らない世界は存在しないはずだから。自分の乗っている車の前面は見ないものだから。〈彗星をつかんだからさマネキンが左手首を失くした理由は/穂村弘〉何気ないものの気づきにくい不思議を明かす。〈自転車の車輪にまわる黄のテニスボール 初恋以前の夏よ/穂村弘〉そんな奴いた。憧れていた。〈象に飲ませる林檎の匂いのバリウムが桶いっぱいにゆれる月の夜/穂村弘〉いまはインターネットのグーグル検索で何でも調べられちゃうからあきらかな嘘は書けず現実の裏側しか書けないけれど、グーグル検索が未発達な時代はなんでも書けた。詩になった。グーグル検索はいくつかの詩を殺した。〈パレットの穴から出てる親指に触りたいのと風の岸辺で/穂村弘〉誰の指か知らないけど触りたくなる。やわらかいのか。〈終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて/穂村弘〉一時期すっごい影響受けた歌。でも記憶では朝焼けのイメージだった。〈アルキメデスのように駆けだす淫売は肩にシャボンの泡のせたまま/穂村弘雄琴で火事だ。〈査定0の車に乗って海へゆく誘拐犯と少女のように/穂村弘〉なんでもないものでいられず自分にレッテルを貼ったり値段をつけたりする。

 

 

中日歌壇朝日歌壇2021年6月20日

中日歌壇

島田修三選第一席〈雨ののち一方的に少年が恋したような夕焼けの街/坂神誠〉情熱だけの赤。かつての激しい思いが込められているような。第二席〈祖母の名は〈はん〉と〈とせ〉なり今の世のきらきらネームもやがて伝説/冬森すはん〉伝説にレジェンドとルビ、確かに昔は入鹿とか不比等とかいたわけで。〈つるりんとラベルの剥けたガラス瓶すべては取越し苦労であった/塩谷美穂子〉ラベル剥きに苦労するはずだったけど意外と簡単だった、あるある。小島ゆかり選第一席〈茶畑の若葉が萌えて東風わたる渥美半島海に突き出る/中治正行〉どこから見た景か気になる。新城か豊橋あたりか。第二席〈宝箱パンドラの箱玉手箱何が開くか東京五輪/玉井浩子〉二番目の箱が怪しい。〈行列し先着順に受付し予約分だけ あとは切り捨て/酒井正二〉金沢市のコロナのワクチン接種会場だろう。〈載らないとボヤく私に友が言う「投稿しなよ」と「脳トレだよ」と/杉浦るみ子〉なかなか載らないよね。

 

朝日歌壇

天声人語に〈世の娘半分は父を嫌ふとぞ猫を撫でつつ答へむとせず/宮近伸一〉、永田和宏選〈茂吉越えし猿羽根峠の朝あけに出羽富士紅く雪ほそる見ゆ/沼沢修〉「雪ほそる」で夏を感じる。佐佐木幸綱選第一首〈薄切りのレモンに蜂蜜垂らしゆくとろりとろりと暮れてゆく春/永井雅子〉はちみつレモンを飲みたくなった。〈行き急行帰り各停結婚の許可得た喜びかみしめるため/米谷茂〉おめでとうございます。