以太以外

蒼褪めた巨漢は笑う水澄んで 以太

所以4

  • 参議院選挙の期日前投票に行ったら、漫画家・赤松健自由民主党から全国比例区で出馬していた。私も歳をとる。
  • ラブひな』は全巻読んだ。
  • 「ウンチ〇〇八」とは?
  • 〈先制攻撃する(される)恐怖をわかちあい大江戸線の地下駅を行く/藤原龍一郎〉「地球人記録2022」と〈話さなきゃ忘れることだ 早足で大江戸線を下り見上げる/ショージサキ〉「Lighthouse」短歌研究2022.7、大江戸線の深度。
  • 〈種を下げゆらりと絮のとぶ午後を筆記体ある手紙とどきぬ/横山未来子〉「けふのからだ」短歌研究2022.7、「筆記体ある手紙」は文章情報よりその人の筆ざわりを想起させる。
  • 〈こときれた時計から抜く乾電池 発条の強さにたじろぎながら/toron*〉「ひらいた」短歌研究2022.7、「こときれた」死から「発条の強さ」生への落差が良い。
  • 〈語学学校がサムギョプサル屋になっていた入り口の下駄箱はそのまま/鈴木ジェロニモ〉「ものすごいマンション」短歌研究2022.7、使い古した下駄箱、靴を脱ぐタイプの食べ物屋がよい。
  • 〈陽に透ける肩までくるくる揺れる髪 毛先はわたしのなかで育った/馬場めぐみ〉「混沌にて」短歌研究2022.7、これはうちの娘だ。
  • 公示日から5日の27日月曜日に選挙郵便の山場を迎えた。
  • 6月27日(月)同僚が配達先で仆れた。新型コロナウィルス陽性だった。いま同時に二人陽性で休んでいる。
  • 〈万緑や象の尻めく村のバス/髙石まゆみ〉「立夏」現代俳句2022.7、旧型の丸みを帯びたバスだろう。

 

 

所以3

  • 首がもげるほどうなずいたと大袈裟に描写せざるをえないのは、賛意に確たる根拠を持たないから。
  • 〈青春は苦行であると気づくたび眉間を走り抜けてゆく中央線/笹公人〉、連作「異空間アンプ」文藝春秋2022.7。私にとっての南武線が彼にとっては中央線なのだ。
  • 自分の生きづらさを他者の責と捉えている限りその解消は遠い。
  • 原因を外ではなく内におくこと、他者も自分と同じように弱い自由意志しか持たないと知ること。
  • 岩波茂雄は「ゴタだった」という。「ゴタ」とは、諏訪の言葉で「やんちゃ」あるいは「きかん坊」に近い意味があるらしい。(小倉美恵子『諏訪式』亜紀書房
  • 信州人にとって最も確かな宝は「ベクトルを持った人間」であり、「独り立ち」した人間同士が信頼をもって築き上げる人脈なのだろう。(小倉美恵子『諏訪式』亜紀書房
  • 二人して向ひ苦しく思へりし清き心にかへるすべなく/島木赤彦
  • 〈病葉の足裏に親し山の径/綾野南志〉俳句界2022.7、病葉という言葉の感触を足裏に感じているような「親し」だ。
  • 〈金魚飼ふ浦島太郎になりきつて/大橋嶺彦〉「浦島太郎」俳句界2022.7、これは老化以後、誰も親しい者のいなくなった浦島太郎になりきった。
  • 〈遮断機の震へて下りる炎天下/帯谷到子〉俳句界2022.7、炎暑の大気のゆらぎを「震へて」に感じる。
  • 〈A席はずつと海側夏帽子/佐々木啄実〉俳句界2022.7、球場だろうか。もちろん座席の位置は易々とは変わらない。夏の海と球児たちの眩しさがある。「ずっと」が俳諧
  • 〈案山子にはあをき硝子の目を与ふ/日向美菜〉俳句界2022.7、田圃の案山子には硝子の目は合わなそうだけれど、そこへ敢えて硝子の目を持ってくる作為が美意識だろう。
  • 〈方舟の闇になじめぬ黄金虫/足立町子〉「祈りの底」俳句界2022.7、ノアの方舟、その梅雨闇めいた闇にその黄金色が浮いてしまう。
  • 〈円卓の騎士の最後は桃の花/わたなべじゅんこ〉「Fairy Tale」俳句界2022.7、英国中世史話と中華仙人譚とが入り混じった世界観がおもしろい。
  • 第38回麦新人賞を「壊れた公園」でいただいた。〈辷り台に脚を忘れた虫の闇/以太〉

 

 

所以2

  • 梅雨入りの日、玉虫を見つけた。靖國神社で翔んでいるのを見て以来だ。
  • 日本国憲法第25条から「最低限度の」を削除し「すべて国民は、健康で文化的な生活を営む権利を有する。」と改めたい。
  • 八幡宮の坂下にいた蜜蜂の群れへバイクで突っ込み、右頬を刺される。咬むような痛み。針には白い腸がついている。
  • 「川柳」の名はダサい、所詮人名だ。
  • 柳人なら致し方ないけれど歌人俳人や詩人で「川柳をやっている」と言える人は言語感覚が私と合わない。
  • 川柳の代案、狂句・瘋句・平句など。
  • 6月14日の週になってからヤクルト1000が品薄になった。乳酸菌飲料販売員と昼ごとに「アレある?」「ありますよ(タオルで隠していたヤクルト1000を露わにして、ニヤッ)」なんてやりとりをしている。
  • 男性作家はこの二十年代のためではなく十数年の未来に向けて書くべき。いずれ潮目は変わる。
  • 植芝理一という漫画家のことを思い出した。
  • Qui igitur credunt se ex libero mentis decreto loqui vel tacere vel quicquam agere, oculis apertis somniant.(E3P2S)
  • 失敗した人を責められる人は自分は覚醒していると思いこんでいる。だから自分は失敗しないと信じているし、安易に他人を責められる。
  • スピノザ先生の言うように、全員が目を開けたまま夢を観ている状態だと思えば、他人を責めることも自分を責めることもない、だろう。
  • 自分が制御できる範囲内だけを努力するのは幸福論の基本だけれど、スピノザはその範囲を極端に狭める。

 

 

所以1

  • 林檎の半分を知ると皮も断面も知る。林檎一個を知っただけでは皮しか知らず、断面を知らない。
  • 5月8日(日)、鴨江アートセンターの第六回浜松古本市へ顔を出す。壬生キヨム氏が店を出していた。
  • インチュニブが良い方へ効く。
  • 5月14日(土)、豊川市新桜町通1丁目の服屋analog/toolの二階へ春夏秋冬叢書の展示を観に行く。味岡伸太郎氏が在廊。蛍烏賊を食べる。
  • 5月15日(日)午後、ホテルコンコルド浜松での青穂全国大会こと第五回尾崎放哉賞表彰式へ赴く。参加者は十数名。
  • 妻子は湖西市鷲津のbooks cicalataへ雑誌を売りに。
  • 大会の司会は黒崎渓水氏、私の左隣は同じく第五回尾崎放哉賞入賞の室伏満晴氏、別机の右隣は敢闘賞のすずめ園氏。
  • 青穂主宰の小山貴子氏は尾崎放哉マニア。
  • 尾崎放哉の一高時代の同級生に中勘助・藤村操がいた。
  • 浜松駅前で嘴付きマスクをつけて手品と彫像芸をしている大道芸人のSyo氏。娘は投げ銭をしてもマスクを怖がって手品に参加できない。
  • 5月24日(火)、ベランダの河骨が咲いた。例年より早い。
  • 久しぶりに『シグルイ』を読む。作中で一番現代人の価値観に近いだろう伊良子清玄に感情移入できない。
  • 病気休暇から四ヶ月を経て本調子へ近づく。ヤクルト1000が後押しした。
  • 相生公園へ行く。自転車練習用の交通公園というものに魅了された。
  • 村上龍『愛と幻想のファシズム』を電子書籍で再読したい。
  • 六月下旬にピッツバーグへ行く広瀬氏は塚戸小の後輩で従弟の同級生だった。
  • 〈最後までワープロ使ひもの書きし石原慎太郎と聞けばしたしも/小池光〉連作「棗」、角川短歌2022.6。ポメラもそのうち懐かしガジェットとなるだろう。

 

 

再読『千夜曳獏』

三月の海に花びら浮いていてこの水はさぞ冷たいだろう 千種創一

この作者のなかにはあたたかい海水だと花びらがすぐに溶けてしまうという観念があるはずだ。

湖にこれから入るかのようにあなたは黒い靴を脱ぎ、寝る 千種創一

はじめあなたは男性だと思い読んでいたけれど、女性だろう。だから脱ぎ散らかすのではなく黒靴はベッド横に揃えてある。

黒に染めたあなたの揺れる髪の毛の、鯨はかつて陸を歩いて 千種創一

鯨は海にいて、かつて陸にあがり、再び海へ戻ったのだから黒に染めたあなたの地毛は黒ではなかったのかもしれない。

海上の国境みたいなあいまいで明るい時間をあなたと寝てる 千種創一

あいまいなのは夜と朝のあいだの時間であるし、私とあなたの境界であろう。

路線図の涯に名前の美しい町があるのは希望と似てる 千種創一

雲雀丘花屋敷という駅」が詞書。「路線図の涯」が人生の終わりのよう。

あなたから借りた詩集のここからは付箋の色がかわる 秋かも 千種創一

使っていた付箋を切らしてしまうのは季節の終わりのように致し方ないもの、人の力ではどうしようもないものと捉えられている世界は美しい。

石鹸の紙を破れば或る島の或る安宿へ記憶は帰る 千種創一

匂いが記憶を甦らすのだろう。

きのことは柔らかい釘、森にいる誰かを森に留めおくための 千種創一

思わず「おおっ」と唸った。そうだったのか。

 

 

第五回尾崎放哉賞受賞作品を読む

第五回尾崎放哉賞入賞作品が発表になった。私が十二月に提出した〈手話の降りつもり暖かな列車/以太〉は入賞した。受賞作品のうち気がかりな句について読む。大賞の〈蝉時雨浴びて秘密基地の入り口/大川 久美子〉は蝉時雨を浴びなければ現れない秘密基地への入り口がありそうだと思わせる。音の中の夏の光がまぶしい。そして、五六七と駆け上がる韻律を隠し持つ五三・六四のゆるやかな変則対句だ。春陽堂賞の〈選ばなかった道が交わる/伽瑤〉は「どちらを選んでもよかったのかい! 」とツッコミ待ちだろう。七三四と自由律ならではの独自の調子を持って「選ばなかった」のあとの余韻が心地いい。優秀賞の〈レモンどこまでころがる冬陽の片隅/重富佐代子〉は陽に照る檸檬の色が鮮やかすぎる景色だ。〈レシートを栞にして読み終えた/堀将大〉は五六五でやや定型気味なるも生活の中に読書が根を張っているだろう作者の生活への態度がわかる。入賞の〈星座になれぬ星も輝いて夜空できあがる/久光良一〉は「星座になれぬ星」への着目が同じ自由律俳人として誇らしい。〈徘徊と散歩の境目を歩く私/岡村裕司〉は新しい概念を詩で切り開こうという試みが愉快だ。〈曲線だけでできている笑っている女/重富蒼子〉は笑うことで体の直線が曲がったという読みは無粋、人は曲線だけで生まれたのだからそれを敢えて書くことに俳句描写の神髄がある。〈春が来たブランコかわってあげる/楽遊原〉「かわってあげる」と擬人化された春へ差し出されるブランコの座面がかわいい。〈白木蓮そのままに音のない家族/野田麻由可〉この家族は生きているのだろうか? 生きているなら自然に溶け込むようなたたずまいの家族なのだろう。白さがちらつく。〈あの涙知る髪が切られた/室伏満晴〉舞台の第二幕として、涙のほうへ髪ははらりと落ちていく。

嶋稟太郎『羽と風鈴』書肆侃侃房

〈止めていた音楽をまた初めから長い時間が経ってから聴く/嶋稟太郎〉初めから聴くけれど、もしかしたら止めたときの記録や栞のような痕跡が残っていたのだろうかと思わせる。〈やがて森の設計図となる旅客機が東の空にともされてゆく/嶋稟太郎〉飛行機の老朽化して引退したあとを思う。〈夕立の終わりは近く二輪車の音は二輪の線を引きつつ/嶋稟太郎〉二輪の水轍が少しずれて残るのだろう。暗い、優しい時間だ。〈月面に着陸したる人思う何も持たずに浴室を出て/嶋稟太郎〉別のところへ踏み込んだ違和感は宇宙飛行士も入浴者も同じかもしれない。〈おもむろに風吹く午後の地の上を擦りながら飛ぶ包装容器/嶋稟太郎〉好きだなぁ。〈問いかける形で記すいくつかの議題の文字は傾いたまま/嶋稟太郎〉「傾いたまま」の客観写生が効いている。〈車椅子を降りようとして美しい筋肉きみがマンボロを吸う/嶋稟太郎〉喫煙者の車椅子利用者という像がうつくしい。〈一晩はパジャマを借りるあたたかな異郷の風に髪が乾いて/嶋稟太郎〉着慣れないパジャマと吹き慣れない風の感じがわかる。〈ロッカーの鍵を手首にからませる地図で見つけた銭湯に来て/嶋稟太郎〉ロッカーの鍵は実感である。〈日だまりにレシートが散るポケットの底から鍵の束を抜いたら/嶋稟太郎〉レシートの白は光であろう。

かさぶたを剥がしたような西の果て飛行機雲はどこまで続く 嶋稟太郎

 

羽と風鈴

羽と風鈴

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類歌による入選取消し

中日新聞2022年1月16日朝刊22面の俳壇歌壇欄に「2021年2月14日付の島田修三選の1席は類歌と判断したため、入選を取り消します」と「お断り」が載せられた。


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新聞歌壇・新聞俳壇にときどき掲載される「おことわり」、今回の入選取消理由は二重投稿ではなく類歌とのこと。どのような類歌だったのか辿ってみた。

取り消された該当の歌は〈バイクよりひらりと降りたる青年がヘルメット脱ぎ美少女となる〉というもの。Googleで該当歌を検索すると

バイクよりひらり降りたる青年がヘルメット脱ぎ美少女となる

安部 綾 「雪明りの坂」(2002年)所収(変身、ちょっといい感じ

『バイクよりひらり降りたる青年がヘルメットを脱ぎ美少女となる 』

こういうの、僕のど真ん中なんです。意外性とか、別の顔とか、誰も知らない素顔とか…♪

(詩 / 阿部綾『雪明りの坂』より)(三左衛門

という歌が見つかった。作者は阿部綾さんのようで『雪明りの坂』は沃野叢書として角川書店から2002年に刊行されている。そして該当歌は阿部綾さんのこの歌のテニヲハをいじっただけの歌であるようだ。もちろんうっかり似てしまった可能性もあるが、同じくらい盗作の可能性もある。

吉竹純『日曜俳句入門』岩波新書にこうある。

しかし、なにより頼りになるのは、読者の目です。かつて地方紙からの盗用であれば、見つからないと思ったケースがあったようです。しかし天網恢々疎にして漏らさず、アウトになったという話です。

投稿歌人と投稿俳人はいま一度気を引き締めなければならない。

 

荻原裕幸『リリカル・アンドロイド』書肆侃侃房

〈さくらからさくらをひいた華やかな空白があるさくらのあとに/荻原裕幸〉その空白は決して虚しくない。〈ここはしづかな夏の外側てのひらに小鳥をのせるやうな頬杖/荻原裕幸〉「夏の外側」という疎外感がなじむ。〈皿にときどき蓮華があたる炒飯をふたりで崩すこの音が冬/荻原裕幸〉黙々と炒飯を食べる時間、そんな言葉のない静寂さが冬。〈スマホの奥では秋草の咲く音がする結局そこもいま秋なのか/荻原裕幸スマホの奥から聴こえる音は脳のなかで鳴る音であろう。〈右折するときに大きく揺れながら春をこぼしてクロネコヤマト荻原裕幸〉春の落失事故である。〈壁のなかにときどき誰かの気配あれど逢ふこともなく六月終る/荻原裕幸〉誰かがいることは否定することなく終わる六月。梅雨の闇にひそむ生命あるいは生命なき物音の気配。〈ローソンとローソン専用駐車場とに挟まれた場所にひとりで/荻原裕幸〉あの名前のない場所に立つ、受動喫煙の烟に巻かれながら。〈緘でも〆でも封でもなくて春の字を記して封をした封書来る/荻原裕幸〉そんな封書来て欲しいし、そんな封書を出せる友が欲しい。〈誰も画面を見てゐないのにNHKが映りつづけてゐる大晦日荻原裕幸紅白歌合戦はもはや歌だけを届けている。〈この世から少し外れた場所として午前三時のベランダがある/荻原裕幸〉見慣れた場所は深夜にがらりと様相を変える。〈同じ本なのに二度目はテキストが花野のやうに淋しく晴れる/荻原裕幸〉一度目とは読める意味が変わってきたゆえ。〈四枚のキングのなかで髭のないひとりのやうに秋を見てゐる/荻原裕幸〉ハートのキングはカール一世だとか。彼はなぜ髭なしとされているのか分からないけど、そのくっきりとした目のような確かな視線で見る秋には冷ややかさがこもる。

春が軋んでどうしようもないゆふぐれを逃れて平和園の炒飯 荻原裕幸

 

 

毎日歌壇2021年12月20日

加藤治郎選〈きみにだけ見える青信号がありどんどん行ってしまう さようなら/木村槿〉いつまで君は赤信号なの?とか言われそう。〈お祈りをされる私も煌々と闇を切り裂く電車の一部/花浜紫檀〉脱力、表面張力を失い電車と一体化した就活生。篠弘選〈スタートに日焼けの腕を揃へたる女性ランナーの美しきマニキュア/大槻弘〉視点が良い。伊藤一彦選〈僕の一日スマホはすべて知っている釈迦の掌の上飛んでいるよう/北村行生〉スマホと釈迦の掌の取り合わせが妙。〈「あんなものある種落ちこぼれですよ」と言われた私が大人になった/目地前さち〉会社か学校の場面か。これは受け流したのか、それとも成長したのか。米川千嘉子選〈バス停で「わたし、独りになったの」と知らぬ女性に打ち明けられて/金倉かおる〉バスや電車でふと隣に座る誰かに言いたくなることがある。

中日歌壇2021年12月19日

中日歌壇


島田修三選第一席〈願えどもタイムリープはできなくて二度と会えない祖母のすき焼き/伊藤すみ子〉四日市の新星ついに一席、どんな味のすき焼きだろうか。甘いのだろうか。〈そこはかとやわらかそうな印象で馬の骨とはひとを指すなり/漕戸もり〉「どこの馬の骨」の馬の骨の意味を更新した。〈星ひとつ撃つ真似をする真似なのに飛び立つカラス烟る指先/西脇祥貴〉評に「シュールなコミック」とあるけどまさに戯画的、かっくいい。小島ゆかり選第一席〈胸の前にポインセチアを抱え来る人は誰かのための燭台/森田しなの〉祝い事か。体言止めの余韻が成功していてが荘厳な歌だ。第三席〈空近き図工室には暗がりに木の香残れり月蝕の夜/板倉亜澄〉木の香は森を、月影の森を思わせ、夜の校舎に森を幻出させた。

鶴舞公園と短歌

名古屋市鶴舞(つるま)公園は名古屋市昭和区鶴舞一丁目にあり、明治四十二年に名古屋で最初に整備された公園*1だ。小酒井不木の「名古屋スケツチ」には

なほ又名古屋市民に近頃追々喜ばれ出した鶴舞公園はスケツチの種にならぬことはないけれど、公園などのスケツチに出かけては、近頃流行の感冒にでも襲はれると悪いから、今日はこの辺で筆をとゞめて置く。

と書かれ、相当な人出と人気だったようだ。この小酒井不木国枝史郎によれば鶴舞公園の近所に住んでいた*2。また国枝史郎の「銀三十枚」や江戸川乱歩の「猟奇の果」に鶴舞公園は舞台として登場する。吉川英治が感心した*3図書館も公園にある。鶴舞公園は日本文学史、特に東海地方の文学史を語る上で重要な公園である。

この鶴舞公園の噴水塔は歌人加藤治郎によって個人的な短歌の聖地となっている。

 

青き水噴き上げてゐつ解き放たねばならぬあまたを持ちてゐし日/春日井建

その加藤治郎鶴舞公園の噴水塔をタイトルとした『噴水塔』という歌集を出している。

八本の円柱はみゆ鶴舞の噴水塔につどう歌人加藤治郎

また、『東海のうたびと』中日新聞社加藤治郎は吟遊の街の三番目に鶴舞公園噴水塔を挙げている。

噴水に春のブラウス濡らしつつほんきなのって瞳は嘆く/加藤治郎

そのほか惟任將彥による「鶴舞公園」と題された連作12首も「AICHI⇆ONLINE」の短歌プロジェクト「ここでのこと」で発表されている。

芝生ではバドミントンの親子らがいつかは落ちるシャトル打ち合ふ/惟任將彥

またtwitterではこんな短歌があった。

噴水塔を含めて鶴舞公園は名古屋の短歌スポットを列挙した際に平和園名古屋市短歌会館とともに挙げざるをえない場所のひとつだ。

*1:明治42年11月19日、「鶴舞(ツルマ)公園」と名称が定められました。設計は、全体計画が本多静六林学博士、鈴木禎次工学士が行い、日本庭園は村瀬玄中、松尾宗見の両宗匠が行いました。「鶴舞公園の歴史

*2:名古屋市中区御器所町、字北丸屋八二ノ四、鶴舞公園の裏手にあたり、丘を切通した道がある。その道を見下ろした小高台に、氏の住宅は立っている。「小酒井不木氏スケッチ

*3:ぼくが感心したのは、鶴舞公園の図書館だった。いったいに、図書館というと、どこも陰鬱で閑休地域みたいだが、百パーセント閲覧者を容れ、尺地もないほど活用されているのを見た。殊に児童閲覧室の風景がじつによかった。「随筆 新平家

柴田葵『母の愛、僕のラブ』書肆侃侃房

〈そとは雨 駅の泥めく床に立つ白い靴下ウルトラきれい/柴田葵〉ウルトラは広告宣伝の強調のための文句だったのかもしれない。異常なほどの低視線がある。〈紫陽花はふんわり国家その下にオロナミンC遺棄されていて/柴田葵〉オロナミンCに実存感が出る。〈地球だって宇宙なんだよこんにちはスターバックスにぎやかに夏/柴田葵〉宇宙がそこだけ延伸されてスターバックスになっているような店舗、ある。〈手をつないで 正しくは手袋と手袋をつないで ツナ缶を買って海へ/柴田葵〉手に対して手袋、鮪に対してツナ缶、模倣品でもいいから愛めいた景色が広がる。〈浅瀬には貝殻すらない冬の海このまま待てば夏になる海/柴田葵〉たいていの人は夏まで待てずに去ってしまう、でも。〈マーガリンも含めてバターと言うじゃんか、みたいに私を恋人と言う/柴田葵〉一度きりの関係でも恋人と言うじゃんか、みたいに。〈あしたには出社する旨メールしてその手で傷んだ檸檬を捨てる/柴田葵〉傷んだ檸檬がお守りだった。〈校庭の砂を散らして去ってゆく風になりたい月曜だった/柴田葵〉下の句が好き。月曜日もそうであれば愛されたであろう。〈盗まれやすい自転車みたいな人だから探すことには慣れているから/柴田葵〉そんな関係性、いいね。〈電車待つ他人の海でわたしだけわたしの他人ではないわたし/柴田葵〉わたしの関係者としてのわたしが人混みの中に立つ。離人症的な感覚への拮抗からうまれた歌。〈産まれたらなんと呼ぼうか春の日にきみはきっぱり別人になれ/柴田葵〉「きっぱり別人になれ」がなかなか言えないのだ。〈からまった髪をほぐして人を待つ金木犀にまぶされて待つ/柴田葵〉「まぶされて」が新しい。匂いに髪をまぶされる感じだろう。

 

母の愛、僕のラブ

母の愛、僕のラブ

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毎日歌壇2021年12月14日

米川千嘉子選〈高校野球応援隊の母たちは黒髪なびかせ姉さんのよう/角田勇〉母たちがねえさんたちのように若々しく見えた。加藤治郎選〈スーパーは更地になってスーパーで買ったヘアピンも消えてしまった/福島さわ香〉春日井市の更地短歌、中日歌壇にも12月12日に〈一回も行かないままに赤茶けた更地になりしリゾットの店/川合梅子〉があったし以前にも〈赤茶けた更地の隅の受箱へ「郵便です」と秋風を差す〉が載っていた。中部地方は衰退しているのか、危惧する。篠弘選〈信号の青となるとき一斉に夕虹を仰ぎて人渡りゆく/山田愁眠〉信号をちらと気にする仕草を「夕虹を仰ぎて」とした。色の対比もおもしろい。伊藤一彦選〈花びらが花からいくつ離れたら花は花ではなくなるだろう/高田月光〉アリストテレスの可能態と現実態とか存在論が出てきそうな。

中日歌壇朝日歌壇2021年12月12日

中日歌壇

島田修三選第一席〈子の口に子供は消えて「永久」という名の大人がいつしか揃う/山崎美帆〉謎掛けのような歌だが評のように歯のことだろう。ちなみに私にはまだ子供がいる。第三席〈左手に見えてきました銀杏を独り占めする人が祖父です/伊藤すみこ〉愉快な家族像が浮かぶ。〈臓器あるかと思ふほど細き身の揺れる電車にしなやかに揺れ/橋本孝子〉しなやかな腰つきなのだろう。小島ゆかり選第二席〈安らかな眠りのための名曲が食用牛の育舎より聞こゆ/相原利沙〉自分も聴いていた曲を食用牛も聴いているおかしさ。第三席〈棟梁を社長と呼びて初々し見習い大工のラオスの若者/吉田鉄男〉シャチョーな発音かな。

朝日歌壇

馬場あき子選〈鮭缶は高いと鯖缶買う夫は猫缶の方が高いと知らない/齋藤紀子〉うはは。佐佐木幸綱選〈磯釣りを断ちて釣り具を廃棄せむと触るれば個々に潮の香放つ/波戸与七〉個々に潮の香、個々に思い出。高野公彦選〈親ガチャと言ふけどほんとは命ガチャ来世は蟻に生まれくるかも/入山純子〉人間の範囲で輪廻転生を考えず生物の範囲へ広げた。永田和宏選〈紅葉の古都に響いて駅ピアノ終えて少女は椅子戻したり/神宮斉之〉喝采ののち静寂ののち礼。