以太以外

蒼褪めた巨漢は笑う水澄んで 以太

中日歌壇2021年10月24日

中日歌壇

島田修三選第二席〈背後から頭上を越えて青空の高みへヘリが吸い込まれてゆく/今井久美子〉スパイ映画の一場面のようだ。第三席〈うろこ雲リヤウインドに映しつつ前車は秋を背負って走る/安江弘行〉前車が秋を背負うなら気づかぬうちに我が車も背負わせている。〈母の語る死はなんとなく明るくてきれいな星になるかと思ふ/森田香津美〉人柄が死に映る。小島ゆかり選〈高速の刃にも怯まぬ老蝶のまつはる草を刈り残しおく/上村篤彦〉老蝶は死を覚悟しているのではない、腰を抜かして、体力がなくて、もう動けないのだ。

中日歌壇2021年10月17日

中日歌壇

島田修三選〈乗り物の名前を問えばバス、電車、肩車と答う認知症の夫/鈴木千慧子〉肩車は子供の乗り物であり、すでに夫の心は幼児に返っているのか。〈案外と清女は喜ぶやも知れず枕草子のオンライン授業/増崎秀敏〉あいつなら、ね。小島ゆかり選第一席〈バス停に杖を忘れてバスは出る帰りて杖はバス停に待つ/佐々木剛輔〉忠犬みたい。〈四時半の校舎裏にて静けさは金木犀の毒の憂鬱/広沢麻佑子〉金木犀は薬にも毒にもなるとも。香りは人の気分に何らかの作用をするということでもある。〈耕せば土蜘蛛百合虫螻蛄蚯蚓逃げ場失いてんやわんやに/坂部新蔵〉鍬がひとつのパンドラの函をこじあけたかのようなぐちゃごちゃ。

中日歌壇2021年10月10日

中日歌壇

島田修三選第三席〈無いはずの鍵はいつでもここに有り有るはずの庭は静かに朽ちる/倉知典子〉家は売るはず、庭は手元に残しておくはずだったのだろう。ままならないのが人生。〈凡庸な自分の歌にへこむ日はシンクを磨きやかんも磨く/二ツ木美智子〉凡庸こそが尊い小島ゆかり選第一席〈バッサリと凌霄花は剪られゐてポストはやはり定位置にあり/山下豊子〉郵便を差す側としては、はやめに剪定しておいてほしい。第三席〈棄て難き情念だれかが棄ててゆき谷にひと群れ曼珠沙華咲く/北村保〉棄て難き情念は触れ難き情念でもある。〈やわらかさ残るこころを持つ夫 通夜の翌朝散歩を休む/新谷華央里〉志村貴子の『敷居の住人』を読み返しているけれど、そんな「やわらかさ」残る心はいつまでも持っておきたい。

中日歌壇2021年10月3日

中日歌壇

島田修三選第一席〈就職の決まらぬ悪夢に目が覚めて年金制度暮らしの我と気がつく/坂神誠〉失業時代かもしれない。金が途切れるかもしれないという恐怖が日常生活者にはある。〈旅姿した牧水が徳利さげまだ佇っているこんな山路に/梶村京子〉これは門谷の鳳来寺参道にある保田井智之さんの若山牧水像だろう。〈朝顔の種ことごとく摘み終へて来年の夏を袋に納む/冬森すはん〉夏の匂いを袋に納めた。小島ゆかり選第二席〈葫蘆島の亀の子島よ恙無きや七十六年経ちて思ほゆ/伊藤達夫〉終戦のとき何歳だったのだろう。第三席〈スカートの裾翻し夏が往くポケットから赤とんぼを出して/小川真記〉スカートにポケットがあった幼少期への懐旧だろう。〈社畜とは若者たちの造語とか我らの頃は愛社といいしが/磯貝雅人〉ありのままより愛社という皮肉の効いた表現の方が大人である。

 


鳳来寺の若山牧水像

中日歌壇2021年9月26日

中日歌壇

島田修三選第一席〈「八十歳にもう手が届く」とつぶやけば「長い手だね」と娘にさすられる/塩谷美穂子〉八十歳にはちじゅうとルビ。「手が届く」の意味を二重にとるおもしろさ。作中主体の立ち位置を考えさせられる。〈鍵盤の黒が少ない朝礼の横一列のマスクの署員/成田信行〉鍵盤に譬えるくらい揃っている。小島ゆかり選第一席〈退陣に追い込みおきて沈痛な「おどろきました」は政治家の弁/加藤直子〉政治の言語は日常の言語とは異なる。第二席〈パラ五輪の折れない心持つ人ら頂点にして裾野は広い/白沢英生〉頂点が高ければ裾野はより広くなる。〈障害を持つ娘には日常を壊すパラリンピック放映/上竹秀幸〉新しい挑戦が生まれたのか、それとも。

中日歌壇朝日歌壇2021年9月19日

中日歌壇

島田修三選第三席〈亀の子の一二三四五、十二十、五十六十海へ海へと/中山いつき〉短歌は歌なのだと改めて思う。〈スマホ鳴り「十階ですよ見えますか」手を振るだけの面会終わる/安形順一〉発話は患者の方だろうか。〈助詞の「に」はforにto足しat足し3で割ってもまだまだ違ふ/渡部芳郎〉inもonもintoもaboveもunderもaroundもalongも。小島ゆかり選第一席〈夏逝くはいつも寂しく日輪のやうな金魚を買ひ求めたり/浅井克宏〉その尾鰭の燃えるような形状を思う。〈停止せる大観覧車輪の中に動きは緩し今朝の雨雲/馬場泰年〉これって刈谷ハイウェイオアシスの観覧車だろうか。〈早朝にまだおよげない幼児の水着が泳ぐ夏風の中/山田真人〉きっと幼児はごろごろしている。

朝日歌壇

馬場あき子選〈大統領は逃れ市民は残されてああカブールは陥落したり/中原千絵子〉二十年の長さに比して地図の色が塗り替わるのはあっという間だった。〈しみじみと荷風の日本語懐かしく『日和下駄』読む蝉鳴く夕べ/小池美樹彦〉佐佐木幸綱選〈カカ・ムラドへの挽歌悲しく読み返すタリバン本日カブール制圧/栗原弥生〉うむ。〈透析人 夫に連休ありません窓辺に近く蟬時雨ふる/こたちみちこ〉「透析人」ってすごい語彙。高野公彦選〈あのひともあのひともゐた旅の宿ホテル「歌壇」を発ちしひとひと/辻岡瑛雄〉さようなら、だけを残して。永田和宏選〈カブールに残るかそれとも飛行機の機体にしがみつくかの選択/水野一也〉しがみついた彼が最期に見た景色は青空であったか、そうであってくれれば。〈差し出されし赤子抱き取るトラックの米兵の背のカブールの蒼穹/中原千絵子〉蒼穹にはそらとルビ、そこに自由があるはず。〈小台橋から見えるホームの四階の母が居るのはたぶんあの窓/村上ちえ子〉安形さんの十階と村上さんの四階と。病院へ面会に入れない日々。

塩見恵介『隣の駅が見える駅』朔出版

未明、『隣の駅が見える駅』を読んだ。〈リポビタンDの一滴昭和の日/塩見恵介〉ヒロポンにせよリポビタンDにせよ、昭和はそんなまがいものじみた薬物で動いていた。〈ゴールデンウィークアンモナイトする/塩見恵介〉巣ごもりの日々である。〈のりたまの黄色ばかりのこどもの日/塩見恵介〉あの鮮やかすぎる黄色にだまされるのはこども、しかも男の子くらい。〈惑星別重力一覧的蜜豆/塩見恵介〉不揃いだけど同一系にあるお豆さんたち。〈世の中をちょっと明るくする水着/塩見恵介〉世間を明るくするために脱ぐ女の子たちがいる。〈ライオンの体温洗う雷雨かな/塩見恵介〉「ライオンの体温」に獅子の威厳を観る。〈内陸の雨季を想っている西瓜/塩見恵介〉長野県とかの水を含んで大きくなって送られてきた西瓜なのかな。〈元カレを案山子にかえて六体目/塩見恵介〉魔女である。〈鈍行のドアの開くたび大晦日/塩見恵介〉夜の鈍行がいい。その暗さ、遠くの灯り、歳末。〈釣り人に背広が一人春夕べ/塩見恵介〉サボってきたのか、昔風の背広しかふくを持っていない人か。いずれにせよそういう面白そうな背景のある釣り人。〈赤く塗るティラノサウルス其角の忌/塩見恵介〉浮世絵に出てきそうな恐竜、其角を俳句恐竜と呼んでみたくなった。

 

 

中日歌壇朝日歌壇2021年9月12日

中日歌壇

島田修三選〈さながらに地獄を脱する蜘蛛の糸アフガニスタンを飛行機は発つ/小山肇美〉芥川龍之介蜘蛛の糸であろう。〈女性から男を口説いてくれたならどんなに楽かと若き日思いぬ/坂部哲之〉女性の方が会話は得意だから。〈夫と我微妙に話しずれ行くもあいづち打ちて会話のつづく/岩本和美〉老夫婦はきっと言葉ではなく雰囲気をやりとりしている。小島ゆかり選第一席〈「扇風機足で消すこと教へたの母さんでしよ」「いや教へてはない」/杉山要江〉「母」や語尾だけで三人の関係が分かる。第二席〈案山子案山子紺の絣の香具山の母の着物の案山子案山子よ/中山いつき〉香具山は持統天皇の歌からだろうか。〈何か斯うちよつと幸せふくふくと熟れしイチジク匂ふ小径は/近藤きみ子〉舌が味を思い出している。

朝日歌壇

永田和宏選〈死に際に私を丸ごと受け止めて頷く人に会えたらいいな/神谷紀美子〉「それでよかったんだよ」って。馬場あき子選〈車椅子の少女に若き駅員が「押しますからね」と声をかけをり/今西富幸〉佐佐木幸綱選〈のんびりとしたいんだろな君の描くラオスの地図はアヒルに似てる/今村佳子〉願望が祖国を描く形に出る。高野公彦選〈黒きパネル山や田んぼに増殖す地球の膚の瘡蓋のごと/黒木和子〉「地球の膚の瘡蓋」の画数が太陽光パネルの異様さに合う。

吉田隼人『忘却のための試論』書肆侃侃房

目が覚めてしまった午前三時に『忘却のための試論』を読む。〈旋回をへて墜落にいたるまで形而上学たりし猛禽/吉田隼人〉決して幾何学ではない、まず見えもしない。〈枯野とはすなはち花野 そこでする焚火はすべて火葬とおもふ/吉田隼人〉生と死は表裏であり同面で起こりうる。〈わが脳に傘を忘るるためだけの回路ありなむ蝸牛のごとき/吉田隼人〉私の脳のぐちゅぐちゅの部分として。→〈もう傘をなくさぬ人になりにけり、と彫られて雨滴ためる墓碑銘/吉田隼人〉も。傘忘れという属性。〈季節ごとあなたはほろび梅雨明けの空はこころの闇より蒼し/吉田隼人〉「蒼し」が深い、ほろびののちに心の隅々までその色に濁る。〈喪、といふ字に眼のごときもの二つありわれを見てをり真夏真夜中/吉田隼人〉それらは死者の世界からの視線。〈わづらひてねむりてさめて雨ふりのどこかラジオのうたごゑがする/吉田隼人〉遠くのラジオは何かの予兆のように聴こえることがある。〈おつぱいといふ権力がなつふくの女子らによつて語られてゐる/吉田隼人〉乳房は権力、パイスラッシュは権威。〈霊といふ字のなかに降る雨音をききわくるとき目をほそめたり/吉田隼人〉雨冠の漢字のなかで霊はもっとも雨から遠いかも。〈ゆめにのみいづる土地ありそのゆめにかきかへられてゆく地政學/吉田隼人〉夢の土地は現実の土地を支配する。なぜなら人々には現実を離れ、夢へ旅立とうとする力能があるから。〈きたよりのしほかぜうけて歸化植物もきみの恥毛もつめたくなびく/吉田隼人〉あたたかくそよぐのではなくつめたくなびく。凍るかのように。

政體の性感帶にふるるときうみのくろさにゆびはそまりぬ 吉田隼人

 

 

中日歌壇朝日歌壇2021年9月5日

中日歌壇

島田修三選第一席〈四本のささがき牛蒡つくる間にいらだち忘る夕立も上がり/祖父江寿枝〉日常の作業のなかで感情を整理していく。許すべき点も出たのかもしれない。〈いくつもの入道雲が重なりてスコアボードの背景となる/口野光康〉入道雲は選手や家族の期待だ。小島ゆかり選第一席〈妻のメモ“いつもの赤いヨーグルト”店の棚には赤二つあり/上竹秀幸〉おまえの「いつもの」がわからねぇ、という嘆きが聴こえてくる。〈明日になればただの紙屑なのですが朝は大事な新聞紙です/金田品子〉新聞が新聞紙になり、紙屑になる。〈二丁目を赤いバイクの郵便夫右に曲がれば蜻蛉も曲がる/河合秀幸〉普通は蜻蛉は逃げてゆく。

朝日歌壇

高野公彦選〈鉄棒のバーを手放し宙を舞う金メダリストの〈色即是空〉/鬼形輝雄〉悟りの境地のような顔をしている体操選手。永田和宏選〈アルバムに貼れない写真が一番の私の思い出だったりします/上田結香〉そんなかこもある。馬場あき子選と佐佐木幸綱選〈ワクチンをヴァイオリニストは腰に打つ腕も楽器の一部であれば/住吉和歌子〉佐佐木幸綱選〈自らもショパンと同じ体重に落として挑むショパンコンクール/福吉真知子〉体重40キロ台なんて母と同じくらい。

中日歌壇朝日歌壇2021年8月29日

中日歌壇

島田修三選第二席〈苦瓜の葉の間の青き青き空日本列島梅雨明けにけり/亀井好子〉窓に簾のようにしてたて掛けて実る苦瓜だろう。第三席〈「大谷のホームランの音は美しい」アメリカ人は詩人が多い/坂神誠〉あっちの野球解説者はみんな詩人だ。〈遊泳中の海馬がふっと我に返る五時の目覚まし鳴る五分前/塩谷美穂子〉この海馬はタツノオトシゴかもしれない。小島ゆかり選第三席〈果てのない宇宙の黒を訝しむラムネの瓶の底の晴天/広沢麻佑子〉「訝しむ」がおもしろい。

朝日歌壇

佐佐木幸綱選〈打ち上げ場囲む沼辺に蒲繁り花火大会今年も中止/桜井雅子〉中野か浜名湖か。〈毎日が成長の日々零歳児今朝から本を食べなくなった/高田真希〉本がぼろぼろになるまでに食べ物じゃないと気づいてよかった。高野公彦選〈家中で最も長く海外に在りしは亡き父 捕虜としてなり/藤田好子〉これは馬場あき子選にも。意外な視点、海外駐在員などではなく。〈セミの声カエルの声に鳥の声 人の声だけしないあの町/サトウ隆貴〉放射能汚染された町は。〈呼び捨てで初めて君の名を呼んだあの砂浜の灼ける足跡/池田雅一〉鮮やかで淡い海浜の風景。馬場あき子選〈伊那富士も甲斐駒岳も青霞み伊那の七谷夏草みどり/小林勝幸〉天竜川へ注ぐ伊那の七つの川、もう一度原付二種で走りたいけど国道152号で今は国境を越えられるのか。

佐佐木幸綱「群黎」『現代短歌全集』筑摩書房

〈海岸の跡地へ梅雨の星降れり/以太〉が麦誌上句会テーマ「海岸」の特選になっているのを確認した日、「群黎」を読む。〈何を聴く耳密林を繁らせてアフリカの地図わが裡にある/佐佐木幸綱〉アフリカの耳はいま砂漠、でも密林のほうがいい。〈ボーリング場の少女の腰細しふり返りざま恋の目をせよ/佐佐木幸綱〉ボーリング全盛の時代か。〈語らんは若き人麿北風に冴えてわが街ふいに天に尖れば/佐佐木幸綱〉北風にきたとルビ、「わが街」はわが心である。〈古歌に激しく切られてすがしストーヴの炎しずかにうねる夜更を/佐佐木幸綱〉古歌の鋭さが切ったのだ、切りつけたのだ。〈セーターの乳房の重み手に受けて揺れ揺られいるラッシュは情時(学生)/佐佐木幸綱〉現代でなければこんな歌も書けるのか。〈立ち泳ぎの吾を残して夕暮るる錆色の海藍の島山/佐佐木幸綱〉劇的な夕暮れの海に浸かる男一匹。〈じんじんとジンが沁みゆく内側はわが闇の沼夏の夜更けの/佐佐木幸綱〉「わが闇の沼」か、そういう心理状態なのか。

中日歌壇朝日歌壇2021年8月22日

中日歌壇

島田修三選第一席〈頑固者お調子者もちゃんと居てめだか十匹社会を成せる/北村保〉大食らいや恥ずかしがり屋もいる。第二席〈オリンピック コロナ 台風 熱中症 ごちゃ混ぜ日本 ああ蟬時雨/岩瀬美子〉今は雨が続いています。小島ゆかり選第一席〈波のごと大音圧来る目覚めあり蟬の一族わが庭に住む/市川恵美〉「蟬の一族」というのがいい。一族で居候。〈あかときのメタセコイアの天辺に赤銅色の月の浮かびぬ/菅沼貞夫〉赤色が強い歌だ。〈国別の五輪のメダル獲得数上位に並ぶ経済大国/瀧上裕幸〉そういう視点があったのかと驚かされる。〈つながれて悲しむこともなき犬と共に歩める朝と夕暮れ/中村且之助〉つながれることが幸せだと思えることもある。

朝日歌壇

馬場あき子選〈パスカルは曽祖父なんだという顔で雨を見ている上野のキリン/中原千絵子〉面白いなぁ、キリンの曽祖父がパスカルとは。佐佐木幸綱選〈パワハラと言われぬように意見述べ顔色を見てホッと息つく/岸田万彩〉たぶん「ホッと息つく」顔色だと部下は応えていない。永田和宏選〈あの駅であなたに会えずにいたならば私の人生あのまま砂漠/富田光子〉奇跡的な出会いが駅であったのだなぁ。〈思い切りここを先途と啼く蟬に人新世など知ったことかよ/村松建彦〉確かに。

山階基『風にあたる』短歌研究社

『風にあたる』を読む。〈ヘアムースなんて知らずにいた髪があなたの指で髪型になる/山階基〉髪が髪型になるとき、やさしい指がかかわる。〈真夜中の国道ぼくのすぐ先を行くパーカーのフードはたはた/山階基〉真夜中の原付を追いかける。〈二十歳でも煙草やらないぼくたちを締め出して喫煙所にぎやか/山階基〉喫煙所へ締め出しているのではなく、その逆転として自らを捉える。〈雨が降りだしたみたいに郵便は届きふたつの宛て名を分ける/山階基〉配達原簿に記載されたのだろう。もう次々に来る。〈待ちわびた姿だけれど目の前にあらわれるまで思い出せない/山階基〉おぼろげには覚えているけど像を結ばない待ちわび。〈ラーメンがきたとき指はしていないネクタイをゆるめようとしたね/山階基〉着目点がいい。そこにないネクタイを見ている。〈牛丼の残りわずかをかき込めば有線にいい曲がはじまる/山階基〉どんぶりに音が反響してよりよい曲になる。〈いまは冬か春かすこしもめてから包みをやぶる音だけになる/山階基〉贈り物を開く、季節をひとつずらすように。〈はぐれ雲ひとつ浮かべてがら空きの元日をゆく各駅停車/山階基〉行き先の見当たらなさが元日っぽい。〈濡れた身を夢のみぎわへ引き上げて暮れがたの眼を風はかわかす/山階基〉あらゆる身体のうち常に涙のわく眼を乾かす風というふしぎ。〈くちぶえの用意はいつもできているわたしが四季をこぼれたら来て/山階基〉巡りから外れたのなら社会に従わなくてもいい。

 

 

中日歌壇朝日歌壇2021年8月15日

8月15日ということで中日新聞には平和の俳句が載っていた。いとうせいこう選〈洗えども洗えどもなお焼けピアノ/拝田章〉当時ピアノを持っていたのは上流階級だろう。すさまじさ。黒田杏子選〈兜虫兜太は戦争許すまじ/高山清子〉たぶんそうだっただろう。

中日歌壇

島田修三選第一席〈背を割りて淡き緑の宝石は力の限り蟬となりゆく/棚橋義弘〉白ではなく緑というのが人間の緑児を思わせる。第三席〈入り口にナースと医師は並び立ち燕の巣立ち見守りおりぬ/水谷敦子〉作中主体の立ち位置が気になる。入院患者かな。〈外出るな家にて過ごせと達しあり新婚みたく夫と暮らすよ/二ツ木美智子〉もとは二人だけだったと思い出すとき。小島ゆかり選第一席〈今もまだ腕時計して寝ているか卒寿こえたる施設の父は/武藤岳志〉習慣は偉大である。〈サンダルの紐の形に日焼けして子は帰り来る熱風の中/倉知典子〉熱風だからくっきりと日焼けしているのだろう。〈男孫さんかわいいでしょうと云われても三十五ですししかも無口で/江川冨子〉わはは。

朝日歌壇

永田和宏選〈右からは棒きれ左からは小石ポケットの中は夏の公園/笠井真理〉こどもに入れられたのだろうか。〈はじめての成人映画観るための初の上京十八の夏/久野茂樹〉胸がいろいろな意味でドキドキした夏。馬場あき子選〈大げさな母の看病なつかしむ一人暮らしの風邪の布団で/松田わこ〉母の看病はどの家も大げさ。佐佐木幸綱選〈誰もみな想像しない戦争があつたからまたあると祖母言う/川野佳奈〉人は自分が何をしているのかを知らない。〈酒出せぬ緊急事態の居酒屋でやけに目につくアルコール液/後藤文彰〉戦後の密造酒みたいな立ち位置のアルコール消毒液。〈運動会冠婚葬祭奉仕作業村を簡素化してゆくコロナ/木村泰崇〉村は人と人とのつながりだった。高野公彦選〈夏空に聳えて青き天王山ふるさとよりも長く住む街/鍵山奈美江〉心の支柱としての山。