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本市を中心に精力的な活動に取り組んでいるイラストレーター:いきものだものさんが、材料費のみの無報酬で本取り組みにご協力してくださいます。(地下道アートペイント)
- 身の長に合ふ迷彩服を購ひてのち都市密林に紛れしひとり/齋藤史
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権力者が組織的に要請されるのは、権力者が権力を行使したいからではなく、他の人々が権力者を通して権力を行使したいがためである。(鈴木健『なめらかな社会とその敵』ちくま学芸文庫)
- 新しい西伊場のイオンがイオン浜松西店に近すぎる問題。
- 開戦のニュース短くをはりたり大地きびしく霜おりにけり 松田常憲
- 元寇の後六百六十年大いなる国難木樽国難は来る 佐佐木信綱
- ザザシティ中央館1階の31アイスクリームがあったところがしばらくギャラリーみたいになっていたけど、OTTOgelatoオットジェラートという8種類のフレーバーを楽しめるジェラート屋になるらしい。
- CHROME MUSIC LAB 音楽の実験
- Crossroad of word 現代詩をあつめたアーカイブサイト
- SCW天気予報:GPV気象予報に代わる
- 野外活動研究会 愛知県
- 建築人類学者の眼 佐藤浩司
- 韻ノート
- 黒潮の天にしつづく涯までを眼鏡が中につぶさに見極む 吉野昌夫
- 地方女子は赤川次郎と銀色夏生ばかり読んでいるという先入観がある。
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自然数という考えなしにも、一対一対応の考えさえあれば、数の大小の比較はできることがわかった。いや、よく考えてみると、この一対一対応こそ自然数で数えることの基礎をなしていることに気づくだろう。(遠山啓『無限と連続』岩波新書)
- 無限集合では、部分は全体に等しい。
- 浜松市の毎日の新型コロナウィルス感染者も30人以下が続いているので、意識的にはもはやコロナ終熄だろう。
- 円周率πや自然対数の底eは超越数、代数的ではない数。
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群はちょうど有機的に組織された社会のようなものであって、そのなかから勝手に要素を取り去ると、残りの集合はもはや群ではなくなる。(遠山啓『無限と連続』岩波新書)
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反射、対処、推移の三つの規則を一まとめにして同値律と呼ぶことにする。(遠山啓『無限と連続』岩波新書)
- トポロジーのために遠山啓『無限と連続』岩波新書の第3章「創られた空間」を読む。
- トポロジーは連続性の幾何学である。ゴムが円から楕円へ変形しても円の点は楕円の点と一対一対応している。
- トポロジーの近傍と膜はなんか似たものを感じる。
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社会のなかの一個人が、単に一つの人間の集合Mの一要素であるだけではなく、それぞれ、国家、都市、政党、家族、勤務する社会、……など大小さまざまのMの部分集合に属するように、位相空間の各点もまた大小さまざまの近傍という部分集合に属しているわけである。(遠山啓『無限と連続』岩波新書)
- ↑同心円
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静止と不動を基調としたユークリッドの幾何学に対して、変化と運動をその背後の統制原理とする近代の幾何学はいちじるしい対照をなしているといわねばならない。(遠山啓『無限と連続』岩波新書)
虫武一俊『羽虫群』書肆侃侃房
〈しまうまのこれは黒側の肉だってまたおれだけが見分けられない/虫武一俊〉しまうまの黒側の肉と白側の肉が違う肉だと見分けるのは色ではない、味だ。〈自販機の赤を赤だと意識するたまにお金を持ち歩くとき/虫武一俊〉コカ・コーラの赤だろう。赤は目には入っているが購買意欲を刺激する赤ではなかった。お金があれば刺激されるものもある。〈唯一の男らしさが浴室の排水口を詰まらせている/虫武一俊〉毛ではなく液だろう。〈敵国の王子のようにほほ笑んで歓迎会を無事やり過ごす/虫武一俊〉居場所のないけれど自分が主役の歓迎会をうまく言った歌。ひとつの記念碑となる。〈労働は人生じゃない雨の日を離れてどうしているかたつむり/虫武一俊〉「労働は人生じゃない」は金言集に収められる。〈水を飲むことが憩いになっていて仕事は旅のひとつと思う/虫武一俊〉と読み比べたい。
あかぎれにアロンアルファを塗っている 国道だけが明るい町だ 虫武一俊
所以86
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嘘みたいな話だが、ずっと動きが悪い本を棚から一度抜き出して、また元の位置に戻すだけで、その日に売れていくこともある。僕は何度もこれを経験している。人が触った痕跡というものが、そこに残るのだと思う。(山下賢二『ガケ書房の頃』夏葉社)
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思いもよらない本との刺激的な出会いというのは、目的の外の買い物の中にある。それを空間として提供できるのが、リアル書店の強みだ。(山下賢二『ガケ書房の頃』夏葉社)
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かつて本というものは非常に貴重なものでした。だから本を手に入れたなら、繰り返し読み、書き込みもして、使いやすいようカスタマイズする。こういうことが洋の東西を問わずあったようです。(読んで書いて潜り込む。“マルジナリア”という古くて新しい読書術)
- 暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた/齋藤史
- 近藤芳美は陸軍船舶兵だったか。
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漱石のマルジナリアは大きく①疑問、②賛否、③思考の三つに分類できる。(山本貴光『マルジナリアでつかまえて』本の雑誌社)
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この③を便宜上、さらに二つに分けてみよう。A連想、B発想とする。(山本貴光『マルジナリアでつかまえて』本の雑誌社)
- Derrida’s Margins
- 余白メモのパターン、要約・換言・意見・疑問・調査・原文(原典)
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索引は、その本を要素に分解して部品を並べた状態のようなものです。(山本貴光『マルジナリアでつかまえて』本の雑誌社)
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しかし刻読は学習法以上のものである。というのも、テキストを読み、気になるところに線を引き、線を引いた箇所について考え、コメントを残すことは、およそあらゆる思考術に共通する基盤とも言うべき作業であるからだ。(読書猿『独学大全』ダイヤモンド社)
- 『独学大全』の刻読と注釈とレーニンノートはマルジナリアと繋がる。
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いまは手を動かさないのが賢明。つまり金子以外はWinnyを(修正しないことを)、裁判に勝つための「手段」としてみている。多方、身悶える金子にとっては「目的」だ。その差が、ここに相克として現れる。(プログラマーと映画、そして観客の三つ巴:金子勇と映画『Winny』が解き明かすべきものの正体)
- 3月13日(月)マスクのルールが緩和されたけれど職場はマスク着用である。公園でジョギングしている人も鼻頬の水平線から垂らす式のマスクを着用していた。
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人間は理由があって行動をするのではなく、行動をした後に理由をつくるようだ。(鈴木健『なめらかな社会とその敵』ちくま学芸文庫)
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運動を開始するシグナルとなる準備電位は、その運動をしようとする意志のタイミングよりも300ミリ秒ほど早くはじまるということである。つまり、意志より前に運動がはじまっているということになる。(鈴木健『なめらかな社会とその敵』ちくま学芸文庫)
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責任を追及することによって自由意志という幻想をお互いに強化しているのである。(鈴木健『なめらかな社会とその敵』ちくま学芸文庫)
所以85
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Tはトナーグレイ(Toner Gray)で、コピー機のトナーの色に寄せたコピックの開発用途に由来する灰色です。(C、W、N、Tの4種類のグレイの差について教えてください。)
- 噴水は挫折のかたち 夕空に打ち返されて円く落ちくる/吉川宏志
- 大熊座沈めば君が言はざりし言葉にむきてふかく眠らむ/米川千嘉子
- 万歳々々と送りつつ思ふこの兵が今宵ひとりとなりし時を/鵜木保
- 地球システムを捉える科学的ホーリズムholism
- 月の地球側は玄武岩、反対側は斜長岩。
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二〇世紀はそれ以前と比べて巨大噴火がほとんどなかった。すなわち、大噴火による気温低下がなかったため、二〇世紀後半の温暖化が顕在化した可能性も否定できない。(鎌田浩毅『知っておきたい地球科学』岩波新書)
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端的にいうと、意味の根源には生き物の主観がひそむのである。意味とは本来、「主体である誰かにとっての価値」であり、誰かが生きることと切り離せない。(西垣通『超デジタル世界』岩波新書)
- 生命情報⊇社会情報⊇機械情報
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21世紀の信頼できる知を構築するためには、自己本位の底なし相対主義を克服しなくてはならない。(西垣通『超デジタル世界』岩波新書)
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とはいえ日本人の圧倒的多数は、たとえタテマエは進歩的個人主義者でも、ホンネはごりごりの共同体主義者である。(西垣通『超デジタル世界』岩波新書)
- 俳句の主語の省略、言語化される前段階l'anté-linguistiqueにおける暗黙の了解、意味がことばになる瞬間。
- 中国でジェンズ毽子、越南でダーカウđá cầuと呼ばれる蹴羽根を楽天で買った。
- 似たような競技には手で羽根shuttlecockを打つペテカpetecaやインディアカindiacaがある。バドミントンもその類か。
- 道具ひとつで足を使うという点では蹴鞠や蹴球・サッカーsoccerや籐球・セパタクローsepak takrawにも通じる。
- 道具ひとつでできる、地域交流のための外遊び文化を増やしたい。
- ベトナム語の詩、Thể lục bát 體六八
- 太陽のあたたかいあさ掌にのせし果実のおもみに泪おとしぬ/加藤克巳
- まるで真空管のやうに、ひつそりとした深夜の胎のなかに、私はめざめた/前田夕暮
- 時間を忘れて果物が転がつてゐる。人形のしづかな美しさに比較される/中野嘉一
- リップストップ生地の長袖シャツか。
- 次世代デジタルライブラリー
- 3月3日(金)から右下の肋骨が、身体を動かすと、痛む。ロキソプロフェンのテープが効く。
- 定義definitio 定義されるものと定義にあてはまらないものとを区別する。境界
- 公理axioma 明白なものと証明ぬきで受け入れられる前提
- 定理propositio 証明される命題、Q.E.D.で締められる。
- 系corollarium 証明された定理から直接派生される命題
- 補助定理lemma 主要な定理を証明する準備のための補助的な定理
- 要請postulatum 証明ぬきで承認を求める命題だが公理と違いある特定の(たとえば身体のような)限定された領域にのみ関わる。
- 備考scholium、定理を経験や論争的文脈に位置づける。
- スーパーカブ110ccの片雲号、乗って4年半走行距離27000キロでフロントタイヤとリアタイヤ交換である。オイル交換と四年目点検をあわせて3万数千円
所以84
- ひとり寝のわびしきままに起きゐつつ月をあはれと忌みぞかねつる/詠み人知らず
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つまり、女性が一人で月を見ることが禁忌とされるのは、かぐや姫のように思い悩んでしまうから、そして、彼女を思う人物の元から離れて行ってしまう可能性を危惧するからだといえるのではなかろうか。(田中貴子『いちにち、古典』岩波新書)
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順ぐりに支配し、支配される。(橋場弦『古代ギリシアの民主政』 岩波新書)
- イソノミア(法の平等)→前462年、アレオパゴス評議会から実権を剥奪→デモクラティア
- アテネの雑踏整理役としての国有奴隷スキタイ人弓兵。
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役人や弓兵が治安の維持に役割を果たさなかったとすれば、誰がそれを行ったか。それは、平時と非常時とを問わず、ほかならぬ一般市民であった。民主政にあって、暴力はどこかに集中しているのではなく、市民のあいだにうすくあまねく分散している。(橋場弦『古代ギリシアの民主政』 岩波新書)
- ↓シラクサ
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陶片追放に似た制度もあった。陶片ではなくオリーブの葉に記名して投票したので、「葉片追放(ペタリスモス)」と呼ばれた。(橋場弦『古代ギリシアの民主政』 岩波新書)
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参政権・市民権というものは、いわば大きな全体と考えられていて、めいめいの市民がその分け前にあずかる、というふうに理解されていた。参政権を個人の権利と考える近代的発想と、その点で根本的にちがう。(橋場弦『古代ギリシアの民主政』 岩波新書)
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古代アテナイ人がもし今日の議会政治を目にしたならば、それを民主政ではなく、極端な寡頭制と見なすであろう。彼らにとって統治の主体とは代議士ではなく、市民自身だったからである。(橋場弦『古代ギリシアの民主政』 岩波新書 )
- 2月22日(水)、杉花粉が飛散しており花粉症なので鼻水が多く出る。
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ところで「凹(へこ)んだ感じ」といった。じつはこのことは天野長老のみにとどまらず、あらかじめいっておけば閉鎖京都系詩的交友圏ぜんたいにわたって、おぼえさせられた詩的特徴でこそあった。みなさん静にすみに控えるようなぐあい。(正津勉『京都詩人傳』アーツアンドクラフツ)
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ところでここまで、いまもまただが定義なしで閉鎖京都系という用語をもちいてきた、そこでいっておこう。じつはこれはもっと正しくは京都近江詩人連合とこそ呼ぶべきものだと。(正津勉『京都詩人傳』アーツアンドクラフツ)
- 君をわらふ友らの前によりゆきてしどろもどろにわれも笑ひ居き 中島栄一
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三月書房(寺町二条上ル)は、あの梶井基次郎の「檸檬」で有名な果実店八百卯の近く。その昔から京都のみならず思想・文芸を中心に独自な品ぞろえで全国の読書人に知られる書店だ。ベストセラーは扱っていない。店の棚にはまさに「本が唸っている」。政治的パンフや、同人誌や、アングラ冊子や、なかには「ノッポとチビ」も「0005」もあった。そしてなんと売れたりもした!(正津勉『京都詩人傳』アーツアンドクラフツ)
- 色と形と言葉のゲーム
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涼しい気候と標高の高い環境を好むこだわりが強いアラビカ種とは異なり、リベリカ種はアラビカ種よりさび病への耐性があり、暖かく低い土地でもよく育つ。(温暖化がコーヒー豆の栽培にも影響、19世紀に飲まれていた「リベリカ種」は農園の“救世主”になるか)
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京都竪穴式住居論。(正津勉『京都詩人傳』アーツアンドクラフツ)
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「火照る土地」や「ハガネの林」といった隠喩は特別に現実的な意味との対応を持っていない。隠喩によるイメージが成立すると、連想ゲームや縁語の掛け算のように、イメージとイメージが連鎖的に生み出されつづけるのだと。(正津勉『京都詩人傳』アーツアンドクラフツ)
- 夜の空はまさに秋なり燈火管制の真闇の底に子等と眺めぬ/岡本かの子
- 飼料高騰と鳥インフルエンザで卵価格の上昇か。牛乳を飲むしかない。
伊藤一彦『瞑鳥記』現代短歌社
〈採血車すぎてしまえば炎天下いよよ黄なる向日葵ばかり/伊藤一彦〉赤と黄と青の色彩、採血車という危機めいた暗示。〈おびただしき穴男らに掘られいて恥深きかなまひるわが街/伊藤一彦〉工事現場だろうけど違う肉穴も想像してしまう。〈漂泊のこころもつときあかるくて余白のごとき一本の河/伊藤一彦〉目的のない旅、見知らぬ街の見知らぬ河川敷を歩きたくなる。雑念を流すように。〈古電球あまた捨てきぬ裏の崖ゆきどころなき霊も来ていし/伊藤一彦〉光を集める器具として電球に霊も集まる。〈鳥失せしあとのゆうぞら鳥の霊のこりているや烟るがにあり/伊藤一彦〉インディアンの長旅のような感じ。速く移動する鳥、その霊はその場に残る。〈夜の海を全速力に泳ぐときわれのこころを占むるアメリカ/伊藤一彦〉なぜアメリカか。遠い場所への憧れとして。〈体刑を子にくわえたる日の月夜ただよえるごとし草木もわれも/伊藤一彦〉子を叩くときの、まとわりつく罪悪感。
畢竟はかなしみとなる怒りかも雨降りしぶく冬桜道 伊藤一彦
所以83
- とれもろ
- cardsagainsthumanity.com
- 2030年前後1年、つまり2029〜2031年に大規模な災害が起きる。新手の疫病か大震災か戦争か放射能か。
- 100%ORANGE
- KIMKIM
- Dayart
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九条は、「無意識」の次元に根ざす問題なのだから、説得不可能なのです。意識的な次元であれば、説得することもできますが。(柄谷行人『憲法の無意識』岩波新書)
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何度もいいますが大事なのは、日本人に戦争に対する罪悪感があるとしても、それは意識的なものではない、ということです。もしそれが意識的な反省によるものであったなら、九条はとうの昔に放棄されたでしょう。意識を変えるのはたやすいことだからです。(柄谷行人『憲法の無意識』岩波新書)
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実際には、日本人は律令制を忠実に実行することはなかった。一つには、家父長制を前提とする中国の制度や思想が、日本の婚姻・親族の制度に適合しなかったからです。(柄谷行人『憲法の無意識』岩波新書)
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憲法九条が根ざすのは、明治維新以後七七年、日本人が目指してきたことの総体に対する悔恨です。それは、「徳川の平和」を破って急激にたどった道程への悔恨です。したがって、徳川の「国制」こそ、戦後憲法九条の先行形態であるといえます。(柄谷行人『憲法の無意識』岩波新書)
- 一つの戦争を終わらせる平和条約pactum pacisと平和連合foedus pacificum。カント
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九条における戦争の放棄は、国際社会に向けられた「贈与」なのです。(柄谷行人『憲法の無意識』岩波新書)
- 1990年からはじまった新自由主義の世界システムは2050年ごろまで続くだろう。
- ロジバン大全
- はじめてのロジバン
- 味噌煮込みロジバン
- ロジバン
- ロジバンたんのよく分かるロジバン-日本語辞書 v-3.0
- 私的ロジバン辞書
光森裕樹『鈴を産むひばり』港の人
水銀は輝く。〈疑問符をはづせば答へになるやうな想ひを吹き込むしやぼんの玉に/光森裕樹〉答えを求めて問いを発する人は、すでに答えを持っている。〈どの虹にも第一発見した者がゐることそれが僕でないこと/光森裕樹〉二番手でも三番手でも僕にとってはそれは僕の虹のなのだけれど、一抹のさびしさがあること。恋の隠喩かもしれない。〈アラビアの林檎を知らない王様が描くりんごを黄砂に想ふ/光森裕樹〉想像の象みたいな果実。仮名の使い分けは適切だろうかと思う。〈ポケットに銀貨があれば海を買ふつもりで歩く祭りのゆふべ/光森裕樹〉銀貨という字面はなんでも買えそうな魔力をもつ。白銅貨もまた。〈金糸雀の喉の仏をはめてから鉱石ラヂオはいたく熱持つ/光森裕樹〉喉仏を鉱石ラヂオの黄鉄鉱や方鉛鉱のかわりに使うのだ。声が出るという共通点ゆえに。〈われを成すみづのかつてを求めつつ午睡のなかに繰る雲図鑑/光森裕樹〉雲図鑑が夢想めいていい。川や池ではなく雲へ焦点をあてるのは、心がすでに上の空だったからだろう。〈明日からの家族旅行を絵日記に書きをりすでに楽しかつたと/光森裕樹〉絵日記あるある。過去を書くのではなく、書きたい未来を書く。〈花積めばおもさにつと沈む小舟のゆくへは知らず思春期/光森裕樹〉思春期は水面より上しか見ていない。自らの責で沈めてしまうものには目もくれない。〈ポケットに電球を入れ街にゆく寸分違はぬものを買ふため/光森裕樹〉みちゆく人は誰もその人がポケットに電球を入れているなんて知らない。〈狂はない時計を狂はす要因のひとつとしての脈拍があり/光森裕樹〉時計へ差し挟まれる人間の時間。〈隣人の目覚まし時計が鳴り止まず君の何かが思ひ出せない/光森裕樹〉私の部屋が君への記憶、それへの回路を隣の部屋からの音で妨げられる。内向的な、という形容詞が合う。〈喫茶より夏を見やれば木の札は「準備中」とふ面をむけをり/光森裕樹〉営業中の札のうらがわが準備中なら店内から見れば外の世界は準備中かもしれない。いつか準備の終えた世界を思う。事実を発見した歌。〈[スタート]を[電源を切る]ために押す終はらない日を誰も持ちえず/光森裕樹〉発見の歌、パソコンとかも、そう。〈反戦デモ追ひ越したのち加速する市バスにてまたはめるイヤフォン/光森裕樹〉反戦デモの主訴を聴いていたのか、街の生活と同居する政治の表現が鮮やかであり青春のにおいがする。〈屋上の鍵のありかをともに知るみしらぬ人と街を見下ろす/光森裕樹〉と〈請はれたるままに男に火をわたす煙草につける火と疑わず/光森裕樹〉はある事象への別の、とある視点がある。〈オリオンを繋げてみせる指先のくるしきまでに親友なりき/光森裕樹〉「くるしきまで」の屈曲が親友であることの難しさ。
『林和清集』邑書林
第一歌集『ゆるがるれ』部分。〈父子というあやしき我等ふたり居て焼酎酌むそのつめたき酔ひ/林和清〉父子という関係の不思議さが三つの酉に現れている。〈熱帯の蛇展の硝子つぎつぎと指紋殖えゆく春から夏へ/林和清〉ふえる指紋に生き物の気配を感じる。〈灯さねどしんの闇にはならぬ部屋みなぞこにゐてめつむるごとし/林和清〉はるか遠くに希望にも似て光る水面がある。〈瓦斯の火の冷たいやうな青さ見ていつまでも目がはなせずをりぬ/林和清〉火の冷たいやうな青さという言い回しにくらっと来る。離すと跳びついてきそうな。〈死後の地につづく野の沖冬ざれて獣の皮のごとき夕暮/林和清〉獣の皮のような夕暮とはどんな色なのか、気になる。〈木賊など刈るひまもなし愛人がなにみごもりてすごき月映/林和清〉ちょっと心がここにない。〈いや果てに冬来たるらしわれかつて詩語のひとつと聞きたる「鉄冷え」/林和清〉製鉄の街の凩を思う。そう鉄の町は前近代は風の強い町だった。〈八百万神ある国や秋冷の地下駅にしろたへの雪隠/林和清〉男子用立小便器でいいだろう。聖俗の共鳴であるし、黄泉の国のスサノオでもある。
山岸由佳『丈夫な紙』素粒社
蟋蟀だな。〈うすばかげらふ空に時計の針余り/山岸由佳〉残り時間をもたない虫と余った時計の針の対比がすごい。〈雪原の真下をとほる水の音/山岸由佳〉それは見えないけれど聴こえる。〈ストローを上る果肉や成人の日/山岸由佳〉狭き門より入ように成人した。〈蟋蟀に呑み込まれたる小学校/山岸由佳〉蟋蟀の音とまでは言わない。〈長き夜のスプーンに歌声を灯す/山岸由佳〉実際にスプーンに映ったのは歌い手の衣装の色かもしれない。〈白き蛾は夜景をはがれゆき北へ/山岸由佳〉夜景から夜景ではなく、夜景とは隔絶したものとしての北へ。〈恋猫の赤鉛筆を転がせり/山岸由佳〉赤へ恋が集約される。〈古着屋に鍵かけられて冬の鳥/山岸由佳〉古いヨーロッパの店みたいな構えの古着屋を想う。〈つばくらめ川を下つてゆけば歌/山岸由佳〉流れに身を任せたとき、水と風との摩擦が歌になる。〈暑き日の草叢メロディオンへ息/山岸由佳〉近所に鈴木楽器製作所がある。こども時代の思い出のような草「息」れ。〈本入れて鞄の深くなる夜寒/山岸由佳〉腹と背のくっついていたひんやりとした鞄が本で広がる。旅の準備だろう。〈凩に振るポロライド写真の海/山岸由佳〉印画紙に灰色の海が定着していくのだろう。〈手から手へ硬貨ながるる蛍の夜/山岸由佳〉小さな嘘としての硬貨と小さな星としての蛍の対比がおもしろい。
所以82
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製塩や製鉄などにおいて、熱量を得るため薪が大量に求められ、その薪を供給する森や山の消耗が激しかったのである。(海野聡『森と木と建築の日本史』岩波新書)
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明治国家は、神道を「信教の自由」によって選択されるような宗教と区別しました。すなわち、神道を他の宗教と同一レベルにおくことを禁じたのです。(柄谷行人『世界史の実験』岩波新書)
- 信仰(宗教)と敬神(国家神道)の別。
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そこで、柳田は、子孫をもうけることなく死んだ若者たちの養子となることを提案しています。(柄谷行人『世界史の実験』岩波新書)
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デカルトは、フランス語でje(われ)として顕在しているものを、ラテン語にすることによって打ち消そうとしたのではないか、と。(柄谷行人『世界史の実験』岩波新書)
- 文末の「わ」は一人称代名詞
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そこで、私は「コギト・エルゴ・スム」をつぎのように関西弁に訳し直すことを提案したい。《思うわ、ゆえに、あるわ》(柄谷行人『世界史の実験』岩波新書)
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さて幕府や藩、寺社などの求めるような大径材・長大材は入手に苦労をともなったのであるが、これは市場では流通しにくかったようである。(海野聡『森と木と建築の日本史』岩波新書)
- 江戸真砂六十帖
- 遠山奇談
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次世代に文化財建造物を引き継ぐには、物としての木造建造物だけでなく、その母たる森林を育み、木と共存・継承するシステムを必要とする、新しい時代を迎えているのである。(海野聡『森と木と建築の日本史』岩波新書)
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このように巨木を必要とする近代日本の自社の造営を台湾が支えたのであった。(海野聡『森と木と建築の日本史』岩波新書)
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自然法則は人間存在を貫いている。呼吸も摂食も排泄も、なしですませるわけにはいかないのが人間という存在だ。(菊地暁『民俗学入門』岩波新書)
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民俗学は、単に古き良きを愛玩する好事家の営みなのではない。生活事実を手がかりに、「現在」を照らし出し、その上に「未来」を展望する、市民としての私たちに不可欠な基礎教養なのだ。(菊地暁『民俗学入門』岩波新書)
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生物的な「発情期」とは異なる文化的指標の導入によって、発情がコントロールされているのだ。それがすなわち「衣服」である。(菊地暁『民俗学入門』岩波新書)
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前近代のイエが、家業のために非親族をも許容する大家族であったのに対し、非親族を排除した核家族である近代家族では、愛情をもって子どもを育て上げるこたが最優先ミッションとして位置づけられることとなる。(菊地暁『民俗学入門』岩波新書)
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オヤコという日本語の原義は生物学的関係にはない。(菊地暁『民俗学入門』岩波新書)
- 柳田國男「オヤと労働」、個々の労働単位がコ、それらを統率するのがオヤ。もともとは非親族を含む関係を指していたけれどやがて血縁に基づく親子だけに限定されるようになった。
- Ĉina Radio Internacia
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ベトナムはその地形のシルエットだけを見ると、日本列島に似ているのだが、いわば日本海に当たる部分がラオスの山岳部である。そこに逃れ、また、そこから降りてくる山地民がベトナム社会の歴史を形作った、といってよい。(柄谷行人『世界史の実験』岩波新書)
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要するに武士道とは、武士が不用となった時代に生まれた観念でしかなかった。(柄谷行人『世界史の実験』岩波新書)
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多くの母系制社会では、実際は、政治的な権力は男に握られている。一方、双系制社会では、男女の力が平等であることが多い。(柄谷行人『世界史の実験』岩波新書)
- 双方的bilatéralと双系的bilinéaire
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柳田によれば、日本の先祖信仰の特徴は、死者が母系・父系のような血のつながりがなくても、養子や結婚その他の縁故があれば、祖霊の中に入れられるということである。これはおそらく双系制と関連している。(柄谷行人『世界史の実験』岩波新書)
岩田奎『膚』ふらんす堂
蠅について考えた。〈天の川バス停どれも対をなし/岩田奎〉上りと下りの対、宇宙と時刻表の調和のような。〈合格を告げて上着の雪払ふ/岩田奎〉胸の高鳴りを抑えて、平静を装うかのように雪を払う。〈東国のほとけは淡し藤の花/岩田奎〉深大寺と詞書。比較先は京都や南都だろうが、もちろん西方浄土との比較でもある。〈ぺるしあに波の一字や春の星/岩田奎〉波斯、ペルシア湾の波なども思う。〈晩夏光鍵は鍵穴より多し/岩田奎〉鍵は詩、鍵穴は詩を求める人だ。〈寒卵良い学校へゆくために/岩田奎〉受験戦争とか教育ママとかを思うの。〈苔生して滝の弱まるあたりかな/岩田奎〉苔と滝って変形する時間の流れが違う。滝が弱まって苔時間に接近する感じがある。〈稲の花ラジオは馬の名を呼んで/岩田奎〉郊外感をたたみかけるように。〈ただようてゐるスケートの生者たち/岩田奎〉形容に合う死者ではなく生者という俳。〈冬空のざらついてゐるラジオかな/岩田奎〉形容詞関係のアクロバット。〈立ちて座りて卒業をいたしけり/岩田奎〉立ちて座りては卒業式の省略であるし、学校時代の省略でもある。〈二種類の吸殻まじる夕焼かな/岩田奎〉夕刻まで続く長談義があったのだろう。物の理についてとか。〈桐生高桐生女子高秋の風/岩田奎〉桐の花より桐一葉か。たしかにキリュウという語感はどこか秋めいてはいる。
所以81
- bellum omnium contra omnes. ホッブス
- homines ex natura hostes sunt. スピノザ
- エチカを読み抄しつつ若き日の清き歎きに似て恋ふるかな 土田耕平
- 「non ridere, non lugere, neque detestari, sed intelligere」の安倍能成訳が「不嘲不歎不呪而唯識」
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思えば三十年の昔になる。その頃私は東大法学部の学生であった。だが既に前年、東北の高等学校に在学中、胸膜炎に続いて脊椎カリエスを患い、医者からは学業の継続を考えるより退いて宗教書を繙く様に忠告されていた。(『畠中尚志全文集』講談社学術文庫)
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脊椎から下った膿を排除する為前後十数回のプンクチオンを受けた私の下腹部には、医者も恐れる瘻孔が出来、昼夜を分かず膿がそこから流れ出していた。(『畠中尚志全文集』講談社学術文庫)
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『エチカ』の各定理の証明の終わりごとに必ず出てくるQ.E.D.という句を、当時まだ幼かった次女がいつの間にか聞き覚えていて、いつか夕食の折り、何かの拍子に突然「キューイーデー」と言い出して家人を笑わせたのもなつかしい思い出である。(『畠中尚志全文集』講談社学術文庫)
- laetita concomitante idea aliquis rei tanqam causa
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名のない魚だって 死んだら/ぼくたちの意識のなかを泳ぐだろう/鳥だって死んだら意味を飛ぶのだ/そのように 死者だって恢復するのだ(「無言歌」『長田弘詩集』思潮社)
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ほんとうにきみが十八歳であるなら、/十八歳とは きみのこれまでに書いた/十八篇の素敵な詩篇のことだ(「クリストファーよ、ぼくたちは何処にいるのか」『長田弘詩集』思潮社)
- 装甲車ふみつけて越す足裏の清しき論理に息つめている 岸上大作
- 家父長制の構造をもつ社会であればフェミニストは活動しやすくなる。けれど、日本みたいな近代でむりやり家父長制を敷いた、その実は双系制の社会だと男女どちらも弱者となりうるからフェミニストの活動は容易に妨害される。弱者男性から背後を突かれる。
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ナショナリズムの実態は、複雑かつ矛盾だらけの思想と運動の集合体である。「我々が誰か」を定義することが、常に「我々ではないものは誰か」を定義することと同じであるように、連帯と排他性を内包する。(中西嘉宏『ミャンマー現代史』岩波新書)
- ミャンマーの紅茶ラペッイェー လက်ဖက်ရည် もベトナム珈琲 cà phê sữaと同じく加糖練乳を使う。電力の供給量のため冷蔵庫が普及しなかったのだろう。
- mizzima
- irrawaddy
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以前の舗装工事では、計画された舗装道路の幅のうち、両脇1ぺー(1フィート、約三〇センチ)は舗装しなかった、その分をうちは請求するけど、工事費はもらえない。(中西嘉宏『ミャンマー現代史』岩波新書)
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日本でも、高群逸枝が母系制が先行したと主張して、柳田国男を批判したのです。しかし、それは間違いで、父系、母系のどちらでもない双系制があったということになった。(『想像ラジオ』と『遊動論』(いとうせいこうと対談))
所以80
- ネットプリント案「区分棚」「乳齒象」
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われわれのリアリズムは倍率一倍と称する倍率一・二五倍である。(森敦『意味の変容』ちくま文庫)
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現代数学の粋といわれるトポロジーは、一言でいえば近傍の一語に尽きるとされている。(森敦『意味の変容』ちくま文庫)
- 位相幾何学を嗜むべきか。
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したがって、すくなくとも、ぼくらはまず極小において見、極大において見、はじめて思考の指針を現実に向けて、その意味を変容において捉えなければならぬ。(森敦『意味の変容』ちくま文庫)
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文芸家の中では詩人や小説家にまして、翻訳家をこそ最高位に置きたい、とつねづね思っている。理由は、表現行為の上での私からの離れように拠る。(高橋睦郎「無私の人の小やかな私」『鼓直句集』水声社)
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日本語における「話し言葉」とは、おそらく「文語」とも「口語」とも違う第三の体系をかたちづくっていながら、まだその構造は描写されることも分析されることもなく、したがっていかなる制度的な場で教育されることもない、というのが現状ではないのか。(蓮實重彦『反=日本語論』ちくま文庫)
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フランス語の「ぼくたち」Nousとは、「ぼく」の数倍化されたものではなく、この「ぼく」と「ぼく」ならざる他の人称の集合からなりたっていて、その構成要素相互のあいだには「排他的関係」が成立しているのだ。(蓮實重彦『反=日本語論』ちくま文庫)
- ライフゲーム
- 家をかまえて蓄財しつつ定住するパラノ型、運と勘に任せて逃げてしまうスキゾ型。
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位相とは、位相空間という概念から派生した思想であり、位相空間とは各点に近傍系が定義されているところの点集合の謂である(都筑卓司『トポロジー入門』ブルーバックス)
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位相という言葉は、近さの概念、あるいはもっと端的に‘近さ’といった方が自然かもしれない。(志賀浩二『現代数学への招待』ちくま学芸文庫)
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位相空間は、曲面概念よりはむしろ集合概念に近い。そこでは、私たちのもつ素朴な近さの直観に近づこうとしているよりは、むしろそれを捨てて、近さのからくりに注目し、その論理的な骨組みを明らかにしようとしているようにみえる。(志賀浩二『現代数学への招待』ちくま学芸文庫)
- 距離の概念より近さの概念が先立つ。
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外部から見れば、大中小とそれぞれ異なる大きさを持ちながら、ひとたび内部にはいればおなじ大きさを持つ。これは内部と外部を分かつところの境界が、内部に属せず外部に属しているからではないだろうか。(森敦『わが青春わが放浪』福武書店)
- 1月25日(水)大寒波到来。昨夜は浜松市でも吹雪いた。午前6時の浜松バイパス新天竜川橋を渡ったけれど凍結していなかった。気温計は零下5度、最高気温も3度で手指の感覚を失った。
- 1月27日(金)昼ごろの霙まじりの雨で手が壊れそうだった。夕方に止んでからあたたかく思えた。
- デモクラシー・リバーシ(ルール)、白色テロ対虹色テロみたいなオセロ。エイリアンv.s.プレデターみたいに、勝手にやってろ!
- デモクラシー・リバーシに黒(アナーキスト)が混ざると楽しいかも。七色と白のいくつかの裏が黒とか。ひとつでも黒が残ればアナーキストの勝ちとか。
- でも黒が省かれるとは。黒の扱いは現代ではこんなものだろう。
斉藤志歩『水と茶』左右社
日常の道具にかすかに開かれた異世界へ。〈再会や着ぶくれの背を打てば音/斉藤志歩〉再会を喜ぶ快音が出た。〈ラガーの声ところどころは聞き取れて/斉藤志歩〉アルプススタンドからか受像機からか。ラグビーは全体を眺めるもの。〈文法書終はりに近く冬の星/斉藤志歩〉その言語というものがなんとなく分かり始めたのに仮定法に戸惑うころ、寒空を見上げる。〈春休み郵便受の裏に人/斉藤志歩〉これは郵便配達員側の視点ですね。手わたそうか、入れようかどうしようかというところ。のんびりした景がある。〈皿よりもピザ大きなる花見かな/斉藤志歩〉予測が外れた笑い声が聴こえそう。〈バス停にバスの沿いゆく暮春かな/斉藤志歩〉ちゃんと春が来た。〈雹やんで雹の話の多き街/斉藤志歩〉その人がいなくなるとその人の話がはじまるかのように。〈残業や硝子をつつく金魚の口/斉藤志歩〉餌か空気を欲しがるように金魚は硝子をつつく。残業中の人もまた。〈歯科医院に歯の置物や秋日和/斉藤志歩〉あたりまえだけどそんなあたりまえをちゃんと言うことも大事だ。〈風邪を引きさうな顔して帰りけり/斉藤志歩〉意外とそれは微笑みだったりする。
目がふたつマスクの上にありにけり 斉藤志歩