以太以外

蒼褪めた巨漢は笑う水澄んで 以太

短歌

「O」「斉唱」『岡井隆全歌集』思潮社

朝日新聞に第49回全国短歌大会の記事が出ていた日、「O」と「斉唱」部分を読む。〈街上に白墨の矢がのこりたりいかなる意志を伝へむとせし/岡井隆〉白墨は、黒板というより木材やコンクリートに書かれた工事用の指示だろう。本来はその指示の受け手ではない…

小島ゆかり『憂春』角川書店

第49回全国短歌大会の学生短歌賞受賞者に既視感を覚えた日、『憂春』を読む。〈遠山はいちじく色に日暮れつつそこに谺す川魚のこゑ/小島ゆかり〉川魚の声が谺するのが聴こえるほど色濃い山行の思い出がある。〈下り行くわれの後ろにしばしばも鉄扉は閉ぢぬ…

阿波野巧也『ビギナーズラック』左右社

ある学生向け短歌大会で選者賞をくれると電話のあった日、『ビギナーズラック』を読む。〈イヤフォンのコードをほどく夕ぐれの雑誌売り場に取り残される/阿波野巧也〉町のスピード感から、町に求められるスマートさから、ひとり取り残される。加速しない自…

小島ゆかり『ヘブライ暦』短歌新聞社

新聞歌壇にはじめて採られた日、『ヘブライ暦』を読む。〈水にほふ冬のはじめは街角にペンギンが立つてゐるかとおもふ/小島ゆかり〉黒と白のまだらが見えたのだろう、ペンギンと見間違えるくらいの。たぶん〈薬局を出でて冬陽のなかをゆく白髪の浦島太郎を…

小島なお『乱反射』角川書店

浜松古本ショッピングについて考える夜、『乱反射』を読む。〈なんとなく早足で過ぐ日差し濃く溜れる男子更衣室の前/小島なお〉学校建築として更衣室は廊下の東西南北のどちらにあるのか考えてしまう。まぶしいほどに異性へのとまどい。一方で持統天皇的な…

玉葉和歌集の雑歌

雑歌部分を読む。〈咲かぬ間の花待ちすさぶ梅が枝にかねて木伝ふ鶯の声/平時邦〉本番に備えて練習する鶯という「かねて木伝ふ」の面白さ。〈嬉しさも匂ひも袖に余りけり我がため折れる梅の初花/信生法師〉「袖に余りけり」という嬉しさの感情。現代なら「…

千種創一『千夜曳獏』青磁社

また景色を見たくて『千夜曳獏』を読む。〈でもそれが始まりだった。檸檬水、コップは水の鱗をまとい/千種創一〉「水の鱗」は想像への衣として。〈あらすじに全てが書いてあるような雨の林を小走りでゆく/千種創一〉一が千であり千が一となるような、連続…

馬場めぐみ「たわむれ」『文藝誌オートカクテル』白昼社

浜松市の夜の街から三十人の感染者が出た日、『文藝誌オートカクテル2020』収録の連作「たわむれ」を読む。与えられた生とは理不尽の別の名なのかを考えながら。〈ひとの頬ほどに眩しく明日には腐っていたかもしれない桃だ/馬場めぐみ〉「明日には腐ってい…

松村由利子『耳ふたひら』書肆侃侃房

もし世が世なら東京オリンピックの開会式がある日、『耳ふたひら』を読む。〈都市の力見せつけているキオスクの朝刊各紙の厚き林立/松村由利子〉田舎のコンビニには都市の駅のキオスクほど朝刊を揃えていない、キオスクの朝刊は都市の兵站力を見せつけてい…

『明石海人歌集』岩波文庫

かりん糖を貰った日、『明石海人歌集』を読む。〈とりとめて書き遺すこともなかりけむ手帖にうすき鉛筆のあと/明石海人〉は〈鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ/林田紀音夫〉と並べられる。「うすき鉛筆」は世への未練か。〈大楓子油注射のときを近づきて口覆…

地図のある小説/鈴木ちはね

梅雨、流れ着くように届いた『bouquet, 2020』稀風社が郵便受箱に立っていた日、連作「地図のある小説」を読む。〈地図のある小説の良さ この世界も地図のある小説であればいい/鈴木ちはね〉地図のある小説というとファンタジー小説がぱっと思いつく。いま…

『宮柊二歌集』岩波文庫

牛乳を飲んだ日、『宮柊二歌集』を読む。〈かうかうと仕事場は灯の明くして夜深き街を旋風過ぎたり/宮柊二〉夜業のいつ果てるともない不安、心の荒涼。〈ちりぢりに空の高処をひかりつつ小鳥わたれり山は寒しも/宮柊二〉失意の地を睥睨するかのような小さ…

与謝野晶子『みだれ髪』新潮文庫

枇杷が発芽していたのを知った日、『みだれ髪』を読む。〈その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな/与謝野晶子〉いまの二十歳は子どもだけれど明治期の二十歳は年増である。その子は令和期では二十代なかばから三十歳までの感覚だろうか、…

『若山牧水歌集』岩波文庫

「死か芸術か」以降の部分をざっと読む。〈浪、浪、浪、沖に居る浪、岸の浪、やよ待てわれも山降りて行かむ/若山牧水〉山道をおりて開けた場所に出て、どうっと海が広がったのだろう。「、」は寄せて返す浪の間だ。〈なにゆゑに旅に出づるや、なにゆゑに旅…

「独り歌へる」「別離」「路上」『若山牧水歌集』岩波文庫

諏訪大社上社本宮と神長官守矢史料館うらのミシャグジ社を訪れた日、「独り歌へる」「別離」「路上」部分を読む。〈角もなく眼なき数十の黒牛にまじりて行かばやゝなぐさまむ/若山牧水〉あるべきもののない動物と行く寓話。漂泊の究極形だろう。〈玻璃戸漏…

「海の声」『若山牧水歌集』岩波文庫

鳶の飛ぶ諏訪湖を見ながら「海の声」部分を読む。〈白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ/若山牧水〉「青」と「あを」を書き分けたのは空と海の色の違いによるものだろうけれど、やや理屈っぽいかもしれない。俳句なら同じ漢字を使う。〈海…

玉葉和歌集の冬

都田図書館へ行ってみたくなった日、「冬」部分を読む。〈おのづから音する人もなかりけり山めぐりする時雨ならでは/西行法師〉さびしさのはてなむ国ぞ。〈神無月時雨飛び分け行雁の翼吹き干す峰の木枯らし/後鳥羽院御製〉「翼(を)吹き干す」の技巧は写…

玉葉和歌集の秋

若山牧水の「梅雨紀行」を読んだ日、「秋」部分を読む。〈尾花のみ庭になびきて秋風の響きは峰の梢にぞ聞/永福門院〉庭という近景と峰の梢という遠景とを同時に見て、聴いている。この近景と遠景を併置するのは〈我が門の稲葉の風におどろけば霧のあなたに…

玉葉和歌集の春

「春」部分を読む。〈木々の心花近からし昨日今日世はうす曇り春雨の降る/永福門院〉木々の花咲かんとする心を春雨に仮託している。そこに、作者の心もまた入りこむ。〈折りかざす道行き人のけしきにて世はみな花の盛をぞしる/永福門院〉「折りかざす」は…

玉葉和歌集の夏と旅

叙景に徹すれば詩は永遠になると思い、『玉葉和歌集』の夏歌を読む。〈を山田に見ゆる緑の一村やまだ取り分けぬ早苗なるらん/前右近大将家教〉起伏のある緑の喜び。〈五月雨は晴れんとやする山の端にかゝれる雲の薄くなり行/今上御製〉雲と光が山の端をめ…

白井健康『オワーズから始まった。』書肆侃侃房

白井健康『オワーズから始まった。』書肆侃侃房を読む。〈三百頭のけもののにおいが溶けだして雨は静かに南瓜を洗う/白井健康〉南瓜という存在のどぎつさが雨に洗われる、そのどぎつさのままに。〈自販機のボタンをみんな押してゆくどんな女も孕ませるよう…

左手親指のささくれ

カップヌードルで暖を取る左手親指のささくれから吹いてくる乾いた風/生田亜々子(『アルテリ』五号) 豊田西之島のパン屋one too many morningsで読んだ『アルテリ』五号、短歌連作「なだれるように」より。「カップヌードル」や「ささくれ」で生活の様子…

中澤系『uta0001.txt』双風舎

ふと〈結語への遠き道行き風船はいままだビルのなかばのあたり/中澤系〉が目に入り、高層ビルの中にある空洞を上がっていく黄色い風船を思う、そしてふたたび中澤系を読まなければならないと思った。〈駅前でティッシュを配る人にまた御辞儀をしたよそのシ…

穂村弘『水中翼船炎上中』講談社

中郷温水池公園へ赴いた日、穂村弘『水中翼船炎上中』講談社を読む。〈なんとなく次が最後の一枚のティッシュが箱の口から出てる/穂村弘〉この予感はよく当たる。そして最後の一枚をつまんでほじくり出す。〈口内炎大きくなって増えている繰り返すこれは訓…

小野茂樹「羊雲離散」『現代短歌全集第十五巻』筑摩書房

紙を数十枚もらった日、『現代短歌全集』の小野茂樹「羊雲離散」部分を読む。〈秋の夜の風ともなひてのぼりゆく公会堂の高ききざはし/小野茂樹〉夜に公会堂の階をのぼる。K音を連ねる高揚感がある。高さへの憧憬あるいは畏怖は〈失ひしものかたちなく風の…

大森静佳『カミーユ』書肆侃侃房

入力物を落失した日、大森静佳『カミーユ』書肆侃侃房を読む。〈顔の奥になにかが灯っているひとだ風に破れた駅舎のような/大森静佳〉駅舎の奥に最終列車の灯が点るように、どこかへ危ういところへ連れていってくれそうな人の顔として。〈春のプールの寡黙…

野口あや子『眠れる海』書肆侃侃房

右袖がひどく濡れた日、野口あや子『眠れる海』書肆侃侃房を読む。〈凍えつつ踏まれたる鉄片ありてそういうもののなかにきみ住む/野口あや子〉凍え、踏まれても弱音ひとつ吐かないきみの生き様を歌う。〈うけいれるがわの性器に朝焼けが刺さってなにが痛み…

天道なお『NR』書肆侃侃房

ららぽーと磐田で靴を買った日、天道なお『NR』書肆侃侃房を読む。〈砂粒は遠くとおくへ運ばれて生まれた街を忘れてしまう/天道なお〉砂粒のように生まれ、砂粒のように旅をして、そして摩耗するように死ぬの。〈バスタブに白き石鹸滑り落ち深まる夜の遺…

楠誓英『禽眼圖』書肆侃侃房

太さが一歳児の胴回りくらいあり、大人の背丈ほどの長さのある鰻を三匹、大きな睡蓮鉢に飼う夢を見た日、楠誓英『禽眼圖』書肆侃侃房を読む。〈自転車が倒れ後輪は回るまはるさうして静まるまでを見てゐき/楠誓英〉自転車を起こそうとしない、ただ車輪が止…

服部真里子『遠くの敵や硝子を』書肆侃侃房

メガドンキの遊び場で一歳半の吾子から玩具をことごとく奪い玩具を専有していた四歳くらいの男の子。数分後に彼が迷子としてアナウンスされていた日、服部真里子『遠くの敵や硝子を』書肆侃侃房を読む。〈梔子をひと夏かけて腐らせる冷えた脂を月光という/…