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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

2020-01-01から1年間の記事一覧

放送大学「文学批評への招待」第11章フェミニズム批評(1)

学習課題1 ケイト・ミレット『性の政治学』を図書館などで借りて、著者が男性作家の性差別主義的な描写をどのように批判しているか、確認しよう。 「性の政治の諸例」としてケイト・ミレットはまずヘンリー・ミラー『セクサス』の叙述文を引用し、それに含…

永島靖子『紅塵抄』牧羊社

永島靖子『紅塵抄』牧羊社を読む。〈をみならに畳冷たし利休の忌/永島靖子〉フェミニズム批評としてはいろいろあるだろうけれど、千利休の美への追求と美を追求される生き物としての女という対照がある。〈若鮎の波打つさまに焼かれたる/永島靖子〉生命力…

感覚の不一致

各都府県に緊急事態宣言が発令されているなか、『田中裕明全句集』ふらんす堂の「櫻花譚」部分を読む。〈宿出でててもとさびしき春日傘/田中裕明〉春日傘があるはずなのに「てもとさびしき」はその人が春日傘を差しているのではなく連れが差しているから。…

景のつくり方

山羊を見た日、『田中裕明全句集』ふらんす堂の「花間一壺」部分を読む。〈天道蟲宵の電車の明るくて/田中裕明〉宵という暗のなかに車窓の明のある「宵の電車」、それに赤地という明のなかに黒点の暗のある「天道蟲」の比較。もしかしたら害虫の天道蟲かも…

浜松文芸館の合作俳句

放送大学の学生証をとりに早馬町のクリエート浜松へ寄る。一階に浜松文芸館の合作俳句企画の設備として赤いガシャポン機が置いてある。 ガシャポン機を回すとカプセルが出てきて開くと上五の季語「鶯や」と書いてある。AEDの下にある用紙にその上五を書き…

不在の存在

『田中裕明全句集』ふらんす堂の「山信」部分を読む。〈今年竹指につめたし雲流る/田中裕明〉あきらかに景に人物がいるはずなのに表情やその体臭を感じさせない。今年竹に触れる指を中心にしているのだが、レンズは雲が動いている空へ焦点を合わせている。…

日野百草『無中心』第三書館

異動初日、日野百草『無中心』第三書館を読む。〈それぞれに頂上があり山笑ふ/日野百草〉それぞれ勝手に悦に入りそれぞれ勝手に笑う。〈酒ばかり買ひに行かされこどもの日/日野百草〉ありえそうな主客転倒が愉快、こどもの日の宴なのに遣いに出されるし、…

白井健康『オワーズから始まった。』書肆侃侃房

白井健康『オワーズから始まった。』書肆侃侃房を読む。〈三百頭のけもののにおいが溶けだして雨は静かに南瓜を洗う/白井健康〉南瓜という存在のどぎつさが雨に洗われる、そのどぎつさのままに。〈自販機のボタンをみんな押してゆくどんな女も孕ませるよう…

髙柳克弘『未踏』ふらんす堂

中央図書館の郷土資料室で髙柳克弘『未踏』ふらんす堂を読む。〈卒業は明日シャンプーを泡立たす/髙柳克弘〉卒業後の生き方はシャンプーをしているときの閉ざされた視界のように不明瞭、それこそ〈ことごとく未踏なりけり冬の星/髙柳克弘〉のような未知へ…

犀ヶ崖の句碑

浜松市布橋の犀ヶ崖古戦場跡には、天明俳壇の雄・大島蓼太の句碑〈岩角に兜くだけて椿かな/蓼太〉が立つ。首をまるごと落とすように花ごとポトリと落とす椿の赤が、山武士たちの鮮血を連想させる生々しい幻想の句だ。夕暮れの犀ヶ崖に鎌鼬が出るという伝説…

澤田和弥『革命前夜』邑書林

浜松市内にはじめて新型コロナウイルス感染者が出た日、澤田和弥『革命前夜』邑書林を読む。〈鳥雲に盤整然とチェスの駒/澤田和弥〉黒白の無機質さと鳥雲の灰色と。盤の直線が交わる消失点へ鳥は引く。〈空缶に空きたる分の春愁/澤田和弥〉春愁は残量では…

左手親指のささくれ

カップヌードルで暖を取る左手親指のささくれから吹いてくる乾いた風/生田亜々子(『アルテリ』五号) 豊田西之島のパン屋one too many morningsで読んだ『アルテリ』五号、短歌連作「なだれるように」より。「カップヌードル」や「ささくれ」で生活の様子…

『寺山修司俳句全集』あんず堂

合同句集『麦の響』が届いた日、『寺山修司俳句全集』を読む。〈十五歳抱かれて花粉吹き散らす/寺山修司〉花粉は花の性器である雄蕊で作られる。十五歳は花束を渡され、かき抱かれた弾みでその花束が花粉を吹き散らす。しかし省略が、あたかも十五歳そのも…

坂なす

ポストまで村が坂なす天の川/広田丘映(福島万沙塔『建築歳時記』学芸出版社) ポストは郵便差出箱であり、この坂は上り坂だ。村という言葉には面積的な広がりがあり、ポストまで坂がひとつあるなら他に何本もある。「村が坂なす」はポストめがけ村が隆起し…

中澤系『uta0001.txt』双風舎

ふと〈結語への遠き道行き風船はいままだビルのなかばのあたり/中澤系〉が目に入り、高層ビルの中にある空洞を上がっていく黄色い風船を思う、そしてふたたび中澤系を読まなければならないと思った。〈駅前でティッシュを配る人にまた御辞儀をしたよそのシ…

放送大学「文学批評への招待」第9章精神分析批評(2)

学習課題2 ギリシア悲劇、ソフォクレスの『オイディプス王』を読み、この悲劇が現代人にも感動を与えるとすれば、どこにその理由があるかを考えてみよう。 現代人はもはや近親相姦の禁忌や父殺しくらいでは心を動かされない。『オイディプス王』はエディプ…

穂村弘『水中翼船炎上中』講談社

中郷温水池公園へ赴いた日、穂村弘『水中翼船炎上中』講談社を読む。〈なんとなく次が最後の一枚のティッシュが箱の口から出てる/穂村弘〉この予感はよく当たる。そして最後の一枚をつまんでほじくり出す。〈口内炎大きくなって増えている繰り返すこれは訓…

放送大学「文学批評への招待」第8章精神分析批評(1)

学習課題2 ギンズブルグの論文「徴候」(『神話・寓意・徴候』第5章)を読み、推論的パラダイムの系譜について学んだ上で、それを、どうすればテクストの読解に生かすことができるかを考えよう。 推論的範例(パラダイム)は狩人の世界に起源を持つという…

異動の夢

異動になり、作業室の隅っこにある区分棚の前に立つ。四列くらいしかない区にすでに2パスが満載に差されている。輪ゴムでくくり、鞄に詰めてカブで出かける。途中、河岸段丘の上にある住宅街の児童公園にカブを停めた同僚が丘下の住宅街まで歩いて下りて配…

小野茂樹「羊雲離散」『現代短歌全集第十五巻』筑摩書房

紙を数十枚もらった日、『現代短歌全集』の小野茂樹「羊雲離散」部分を読む。〈秋の夜の風ともなひてのぼりゆく公会堂の高ききざはし/小野茂樹〉夜に公会堂の階をのぼる。K音を連ねる高揚感がある。高さへの憧憬あるいは畏怖は〈失ひしものかたちなく風の…

虚の自由

唐木順三は『無用者の系譜』筑摩叢書において西山宗因の虚について書く。 卽ち實の世界の常ならぬむなしさを身にしみて體驗したのである。(略)過去の重臣の位置に對比した現在の浪人のわび姿が、やがて、實に對する虛、和歌に對する寓言、連歌に對する狂言…

日下野由季『馥郁』ふらんす堂

新型コロナウィルスのパンデミック、そのただなかで日下野由季『馥郁』ふらんす堂を読む。〈金木犀己が香りの中に散る/日下野由季〉高貴さのゆえに己が香り以外は寄せつけず。〈花野ゆく会ひたき人のあるごとく/日下野由季〉その歩調が、歩幅が人に逢いた…

大森静佳『カミーユ』書肆侃侃房

入力物を落失した日、大森静佳『カミーユ』書肆侃侃房を読む。〈顔の奥になにかが灯っているひとだ風に破れた駅舎のような/大森静佳〉駅舎の奥に最終列車の灯が点るように、どこかへ危ういところへ連れていってくれそうな人の顔として。〈春のプールの寡黙…

野口あや子『眠れる海』書肆侃侃房

右袖がひどく濡れた日、野口あや子『眠れる海』書肆侃侃房を読む。〈凍えつつ踏まれたる鉄片ありてそういうもののなかにきみ住む/野口あや子〉凍え、踏まれても弱音ひとつ吐かないきみの生き様を歌う。〈うけいれるがわの性器に朝焼けが刺さってなにが痛み…

九堂夜想『アラベスク』六花書林

数がなかなか合わなかった日、九堂夜想『アラベスク』六花書林を読む。〈湖の死や未明を耳の咲くことの/九堂夜想〉湖は「うみ」とルビ、耳は夥しく咲く、湖の欠如を埋めようとするように。当然、音への希求はある。〈くちなしの破瓜にむらがる枝神ら/九堂…

きむらけんじ『圧倒的自由律 地平線まで三日半』象の森書房

きむらけんじ『圧倒的自由律 地平線まで三日半』象の森書房を読む。〈兄の古着で兄より育って家を出た/きむらけんじ〉「兄より育って」がおもしろい。〈黙って漁師継いで耳にピアス/きむらけんじ〉漁師町の元不良少年。〈その先で捨てるチラシを黙って貰う…

天道なお『NR』書肆侃侃房

ららぽーと磐田で靴を買った日、天道なお『NR』書肆侃侃房を読む。〈砂粒は遠くとおくへ運ばれて生まれた街を忘れてしまう/天道なお〉砂粒のように生まれ、砂粒のように旅をして、そして摩耗するように死ぬの。〈バスタブに白き石鹸滑り落ち深まる夜の遺…

詩の鎖鑰点

詩は戦争である。 作詩目標を達成するために作詩計画を立案し、複数の作詩技術を組み合わせる。 作詩技術の組み合わせが適切となってはじめて作詩目標を達成しうる詩が綴られる。 作詩目標が曖昧なら詩の効果は曖昧になる。 作詩技術が未熟でも作詩目標が明…

俳句と川柳の違い

江戸川柳は「ひとごと」、俳句は「私たち」。つまり、川柳って「あいつらは」なんです。何故ならば、江戸川柳の根本というのは江戸にやってきた田舎者を馬鹿にするものだから。(略)「情緒」から出発して「知」に行く。「知」とは滑稽。「情」に流されると…

放送大学「文学批評への招待」第7章ナラトロジー(2)

学習課題3 「私たち」を語り手の人称として実験的に用いた小説に、村上春樹の『アフターダーク』(講談社文庫、2006)がある。この語り手の「私たち」がどのような効果を与えているか(あるいは、与えていないか)を検討してみよう。 「私たち」について、…