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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

大森静佳『カミーユ』書肆侃侃房

入力物を落失した日、大森静佳『カミーユ』書肆侃侃房を読む。〈顔の奥になにかが灯っているひとだ風に破れた駅舎のような/大森静佳〉駅舎の奥に最終列車の灯が点るように、どこかへ危ういところへ連れていってくれそうな人の顔として。〈春のプールの寡黙な水に支えられ母の背泳ぎどこまでもゆく/大森静佳〉「寡黙な水に支えられ」、プールの水すべてが黙ったまま一人の老いた女の体を、さざなみのように支える景、静かな喜びが伝わる。〈ひとことでわたしを斬り捨てたるひとの指の肉づき見てしまいたり/大森静佳〉「指の肉づき」は欲や傲慢さの受肉のようなものだ。〈風を押して風は吹き来る牛たちのどの顔も暗き舌をしまえり/大森静佳〉「風を押して」に畜獣のような風の存在感がある。〈冷蔵庫のひかりの洞に手をいれて秋というなにも壊れない日々/大森静佳〉洞にうろとルビ、冷蔵庫は壊れない日々を維持する器、その光は秋の日のように橙色に覗きこむ顔を照らす。〈空の港、と呼ばれるものが地上にはあって菜の花あふれやまざる/大森静佳〉荒廃した世界の姿として、滅びた国の廃れた空港に蔓延る菜の花の黄色かもしれない。

ずっと味方でいてよ菜の花咲くなかを味方は愛の言葉ではない 大森静佳