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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

小野茂樹「羊雲離散」『現代短歌全集第十五巻』筑摩書房

紙を数十枚もらった日、『現代短歌全集』の小野茂樹「羊雲離散」部分を読む。〈秋の夜の風ともなひてのぼりゆく公会堂の高ききざはし/小野茂樹〉夜に公会堂の階をのぼる。K音を連ねる高揚感がある。高さへの憧憬あるいは畏怖は〈失ひしものかたちなく風の中の操車場塔つぶさに高し/小野茂樹〉〈いちはやく断層に街の灯はともり高き灯に夜の風当たりゐむ/小野茂樹〉などにも読める。〈蔽はれしピアノのかたち運ばれてゆけり銀杏のみどり擦りつつ/小野茂樹〉ピアノではなくあくまでも見えるのは「ピアノのかたち」。擦れ銀杏の葉が緑の音階に沿って鳴る楽しさ。〈更けてなほ町はにぎはふ貨物駅の塀にて成りし夜店の片壁/小野茂樹〉川崎あたりの工場地区の猥雑な飲み屋を思わせる。〈坂に沿ふ空溝に水くだりゆく堰かれしもののいきほひ新し/小野茂樹〉人間の息づかいをたしかに聴く景の描写、押さえつけられた者の怒りがほとばしる。似たような景に〈地に低く雨の音満ちきみを追ふべく幅のある道に惑ひき/小野茂樹〉があり、これは破調が急に幅の開けた道への惑いを表現している。〈はしけにて向かへば陸はひしひしと迫りぬ人なき露地もつぶさに/小野茂樹〉上陸前の街がしだいに詳細に見えてくる、解像度の上がっていく感じが「人なき」で鮮やかに視覚化される。〈手袋をはめつつ出でて擦るごとく歩道に伸ぶる夕光を踏む/小野茂樹〉魔術師めいて夕方の街をゆく。〈送り来しこの路次のはて灯を入れし公衆浴場うちら濡れつつ/小野茂樹〉銭湯の「濡れつつ」は送り来し人のエロティックな記憶とともに垣間見る。〈床高し電車の過ぐる踏切にわれら断たれてゐたり急きつつ/小野茂樹〉電車の「床高し」は隔てる境界の高さであろう。〈囲はれし園もたがはず冬なりきしきりに波紋の浮かぶ池あり/小野茂樹〉「囲はれし」は追い詰められた人生の意なのだが、そこにもなお活きようとする意思が池の波紋としてある。〈石段に土流れたる痕ありてもろく水浸きし街いま乾く/小野茂樹〉闘争のあと傷痕としての泥がこびりつくままの街だ。〈人のぬくみのみ確かなる夜にして海へ出でゆくはしけ舟見ゆ/小野茂樹〉艀舟は人のぬくみを外れる勇気として海へ出る。〈みづからのため甲ひたる詰襟の黒き咽喉にて歌へば声あり/小野茂樹〉学生は合唱する、それは誰のための歌なのだろう。〈あやまたず岐路多き日を歩み来て湯のなつかしき重みに沈めり/小野茂樹〉なんとか辿りついた一日の終わりに訪れる休息の湯は羊水にも似て、重く身体にまとわりつく。〈非力のとき誠実といふこと卑し月を過ぎゆく羊歯状の雲/小野茂樹〉月を掠める羊歯状の雲が、運命というものの儚さを現している。〈脈博のごときわれらの時をきざむ時計は腕に小さく冷えたり/小野茂樹〉刻むのは「われらの時」だからこそ小さく冷える。それは現実の時間より少し遅れている。〈一枚の葉のみ樹冠に昏れ残るまぼろしの木はねむるとき見ゆ/小野茂樹〉夕闇に見た一枚の葉の寂寥は〈ひたすらに日はわたりゆく夏柑の一つを残す木立の上を/小野茂樹〉の夏柑と似ている。〈ことごとくわが生きざまを許さぬとこゑあり扇風機の風旋り来ぬ/小野茂樹〉夏の脳裏に甦る言葉が寄せては帰す扇風機のように何度も響くのだ。忘れさせてくれない。〈まなざしのひとつわが身を過ぐるとき電車は内部灯りつつゆく/小野茂樹〉踏切、轟音をたてて過ぎゆく夜の電車の明るさは心の衝撃音のようでもある。〈あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ/小野茂樹〉類型の夏とかけがえのない夏、その間を行きつ帰るのが青春であろう。

感動を暗算し終えて風が吹くぼくを出てきみにきみを出てぼくに 小野茂