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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

栗木京子『新しき過去』短歌研究社

中立的というより詩の混沌にまで昇華できた社会詠をときどき読みたくなる。〈占領期といふ濃霧の日々ありき謀殺の文字ただ忌しく/栗木京子〉1949年国鉄三大ミステリー事件の一つ下山事件について。濃霧の日々というのが歴史感覚と合う。〈前を行く男女のつなぐ手はかつて蹄なりしか鰭てありしか/栗木京子〉現代の恋人の手つなぎにムカシクジラたちの世を思う。〈花の蜜よりも木の蜜しづかにて眠れぬ夜の紅茶に垂らす/栗木京子〉きっとメープルシロップ。〈海沿ひの道に給油所明るくて夏を連れ来る一滴の雨/栗木京子〉ちょっとした車旅に雨、夏への華やぐ心を抱えながら。〈楽しきもの想ひ眠らむひまはりの野をゆく移動図書館などを/栗木京子〉移動図書館のちょい田舎感がいい。至福の光景かも。至福の光景といえば〈叡山を下りて雄琴に来しことありソープランドの街とは知らず/栗木京子〉も、また。〈食パンの上にレタスを置くやうに街にゆふべの冷気降りくる/栗木京子〉レタスにまつわる水気とかを思わせる比喩だ。かすかに触れて降りくる。〈飛行機の狭きトイレで気付きたり生きてゐる身は伸び縮みする/栗木京子〉トイレは気付きの場と言われるけれど、非常な場所だからこそ気付くこともある。〈近すぎると思ふは哀し手から手へ受け渡さるる赤きゴムまり/栗木京子〉新型コロナウィルスの比喩として赤いゴムまりというのは面白い。〈一等星多きがゆゑに冬空は怖しと昔あなたは言ひき/栗木京子〉明るすぎる星は宇宙の深さを想像させるがゆえだろう。〈末枯れつつ冬に入る野よ半死語より死語へと移るほどのしづけさ/栗木京子〉ことばの寿命が尽きてしぬほどの冬寂、唇が動かなくなることでもある。

麦星よ狩の民には近く見え海の民には遠く見えしか 栗木京子