誌上句会(テーマ「交」)で〈初夏の看護学生泡まみれ/以太〉への方子さんの評を読み、自分の心が穢れていたことを知った日『西行の肺』を読んだ。〈身ごもりし人の済ませし校正の厳しすぎる朱を元に戻しぬ/吉川宏志〉妊婦が胎児を守るために宿した他人への厳しさ、激しさを校正に感じたのだろう。〈電話メモの紙片いくつも貼られあり欠勤つづく男の机/吉川宏志〉パソコンがまだ一般企業にない時代の話だ。〈辞めさせよと言いたる我は何者か手から指へと洗いゆきたり/吉川宏志〉同僚の辞職を要求した私はどの立場でものをいえたのだろうかという反省が痛い。〈売れている本を真似すりゃいいんだと言いて去りにき日焼けの男/吉川宏志〉商売のためなら、あるいはそうかもしれない。日焼けがその言葉の空虚さを物語る。〈自動ドアひらけばしろく映りたる顔が左右にわかれゆきたり/吉川宏志〉都市での小さな発見だ。〈ぶつぶつと言いて自転車漕ぐ男過ぎゆけば背に子どもが居たり/吉川宏志〉よくある怪談が下の句で日常風景へ引き戻される。〈遠き日の友の名を検索すればタイ音楽の集いに出づる/吉川宏志〉懐かしさと新奇さの同居する旧友検索。〈鳩の血は果実がつぶれたときよりも少なし朝の舗道にこぼる/吉川宏志〉鳩の血と果汁の比較がその死を、客観的に見させる。〈月文字と太陽文字があるという妻の習えるアラビア語には/吉川宏志〉朧気だけど定冠詞をつけるとき重要になる。〈考えれば十センチ以上の生き物を殺していない我のてのひら/吉川宏志〉直接手を下していなくても間接的には殺しているかもしれない、そんな可能性への自覚はそのてのひらにあるのだろうか。〈黒毛牛と書かれておれど毛のあらぬ肉を買いたり冬の夕べに/吉川宏志〉買ったからまだ黒毛牛が殺される気がしてきた。〈公園の土に描かれし一塁に春の夕べの雨は降りおり/吉川宏志〉晴れたときに靴のかかとで引かれた線だろう。今はだれもいないのが物悲しい。〈『白鯨』の研究つづけいる友は書架にもたれて酒を飲みおり/吉川宏志〉何か一つを続けていることは素晴らしい。〈残してもいいよと言われし夕食のようなさびしさ 蓼の花咲く/吉川宏志〉それはさみしいな。おもわず全部食べようとして、でも少し残してしまうような。蓼の花みたいな、ささやかなさみしさ。