Mastodon

以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

加藤治郎『海辺のローラーコースター』書肆侃侃房

レモンが印象に残った歌集だった。〈ボディソープぬりたくっているやわらかい刃に指を滑らせながら/加藤治郎〉やわらかい刃は熱を帯びた危険な皮膚だ。〈あちこちにスイッチがあるまちがって明るくなった地球の一室/加藤治郎〉地球から一室への想像力の落差にくらくらする。〈Excelのセルにレモンを置いてきて午後は静かなオフィスである/加藤治郎〉レモンという小道具の色が静寂のなかに生きる。〈本棚はことばの湊 未来の友とあなたの歌を語りつくしたい/加藤治郎〉未来は未来だろう。〈家にいろ(旅に出ようよ(ぬばたまの黒いリュックの配達バイク/加藤治郎〉これもまたウーバーイーツ短歌として。〈咳をしてもよろしいですかさらさらと月のひかりは水槽に差す/加藤治郎〉咳さえためらわれるほどの静けさのなかに、月光の刺さる水槽の、たとえばあぶく。〈頭部にはずいぶん穴があることのどうかしている眠れない夜/加藤治郎〉穴からいろいろ入ってきて眠れないんだ。〈にんげんの断面図みる想いあり満員電車鉄橋を渡る/加藤治郎〉鉄橋にもしピアノ線が結んであったら、どのように人々は切れるのか、なんて想像する朝の満員電車である。〈現在は無所属という略歴の春の渚にたわむれている/加藤治郎〉根無し草であるのは自由だけど、ちょっと手持ち無沙汰である。

中也*1は自由詩に向かう過渡期の詩人だったのか。そうではないだろう。音数律詩と自由詩を統合した〈民族の詩〉を構想していたのではないか。(加藤治郎「詩歌の旅人」)

くちびるを見せあっている散る花の鶴舞公園風の冷たさ 加藤治郎

*1:引用者註:中原中也、1907-1937 詩人。