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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

鶴舞公園と短歌

名古屋市鶴舞(つるま)公園は名古屋市昭和区鶴舞一丁目にあり、明治四十二年に名古屋で最初に整備された公園*1だ。小酒井不木の「名古屋スケツチ」には

なほ又名古屋市民に近頃追々喜ばれ出した鶴舞公園はスケツチの種にならぬことはないけれど、公園などのスケツチに出かけては、近頃流行の感冒にでも襲はれると悪いから、今日はこの辺で筆をとゞめて置く。

と書かれ、相当な人出と人気だったようだ。この小酒井不木国枝史郎によれば鶴舞公園の近所に住んでいた*2。また国枝史郎の「銀三十枚」や江戸川乱歩の「猟奇の果」に鶴舞公園は舞台として登場する。吉川英治が感心した*3図書館も公園にある。鶴舞公園は日本文学史、特に東海地方の文学史を語る上で重要な公園である。

この鶴舞公園の噴水塔は歌人加藤治郎によって個人的な短歌の聖地となっている。

 

青き水噴き上げてゐつ解き放たねばならぬあまたを持ちてゐし日/春日井建

その加藤治郎鶴舞公園の噴水塔をタイトルとした『噴水塔』という歌集を出している。

八本の円柱はみゆ鶴舞の噴水塔につどう歌人加藤治郎

また、『東海のうたびと』中日新聞社加藤治郎は吟遊の街の三番目に鶴舞公園噴水塔を挙げている。

噴水に春のブラウス濡らしつつほんきなのって瞳は嘆く/加藤治郎

そのほか惟任將彥による「鶴舞公園」と題された連作12首も「AICHI⇆ONLINE」の短歌プロジェクト「ここでのこと」で発表されている。

芝生ではバドミントンの親子らがいつかは落ちるシャトル打ち合ふ/惟任將彥

またtwitterではこんな短歌があった。

噴水塔を含めて鶴舞公園は名古屋の短歌スポットを列挙した際に平和園名古屋市短歌会館とともに挙げざるをえない場所のひとつだ。

*1:明治42年11月19日、「鶴舞(ツルマ)公園」と名称が定められました。設計は、全体計画が本多静六林学博士、鈴木禎次工学士が行い、日本庭園は村瀬玄中、松尾宗見の両宗匠が行いました。「鶴舞公園の歴史

*2:名古屋市中区御器所町、字北丸屋八二ノ四、鶴舞公園の裏手にあたり、丘を切通した道がある。その道を見下ろした小高台に、氏の住宅は立っている。「小酒井不木氏スケッチ

*3:ぼくが感心したのは、鶴舞公園の図書館だった。いったいに、図書館というと、どこも陰鬱で閑休地域みたいだが、百パーセント閲覧者を容れ、尺地もないほど活用されているのを見た。殊に児童閲覧室の風景がじつによかった。「随筆 新平家