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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

大森静佳『ヘクタール』文藝春秋

野を焼く火として『ヘクタール』を読む。〈からだのなかを暗いと思ったことがない 風に痙攣する白木蓮/大森静佳〉からだのなかは赤く光っているのかも、あるいは白木蓮のように白く輝く肉なのかも。生きている限り暗いなんてことはない。手術映像のイメージでもある。〈切り株があればかならず触れておく心のなかの運河のために/大森静佳〉運河、だからその心はあまり動かない静かな心なのだろう。切り株もまた運河と同じようにあまり動かない。〈風という民族のため立ちつくす今日のわたしは耳そよがせて/大森静佳〉たぶん風という民族は風語を話すのだ。〈糾弾はたやすい、けれどそのあとは極彩色のしずけさなのだ/大森静佳〉誰もが持てるだけのことばを使い果たしてしまって。これは〈やがて静かな色彩の栞紐だろう あなたもわたしもやがて静かな/大森静佳〉とともに。〈さびしさの単位はいまもヘクタール葱あおあおと風に吹かれて/大森静佳〉人とはおしゃべりできない植物たちの単位、ヘクタール。〈梅が咲いて桜が咲いてきみといる時間の毛深さを照らしだす/大森静佳〉毛深さという親しみ感、樹たちのモサモサへの信頼感。〈おとなしく顔におさまる眼球をますますおさめて湖見ている/大森静佳〉湖のような波をたたえる眼球を、眼窩におさめる。〈男でも女でもなく幻の子どもを滝と名づけて遠い/大森静佳〉滝は山から平地へ落ちるところにできる。まもなく産まれる生命の奔流としてそう呼ぶ。〈白鳥はおおきなランプ ほんとうに処女かどうかはわたしが決める/大森静佳〉大陸では白鳥のような白いシーツについた血のしみを朝の街で公開することもあるという。ときには鶏の血を使うことも。そうじゃなくて、わたしが決めるという意志。〈おもいつめ深く張り裂けたる柘榴あなたの怯えがずしりとわかる/大森静佳〉「ずしり」は樹になる柘榴の総量だろう。でも実そのものではなく傷の重さである。〈釘のようにわたしはきみに突き刺さる錆びたらもっと気持ちいいのに/大森静佳〉錆びたらもう抜けないけれど、そのまま肉と融合するけど。〈ヴァージニア・ウルフ 鱗の手触りをずっとおぼえているから冬だ/大森静佳〉鱗の手触りは決してなめらかではない。〈体内にひとつだけ吊すシャンデリア砕いてもいいし砕けてもいい/大森静佳〉自分で手を下すこともあり、中動態的に壊れることもあるシャンデリア。体は自分の意志でどうにかできないから。破局へは近い。〈一文字もまだ書いていない小説がわたしを生かすアスファルトの硬さで/大森静佳〉脳内小説、一文字も書いていないし、たぶん書かないけれど結構強烈に心を揺さぶられる脳内スペクタクル。〈ファンファーレあかるく狂うこの国でみどりの黒髪とはどんな色/大森静佳〉外来の競技と日本のナショナリズムとがどう融合/分離していくのだろうか。〈ふりおろす あなたのためと言いながら自分のためにこの声の鎌/大森静佳〉この声の嫌ではなかった。「自分をたいせつにしなさい」という言葉とかがあてはまる。〈のぼったひとをひきずりおろす手が見えてあの傲慢はわたしにもある/大森静佳〉嫉妬、応分の場を求める日本民族特有の性質、#metoo、ガラスの天井の仮設。〈ひらくたび頁が濡れているような『コレラの時代の愛』という本/大森静佳〉濃い花のにおいに胸が詰まってむせび泣く感じが件のストーカー小説にはある、「五十一年九カ月と四日間、彼女のことを片時も忘れることはなかった」。〈全裸こそむしろ甲冑 銭湯の洗い場にみなひかりを放つ/大森静佳〉は〈赤いからだを皮膚で覆って生きている銭湯にいるだれもだれもが/大森静佳〉と呼応している。甲冑=皮膚、他人へ情感を投げかけ、身を守る鎧、ということだろう。