- 家があれば幸せだと言う人には家は建てたくない。建てても幸せになりそうにないから。
- 家がなくても幸せだと言う人には家を建てたい。幸せになりそうだから。
- 青天の天竜川の花盛/月野ぽぽな、どこかな
- 改革历程、改革歷程、趙紫陽
- 雖得良材、不能構慶。雖得良貨、不能購幸。
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そうではない、そんなことをしなくても、われわれはすでに若干の真なる観念を持っていて、基準を云々する前から真だと知っている。(上野修『スピノザ考』青土社)
- 内定規定 denominatio intrinseca
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スピノザ哲学は経験であれ概念であれその分析によって進むタイプの哲学ではない。彼にとって事柄は分析されるのではなくて証明的に構成さらるべきものだからである。(上野修『スピノザ考』青土社)
- スピノザの必然主義>因果的決定論
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並行論でスピノザが言おうとしているのは、この現実はどこもかもが真理でできているという当たり前のことだと思う。本当だけが存在していてほかには何も存在しない。(上野修『スピノザ考』青土社)
- 観念と事物の並行論→真理の同一説、verumとesseの可換性
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ただ『エチカ』は、そういう「証明をやっているもの」がまさに証明によって定理の中に姿を現わすというふうになっている。(上野修『スピノザ考』青土社)
- omne esse
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そこからスピノザはわれわれの精神が無限知性の一部であるという驚くべき結論を導く。われわれが証明を理解するその知性は、証明によれば神の無限知性の一部なのである。(上野修『スピノザ考』青土社)
- 群集の力能 multitudinis potentia
- 或人有妻而無家也。妻曰「吾今不幸也。借汝構家吾必得幸矣」。其應曰「雖吾構家、汝不必得幸」。翌日妻曰「吾今幸也」。其曰「吾欲構家。借吾構家、汝必得幸。」
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ここにはもはや、契約による義務づけのロジックもなければ代理のロジックもない。あるのは各人の「事実上」の服従行為を生産するある種の非対称性、すなわち各人がそれぞれに群集内部で自分以外の〈残りの者〉の全体と対峙し、それとのあいだに見出す圧倒的な力の差、この差だけなのだ。(上野修『スピノザ考』青土社)
- 自然権jus naturale↔国家的civile
- 自然の権利jus naturaeは、国家的という対立項は持たない絶対的な用法における自然
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われわれは近現代哲学におけるスピノザ受容に共通する一つの特徴にきづいた。それはひとことで言うと、魅惑と恐怖のアンビバレンスである。(上野修『スピノザ考』青土社)
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スピノザ主義は唯一の整合的な汎神論であり、絶対的合理主義であり、あらゆる合理主義の原型である。だから危険なのだ。(上野修『スピノザ考』青土社)
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スピノザの必然主義は、およそすべての真理は必然的真理であるという帰結を伴う。(上野修『スピノザ考』青土社)
- 自分以外の者・残りの者reliqui(複数形)
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あたかも一つの精神によってのように人間の群れが法の声に導かれる事態があるとすれば、そこには必ず、各人の外、各人のまわりに「残りの者」の力として現れる圧倒的な群集の力能がある。(上野修『スピノザ考』青土社)
- 廃人蛾号さんは廃人餓号さんと同一俳人物?