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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

放送大学「文学批評への招待」第7章ナラトロジー(2)

学習課題3 「私たち」を語り手の人称として実験的に用いた小説に、村上春樹の『アフターダーク』(講談社文庫、2006)がある。この語り手の「私たち」がどのような効果を与えているか(あるいは、与えていないか)を検討してみよう。

「私たち」について、『アフターダーク』本文中に「私たちはひとつの視点となって彼女の姿を見ている。(略)視点は宙に浮かんだカメラとなって、部屋の中を自在に移動することができる」とある。また「私たちは目に見えない無名の侵入者である」「観察はするが、介入はしない」とも書かれている。一人称の「私たち」は内的焦点化を担い、全知全能の神の視点を自分が実際に体験しているような感覚になる。そして読者である私の知らない都市の出来事なのに、私の知っている都市の見慣れた部屋やデニーズやすからいーくで起こった出来事のように思えて、私の身体がその場(たとえば浅井エリの部屋)にいるような感覚になる。それは観客に役者が話しかけるような観客一体型の演劇を観ている感覚に近い。焦点化ゼロで描写されるよりもその体験の感覚ははるかに強いだろう。あまりに強いので、私が知り得ない瞬間のテレビや鏡で今この瞬間も不思議な現象が起こっているかもしれないと恐怖させるほどだ。しかし上記のように、これは「カメラアイ」です、とタネ明かしをされるとなんだか実験に無理矢理参加させられているように思えて興醒めする。そこは仄めかすだけの方が良かった。

アルファヴィルの防犯カメラ解析のシーンがあることから「私たち」はインターネットのユーザー、現在で言えばyoutubeの視聴者やtwitterのフォロワーなどを予想して設定しているのかもしれない。観たがり知りたがる欲望そのままに動き、実際に観て知ることはできるけれどそこで起こっていることには介入できない人たちを。浅井エリの部屋のテレビに映る男がビッグブラザーを模しているのだとしたら「私たち」はリトルピープルだ。「私たち」の複数性には彼らリトルピープルの強迫的な、遍在する気持ち悪さを伝える効果もある。コンビニの棚に白川が置いた携帯電話は言う、

「逃げ切れない。どこまで逃げてもね、わたしたちはあんたをつかまえる」

無用者の始祖

唐木順三は『無用者の系譜』筑摩叢書を在原業平から書き始める。業平の祖父平城上皇薬子の変により落飾し、伯父の高岳親王廃太子させられた。皇孫でありながら業平は京の貴族社会において不遇であった。

業平の場合、わぶの根柢には、自分を無用者として自覺したといふことがあつた。つまりは憂き世をわびたのである。世間における無用者であることを選びとつたのである。その無用者によつてひらかれた觀念の世界、つまりは憂き世から離れることによつてひらかれた世界を歌にした。「名にし負はば」の歌はそれを具體的に示してゐる。

伊勢物語に書かれた「身をえうなき者に思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき國求めにとて行きけり」のあづま下りは「デカダンの徒」である業平にとって京に変わる「新しい天地」を求める旅だった。

自分を無用者として自覺することによつて、現實世界はひとつの變貌(トランスフィグレイション)をきたし、舊來の面目をあらためたのである。觀念世界の誕生といつたのはこの意味である。

この觀念世界の誕生が「もののあはれ」や「みやび」へ繋がる。源氏物語の須磨も業平の東下りなくしては書かれなかった。

この無用者の精神こそが西行ら中世の風狂や「西國行脚の無用坊、無用の用あり」の宗因を経て現代の俳人とりわけ自由律俳人の精神へ繋がると私は信じている。

名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありや無しやと 在原業平

中筋祖啓『経験と未来』

第二十七回西東三鬼賞は前回に引き続き佳作〈かたつむりは裏日本で即位する/以太〉ちなみに前回の佳作は〈ニンゲンの子を添えて売る蛍売/以太〉な日、中筋祖啓『経験と未来』を読む。〈私の自信は無くしたのではない 私の自信は消えたんだ!/中筋祖啓〉痕跡さえも消えて。〈本当に静かな男になりました/中筋祖啓〉これが静かな男の手のひらです。〈ものすさまじき、ただの人/中筋祖啓〉最強の普通人として。〈会う度に記憶喪失になっている/中筋祖啓〉だから楽しい。〈眼球の裏っ側から微笑んだ/中筋祖啓〉微笑みの筋肉のはじまりとして。〈坂道が大地で肺を叩いてくる/中筋祖啓〉息切れ。〈青空に全く力が入らない/中筋祖啓〉だから(力が)ぬけるような青空と呼ぶ。〈一番近いデパートの名を呼ぶ小学生/中筋祖啓〉そこのデパートがその小学生の楽園だった。〈茶の中の蛍光灯がペットです/中筋祖啓〉へ? 〈待ってましたと言わんばかりの白い雲/中筋祖啓〉何も言わずに雲は浮いている。ただ嬉しかっただけで。

傘を置いて雲が白い 中筋祖啓

第三回浜松私の詩コンクール入賞作品を読む

浜松市桂冠詩人になりそこねた。第3回浜松「私の詩」コンクール一般の部において「私はパンではありません」という詩で浜松市長賞をいただいた。しかし新型コロナウィルス感染症防疫のため3月15日の表彰式は中止になった。前日の14日には詩部門で浜松市民文芸賞の表彰を受けるはずだったのに、これも中止になった。残念なので浜松私の詩コンクールの他の入賞作品をいくつか読む。浜松市遠州地域に詩の文化が根づき繁るように。

小学生の部

浜松市長賞の岡田桜知「池」、擬人法を小学四年生にして駆使している。「風が木をゆらしている ぼくに みなもをつけて」の描写が秀逸。浜松市教育委員長賞の矢野舞希「星」は「この時間がほしいと願いながらも/星も時間も分からないように/ひっそりと進む」の明喩がなかなか読ませる。

中高生の部

浜松市長賞は外山里菜「柳川」、福岡県の「水の都」だろうか。川下りの風景から声を媒介に一挙に宇宙まで世界を広げる。言葉にひねりはないけれどまっすぐな言葉で自然と命と向き合っている。浜松市教育長賞は鈴木里子「あなた」、誰か身近な人との死別だろう。「もう」「何度も」「最後まで」「そして」「やっと」など頭韻を踏むことで悲痛なまでの思いを段階的に膨らませている。中日新聞賞は奥暖葉「変態」、「どうにか持ち上げて/向かう先は風呂場で」を軸として「て」の脚韻が最後まで断定しきれない気持ちをよく表現している。遠州灘賞の山本彩心「舞台」、「私達はこのきんちょうを/成長していくのだ」で舞台なら照明を集めるだろう。詩季賞の影田れい「あり」は最終行の意外さで心に残る。

一般の部

浜松市長賞は私の「私はパンではありません」なので割愛。浜松市教育長賞は袴田ひかり「午前0時」、「ガス灯」や「封蝋」といった言葉がひとつの世界を創っている。「退屈を持て余しているのなら いいでしょう/煩わしいくらいが/ちょうどいい」なんかポップソングみたいなソーダ水。静岡県詩人会会長賞の熊谷文昭「戯画!受験生」は「NGOとNPOは相似でも合同でもない」を愛唱したい。詩季賞の村口宣史「鬼門」は「おまえの内側にある外因」とかカッコいい。

 

第三回尾崎放哉賞受賞作品を読む

第三回尾崎放哉賞入賞作品が発表になった。〈胸の穴を翅のない蝶がとおりぬけた/以太〉は入賞した。受賞作品のうち気がかりな句について読む。〈ネギ切る音がまっすぐな雨になる/井上知子〉「ネギ切る」で区切って読むか「ネギ切る音が」まで続けるか。前者ならば音はネギを切る音だけでなくてもよく、「ネギ切る」という行為の儀式めいた様があらゆる音をまっすぐな雨にさせる不思議な世界を創り出す。「雨になる」の五音で厨の小さな景から急速に大きな空の景へ広がるのは技術だ。〈古写真の中に整っている家族/黒瀬文子〉フルシャシン、「整っている」の言葉から破綻した家族の姿が浮き上がる。大賞も春陽堂賞も地下水脈に「X+八五」が見え、総拍数も十七と十九で十七音に近く、五七五定型を意識しているのだろうか。〈母も知らない母の骨を拾う/十月十日〉七六三、H音の頭韻が遺骨の虚ろな感じを演出している。自分の骨のすべてを知ることなく人は死ぬのだという事実に打ちのめされる。〈春風強く吹く私は優しくない/野田麻由可〉九十で切れる。風ではなく春風にしたのは定型から離脱するためであり「私は優しくない」との違和感を出すため。〈あいつの通夜から帰った傘の雨切る/本山麓草〉台詞めく十二音に七音を添える。ただ添えただけかのような乾いた感じがカッコいい。永訣への意思。〈物語ひとつ終らせてお茶にする/丹村敦子〉物語は桃太郎みたいな昔話だろうか。「物語ひとつ終わらせて」の神話的壮大さと「お茶にする」の落差が愉快だ。もしかしたら物語を途切らせると殺されてしまうシェヘラザードなので次の物語をはじめるために喉を湿らせているのかもしれない。〈ひとひらちらす手話の生きろ/岩渕幸弘〉七三三、手話に命令形があるのかは知らない。けれど手話の「生きろ」を花弁を散らすように手向けるなんて、照れる。三三と短く言い切った鮮やかさ。〈麦わら帽で隠せる涙だった/藤井雪兎〉涙を隠したい相手はもしかしたら背が高いのかもしれない。麦わら帽という小道具で相手との関係のようなものを巧みに表現している。〈砂時計の中蜥蜴の鱗が落ちる/熊谷京香〉砂時計と蜥蜴の組み合わせに千一夜物語めく美意識を感じる。ただ同じ作者の〈おばあちゃんの笑い皺は迷路/熊谷京香〉の方がおばあちゃんの顔の目鼻口のあったあたりを暗く溶かして迷路に描き変えてしまうシュルレアリズム絵画のような怪しさを感じる。笑い声だけが笑っている。〈机の上で知らないくじらが死んでいるような世界/堀和希〉机上にまず収まりきらないくじらを死なせて机上に収まらせたのだからその世界からは鏡が喪われているはずだ。七<八<十一という単調増加が不安を掻き立てる。〈クレヨンで描き潰したあの日の夕日/島本琉風〉「クレヨン」が「あの日」への遠さを、「描き潰した」が何かに夢中になれた日々であったことを伝える。アノヒノユウヒ、ヒ音に悲しいほどの懐古がある。

村上鞆彦『遅日の岸』ふらんす堂

新型コロナウィルスのおかげでマスクやトイレットペーパーが売り切れ文化イベントが自粛ムードで一斉休校なのに、それでも仕事はある月曜日、村上鞆彦『遅日の岸』ふらんす堂を読む。〈噴水の力を解く高さかな/村上鞆彦〉噴水を「解く」と言う楽しさ。重力とかそういう話は要らない。〈枯蓮の上に星座の組まれけり/村上鞆彦〉死にゆく枯蓮と生きているように燃える星のつらなりという対比。「上に」は地球上とはるか何万光年もの先の宇宙を表現しているけれど、あたかも二つが近くにあるように読める。〈花の上に押し寄せてゐる夜空かな/村上鞆彦〉夜桜となる前の一刻、海嘯のように夜空が暖色に押し寄せる。〈街空の鷗を春のはじめとす/村上鞆彦〉何気ない街の何気ない空の何気ない鷗を春のはじめ、なんて呼んでみて。〈鯉病めり雪はひたすら水に消え/村上鞆彦〉水に消える雪はとりかえしのつかない時間の譬喩として。〈真清水にたくさんの手の記憶あり/村上鞆彦〉縄文の世から多くの人々に愛飲されている真清水。〈日盛りのぴしと地を打つ鳥の糞/村上鞆彦〉眩いほどの夏の地へ「ぴし」と音が響くのが生命って感じだね。〈木枯しや石屋の墓石みな無銘/村上鞆彦〉これからの死者のための無銘。〈弓入れて袋の長し花の昼/村上鞆彦〉袋はもとより長かったのではなく弓を入れたことで長くなったのだ。部活帰りの生徒のいるのどかさ。〈蟬鳴いて少年にありあまる午後/村上鞆彦〉「ありあまる」のA音が夏の緩み。

さへづりやみな素足なる仏たち 村上鞆彦

仙田洋子『はばたき』角川書店

「現代俳句」の四月号のティータイム に私の小文が載ると伝えるハガキと第3回尾崎放哉賞で入賞との知らせが郵送された日、仙田洋子『はばたき角川書店を読む。〈さびしさを知り初めし子も手毬つく/仙田洋子〉人がさびしさを知らるのはいつなのだろう〈手毬つくだんだんはやくおそろしく/仙田洋子〉。〈豆撒の父の白髪かがやけり/仙田洋子〉白髪がこの世のものとは思えなくなるほど鬼めいて輝く旧暦の去年今年。〈雛のみな息絶えてゐる雛の闇/仙田洋子〉息絶えは字面のとおりであるけれど、あたかも雛に生命があってそれが絶えたかのように読める、読ませる。〈青銅の馬身の如く冬来る/仙田洋子〉蹄の音高く、緑青色に来る、蒼褪めて来る。〈鳥影におびやかさるる春障子/仙田洋子〉障子いっぱいの四角い春光という明るさあってこその鳥影、実態は隠れて見えないがゆえに化物の影じみて。〈渚までピアノを運ぶ星月夜/仙田洋子〉きっとピアノの鏡面塗装に星が映る、波の音にピアノの音が溶け込む。〈香水の減るよりも疾く子の育ち/仙田洋子〉香水と子の成長、この比較は液量でするのか背丈でするのか基準を混乱させ、時間感覚をおかしくさせる。〈足首に足首のせて海の家/仙田洋子〉一人の足首かもしれないし、二人の足首かもしれない。いずれも海の家の寛いだ雰囲気が出ている。〈Tシャツの穴より覗く雲の峰/仙田洋子〉ダメージ加工のTシャツを干しているのだろう。Tシャツの白が青空にはえる。〈未来すぐ来るよ七五三の子よ/仙田洋子〉未だ来ずと言っておきながら「すぐ来る」、しかしそれも七五三で感じる成長の早さにとって適切。

柚子のみなしづかにまはる柚子湯かな 仙田洋子

小津夜景『フラワーズ・カンフー』ふらんす堂

ガスコンロがひとつ息絶えチェーンが硬く張りすぎた日、小津夜景『フラワーズ・カンフーふらんす堂を読む。〈スプーンの硬さ泉にかほがあり/小津夜景〉のかほは飯島晴子の顔だろう、〈泉の底に一本の匙夏了る/飯島晴子〉。〈てのひらを太鼓にかざす鳥の恋/小津夜景〉手のひらへ伝わる太鼓の振動のような鳥の恋、その震え。まさに音に触る。〈そらりすの光をまげてこすもすは/小津夜景〉惑星ソラリス。〈空耳のやまざる白き昼なればガアゼをかざし空を吸ひとる/小津夜景〉小、しか合っていないけれど小林大吾の歌詞「薬指だけに処方箋がいる」のような白々しく空耳、〈空耳とはぐれて茶葉を煮てをりぬ/小津夜景〉。〈とびらからくちびるまでの朧かな/小津夜景〉とびらが身体の一部のようでくちびるはビルのよう。

晩春のままに誤配のままに鳥 小津夜景

芭蕉翁奥之細道行脚より三百年記念

浜松市中区菅原町はJR東海道本線高架北側に堀留ポッポ道という緑道がある。国鉄浜松工場の工場線跡地を整備した緑道で、ケ91タンク機関車が展示されているらしい。そこに「芭蕉翁奥之細道行脚より三百年記念」と題された脇起の歌仙碑が建つ。おくのほそ道の行脚開始は1689年。碑の裏面に「西暦一九八九年弥生建之」とある。

歌仙について

淡里・洞光・山外の三人による三十六句の歌仙形式で発句は〈秣負ふ人を枝折の夏野哉/翁〉、脇はたぶん〈時津風にて実る桜桃/淡里〉だろう。そして挙句は〈大凧小凧砂丘とよもす/執筆〉。くずし字と変体仮名が使われ知識がないと難読だが〈婚期過ぎると父母はやきもき/山外〉〈買い手と知らず馬が㒵出す/洞光〉など楽しい平句や〈バイブルを説き家路忘れし/淡里〉〈捨た児がサーカス団に生きている/山外〉など現代的なテーマの句もある。

登場人物について

詠人の三人は浜松市周辺で俳諧師連句を作っていた方々だろう。山外は浜松の佳月庵四世森月鼠の連衆だった松雪庵・神谷山外、洞光は「春惜むの巻」の独吟があり龍潭寺に〈朝々に金衣公子の節を見る/洞光〉や他に〈貝魚声あり月の舘山寺/洞光〉などの句碑がある雪心荘・白川洞光。淡里は小笠郡の耕雪庵・宮城淡里であること以外は詳しくは分からなかった。

芭蕉翁奥之細道行脚より三百年記念句碑、堀留ぽっぽ道
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茘枝

〈茘枝手に人造少女の目に原野/中嶋憲武〉(『祝日たちのために』港の人)の基底部は「人造少女の目に原野」。雑草の生えるまま生命の奔放たる原野を眺めるのは、人の手により計画的に作られた少女の眼球。その基底部への干渉部は「茘枝手に」、茘枝はここでは蔓茘枝こと苦瓜ではなくライチの実だろう。というのは苦瓜では色が緑色系に固定されて景がぼんやりするのに対し、ライチならばその実は少女の眼球を連想させかつ赤みがかった黒が景の焦点となり景全体をひきしめるからだ。茘枝はそれを持つ人造少女が抱く、生命の奔放への願望だ。

 

田島健一『ただならぬぽ』ふらんす堂

ガスコンロが点かずリアタイヤが斜めな日、田島健一『ただならぬぽふらんす堂を読む。〈蛇衣を脱ぐ心臓は持ってゆく/田島健一〉脱がれる蛇衣のなかで何が行われているかを人は知らないがゆえに、「心臓を持ってゆく」は斬新さと適切さを備えている。〈帆のような素肌ラジオのように滝/田島健一〉帆とラジオで夏空へ景が広がる。そして滝風を浴びる素肌。〈郵便の白鳥を「は」の棚に仕舞う/田島健一〉「し」の棚ではないということ。〈家のところどころを直し潤目鰯/田島健一〉日曜大工のあとSh音が脳に残る。〈寒椿空気のおもてがわに咲く/田島健一〉空気のおもてがわとは裏拍に対する表拍のようなものか。〈芽吹く江ノ島天国のようなパーマ/田島健一〉橋を渡って行ける極楽浄土のような春先の江ノ島、そこにいたパンチパーマの男。〈菜の花はこのまま出来事になるよ/田島健一〉出来事は「ふと、起こった〈こと/事件〉」(三省堂国語辞典第七版)、「ふと」のさりげなさが菜の花っぽい。〈遠雷やぽっかり空いている南/田島健一〉北と南であきらかに雲の量と空の色が違う景の大きさ。動の北と静の南と。〈内側の見えぬ小学校に雪/田島健一〉外側だけは見えていて、内側は確かに存在するはず。その外側を覆うように降る雪、内側はますます遠くなる。内側は明治なのかもしれない。

着ぶくれて遊具にひっかかっている 田島健

塩野谷仁『夢祝』邑書林

西部清掃工場を見学した日、塩野谷仁『夢祝邑書林を読む。〈噴水のむこうの夜を疑わず/塩野谷仁〉噴水のこちらの夜と噴水を通して向こう側にある夜とが異なるかもしれない、なんて思わせる夜の噴水の魔力。疑わずとは疑念ありということ。〈短夜のはるかなものに土不踏/塩野谷仁〉「はるかなもの」と大きく出て土踏まずと矮小に、夏の夜ならどこへでも足で歩いて行けそうな気になる。〈鳴けぬ虫きつといる筈虫しぐれ/塩野谷仁〉きっと自分もかつては「鳴けぬ」側だったのだろう〈啞蟬をいくつ囲んで蟬しぐれ/塩野谷仁〉も似た視点。〈ポケットに黒豹のいる二月かな/塩野谷仁〉二月の夜、忍びよるような静けさ。〈やわらかく剃刀つかう花の闇/塩野谷仁〉光に満ちた冷たさが花の闇と剃毛の肌に残る。〈青梅に触れれば遠き日の火傷/塩野谷仁〉疼くような青梅の瑞々しさは火傷の痕にも似て。

分別のなき日なり蝶真白なり 塩野谷仁


浜松市西部清掃工場

俳句の基底部と干渉部

〈山里は万歳遅し梅の花芭蕉〉について、

俳句の興味の中心を占めるのは、強力な文体特徴で読み手を引きつけながら、それだけでは全体の意義への方向づけをもたない(あるいはその手がかりがあいまいな)「ひとへ」の部分、行きっぱなしの語句である。これを「基底部」と呼ぼう。一方、さきの句の「梅の花」のように、その基底部に働きかけて、ともどもに一句の意義を方向づけ、示唆する部分を、「干渉部」と呼ぶことにしよう。(略)黒はどこまでも黒い、黒よりも黒いという「誇張法」hyperboleと、それから、黒白という両極端を持ち出して、黒は白い、実は白なのだという「矛盾法」oxymoronとである。(略)俳句は基底部内の誇張(重複)と矛盾(対立)によって文体的興味をそそり(矛盾を本質とする)、干渉部との重複や対立によって一句の意義を方向づける(重複を本質とする)という基本構造をもっていることがわかる。(川本皓嗣『日本詩歌の伝統』岩波書店

俳句を基底部と干渉部から成り、修辞法には矛盾と誇張の二種あるという説。川本は特に基底部を重要視する。

基底部に表現面の矛盾を含まないものは、そもそもはじめから句の体をなさないのであって、少なくとも芭蕉以後に関するかぎり、いわゆる「俳諧根本」としての滑稽あるいは「俳意」は、まさにそうした基底部の文体上の意外性を指すものと考えられる。(川本皓嗣『日本詩歌の伝統』岩波書店

ただし〈行く春を近江の人と惜しみける/芭蕉〉のように句全体が基底部で「近江」が干渉部の役割を果たす句もあるという。中島斌雄の「屈折」や「曲輪を飛びだす」などが「基底部の文体上の意外性」や斬新さにあてはまるだろう。そして基底部と干渉部のつなぎ目は切れとは限らない。

 

 

藤永貴之『椎拾ふ』ふらんす堂

第3回浜松私の詩コンクール浜松市長賞をいただけるとハガキで知らされた日、藤永貴之『椎拾ふふらんす堂を読む。〈一滴を余すことなく瀧凍てにけり/藤永貴之〉この全と一の対比へのこだわりは〈瀧水の全部が粒に見ゆるとき/藤永貴之〉はもちろん〈若布刈舟一つ遅れて加はりぬ/藤永貴之〉にも見える。〈閉園の楽とぎれ噴水とぎれ/藤永貴之〉同時にとぎれたのではなく次々に、賑やかさと勢いと、それらの消滅と。〈穴惑流れに落ちて流れけり/藤永貴之〉惑っているからコントのように流れけり。〈黴の宿釘一本の帽子掛/藤永貴之〉宿としては意外性に満ちており、黴の宿ならもしかしたらありそうかなと思える程よい感じの、武骨な釘一本。〈流星やボンネットまだあたゝかく/藤永貴之〉流星の余韻とボンネットにある何かの余熱との共鳴。〈冬雲のとぎれめのなくひろごれる/藤永貴之〉「とぎれめのなく」に呼吸できないほどの厚ぼったさと織物めく繊細さが同時に共存する。〈三日月の何照らすなく落ちかゝる/藤永貴之〉「何照らすなく」はいちいち心に留めないということ。こだわりなく落ちる。〈蟷螂の創ひとつ無く死んでをり/藤永貴之〉中七と下五はよく考えれば矛盾しないけれど、創ひとつで死ぬこともあるのだから一読ではふと違和感が芽生えるかもしれない。

伊都國の夜の暗さや牡蠣啜る 藤永貴之

中嶋憲武『祝日たちのために』港の人

狭義の単調減少ならば単射なので逆関数が存在する日、中嶋憲武『祝日たちのために』港の人を読む。〈いなびかり群馬練馬をすみれいろ/中嶋憲武〉M音の暴力が脳裏に稲光のように菫色の傷として残る。〈品川の底冷粗品知る暮らし/中嶋憲武〉サ行に擦れゆく都会暮らし。〈ぽーつとしてとほい菜の花傘より雫/中嶋憲武〉「ぽーつ」の擬態語は傘を持つ人そのものであり、その人のつぶやきのように傘から垂れる雫であり、田園風景の片隅にある菜の花の曖昧さ。〈辛い教訓虹に書かれるべき言葉/中嶋憲武〉教訓と言葉は対義語のようで、スペクトラム、半ば融合している。〈傘ひらく音して古き蜥蜴あり/中嶋憲武〉傘ひらく音は雨の予感であり、一方的に降る雨をはねのけ、遡る時間の端緒でもある。〈空風のからりと影の生えてくる/中嶋憲武〉空風に揺れる木や剥がれる板の影が増える。それは生の裏側で繰り広げられる世界の伸展である。

サンドウィッチの匂ひのなかの蜃気楼 中嶋憲武