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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

第三回浜松私の詩コンクール入賞作品を読む

浜松市桂冠詩人になりそこねた。第3回浜松「私の詩」コンクール一般の部において「私はパンではありません」という詩で浜松市長賞をいただいた。しかし新型コロナウィルス感染症防疫のため3月15日の表彰式は中止になった。前日の14日には詩部門で浜松市民文芸賞の表彰を受けるはずだったのに、これも中止になった。残念なので浜松私の詩コンクールの他の入賞作品をいくつか読む。浜松市遠州地域に詩の文化が根づき繁るように。

小学生の部

浜松市長賞の岡田桜知「池」、擬人法を小学四年生にして駆使している。「風が木をゆらしている ぼくに みなもをつけて」の描写が秀逸。浜松市教育委員長賞の矢野舞希「星」は「この時間がほしいと願いながらも/星も時間も分からないように/ひっそりと進む」の明喩がなかなか読ませる。

中高生の部

浜松市長賞は外山里菜「柳川」、福岡県の「水の都」だろうか。川下りの風景から声を媒介に一挙に宇宙まで世界を広げる。言葉にひねりはないけれどまっすぐな言葉で自然と命と向き合っている。浜松市教育長賞は鈴木里子「あなた」、誰か身近な人との死別だろう。「もう」「何度も」「最後まで」「そして」「やっと」など頭韻を踏むことで悲痛なまでの思いを段階的に膨らませている。中日新聞賞は奥暖葉「変態」、「どうにか持ち上げて/向かう先は風呂場で」を軸として「て」の脚韻が最後まで断定しきれない気持ちをよく表現している。遠州灘賞の山本彩心「舞台」、「私達はこのきんちょうを/成長していくのだ」で舞台なら照明を集めるだろう。詩季賞の影田れい「あり」は最終行の意外さで心に残る。

一般の部

浜松市長賞は私の「私はパンではありません」なので割愛。浜松市教育長賞は袴田ひかり「午前0時」、「ガス灯」や「封蝋」といった言葉がひとつの世界を創っている。「退屈を持て余しているのなら いいでしょう/煩わしいくらいが/ちょうどいい」なんかポップソングみたいなソーダ水。静岡県詩人会会長賞の熊谷文昭「戯画!受験生」は「NGOとNPOは相似でも合同でもない」を愛唱したい。詩季賞の村口宣史「鬼門」は「おまえの内側にある外因」とかカッコいい。