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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

仙田洋子『はばたき』角川書店

「現代俳句」の四月号のティータイム に私の小文が載ると伝えるハガキと第3回尾崎放哉賞で入賞との知らせが郵送された日、仙田洋子『はばたき角川書店を読む。〈さびしさを知り初めし子も手毬つく/仙田洋子〉人がさびしさを知らるのはいつなのだろう〈手毬つくだんだんはやくおそろしく/仙田洋子〉。〈豆撒の父の白髪かがやけり/仙田洋子〉白髪がこの世のものとは思えなくなるほど鬼めいて輝く旧暦の去年今年。〈雛のみな息絶えてゐる雛の闇/仙田洋子〉息絶えは字面のとおりであるけれど、あたかも雛に生命があってそれが絶えたかのように読める、読ませる。〈青銅の馬身の如く冬来る/仙田洋子〉蹄の音高く、緑青色に来る、蒼褪めて来る。〈鳥影におびやかさるる春障子/仙田洋子〉障子いっぱいの四角い春光という明るさあってこその鳥影、実態は隠れて見えないがゆえに化物の影じみて。〈渚までピアノを運ぶ星月夜/仙田洋子〉きっとピアノの鏡面塗装に星が映る、波の音にピアノの音が溶け込む。〈香水の減るよりも疾く子の育ち/仙田洋子〉香水と子の成長、この比較は液量でするのか背丈でするのか基準を混乱させ、時間感覚をおかしくさせる。〈足首に足首のせて海の家/仙田洋子〉一人の足首かもしれないし、二人の足首かもしれない。いずれも海の家の寛いだ雰囲気が出ている。〈Tシャツの穴より覗く雲の峰/仙田洋子〉ダメージ加工のTシャツを干しているのだろう。Tシャツの白が青空にはえる。〈未来すぐ来るよ七五三の子よ/仙田洋子〉未だ来ずと言っておきながら「すぐ来る」、しかしそれも七五三で感じる成長の早さにとって適切。

柚子のみなしづかにまはる柚子湯かな 仙田洋子