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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

第三回尾崎放哉賞受賞作品を読む

第三回尾崎放哉賞入賞作品が発表になった。〈胸の穴を翅のない蝶がとおりぬけた/以太〉は入賞した。受賞作品のうち気がかりな句について読む。〈ネギ切る音がまっすぐな雨になる/井上知子〉「ネギ切る」で区切って読むか「ネギ切る音が」まで続けるか。前者ならば音はネギを切る音だけでなくてもよく、「ネギ切る」という行為の儀式めいた様があらゆる音をまっすぐな雨にさせる不思議な世界を創り出す。「雨になる」の五音で厨の小さな景から急速に大きな空の景へ広がるのは技術だ。〈古写真の中に整っている家族/黒瀬文子〉フルシャシン、「整っている」の言葉から破綻した家族の姿が浮き上がる。大賞も春陽堂賞も地下水脈に「X+八五」が見え、総拍数も十七と十九で十七音に近く、五七五定型を意識しているのだろうか。〈母も知らない母の骨を拾う/十月十日〉七六三、H音の頭韻が遺骨の虚ろな感じを演出している。自分の骨のすべてを知ることなく人は死ぬのだという事実に打ちのめされる。〈春風強く吹く私は優しくない/野田麻由可〉九十で切れる。風ではなく春風にしたのは定型から離脱するためであり「私は優しくない」との違和感を出すため。〈あいつの通夜から帰った傘の雨切る/本山麓草〉台詞めく十二音に七音を添える。ただ添えただけかのような乾いた感じがカッコいい。永訣への意思。〈物語ひとつ終らせてお茶にする/丹村敦子〉物語は桃太郎みたいな昔話だろうか。「物語ひとつ終わらせて」の神話的壮大さと「お茶にする」の落差が愉快だ。もしかしたら物語を途切らせると殺されてしまうシェヘラザードなので次の物語をはじめるために喉を湿らせているのかもしれない。〈ひとひらちらす手話の生きろ/岩渕幸弘〉七三三、手話に命令形があるのかは知らない。けれど手話の「生きろ」を花弁を散らすように手向けるなんて、照れる。三三と短く言い切った鮮やかさ。〈麦わら帽で隠せる涙だった/藤井雪兎〉涙を隠したい相手はもしかしたら背が高いのかもしれない。麦わら帽という小道具で相手との関係のようなものを巧みに表現している。〈砂時計の中蜥蜴の鱗が落ちる/熊谷京香〉砂時計と蜥蜴の組み合わせに千一夜物語めく美意識を感じる。ただ同じ作者の〈おばあちゃんの笑い皺は迷路/熊谷京香〉の方がおばあちゃんの顔の目鼻口のあったあたりを暗く溶かして迷路に描き変えてしまうシュルレアリズム絵画のような怪しさを感じる。笑い声だけが笑っている。〈机の上で知らないくじらが死んでいるような世界/堀和希〉机上にまず収まりきらないくじらを死なせて机上に収まらせたのだからその世界からは鏡が喪われているはずだ。七<八<十一という単調増加が不安を掻き立てる。〈クレヨンで描き潰したあの日の夕日/島本琉風〉「クレヨン」が「あの日」への遠さを、「描き潰した」が何かに夢中になれた日々であったことを伝える。アノヒノユウヒ、ヒ音に悲しいほどの懐古がある。