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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

村上鞆彦『遅日の岸』ふらんす堂

新型コロナウィルスのおかげでマスクやトイレットペーパーが売り切れ文化イベントが自粛ムードで一斉休校なのに、それでも仕事はある月曜日、村上鞆彦『遅日の岸』ふらんす堂を読む。〈噴水の力を解く高さかな/村上鞆彦〉噴水を「解く」と言う楽しさ。重力とかそういう話は要らない。〈枯蓮の上に星座の組まれけり/村上鞆彦〉死にゆく枯蓮と生きているように燃える星のつらなりという対比。「上に」は地球上とはるか何万光年もの先の宇宙を表現しているけれど、あたかも二つが近くにあるように読める。〈花の上に押し寄せてゐる夜空かな/村上鞆彦〉夜桜となる前の一刻、海嘯のように夜空が暖色に押し寄せる。〈街空の鷗を春のはじめとす/村上鞆彦〉何気ない街の何気ない空の何気ない鷗を春のはじめ、なんて呼んでみて。〈鯉病めり雪はひたすら水に消え/村上鞆彦〉水に消える雪はとりかえしのつかない時間の譬喩として。〈真清水にたくさんの手の記憶あり/村上鞆彦〉縄文の世から多くの人々に愛飲されている真清水。〈日盛りのぴしと地を打つ鳥の糞/村上鞆彦〉眩いほどの夏の地へ「ぴし」と音が響くのが生命って感じだね。〈木枯しや石屋の墓石みな無銘/村上鞆彦〉これからの死者のための無銘。〈弓入れて袋の長し花の昼/村上鞆彦〉袋はもとより長かったのではなく弓を入れたことで長くなったのだ。部活帰りの生徒のいるのどかさ。〈蟬鳴いて少年にありあまる午後/村上鞆彦〉「ありあまる」のA音が夏の緩み。

さへづりやみな素足なる仏たち 村上鞆彦