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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

塩見恵介『隣の駅が見える駅』朔出版

未明、『隣の駅が見える駅』を読んだ。〈リポビタンDの一滴昭和の日/塩見恵介〉ヒロポンにせよリポビタンDにせよ、昭和はそんなまがいものじみた薬物で動いていた。〈ゴールデンウィークアンモナイトする/塩見恵介〉巣ごもりの日々である。〈のりたまの黄色ばかりのこどもの日/塩見恵介〉あの鮮やかすぎる黄色にだまされるのはこども、しかも男の子くらい。〈惑星別重力一覧的蜜豆/塩見恵介〉不揃いだけど同一系にあるお豆さんたち。〈世の中をちょっと明るくする水着/塩見恵介〉世間を明るくするために脱ぐ女の子たちがいる。〈ライオンの体温洗う雷雨かな/塩見恵介〉「ライオンの体温」に獅子の威厳を観る。〈内陸の雨季を想っている西瓜/塩見恵介〉長野県とかの水を含んで大きくなって送られてきた西瓜なのかな。〈元カレを案山子にかえて六体目/塩見恵介〉魔女である。〈鈍行のドアの開くたび大晦日/塩見恵介〉夜の鈍行がいい。その暗さ、遠くの灯り、歳末。〈釣り人に背広が一人春夕べ/塩見恵介〉サボってきたのか、昔風の背広しかふくを持っていない人か。いずれにせよそういう面白そうな背景のある釣り人。〈赤く塗るティラノサウルス其角の忌/塩見恵介〉浮世絵に出てきそうな恐竜、其角を俳句恐竜と呼んでみたくなった。

 

 

吉田隼人『忘却のための試論』書肆侃侃房

目が覚めてしまった午前三時に『忘却のための試論』を読む。〈旋回をへて墜落にいたるまで形而上学たりし猛禽/吉田隼人〉決して幾何学ではない、まず見えもしない。〈枯野とはすなはち花野 そこでする焚火はすべて火葬とおもふ/吉田隼人〉生と死は表裏であり同面で起こりうる。〈わが脳に傘を忘るるためだけの回路ありなむ蝸牛のごとき/吉田隼人〉私の脳のぐちゅぐちゅの部分として。→〈もう傘をなくさぬ人になりにけり、と彫られて雨滴ためる墓碑銘/吉田隼人〉も。傘忘れという属性。〈季節ごとあなたはほろび梅雨明けの空はこころの闇より蒼し/吉田隼人〉「蒼し」が深い、ほろびののちに心の隅々までその色に濁る。〈喪、といふ字に眼のごときもの二つありわれを見てをり真夏真夜中/吉田隼人〉それらは死者の世界からの視線。〈わづらひてねむりてさめて雨ふりのどこかラジオのうたごゑがする/吉田隼人〉遠くのラジオは何かの予兆のように聴こえることがある。〈おつぱいといふ権力がなつふくの女子らによつて語られてゐる/吉田隼人〉乳房は権力、パイスラッシュは権威。〈霊といふ字のなかに降る雨音をききわくるとき目をほそめたり/吉田隼人〉雨冠の漢字のなかで霊はもっとも雨から遠いかも。〈ゆめにのみいづる土地ありそのゆめにかきかへられてゆく地政學/吉田隼人〉夢の土地は現実の土地を支配する。なぜなら人々には現実を離れ、夢へ旅立とうとする力能があるから。〈きたよりのしほかぜうけて歸化植物もきみの恥毛もつめたくなびく/吉田隼人〉あたたかくそよぐのではなくつめたくなびく。凍るかのように。

政體の性感帶にふるるときうみのくろさにゆびはそまりぬ 吉田隼人

 

 

佐佐木幸綱「群黎」『現代短歌全集』筑摩書房

〈海岸の跡地へ梅雨の星降れり/以太〉が麦誌上句会テーマ「海岸」の特選になっているのを確認した日、「群黎」を読む。〈何を聴く耳密林を繁らせてアフリカの地図わが裡にある/佐佐木幸綱〉アフリカの耳はいま砂漠、でも密林のほうがいい。〈ボーリング場の少女の腰細しふり返りざま恋の目をせよ/佐佐木幸綱〉ボーリング全盛の時代か。〈語らんは若き人麿北風に冴えてわが街ふいに天に尖れば/佐佐木幸綱〉北風にきたとルビ、「わが街」はわが心である。〈古歌に激しく切られてすがしストーヴの炎しずかにうねる夜更を/佐佐木幸綱〉古歌の鋭さが切ったのだ、切りつけたのだ。〈セーターの乳房の重み手に受けて揺れ揺られいるラッシュは情時(学生)/佐佐木幸綱〉現代でなければこんな歌も書けるのか。〈立ち泳ぎの吾を残して夕暮るる錆色の海藍の島山/佐佐木幸綱〉劇的な夕暮れの海に浸かる男一匹。〈じんじんとジンが沁みゆく内側はわが闇の沼夏の夜更けの/佐佐木幸綱〉「わが闇の沼」か、そういう心理状態なのか。

山階基『風にあたる』短歌研究社

『風にあたる』を読む。〈ヘアムースなんて知らずにいた髪があなたの指で髪型になる/山階基〉髪が髪型になるとき、やさしい指がかかわる。〈真夜中の国道ぼくのすぐ先を行くパーカーのフードはたはた/山階基〉真夜中の原付を追いかける。〈二十歳でも煙草やらないぼくたちを締め出して喫煙所にぎやか/山階基〉喫煙所へ締め出しているのではなく、その逆転として自らを捉える。〈雨が降りだしたみたいに郵便は届きふたつの宛て名を分ける/山階基〉配達原簿に記載されたのだろう。もう次々に来る。〈待ちわびた姿だけれど目の前にあらわれるまで思い出せない/山階基〉おぼろげには覚えているけど像を結ばない待ちわび。〈ラーメンがきたとき指はしていないネクタイをゆるめようとしたね/山階基〉着目点がいい。そこにないネクタイを見ている。〈牛丼の残りわずかをかき込めば有線にいい曲がはじまる/山階基〉どんぶりに音が反響してよりよい曲になる。〈いまは冬か春かすこしもめてから包みをやぶる音だけになる/山階基〉贈り物を開く、季節をひとつずらすように。〈はぐれ雲ひとつ浮かべてがら空きの元日をゆく各駅停車/山階基〉行き先の見当たらなさが元日っぽい。〈濡れた身を夢のみぎわへ引き上げて暮れがたの眼を風はかわかす/山階基〉あらゆる身体のうち常に涙のわく眼を乾かす風というふしぎ。〈くちぶえの用意はいつもできているわたしが四季をこぼれたら来て/山階基〉巡りから外れたのなら社会に従わなくてもいい。

 

 

谷川由里子『サワーマッシュ』左右社

静岡県浜松市にも蔓延防止等措置が適用された。〈日当たりのいい公園のブランコは夜になってもギラギラしている/谷川由里子〉余熱のようにして、昼がそこだけ続いているかのように。〈ルビーの耳飾り 空気が見に来てくれて 時々ルビーと空気が動く/谷川由里子〉他人に見せる耳飾りではない。〈からだをもっていることが特別なんじゃないかって、風と、風のなかを歩く/谷川由里子〉読点のぶつ切りが風から息を取り戻したかのよう。〈少しずつ透明になるはつなつの学芸会で虹を演じた/谷川由里子〉「少しずつ透明になる」がかかっているのは虹、だ。〈連絡網を好きだったのは雲のような吹き出しでつながっていたから/谷川由里子〉漫画のような連絡網。〈心臓を心臓めがけ投げ込むとぴったり抱きしめられる雪の日/谷川由里子〉心臓の延長としての肉体と肉体とが重なる、雪のなか。〈珈琲が体の一部になったのでこぼさず歩くことができます/谷川由里子〉たぷたぷ音がする。

 

 

江戸雪『椿夜』砂子屋書房

磐田市中央図書館で借りた『椿夜』を読む。〈思い出す旅人算のたびびとは足まっすぐな男の子たち/江戸雪〉確かに算数の文章題に女の子はあまり出てこない。〈水平な音のながれる冷蔵庫君はわたしを忘れつづける/江戸雪〉冷蔵庫の「水平な音」とは何なのか? 音なき音なのか? 冷蔵庫のなかは見えず、水があることさえ忘れることができる。そのように忘れられる。〈このわれを女と呼ぶな真夜中にくろぐろと胸つきだきている/江戸雪〉「くろぐろ」の冷えた物質感。〈身体はただいれものにされてゆく蛾がふれてゆく脹脛かな/江戸雪〉蛾は虫の我である。〈Jくんの郵便箱に鳥ねむりぬるぬるともりあがる暗天/江戸雪〉郵便受箱は何か黒いものの増幅器かもしれぬ。〈円卓にひた置く銀の水筒のわれらを細くうつしていたり/江戸雪〉そこだけが家族の幸せであるかのように。

伊藤一彦『微笑の空』角川書店

磐田市中央図書館で借りた『微笑の空』を読む。〈いつよりか男もすなるごみ出しをわれも励めり当然として/伊藤一彦〉新時代を生きるために必要なこと。〈兵役を経ずに六十代になりたりとゴミの袋を出しつつ思ふ/伊藤一彦〉も。〈鉛筆の尖りて赤し 憎しみに武器とならざるものなき教室/伊藤一彦〉憎しみさえ抱けば全てを武器とすることができる。〈「一斉」をきらへるゆゑに給食も授業も拒み家にゐる少女/伊藤一彦〉かつて「みんな」に苦しめられてきたのだ。〈あまりにも「いい子」の君は手首切る過剰期待はすでに虐待/伊藤一彦〉脚韻はすでに語と語に意味的なつながりを表す。さらにその上に構文でのつながりがある。〈よき長男よき委員長のこと生徒よく磨かれし嵌め殺し窓/伊藤一彦〉「嵌め殺し窓」の語の強さとそれまでの柔らかさとの落差。〈沿道に立ちて媼の売りをれば婆篦アイスと地の人言へり/伊藤一彦〉高知のアイスクリンと秋田のババヘラアイス。

小林理央『20÷3』角川文化振興財団

五歳から十五歳までの歌とのこと。〈道ばたのポストの口は今までに何回手紙を迎え入れたの/小林理央〉「おまえは今まで食べたパンの数を覚えているのか」とポストに言われそう。〈人間が生まれて初めて見る空とさいごに見る空おんなじ青かな/小林理央〉そのうち「青」ではないと知る。なぜなら〈雪の色何色かって聞かれたら白と答えない人になりたい/小林理央〉だから。〈夕立に濡れてみたいというよりは私が夕立になって降りたい/小林理央〉大人になった。

奥田亡羊『亡羊』短歌研究社

磐田市中央図書館で借りた『亡羊』を読む。〈宛先も差出人もわからない叫びをひとつ預かっている/奥田亡羊〉そして、ときどき誤配したりする。〈のどかなる一日を死者よりたまわりて商店街のはずれまで行く/奥田亡羊〉慶弔休暇だろう。悼むべきだが少し心は浮つく。〈つり革に腕を1000本ぶらさげて明日の平和を祈願している/奥田亡羊〉満員電車という日常こそが平和へ連なる。〈宵宮の金魚すくいの店の上に大きなる赤い金魚ともりぬ/奥田亡羊〉こういうオドロオドロとした装置が日本の昔からの祭そのもののようだ。〈何もない部屋の日暮れに点してはガスの炎を楽しんでいる/奥田亡羊〉青い火は暖炉のように。〈辞令書の四隅の余白広々とさあどこへでも行けというのだ/奥田亡羊〉辞令書の余白の広さは自由のようだが、あくまでもそれは辞令書なのだ。〈明日もまた何もするなと言うような私自身の夕暮れである/奥田亡羊〉そんな夕暮れの空の色であるというのだ、無力感。〈いいと言うのに駅のホームに立っていて俺を見送る俺とその妻/奥田亡羊〉俺?

石川美南『砂の降る教室』書肆侃侃房

折込チラシと段ボールで七夕飾りを作った日、『砂の降る教室』を読む。〈親知らずの治療控へてゐるごとき夕立雲を見上げをるなり/石川美南〉不安と郷愁と逃亡癖とが積み重なったような夕立雲だろう。〈半分は砂に埋れてゐる部屋よ教授の指の化石を拾ふ/石川美南〉この古い校舎が実在しなくても構わないと思えてくる、地点の記録。〈満員の山手線に揺られつつ次の偽名を考へてをり/石川美南〉駅ごとに名前と人生がある。〈海底の匂ひをつけて帰る人 開けつぱなしのピアノのやうに/石川美南〉そうかピアノの内側のあの匂いは海底の匂いだったのか、音もまた海底の音。〈虫籠を二時間かけて選びたり森の暗闇ども覚悟せよ/石川美南〉風の谷のナウシカの逆、近代科学的な思考としての「覚悟せよ」。〈カーテンのレースは冷えて弟がはぷすぶるく、とくしやみする秋/石川美南〉高貴と見せかけて学校生活という卑俗に裏打ちされている。〈グランドピアノの下に隠れし思ひ出を持つ者は目の光でわかる/石川美南〉自作の「海底の匂ひ」からの連想だろう。〈ブラインドに藤棚映り書評でしか知らない本のやうな明るさ/石川美南〉本物を知らないほうがよいこともある。

 

 

榊原紘『悪友』書肆侃侃房

※ 二読目です。(一読目)でも諸事情により書き終えらなかったので、途中まで載せます。

 観念への憧れがある。実際の名は実体を表さないし、表された実体も歪で観念には至らない。

五千年後の語彙を想像してみてよ ティースプーンでスコーンを割る 榊原紘

 なぜ「ティースプーン」で「スコーン」というティーではない、おそらく硬い食品を割ったのかを榊原は問う。ティースプーンは五千年後にはスコーンスプーンという名に変わっているかもしれない。新商品の開発にも利用されうるような、ことばへの基礎的な問いに満ちた歌集、榊原紘『悪友』書肆侃侃房を読む。

店名の由来はスペルミスらしい指先だけをおしぼりで拭く 榊原紘

 実際の店舗かどうかはどうでもいい。焦点は「スペルミス」にある。スペルミスで決められた店名が店名としては正しいスペルでグーグルマップや駅前の地図やホットペッパー食べログに載っていることを読み手に想像させる。その指先はスペルミスらしい「店名」に触れて経路を検索したのかもしれない。正しさへの疑念を拭うようにおしぼりで指先を拭く。今まで正しいと信じてきたことばが、実は誤記であったかもしれないと読み手に反省させる。

文字化けのむこうにあった文字のよう振り向く前のあなたの貌も 榊原紘

 文字化けと文字の関係はスペルミスの店名と正しいスペルの関係と似ている。下の句の振り向く前のあなたの貌は文字の方だから、実際振り向いて見たあなたの貌は文字化けでスペルミスということになる。

指にあるときに指輪は線であり、由来にまつわる話がしたい 榊原紘

 ティースプーンとスコーンへの疑問と同じつくりをしている。確かに指輪は指線とも言うべきで、輪ではなく曲線として見える。指のせいで決して輪には見えない。指輪と名付けられたとき、それは指に嵌められていなかった。つまり指輪は指の輪ではなく指への輪だったかもしれない。

 ことばへの疑念は社会をつくる仕組みへの疑念である。このような疑念は社会へ怒りや不安を持つ者が抱くことが多い。

半袖は実際三分袖だよね 次暮らす街ってどんなとこ 榊原紘

 五分袖に満たない物を半袖と呼ばなくてはならないのである。日常に知性と論理は屈する。

機嫌なら自分でとれる 地下鉄のさらに地下へと乗り換えをする 榊原紘

 「地下鉄」は地下を通る鉄道で、「さらに地下へと」と榊原は付け加える。地下のさらに地下はそれでも地下でしかないのだが、そこを通る鉄道に新しい名前をつけられそうな気もする、地下地下鉄とか。

 「機嫌なら自分でとれる」は感情のかたちへの推察である。感情とひとくくりに呼んでしまっていたものにストア派のように名前をつけて分類し自分でコントロールしようとする。たとえば衝動と同意のように。名前をつけることで感情というものの原因と結果を分類し、把握する。

ことばから補助輪が外されてなお漕ぎ出した日のことを言うから 榊原紘

 子供のときはことばは与えられるもので、社会から与えられた意味を補助輪のようにして生きていけた。しかし自分でことばに意味を与え、名前をつける能力が身についたとき補助輪は外される。「なお漕ぎ出した」人はどんな意味をことばに与えるだろう。

舌という湿原を越えやってくるやさしくなりきれない相槌よ 榊原紘

 舌と湿原が強い比喩の関係になるためには舌蕾の形状だけではなく、舌→ことば→失言→シツゲン→湿原という連なりが必要だ。

ゴミの日がかわりますって回覧をまわすくらしに飛び地はなくて 榊原紘

マーガリンなしでジャムだけ塗る朝に飛び級みたいにこいびとになる 榊原紘

 「飛び地」「飛び級」は同じような使い方をされている。町内会の回覧を回す日常とパンにマーガリンを塗ってからジャムを塗る日常、前者はないもの、後者はそうしてみたことの喩えとして表される。

 

悪友

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千葉聡『微熱体』書肆侃侃房

雨続きで滅入る日、『微熱体』を読む。〈教科書など鞄の底に押し込んで夏は海辺のホテルでバイト/千葉聡〉本の形がはみ出た鞄を持って毎朝海へ通う、光り。〈コンビニまでペンだこのある者同士へんとつくりになって歩いた/千葉聡〉創作に手を染めた罪深い二人だけどお似合いの二人として。〈二人して交互に一つの風船に息を吹き込むようなおしゃべり/千葉聡〉今そこで言わないと何かが破裂しちゃいそうなおしゃべり。〈半分だけポストに入れた朝刊は超夜型の天使の羽かも/千葉聡〉配達短歌のひとつの到達だろう。〈ボクサーと走る夜明けの海沿いの道 足音の残響を聞く/千葉聡〉定型を外れた「道」が際立つ。〈セロテープ引きだし続けているような雨音 渋谷は空に傾ぐ/千葉聡〉渋谷という湿気都市が好配置。角海老の裏手、東急ハンズ感がある。〈演劇論をたたかわせてもコカコーラ、アイスコーヒー見た目は同じ/千葉聡〉黒い液体、褐色に泡立つのは同じ。飲んでみないと分からない。〈真夜中の屋上に風「さみしさ」の「さ」と「さ」の距離のままの僕たち/千葉聡〉発見の詩。〈海岸へ続くレールに捨てられた手紙は雲の影に轢かれて/千葉聡〉海と空と大きな景のなかの手紙の小ささ、されど大事さ。

 

 

穂村弘『シンジケート』講談社

〈別件の顔をしてくる会社員/以太〉が麦誌上句会テーマ「別」特選になっているのを見た日、『シンジケート』を読む。〈郵便配達夫の髪整えるくし使いドアのレンズにふくらむ四月/穂村弘〉郵便配達夫にメイルマンとルビ、そういう時代もあったのだろうか。今はみんなヘルメットを被っているし、そんな人見たことない。〈「とりかえしのつかないことがしたいね」と毛糸を玉に巻きつつ笑う/穂村弘〉失うために努める。〈夕闇の受話器受けふいに歯のごとし人差し指をしずかにおけば/穂村弘〉受話器受けにクレイドルとルビ、押せば引っ込む歯として。〈マジシャンが去った後には点々と宙に浮かんでいる女たち/穂村弘〉女たちの顔を想像するとおもしろい。ソラリスのような表情だろうか。〈はしゃいでもかまわないけどまたがった木馬の顔をみてはいけない/穂村弘〉視界に入らない世界は存在しないはずだから。自分の乗っている車の前面は見ないものだから。〈彗星をつかんだからさマネキンが左手首を失くした理由は/穂村弘〉何気ないものの気づきにくい不思議を明かす。〈自転車の車輪にまわる黄のテニスボール 初恋以前の夏よ/穂村弘〉そんな奴いた。憧れていた。〈象に飲ませる林檎の匂いのバリウムが桶いっぱいにゆれる月の夜/穂村弘〉いまはインターネットのグーグル検索で何でも調べられちゃうからあきらかな嘘は書けず現実の裏側しか書けないけれど、グーグル検索が未発達な時代はなんでも書けた。詩になった。グーグル検索はいくつかの詩を殺した。〈パレットの穴から出てる親指に触りたいのと風の岸辺で/穂村弘〉誰の指か知らないけど触りたくなる。やわらかいのか。〈終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて/穂村弘〉一時期すっごい影響受けた歌。でも記憶では朝焼けのイメージだった。〈アルキメデスのように駆けだす淫売は肩にシャボンの泡のせたまま/穂村弘雄琴で火事だ。〈査定0の車に乗って海へゆく誘拐犯と少女のように/穂村弘〉なんでもないものでいられず自分にレッテルを貼ったり値段をつけたりする。

 

 

『鈴木裕之俳句集』昭和年間、海坂発行所

昭和年間の句を読む。〈栗園に花の渦まく農学部鈴木裕之〉○学部の句は好き。〈真菰刈りて月に火星の隣り合ふ/鈴木裕之〉真菰生ふ川から天の川、宇宙を連想する。〈明日登る峰尖りをり吊し柿/鈴木裕之〉筆柿だろう。〈島々に民話多しや枇杷熟るる/鈴木裕之〉民話とその民話からの派生とそれらの複合としての民話と。〈夕顔の蔓まつ青に震災忌/鈴木裕之〉まつ青は感情だろう。〈京丸の平家の山の男郎花/鈴木裕之〉京丸は北遠の地。平家の落ち武者伝説がある。〈囀りへ円形ポスト口を開く/鈴木裕之〉囀りとは対象的な、声なき口を開ける。〈酒倉に風行きづまる終戦日/鈴木裕之〉風は酒倉で絶える。

津川絵理子『夜の水平線』ふらんす堂

新静岡百町森へ行った日、『夜の水平線』を読む。〈受話器置く向かうもひとり鳥渡る/津川絵理子〉電話で気持ちは渡る。〈若狭より電気の届くふきのたう/津川絵理子〉原子力発電所とふきのとうの形状について。〈橋脚は水にあらがふ夏燕/津川絵理子〉夏燕も空気に抗うかたちであり、付句の要領だ。〈冬薔薇満場一致とはしづか/津川絵理子〉確かにそうである。異論がなければ静かだ。〈映写口の塵きらきらと梅雨に入る/津川絵理子〉強い光で塵が見える。連想が繋がらなそうだけど暗さが梅雨の感じなのだろう。〈ものの芽や年譜に死後のこと少し/津川絵理子〉死後に少しづつ知られてゆく人のことを思う。〈銭湯の屋根草黒し雲の峰/津川絵理子〉黒と白の対照、変わらないものと変わるものの対比。

晩涼や原田芳雄の煙草の火 津川絵理子