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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

所以143

  • パリ五輪のサッカーにウクライナイスラエルが出場するの、オリュンピア祭とは違うのだなと感じさせる。
  • われわれは「世界」の中に生きている。けれども「世界」は一つではなく、無数の「世界」が存在している。「世界」はいわば、〈世界〉そのものの中にうかぶ島のようなものだ。けれどもこの島の中には、〈世界〉の中のあらゆる項目をとりこむことができる。(真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫
  • 人間主義ヒューマニズム)は、人間主義を超える感覚によってはじめて支えられる。(真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫
  • 原生的な諸部族のあいだの自然物への「タブー」のあるものは、このようなエコロジカルな平衡感覚を母体としているかもしれない。(真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫
  • けれどもドン・ファンが生きているのは、このようなヒトとモノへの存在の排他的区分以前の、自然と人間とが透明に交流する世界である。そうであればこそ、彼らに新しい世界のある部分のゆがみや異変を、全体の、つまりは自己自身の病としてただちに感受して畏れるのだ。(真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫
  • まちがっていることへまちがっていると言ってしまえる愚かさもときには必要か。
  • ナインティー・ナイン(Ninety-Nine)
  • 文藝フルーツ
  • 従事すべき自分のプロジェクトが見つからないうちは新人賞など賞レースに参加すべきだ。見つかっているのならばそれらに参加すべきではない。
  • 病にはあと一度は勝つ。問題は、病んだ身が、山や川や海や雨や岩や湖といかに交換合歓できるのかということである。(新木正人「序」『天使の誘惑』論創社
  • 日本語は逃げる。限りなく逃げるのだ。全部逃げてしまって助詞助動詞しか残らない。(新木正人「序」『天使の誘惑』論創社
  • 中空に定点はない。ズレはない。定点がないからどこでも定点になり得る。だから「大和」は沈んだと思っている。中空とは「日本浪曼派」のたたずまいだ。(新木正人「序」『天使の誘惑』論創社
  • 水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水/服部真理子
  • イヴ産みし傷を合はせり熱帯夜/藤幹子
  • 動詞ver〈見る〉と動詞mirar〈眺める〉の違い。
  • ausschalten〈括弧に入れる〉、判断保留
  • 〈20エレのリンネル=1枚の上衣〉という等置は、商品世界の外にある人間にとって〈双生児は鳥である〉という命題とおなじようにナンセンスにみえる。(真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫
  • このような〈目の独裁〉からすべての感覚を解き放つこと。世界をきく。世界をかぐ。世界を味わう。世界にふれる。これだけのことによっても世界の奥行きはまるでかわってくるはずだ。(真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫
  • 私=禾 (穀物)+△(囲いこみ)
  • このことは農業生産と余剰生産物の蓄積、私的所有と個我の意識、文字言語の形成から、階層社会の形成と政治権力の析出に至る、いわゆる新石器革命の総体をみごとに集約している。(真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫
  • 「私」とは現実的には囲いこみであり、壁をめぐらすことである。(真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫
  • フロイトは現実によって夢を解釈し、『更級日記』は夢によって現実を解釈する。(真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫
  • 支配の欲求は同化的であり、出会いの欲求は異化的である。(真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫
  • 出会いの欲求は反対に、異質の個性、異質の集団、異質の思想の存在をこそ欲求する。われわれの考えるコミューンとは、このような出会いの欲求に基礎をおく関係性である。(真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫
  • われわれの自我の深部の異世界を解き放つこと。(真木悠介『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫