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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

所以141

  • なぜなら、革命が個人によって「主体的」に裏切られうるものなら、そこにはすでに「歴史の必然」という観念は存在しえないし、反対に歴史が必然的であるならば、スターリン個人の裏切りなど不可能なはずだからだ。(絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』ちくま学芸文庫
  • 川柳か彡柳
  • 第四十三条(高層建築物に係る郵便受箱の設置) 階数が三以上であり、かつ、その全部又は一部を住宅、事務所又は事業所の用に供する建築物で総務省令で定めるものには、総務省令の定めるところにより、その建築物の出入口又はその付近に郵便受箱を設置するものとする。(郵便法
  • 〈私+環境〉のレイアウトを自らの前に立つ肉体に、自らのレイアウトでもって半ば強制的に仮構させる装置としてのテクスト。あるいはそこから読み書きのプロセスの全体を一元的に定義づけていいくことで得られる「レイアウトの思考」としての言語表現――ひとたびそのように考えれば、あらゆる詩歌、あらゆる小説は、いくつもの〈私+環境〉の並べられ、重ねられ、すれ違い、拮抗する群れとして見えてくる。(山本浩貴「生にとって言語表現とはなにか」『新たな距離』フィルムアート社)
  • 高柳重信は、自身の改行俳句について、それは俳句にある曖昧さ(こうとも読めるし、あのようにも読める)を減らし、貧しく確定させようとするものだと語っている。その貧しさは、どこか幸福感に満ちた表情で語られる決定不可能性などとは距離をおいた、死と隣接する自己決定の苦しみとしてある。(山本浩貴「日記と重力」『新たな距離』フィルムアート社)
  • 多行形式/多行俳句≒改行俳句
  • 多くの日本人は、故郷の古い姿が破壊されて、欧米風な建物が出現するたびに、悲しみよりも、むしろ喜びを感じる。(坂口安吾『日本文化私観』)
  • 即ち、タウトは日本を発見しなければならなかったが、我々は日本を発見するまでもなく、現に日本人なのだ。(坂口安吾『日本文化私観』)
  • 電髪嬢
  • Filistin'e özgürlük
  • 日記という表現行為自体がまとう「私の持続の伝達」もまた、ここへと帰着する。言語表現とは、事物それ事態の描写を目指すものでも、抽象的な概念操作を繰り返すものでもなく、その中間地点あるいは手前において、極めて日常的に、世界と私の何重にも掛け合わさったレイアウトを組み直し続けるための、スタイルだったのだ。(山本浩貴「日記と重力」『新たな距離』フィルムアート社)
  • Wir sind das Volk. / Wir sind die Volkspolizei.
  • Eile mit Weile!
  • 東京にあった、土浦亀城が設計した精神科病院(入院病棟あり)とはどこか? 文京区?
  • 著者がみずから行商をはじめるといったことは、それまでの俳句業界ではありえないことだったらしい。俳壇における句集の位置づけとは商品ではなく、基本「謹呈物」なのである。(小津夜景「わたしは驢馬に乗って句集を売りにゆきたい」『ロゴスと巻貝』KTC中央出版
  • 三体問題
  • 美しい詩を書きたいというより、読む人の世界の美しさのきっかけになりたい。季節みたいに。(最果タヒ「あとがき」『落雷はすべてキス』新潮社)
  • ''Kötü şeyler bir başladı mı, üst üste geliyor.'' 村上春樹トルコ語
  • こうして民主集中制を完全に裏がえせば、深い根源からの民主と集中を可能にするシステムを設定することができる。(谷川雁民主集中制の対極を」『谷川雁詩文集 原点が存在する』講談社学芸文庫)
  • つまり、ひろゆき氏を今回起用し、また今後何か彼が問題発言をしたとしても、それによって広告に込めたメッセージの価値が毀損したりはしないのだ。(サントリーCM「ひろゆき」起用に見る"したたかさ"