- レジスタンス運動の闘士でイタリア共産党党員による階級闘争児童文学『チポリーノの冒険』、岩波少年文庫は杉浦明平訳の旧版から関口英子訳の新版に変わったけど挿絵はヴラジーミル・スチェーエフВлади́мир Григо́рьевич Суте́евのままで良かった。
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「牢屋というものは、盗みをする人や人殺しをする人を入れるためにつくられたはずなのだが、レモン大公が国をおさめるようになってからというもの、盗みをする人や人殺しをする人は宮廷でふんぞりかえり、牢屋には善良な市民が入れられるようになってしまったんだ」(ジャンニ・ロダーリ、関口英子訳『チポリーノの冒険』岩波少年文庫)
- 「言うに」とか「早いに」とか娘が遠州弁を言うようになった。
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安全で、清潔な水が湧き、森林資源に恵まれ、舟の便が良かった奈良盆地は、森林が枯渇し、水が枯れ、水害が多発し、疫病が蔓延し、舟の便が悪い土地となってしまった。(文明とインフラ・ストラクチャー第37回 桓武天皇の失敗と成功-奈良盆地からの脱出)
- 俳句は心の外れへ向かうけど、短歌は心の中心の奥を探る。
- フェミニストと対話をしても無駄、というのは弱者を演じている佯弱者フェミニストは教義以外を理解したがらないし、自分を弱者と信じている「弱者」フェミニストは教義を表面的にしか理解できないゆえに教義以外も理解できない、から。
- フェミニズム運動の空虚さを知っている「親切な機械」としてのフェミニストは賢い。
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その言葉どおり、刑が執行されました。兵隊ネズミを全員一列にならばせ、十匹に一匹の割合で、大切なひげを切り落としたのでした。(ジャンニ・ロダーリ、関口英子訳『チポリーノの冒険』岩波少年文庫)
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貧しい人というのはたいていそうですが、きこりも警察や軍隊をあまり信用していませんでした。(ジャンニ・ロダーリ、関口英子訳『チポリーノの冒険』岩波少年文庫)
- 哀れ、レモン大公に花火として打ち上げられてしまったプチレモン兵たち。プチレモン兵、旧版だとちびレモン兵だったかな。
- 哀れ、郵便配達人クモヨタ。
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レモン大公は後ろもふりむかずに走ってきたので、プチレモン兵たちがしっぽを巻いて逃げてしまったことも、忠実な部下であるはずのレモン高官たちが牢屋に入れられてしまったことも、国はみんなの手でおさめる共和国になったことも、いっさい知りませんでした。(ジャンニ・ロダーリ、関口英子訳『チポリーノの冒険』岩波少年文庫)
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いずれにしても、この物語が終わるまえにすがたを消してくれて、よかったのかもしれません。エンドウマメ弁護士のような人物といつまでもかかわっていたくはありませんからね。(ジャンニ・ロダーリ、関口英子訳『チポリーノの冒険』岩波少年文庫)
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この広い世界には、レモン大公のほかにも悪い君主がいて、お城をかまえています。ですが、そのうちに一人、また一人とすがたを消していき、君主がふんぞりかえっていた御城で子どもたちが楽しそうに遊ぶすがたが見られるようになるでしょう。きっとそうなると信じています。(ジャンニ・ロダーリ、関口英子訳『チポリーノの冒険』岩波少年文庫)
- 吉田喜重監督『煉獄エロイカ』
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イエス・キリストであろうとする者*1の、ユダ*2に対するシンパシーと嫌悪だったのではあるまいか。(絓秀実『1968』ちくま新書)
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戦後共産党の幹部であり、その文化部門の責任ある地位にあった増山太助の『戦後期左翼人士群像』(柘植書房新社、二〇〇〇年)によれば、太宰治は戦後すぐに共産党に(再)入党*3している様子である。(絓秀実『1968』ちくま新書)
- 愛知県瀬戸市のこども向け自転車メーカーヨツバサイクルの自転車、色遣いがかわいくていい。ゼロではじめてのちにピクニックかな。
- 佐鳴台のヒコウビラン、カレーライスやハンバーグやオムライスやナポリタンなど子供向けでも通用するメニューが主流なのに値段は高級感。
- 遠州の惣菜弁当屋として高名な知久屋、諏訪大社の橘大法祝氏から分かれた伊那谷の名族・知久家を連想する。知久頼元など。
- 三遠南信の撥音「ん」を挟む難読地名、熊(くま→くんま)、浜部(はまべ→はまんべ)、駒場(こまば→こまんば)、難場道(なんばどう→なんばんど)。
- 他人を傷つけるようなことはするな。結果として他人が傷ついてしまったら、それは気にしないことだ。
- 牛乳石鹸があればシャンプーもシェービングクリームもいらない。
- baku「絶対の探求」
所以22
- 女子トイレ研究家は女子も便器を、特に便座の裏を汚すと喝破するだろう。
- 科学(医学)が未発達な時代や地域では、豚食で食中毒になる人が多いから、同性愛で感染症に罹る人が多いからという経験則から導き出された伝統により豚食や同性愛を禁じた。
- 伝統がその共同体を存続させてきた歴史が伝統をそのものを強固にする。
- 神道の穢れ概念も、高温多湿な日本では清潔にしておけばお腹が痛くなりにくいという経験則から導かれた伝統だろう。
- 科学(医学)の解像度が上がれば次第に伝統は迷信として退けられる。
- 今まで分からなかったのだから今も科学でも分からないことはあると思えば右派になるし、すでに科学は全て分かるという態度なら左派になる。ただ河豚の卵巣の糠漬けは未だ伝統的な製造法が守られている。
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六〇年安保を契機に出発したアンダーグラウンド演劇は、共産党=新劇からの別党コースを採ったことと相即して、自らをルンペンプロレタリア的なジャンクと規定したところに、その新しさがあったと言える。(絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』ちくま学芸文庫)
- 〈 手紙は宛先に必ず届く 〉というジャック・ラカンのテーゼ、〈 手紙は宛先に届かないこともありうる 〉というジャック・デリダのアンチテーゼ。
- 無事に生還した爆撃機の被弾痕の位置傾向を見てどこの装甲を増やすか問題と露出の少ない地味な服装の女性が痴漢被害に遭いやすい問題。
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猪俣は新潟の長岡の出身。十六歳くらいで碧梧桐門下の新体詩人「鹿語」として知られ、『三千里』にも登場した。ちょうど新潟にさしかかって長岡に滞在していた時に大須賀乙字の「新傾向俳句」の宣言案が届き、鹿語のシュールレアリスムのような俳句はそれにぴったりだった。東京に行ってから猪俣は根岸に入り浸った。子規の後を常識的な高浜虚子が継ぐか新傾向の碧梧桐が継ぐかで緊張があった。しかし結局彼は留学の道を選び、ウィスコンシン大学に入った(猪俣津南雄についての津村喬の文章より)
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暴力否定が国家否定につながることは、実に見やすい論理である。(三島由紀夫「反革命宣言補註」『文化防衛論』ちくま文庫)
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では、その、少数者意識の行動の根拠は何であるか。それこそは、天皇である。(三島由紀夫「反革命宣言補註」『文化防衛論』ちくま文庫)
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非武装平和を主張するその一人が、日本は非武装平和に徹して、侵入する外敵に対しては一切抵抗せずに皆殺しにされてもよく、それによって世界史に平和憲法の理想が生かされればよいと主張するのをきいて、これがそのまま、戦時中の一億玉砕思想に直結することに興味を抱いた。一億玉砕思想は、目に見えぬ文化、国の魂、その精神的価値を守るためなら、保持者自身が全滅し、又、目に見える文化のすべてが破壊されてもよい、という思想である。(三島由紀夫「文化防衛論」『文化防衛論』ちくま文庫)
- 憲法九条護憲死守の思想は一億玉砕思想に直結する。
- 日本文化の三つの特質、再帰性(文化はただ見られる者ではなく、見る者でもある。)と全体性(文化は「菊と刀」としてまるごとの容認)と主体性。
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左右の全体主義の文化制作発表、文化主義と民族主義の仮面を巧みにかぶりながら、文化それ自体の全体性を敵視し、つねに全体性の削減へ向うのである。言論自由の弾圧の心理的根拠は、あらゆる全体性に対する全体主義の嫉妬に他ならない。全体主義は「全体」の独占を本質とするからである。(三島由紀夫「文化防衛論」『文化防衛論』ちくま文庫)
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今もなおわれわれは、「菊と刀」をのこりなく内包する詩形としては、和歌以外のものを持たない。(三島由紀夫「文化防衛論」『文化防衛論』ちくま文庫)
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《ことばの使い方のすべてをすべての人に》、これこそうつくしい民主的ひびきをもったすばらしいモットーだとわたしは思う。だれもが芸術家であるからではなく、だれもが奴隷ではないからである。(ジャンニ・ロダーリ、窪田富男訳『ファンタジーの文法』ちくま文庫)
所以21
- 言論・表現の自由への弾圧は三島由紀夫の主張するように「全体性への全体主義の嫉妬」に基づく。
- ネット歌人やネット詩人の筆名とAV女優やセクシー女優の芸名の類似性は収斂進化なのかも。芽・楓・霞・花・音・穂・果・紺・澪・遥など。
-
かつてナッパ服と呼ばれた現場労働者の作業着がありました。着用の代表例として挙げられるのが、旧国鉄の機関士や線路作業員など。青系のものが多く、その語源は「洗うと皺くちゃになり菜っ葉のようだから」「生地の表面がナップブランケット(毛布)のようにけば立ったから」など諸説あります。(国鉄の「ナッパ服」に注目 ワークウェアブームで再評価の動き 鉄道ファン的には?)
- 六〇年安保のときには機動隊員の制服にも見えたというナッパ服。
- 8月6日(土)、川合渕公園へ赴く。合流地点ではなく獺渕川を少し遡った川原へ降りる。曇りだったこともあり他に誰もおらず、水は澄んでいた。
- 政治と社会と宗教と経済へ通貫した実践の哲学が幻想小説の執筆を可能にする。
- 児童のとき、ジャンニ・ロダーリの『チポリーノの冒険』を繰り返し読んだので、たぶんレジスタンス運動の闘士でイタリア共産党党員だったジャンニ・ロダーリの考えが私の考えの基盤となっている。そのためグラムシに親近感を抱く。
-
わたしたちはつねに国家と政府を同一視しているが、この同一視は、まさしく経済的―同業組合的な形態、すなわち、倫理的社会と政治的社会の混同の表現にほかならない。(アントニオ・グラムシ、上村忠男訳『新編 現代の君主』青木書店)
- società civile 市民社会、倫理的社会。
- 朝日歌壇ライブラリ
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たとえば、だれもが月を旅行するような時代がきても、女の子たちはぜったいに古ぼけた人形を手ばさないということを、ベファーナは知っているのです。(ジャンニ・ロダーリ、関口英子訳『青矢号』岩波少年文庫)
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「女性が航空学にきょうみを持つのは、もちろんすばらしいことだし、これからますますひつようになるはずですから」(ジャンニ・ロダーリ、関口英子訳『青矢号』岩波少年文庫)
- 目高とともに飼うなら南沼蝦がいい。大和沼蝦のように兇暴ではないし、繁殖する。
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「凶区」にあってもっとも耳目を惹きつけたのは、同人たちの行動・交友を記したコラム「凶区日録」だが、そこには、彼らが詩のみならず映画、演劇、音楽、漫画、美術、舞踏を、そして六八年的闘争/デモンストレーションを、都市の「遊民(フラヌール)」として時代のなかで享受するさまが、生き生きと記述されていた。(絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』ちくま学芸文庫)
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詩が近代文学のなかで脱中心化された核心的ジャンルであるというパラドキシカルな規定性は、その圏域からラディカルな批評家を輩出する要因であった。(絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』ちくま学芸文庫)
所以20
- 中途覚醒対策には寝る前の非加熱蜂蜜が効く。
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大阪万博によって、六〇年代のアンダーグラウンド系美術は、ほぼ壊滅したといっていいが、「太陽の塔」はそのシンボルにふさわしい、ファシズム的「紋切型」(しかも、イロニーさえ欠いた?)であることは論をまたない。(絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』ちくま学芸文庫)
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津軽りんご市場の對馬智範さんは「生産者の皆さんには、おいしく品質のいいりんごを育ててもらいたい。自然災害がないことを願っています」と話していました。(ことし収穫されたりんごの初競り 板柳町)
- 津軽りんご市場の對馬智範さん、太宰治(津島修治)の祖先とともに蒙古襲来=元寇のときに対馬国から海路でやって来た人々の子孫だろうか。
- 自由律・口語俳句・感動律は反人間主義ではない、というよりヒューマニズムに堕している感がある。
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人間の社会活動による産物、たとえば、労働活動による生産物や社会関係、あるいは頭脳活動による観念、思想、芸術などが、それ自身あたかも生命を与えられたように自己活動し、それに よって独自の力をもつかのように現れ、それらを生み出した人間自身に対して、逆に彼を支配してしまう疎遠な力として現れるようなことをいう。(疎外)
- 労働疎外、物象化、物神崇拝
- 30℃前後だと凍結させた500mlペットボトルのイオンウォーターが帰局しても融け残る。
- それと最後の方は味がほとんどなくなるのは、味は氷の表面の方に寄って固化するからだろうか。
- 井土紀州監督「LEFT ALONE」予告篇、孤独圏。
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詩は世俗性に傾斜する散文(小説)中心の近代文学のなかで、その芸術性を保証する核心的なジャンルではある。しかし、その核心性は、小説に対するマイノリティーたる位置に置かれている。この位置は中心化を要求できない、俗語革命下では絶対的なものにほかならない。この、核心が脱中心化されているというパラドックスによって、現代詩は「近代世界システム」(ウォーラーステイン)に決定的な意味を持つ六八年革命における、文化的ヘゲモニーを担うことになったのだった。(絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』ちくま学芸文庫)
- l'imagination prend le pouvoir. 想像力が権力を奪う。想像力=権力
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そのため入沢は「詩は表現ではない」という言葉を「詩作品は、伝達の手段ではない」と言い換えている。 正確に言えば入沢にとって、詩は作家の思想・感情の伝達手段ではないのである。(No.005 現代詩の創出と終焉 入沢康夫論(上編) )
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しかし短歌の世界は、もちろんいろいろ問題はありますけれど、外の世界よりかはリベラルで、短歌の世界でこういう作品*1を発表することで批判されることはなく、むしろ褒められやすいと。外の社会ではフェミニズム的な発言をすると、ツイッターで絡まれたりしてぜんぜん安全ではないんですけど、短歌の世界では追い風が吹いていて、むしろ安牌なわけです。そういう状況で、そういう作品を応募作として出すことに、ちょっとだけ考えてみてほしいんです。本当にこの視点に乗っかっていいのだろうか。ここにあるのは社会的な意義であって、文学的な意義ではないのではないか。(斉藤斎藤発言「第六十五回短歌研究新人賞◆選考座談会」短歌研究2022.7)
- 斉藤斎藤の発言の何が問題かと言うと、たかだか新人賞の選者に過ぎない者が①文化的ヘゲモニーを獲得*2しているフェミニズム作品全体に対しカウンターを仕掛けているようにも読めること*3、更にもっと重大なのが②文化的ヘゲモニーを獲得したにもかかわらずフェミニズム作品がその正当性のために依然として準拠し続けているマイノリティー性へ異議申し立てをしたこと、の2つだろう。
- 怒られても仕方ない。
- 文芸界隈や短詩界隈のフェミニスト作家はフェミニズムを使って何かを獲得するのではなく、現状の勢威を維持していくだけの時期に入っている。
- もちろんフェミニスト作家のやりづらさ問題とフェミニズム的な作品の受容されやすさの現象とは峻別されなければならない。作品の親離れ、作家の子離れ。
- フェミニズム的な作品を「短歌の世界では追い風が吹いていて、むしろ安牌なわけです」と直観した斉藤斎藤の歴史への皮膚感覚は、歴史音痴の多い歌人・俳人のなかでは信頼できる部類に入る。
- 参照として、対談:わたしと、わたしの心の中の猛獣|丑野つらみ|note/野川 短歌研究2022年7月号座談会をめぐるあれこれについて - note/短歌研究 7月号 51ページについて|展翅零 - note
-
私はこのやり取りを聞いて、ようやく今まで掴みかねていた斉藤斎藤の本質を垣間見た気がした。斉藤は原理主義者(ファンダメンタリスト)なのである。ここで言う原理主義とは、思想 (=言葉)と行動との完全な一致を個人のレベルにおいて厳格に要求する立場を言う。(第63回 青磁社創立10周年記念シンポジウム見聞記)
- 日本国の投票率が低くなったのは、すでに左派の革命*4が完遂しているために、民衆が選挙では内閣や政権与党しか変わらず根本的に何も変わらないことに安心/失望しているからかも。
- 東京五輪2020において関係者・担当者の辞任・解任(猪瀬直樹、舛添要一、ザハ・ハティド、佐野研二郎、森喜朗、小山田圭吾、のぶみ、小林賢太郎など)が多発した事実から分かるように、左派が諦めた政権以外の分野では左派系の世論形成(ヘゲモニー)が効力を持っている。
所以19
- 日光疹にはやはりステロイド剤が効く。シオノギM軟膏EXがいろいろ入っていていい。
- パートナー減らしてサル痘の感染防止を、男性同士の性的接触に WHOが勧告
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世に出て身を立てる穢多の子の秘訣――唯一つの希望、唯一つの方法、それは身の素性を隠すより外に無い、「たとへいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅はうと決して其とは自白けるな、一旦の憤怒悲哀に是戒を忘れたら、其時こそ社会から捨てられたものと思へ」かう父は教へたのである。(島崎藤村『破戒』)
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それは、分かりえないことを知りながら、「分かれ」と言って相手に本質的な同化を求める。その時、「もの」という空虚な本質に憑依してしまう奇怪なまでに道徳主義的な「主体」が誕生してしまうわけである。七・七以降における新左翼の多くの活動家が、そうした主体と化したことはすでに述べたとおりだし、それが今やPCとして希薄に一般化しているのことも繰り返すまでもない。(絓秀実『1968』ちくま新書)
- 機動戦論(レーニン主義)・陣地戦論(グラムシ主義)・持久戦論(毛沢東主義)
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ガンディーの消極的抵抗は、一つの陣地戦であって、ある時期には機動戦となり、また他の時は地下戦に転化する。ボイコット運動は陣地戦であり、ストライキは機動戦であり、武器や戦闘部隊を秘密に準備するのは地下戦である。(『グラムシ・セレクション』平凡社ライブラリー)
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エスペラント語の存在は、それ自体、多くを示さないにしても、労働者国際主義よりもブルジョワ的コスモポリタニズムと関係があるにもかかわらず、労働者に強い関心をもたせ、その習得に時間を費やさせているという事実から、エスペラント語には、国民的限界をこえた複合的言語形成への情熱と歴史的衝動が存在するということを示している。(『グラムシ・セレクション』平凡社ライブラリー)
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現代において新しい君主の主役になることができるのは、個人的英雄ではなく政党である。そのつど、さまざまな国のさまざまな内的関係において、新しい型の国家を創設しようとする特定の政党である。(『グラムシ・セレクション』平凡社ライブラリー)
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「世論」と呼ばれているものは、政治的ヘゲモニーと密接に結びついている。すなわち「市民社会」と「政治社会」のあいだの、同意と強制のあいだの接点がそれだ。(『グラムシ・セレクション』平凡社ライブラリー)
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そして、そもそも言葉の世界である象徴界は、ファルス優位のシステムになってる。人間は、去勢されることで、つまりペニスの代わりにファルスを獲得することによって、この象徴界に参入するんだって話は、前にしたよね。だから極論するなら、なにかを語ることを含めて、言葉による活動は、どうしても男性原理的なものが優位になりがちだ。(斎藤環「生き延びるためのラカン」)
- 7月31日(日)、昼寝させるために県道296号線で北上して石神から県道9号線・県道297号線を南下する車旅。上野あたりの県道296号線は渓流と平行して走る。
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"Je suis un observateur. J'observe aussi consciensieusement que possible. Ça arrive sans aucun effort de ma part."(私は観察者である。できるだけ丹念に観察する。それはわたしにとって全く努力を要しないことなのだ)ミロスラフ・ティッシーの言葉 Miroslav Tichý au Centre Pompidou
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「人間は国民として生まれるのでなくて、生まれてのちに国民にされるのである」という彼の言葉は、彼が、統治の主体を、「個人」ではなく、国家的なものの回収を逸脱する諸々の個体性と諸力の結合体としての「多数者(マルチチュード)」〔群衆‐多数性〕とみなし、人間の自己意識や主体性をも規定する諸力の交錯する状態が、スピノザの政治的関心の焦点であったことを示しています。(【番外】 スピノザの生涯と政治思想)
- すごい文章は、書いても意味はない。凡人はそのすごさに気づかないし、凡人は自分が理解できない文章に価値があるとは決して認めない。
- 国道一号線バイパスは小動物の轢死体をよく見かける。猫や鳥ではない、おそらく狸の毛皮は丈夫で、数日残っている。
- 某市立病院のコロナ陽性者宛の速達は呼鈴を押さず投函できるようになった。今更感はある。
- よく行っていたTSUTAYA領家店のレンタル機能が営業終了していた。サブスクのせいだ。近隣は佐鳴台店と天竜川を渡った豊田町店しかない。
所以18
-
「3、4年前に、俳句協会から『稲川淳二さんが夏の季語になりました』という、ご連絡をいただきまして、身に余る光栄でありますが、どうやら私も夏の風物詩になったようです」(香川照之、生放送で「稲川淳二」が季語の俳句を披露…「喜んでいただけましたか」)
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いずれの団体でも「稲川淳二」を夏の季語と認めたことはないという返答だった。(これぞ怪談!? 「『稲川淳二』が季語に」大手協会は「認めたことはない」と困惑 本人に聞いてみた)
- 「俳句協会」というぼかし方が怪談めいている。
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新左翼における道徳主義的なものへの反発――それは、新左翼の創成が石原慎太郎的=「怒れる若者」的なナルシシズム=ナショナリズムに規定されていたことと関係している。(絓秀実『1968』ちくま新書)
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華青闘は、まず、「本日の集会に参加された抑圧民族としての日本の諸君! 」という挑発的な言葉ではじめる。(絓秀実『1968』ちくま新書)
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さらに問題なのは、「部落民」なる存在が、法的には「存在しない」ことである。(中略)「女」なるカテゴリーは「無」でしかない。「女は存在しない」(ラカン)のだ。同様の意味において、部落民は、部落民ならざる「日本人」の言説編成によって存在させられた「無」の対象といえるだろう。(絓秀実『1968』ちくま新書)
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その意味で、確かに「日本人」以外ではない部落民は、日本のナショナリティーの、無としての核なのである。(絓秀実『1968』ちくま新書)
-
今日のカルチュラルスタディーズやポストコロニアル研究、そしてフェミニズム研究等は、少なくとも日本においては、七・七にその出発点を見いだされなければ、何ものでもない。(絓秀実『1968』ちくま新書)
- 七・七集会における華青闘代表の発言
- より高貴な起源(父親)を探ろうとする「小説の起源」としてのオイディプス。
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単純化すれば、国家が幻想であるなら別の、より強固な幻想によって打倒できるはずだからである。(絓秀実『1968』ちくま新書)
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フランス語の「フェティッシュ(物神、呪物) 」から生じた言葉であり、ある対象、あるいはその断片を偏愛する態度のこと。フェティシズムFetishism
- それがないこと、無であることを知りながらその存在に執着するフェティシズム的な態度、偽史的想像力、年代記小説の系譜。
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じつはプロテスタントはかなり「家父長制」的なところがあり、それにくらべればカトリックの「家父長制」的な部分は曖昧なのです。(中略)カトリックには聖母マリアの信仰があり、女性中心の側面もありますが、それにくらべるとルターのメッセージは非常に父権的であり、マリアという女性ではなくイヴという罪をおかした女性が前面に出てきます。(エマニュエル・トッド「今のフェミニズムは男女の間に戦争を起こそうとする、現実離れしたイデオロギー」)
- 自民党と統一教会(統一協会)の「つながり」「関係」「協力」の話は食傷したので、政教分離の話だったら公金支出の証拠を早く暴き出して欲しい。
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当節の燐寸は軸木が脆かった。(中略)「近ごろのマッチはよく折れるってことさ」(三島由紀夫「親切な機械」『岬にての物語』新潮文庫)
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「われわれはいわば壊れた無電受信機だ。しかしこの無電受信機を発信機に改造する自由はまだ残されているんだ。」(三島由紀夫「親切な機械」『岬にての物語』新潮文庫)
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「個人の自由意志には必ずこの地上に対応物があるんだぜ。どんな意志にも、必ず対応する否定意志があって、地上のどこかに生きてるんだぜ。」(三島由紀夫「親切な機械」『岬にての物語』新潮文庫)
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木山は友人二人と「亜南樹」という同人雑誌を出す計画をしていた。アナーキーと読むのである。政治上の無政府主義ではなく、文学上のアナーキズムを標榜して、三人それぞれが新機軸の創作を発表する雑誌であった。(三島由紀夫「親切な機械」『岬にての物語』新潮文庫)
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水島はアナーキストの雑誌に、右翼の残党の短歌雑誌の広告をとってきた。(三島由紀夫「親切な機械」『岬にての物語』新潮文庫)
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口をついて出る言葉が、野放図に相手を傷つけていて、しかもこちらの感情は気の毒なほど波立たない。鉄子は橇で辷り下りるような危険を伴った気楽さを味わう。(三島由紀夫「親切な機械」『岬にての物語』新潮文庫)
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鉄子の次の言葉は木山を啞然とさせた。「根拠はちゃんとあることよ。私がそうされたいと思っているからだわ」(三島由紀夫「親切な機械」『岬にての物語』新潮文庫)
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それにしても巡査松田某の動物愛護の美行は賞讃さるべきである。(三島由紀夫「親切な機械」『岬にての物語』新潮文庫)
- 〈雨に傘ひらく何かの標的となるかもしれぬことも知らずに/正岡豊〉『四月の魚』書肆侃侃房、標的になりたくない人は減り、標的になりたい人が増えているかもしれない。
所以17
- 無知者は自分が認めた脚本家の作品なら深読みするけど、そうでない作品は浅くしか読まない。
- 問題があるのではなく、問題と考える人がいる。問題と考える人は自らの存在を無にして*1責任から逃れたがる。けれど、考える人は存在し、確かにその人の脳で考えている。ゆえに、考える人にこそ責任がある。
-
第2次大戦直後、ムソリーニ支持者が結成した「イタリア社会運動(MSI)」に身を投じ、腐敗した既得権層を批判した。(伊、初の女性首相誕生か 支持率首位の右派党首―ジョルジャ・メローニ氏)
- かつてS.R.が「女性は書くもの全てが芸術になる」と言った。私は強く否定した。フェミニズムをするか、言語芸術をするかをどこかで決断する必要がある。
- 確かにどんなものも言語芸術にはなる。でも、カウンターのなかにバックラッシュがありバックラッシュのなかにカウンターがある、そのような技巧が価値ある言語芸術には要る。
-
「自治」を掲げる大学という「民主的」な機構が、実は、過剰なものを排除するときのみ民主的であるということの暴露から始まったのである。(絓秀実『1968』ちくま新書)
- ルサンチマンを準拠としないフェミニストは気のぬけた炭酸水。
- 局長が7月一杯で異動。この局長のせいで適応障害になったから、嬉しい。しかも人間ドックで病気が見つかったらしいので更に嬉しい。
- 2回誤配で始末書とか、労災1回で始末書とか、横暴だった。
- 北遠はおよそ浜松市天竜区、西遠は天竜区以外の浜松市と湖西市、中遠はおよそ磐田市と袋井市と森町、東遠はおよそ掛川市と菊川市と牧之原市、南遠はおよそ御前崎市と掛川市の南部が名乗りがち。
- 緯度を引く気持ちで宝石をたべて悲しむ人々を裏切るように所以を知らせる 瀬戸夏子
- 五七五や五七五七七という定型に従っていることを読む所以とする人は、破調や自由律が続くと読む気をなくしてしまう。内容を知りたい気力と定型を読みたい気力のどちらを優先させるか問題。
- 〈盗撮というミスリードをとおしてもそこらじゅうからソーダのにおい/瀬戸夏子〉『かわいい海とかわいくない海end.』書肆侃侃房、盗撮はその行為が被写体の承認を受けていないがゆえに正撮である。無意識の表情からも無作為なソーダのにおいが立ちこめる。
- パリの五月革命は就職に不安をもつ理学部と文学部からはじまったらしいという孫引き。
-
かつての大学においては、公害も、フェミニズムも部落問題も、学生サークルにおいて論じられ、闘争すべき課題として練り上げられていった。ところが現在では、それらは――もちろん、それは消費者の欲望を汲み取るというタテマエでなされたものだが――カリキュラムのなかに組み入れられることであらかじめ「合意」されており、係争へのブロセスは禁じられている。あるいは、係争=闘争を目論もうとすれば、それは合意を破る者であるがゆえに監視/管理のもとに置かれることになる。(絓秀実『1968』ちくま新書)
- 善隣学生会館事件の真相を探る
-
松尾芭蕉は真実を書いたのであり、門人の残した旅日記は事実を記したものであると語った古典の教師を思い出します。(このページの趣旨)
所以16
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左右のリベラリズムの掲げる正義が準拠しているのが、大衆のルサンチマンや嫉妬という心性であることは疑いない。(絓秀実『1968』ちくま新書)
- フェミニズムもまたルサンチマンを根拠としている。
- 内股の日光疹。
- 肖像権などの肖像は、そのものの像ではなく肖(に)た像でしかない。暴力のような言葉が暴力ではないように。
- スピノザのほかにニーチェも掘り下げる。
- 浜松市行政区再編の簡素な区名案。東区西区南区北区が使えないなら、一区と二区、下区と上区、内区と外区、右区と左区、表区と奥区。
- 長時間通勤の苦痛は消費者的態度を改め生産者的態度をとることで和らげられる。
- 7月25日(月)コロナでクラス閉鎖の児を連れて浜松城公園の児童プール。身長100cmあれば深い方も大丈夫。
- 〈チューリップたちの反乱前夜とや/燕北人空〉「人鳥」麦2022.8、収穫祭一位作品。太陽に対する色彩反乱だろう。
- 登園自粛要請と家庭保育要請は何が違うのか?
- 新型コロナワクチン4回目接種の対象者は、浜松市は60歳以上∪18歳以上で基礎疾患あり∪BMI30以上∪重症化リスクが高いと医師が認めた者だけ。
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しかし、このような誰もが答えを知っている問いは、むしろ、問い自体が間違っていると考えるべきではないのか。そしてそうした間違った問いが「正しい」答えをすでに隠して問われてくる時は、「間違った」答えを出してやるのが正解といものである。(絓秀実『1968』ちくま新書)
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「民主か独裁か」という問いが発せられたとき「プロレタリア独裁」と答える者が誰も――ブント=全学連でさえ、新左翼系の若い知識人でさえ――いなかったところに、六〇年安保闘争の決定的な限界があり(絓秀実『1968』ちくま新書)
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三 民主か独裁か、これが唯一最大の争点である。民主でないものは独裁であり、独裁でないものは民主である。中間はありえない。この唯一の争点に向っての態度決定が必要である。(竹内好「民主か独裁か」全文)
- 純潔キャンディを校門前あたりでもらったことがある。
- 7月26日(火)朝から豪雨。聖隷三方原病院へ向かう姫街道の排水機能が間に合わず冠水して泥川だった。落雷も。
- ミャンマー国軍による民主派死刑執行の翌日に秋葉原の加藤智大死刑執行。
- 戦争は他国に自国民を殺してもらい、死刑は自国民を国が殺す。
- バリウムを飲み、11時に下剤2錠を服む。暴飲暴食の結果、12時20分の便意は普通便。13時30分も普通便。
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憎悪に基づく差別的な言動。人種や宗教、性別、性的指向など自ら能動的に変えることが不可能な、あるいは困難な特質を理由に、特定の個人や集団をおとしめ、暴力や差別をあおるような主張をすることが特徴。(ヘイトスピーチ「知恵蔵mini」(2013-5-13))
- 15時に白便の奔流。下剤を服んで4時間後。
- 過去には下剤から最速で2時間後もあったけど3時間半〜4時間後がふつうか。
- 自分の行為のどこからが宗教でどこからが非宗教かを分別できない人が過半の社会でlaïcitéは難しい。
所以15
- 内尾太一さんが字面として別人と思えない。
- 口だけの人が安倍国葬に反対する。世界の要人が一堂に会するのだから「いろいろ」できるとワクワクする人は少ない。
- 〈国喪の夜 ほら屋根裏に散歩者が/江里昭彦〉『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』弘栄堂書店、行動者は「反対」しない、ただ蠢く。
- コロナ禍、露の烏克蘭侵攻、猿痘、暗殺事件。退屈な日常ばかりではない。
- 意図しなくても人は誰でも差別発言と捉えられる発言をする危険があるのだから、発言した側ではなく差別発言だと解釈した側がその解釈の責任を負うべき。
- 敢えて危険な社会を維持するような倫理観を持ち続けることはない。たかが政治的正しさのために。
- アニメ映画「ダンボ」の黒人労働歌「テント張りの歌」が社畜というより家畜。
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サル痘は性感染症ではないものの、皮膚と皮膚の接触を通じて感染する。今回の流行ではほとんどが、男性同士の性的接触を通じて感染が広がっている。全米でサル痘のクラスター、パーティーなどで感染急拡大
- 浜岡原発の近くで釣れる魚はやたら大きいという遠州都市伝説。
- 〈ずっと片手でしていたことをこれからは両手ですることにした夏のはじまり/フラワーしげる〉『ビットとデシベル』書肆侃侃房、きっと何かやらかした。
- 〈背後で舌打ちされて思わず拳をふるいスピノザのいう無限というもの/フラワーしげる〉『ビットとデシベル』書肆侃侃房、永遠の相のことかな。
- 〈若い同僚の襟から手をこじいれて乳房を摑みたいと思う会議室の朝/フラワーしげる〉『ビットとデシベル』書肆侃侃房、園子温映画の神楽坂恵的な。
- 〈エレベーターの人数が奇数になって空に向かっていく晴れた日の朝/フラワーしげる〉『ビットとデシベル』書肆侃侃房、奇数への着目がいい。
- 〈首相だからそのせいでいやな思いをすることも多くこの気持ちは首相にしかわからない/フラワーしげる〉『ビットとデシベル』書肆侃侃房、安倍晋三もそうだったのかな。
- 〈丁寧に暮らしている中年の女をすごく好きになって背後から性器をねじこむ/フラワーしげる〉『ビットとデシベル』書肆侃侃房、「暮らしの手帖」とか読んでそう。
- コロナのワクチン4回目? 3回打って副反応が左肩の痛みしかないことは分かったけどもういいや。
- 浜松市の行政区再編、区名案公募が7月26日から。施行は令和6年から。
- 曳馬区(ひくま区)か敷知区(ふち区)、それと引佐区(いなさ区)か麁玉区(あらたま区)かな。ひらがな区名になりそう。
- 佐鳴区と気賀区、湖東区と湖北区とか。
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戸田三津夫「北岸管理棟の機能をもっと拡大して、水族館とか博物館の機能を持たせないともったいないなぁ、って言ってる。」「Sanaru&Co」創刊号。
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辻野兼範「ヤマトシジミの復活は、佐鳴湖の生態系を豊かにする。ここ唯一の漁業であるニホンウナギの生存環境も良くなるでしょう」「Sanaru&Co」vol.2。
所以14
- 休みたいという気持ちがあるとそれが弱味になって休めない。働きたい人の方が正直に休める。
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究極もまた埼玉県の高校時代から文学とくに詩を志し、この同じ86年に雑誌『現代詩手帖』の新人賞を"飯島詭理"名義で受賞してもいる。(外山恒一『改訂版 全共闘以後』イースト・プレス)
- 究極Q太郎(早稲田あかね)=飯島詭理
- あかね詩の朗読会で廃人餓号の俳句朗読を聴いたことがある。一語一語を不器用に置いて読む感じが良かった。
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ファシストは、民主主義に反対する。民主主義は、諸個人の自由を、最終的には否定するからである。ファシズムとはおおよそこんな思想である
- 某市立病院、コロナ陽性者へ速達出すの辞めてほしい。速達は呼鈴鳴らして手渡しだから。
- 陽性者だからと手渡しを断られ、「都合により」休店している個人店舗とか。
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桐原と園江が被拘禁者奪取罪で起訴され、救援側も戸惑ったようだ。なにしろほとんど前例のない罪状である。それはそうだろう"被拘禁者"がそんなにたびたび"奪取"されるようでは大変だ。(外山恒一『改訂版 全共闘以後』イースト・プレス)
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しかしほどなくして教授は、実はこの反乱は「静か」でも、非暴力的でもなかったと知ることとなる。21世紀の奴隷がつくった〈自由の村〉の真実
- 〈冷蔵庫に人参古き映画論/星野昌彦〉『七百句』春夏秋冬叢書。映画とは冷蔵された時間である。
- 保育園のクラス閉鎖延長で25日(月)も休みになった。
- 7月23日(土)佐鳴湖西岸に小さな市が立っていた。佐鳴湖公園野外ステージライブでパプリカを聴いた。
- 浜松にはむかし素人弾き語りもできたライブハウス「かぽ」?があったらしい。
- 浜松駅前でオウルの朱音がたぶん浜崎あゆみを歌っていた。久しぶりだ。
- 名古屋で活動しているというCielyは女性客が多かった。感染者数は増えていても路上ライブは賑わい出す夏休。
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3月12日(木)いっそトイレットペーパーを通貨にしてしまうというのが早いのではないか。使わないと劣化していく貨幣としても。(円城塔「散木記(抄)」『コロナ禍日記』タバブックス)
- 詩政誌名の案『沈黙交易』
- 今日は短歌をよく作れる。復調である。
- 23日発表、全国のコロナ陽性者が20万人超。感覚は麻痺している。
- 馬込川上島緑地で30分だけ花火。
所以13
- 俳句同人誌ジャム・セッション
- 〈北へ届けむ熱きココアと合唱を/江里昭彦〉「砂丘を測量していた男へ」ジャム・セッション創刊号、退屈しているかなと思って。
- 〈裁判は全て終了しずり雪/中川智正〉「古里を通過して」ジャム・セッション第13号、猶予された時間がすべて落ちていく。
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むしろ、アドラーの目的論は「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」といっているのです。(岸見一郎・古賀史建『嫌われる勇気』ダイヤモンド社)
- 保守派(右派・右翼)の根拠はその共同体が続いてきた歴史的事実。でも存続の理由は伝統のみか否かは疑問。
- その疑問を衝くからこそ革新派(左派・左翼)は科学を根拠とする。でも伝統を変えてその共同体が存続できるかは未知数。
- 共同体存続の理由を科学として考えず奇跡として捉えやすいので保守派は宗教と親しみやすい。
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私たちは神ではない。私たちが手にしていると思っている正しさとは、あくまでも、自分の立場からみた正しさである。これが他者に通用すると思うのは間違っている。(岸政彦『断片的なものの社会学』朝日出版社)
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「硝酸アンモニウムや硫黄、木炭などを混ぜて黒色火薬を作った」NHK 関西 NEWS WEB 07月14日 07時20分
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その成分は目的によって異なるが,だいたい硝石75,硫黄10,木炭15を標準としている./まず木炭と硫黄をボールミルで混合,磨砕し(二味混和),次いで硝石を加えて安全を考慮した混合機で混合・磨砕する(三味混和)。黒色火薬
- 硝酸アンモニウムが入っている冷却剤と硫黄
- 静電気には気をつけて。
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捜査関係者によると、現場で押収された手製の銃は長さ約40センチ、高さ約20センチ。山上容疑者の供述では、金属製の筒を2本束ね、木製の板やテープで固定。筒にはカプセルのようなものが入っており、カプセルの中に6個の弾丸を込めることが可能で、一度の発射で1本の筒から6個の弾丸が飛び出る仕組みだったという。読売新聞2022/07/10 12:32
所以12
- 7月18日(月・祝)、鎮玉の川合淵(川合渕)公園へ赴く。獺渕川も久留女木川も連日の雨で水量が多く、流れが急だった。
- 川合渕公園、幼児が遊ぶには浮輪が必要。
- 浜松人には一人一本お好みの川がある。
- 引佐町的場、浜松いなさジャンクションのどまんなかにある天小屋はいつも混んでいる。入口左手の棚にひとくちギョウザ『ナガレテユク』シノパブリッシングが棚に置いてあった。
- ワタシカワイイ的な思考が自らをカワイイ審判者だと認めあげる。
- 川遊びで筋肉痛、脚の体幹とかとくに。
- テロがこれだけ効果があるならテロを試みる人が増えるかも。
- 「すべてがつながった」「全部辻褄が合う」と思って、かつ反論する人は莫迦(敵)だと思ったら自分は陰謀論にハマっているかもしれないと疑った方がいい。
- 世の中はそう単純ではない。
- 全部辻褄の合う高揚を離れ大事なパーツが見つからず落胆するまで調べられるまでならジャーナリストに転職した方がいい。
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苦々しくは思っていましたが、安倍は本来の敵ではないのです。あくまでも現実世界で最も影響力のある統一教会シンパの一人に過ぎません。「私の一生を歪ませ続けた」 山上容疑者の手紙詳報産経新聞2022/7/17 22:28
- 国内で外国の元大統領が撃たれなくてよかったのでは? 撃たれたのが日本の元首相だったのは不幸中の幸いだったのかも。
- 犯罪者の心理からすれば、特定の宗教団体と無関係でない有名人へのテロで大きな話題になればいいわけで。あとは自分の証言と群衆の憶測が後押ししてくれる。
- 犯罪者の思う壺。
- 特定の宗教団体へ公金が使われた証拠が出るまでは関係や繋がり程度では陰謀論にしかならない。
- 140文字で制限されるtwitterがなくてブログ文化圏のままだったら、もっと議論に熟達した邦になっていたかは疑問だ。
- 政教分離原則による葬典はla fête de l'Être suprême。
- 郵便受箱のなかに大量の蟻、卵らしき白いものを抱えている蟻もいた。
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どくんごは、原理研=統一教会の教祖である文鮮明の写真を大きくプリントした紙を大量に持参しており、それらを会場のすべての扉のすぐ外の地面に敷き詰め始めた。講演会が終わって会場を出ようとした原理研の面々は明らかに動揺したそうだ。(外山恒一『改訂版 全共闘以後』イースト・プレス)
- ↑劇団どくんご版踏絵
- 違憲だ、違憲だ。渋谷から戻ってあなたの中に二度射精した 染野太朗
所以11
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古之聽訟者惡其意不惡其人(「刑論」『孔叢子』)
- 「罪を憎んでその人を憎まず」は古人の刑についてであり、対して今の人は罪を憎まずその人を憎んでただ殺すだけ、とする。
- ほんものか否かより違和感を生めるか否か。
- 人を殺す自由はあると思いたい ことばの上でかまわないから 斉藤斎藤
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単に優等生的なフェミニズム系弁護士にすぎない福島瑞穂ではなく、大衆的な運動の実践経験が豊富な"現場活動家"上がりの保阪か辻元のいずれかが土井を継いでいれば、まだしも社会党の凋落はここまで悲惨なものとはならなかっただろう。(外山恒一『改訂版 全共闘以後』イースト・プレス)
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要するに保坂展人や辻元清美が知性もセンスも欠いていたがゆえに(外山恒一『改訂版 全共闘以後』イースト・プレス)
- 華青闘告発以後の、真理や正義や政治的正しさを掲げる運動はダサいという認識でいいと思う。
- ハルイチスタイルで食べた舞阪製氷の氷は甘い。
- カルト教団に利用価値なしとされた既存政党に存在価値はあるのでしょうか?
- あなたから生まれる前の夢をみた波打ち際の電話ボックス 藤本玲未
- 知り合いがみんな風越学園と軽井沢と言っていると知り合いが言っていた。
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太田リョウ「おれたちにはもっと体液が必要だ。血と涙とビチグソが」「馬の骨」のころ・前編/「馬の骨」のころ・後編DOXA(独立左派日誌)より。
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腹水がたまって歩くことさえままならない状態で、這いつくばって掃除をしていた。大田リョウのこと平和と徒然のちゃんぷるーブログより
- 大田リョウSENKI DE NANTO NA KU、ロフトプラスワン襲撃を許さない共同声明
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太田は「土下座の数だけ権力が増えると思うなよ。イソップ童話から読み直せ」と言い放ち(外山恒一『改訂版 全共闘以後』イースト・プレス)
90年前後の後期の〈秋の嵐〉は、スピーカーズコーナーを通じて以前より積極的に路上で出会う人々のなかに入っていったが、その先頭にいたのがテキヤ出身の大田リョウだった(02年没)。 pic.twitter.com/Ft9f6i4txe
— <秋の嵐> Harajuku im herbst 上映会 (@akiara2019) 2019年12月11日
所以10
- むしろ私が洗脳技術を会得してカルト教団の教祖になりたい。
- 11月23日(水・祝)に岡崎体育がライブハウス窓枠に来る。
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自己表現としての言葉はやがて必然的に“何らかの大義”を招き寄せてしまう。糸井が選択したのは“自己表現”になどなりえない“表現”としての広告コピーだったのではないか。(外山恒一『改訂版 全共闘以後』イースト・プレス)
- せっかく無意味な表現である俳句をやりながら何らかの大義や党派を繋げてしまうのはセンスがない。
- 新型コロナウイルスは第七波が来ているけれど、第五波フェミニズムに期待する。
- 幼女を最強のフェミニストに育てる活動、そのために鉄壁のアンチ・フェミニストになる。
- 九州銘菓くろぼうと牛乳にはまる。
- 岸田首相、安倍国葬・原発九基再稼働などと突然働きすぎである。
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さらに吉本は反核運動批判を機にそれら新旧の左翼的言動を「ソフト・スターリニズム」という造語で全面批判するに至る(外山恒一『改訂版 全共闘以後』イースト・プレス)
- 全人類という空虚な立位置で反原発や反地球温暖化が語られるのは言論の退廃だ。
- 国葬で休日にならなそうだし、郵便休配にもならなそう。
- 7月15日(金)、浜松は新盆の地域なので18時ごろに寺施餓鬼へ参った。〈もりものに搖ぐ灯影や施餓鬼棚/王城〉
所以9
- 古い憲法で悪いことはない、古い価値観で悪いことはないように。憲法も価値観もアップデートする必要はない。
- 新旧は正誤ではない。
- 良い政治家や悪い政治家はいない。一人の政治家がある市民にとって良い政治家になるし、別の市民にとって悪い政治家にもなる。
- この場合の良い・悪いは容疑や前科とは関係ない。
- 投票する、とは全有権者から選挙結果に従うよう圧迫を受けること。
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「私に言わせれば、この世界はホッブズ的であって、カント的ではない」(民主主義の徹底は世界を混沌に陥れるのか)
- もう「すみません」は「ありがとう」の同義語でいい。
- フラワーカンパニーズがライブハウス窓枠へ10月に来るということで少し盛り上がる。
- 〈この町に育てられたと言うことは容易く風はひどく冷たい/庄野酢飯〉「墓を洗って」短歌生活2021年版、「容易く」は「たやすく」とルビ。町は人の集まりではなかった。
- 〈「秋本にご注意ください」空港の動く歩道の繰りかへしたる/秋本哲〉「許す」短歌生活2021年版、「足元にご注意ください」ではなく。
- 7月13日(水)朝、東京各地にたくさんの部屋を借りてしまったあと青白く明るい共同浴場に入る夢から醒めた。
- 長田弘『自分の時間へ』講談社で〈血と雨にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする/岸上大作〉を知る。