- 私は、精神の幸福を希求するジャンルを精神文化と呼び、物質の幸福を希求するジャンルを物質文化と呼ぶ。
- 物質に幸福なんて精神はないので、つまり物質文化はまやかしだ。
- 文化不毛の地だと気付けるのは高い文化力があるから。
- でも応用文化ばかりに着目しても基礎文化が育たなければ応用文化は付け焼き刃のまま。
- 推測もできない所業が天才と呼ばれるだけ。
-
所不帰爾帑者、有如河(『春秋左氏伝』文公十三年)
- 「所不……者、有如……」は河神などへ誓盟するときだけの漢文表現
- 神の名を言うだけで神罰が下る表現になるという前提
- ヒップホップの四大要素、ラップ・DJ・グラフィティ・ブレイクダンス
- SHURO
- 浜松市のオフギャラリー活用事業ドコデモアルト、国際補助語エスペラントのarto
- nuunu Kyoto、エスペラント語のnur unu
- 呉と虞、虞が本家で呉が分家説あるの面白い。
- 鹵簿、行幸の行列
- 神山重彦『物語要素事典』国書刊行会
- 熱海芸術祭
- お茶の間≒家庭のテレビに恋愛≒性愛の場面が映ると気まずいのは家庭の核心が恋愛≒性愛なのに相反する概念だからかも。
- 平和の核心が戦争であるのに忌避されるのと似ている。
-
最初から結論を持っている者には、何を説明しても無駄でしかないことが多い。たとえ彼の意見が革新的であっても、現実面では、経験を積んだ機会主義者とくらべ、遥かに劣る。(佐藤大輔『皇国の守護者2』中公文庫)
- kāle prāte 時が来て
-
春をひさいだあとに/砂あそびをするひとたちの/湿った髪にも 雲がかかった(久谷雉「石段」『花束』思潮社)
-
わたしたちは/つがいになるよりも先に/天使のなきがらについて/話をしなければならない(久谷雉「被災」『花束』思潮社)
-
すべての/すべての話をしなければ――(久谷雉「被災」『花束』思潮社)
-
あなたも/家鴨の力だったのですか(久谷雉「童謡」『花束』思潮社)
- 『花束』は、宝箱のような手の内にあるきれいなことばで現実世界に似た世界をブロックのようにギリギリ組み立てたような際どさがある。
- 花束は生贄少女の代替だから表題もそういうことなのだろう。
- 6歳児は足裏マッサージですぐ寝る。優しい力でゆっくりかかとから指先まで。
- dvi-「2」という数詞を両数形dvauにすると本来ひとつのものが2つある驚きを表せる。
所以174
- eMAFF農地ナビ
- 一人の読者には一人の作家で充分なのかもしれない。五千万人の作家と五千万人の読者と。
- サンスクリットは古代のエスペラント
-
サンスクリットは、奇妙な言語である。この名称は、「完全なものにされた」を意味する「サンスクリタ」というサンスクリットの単語(過去分詞形の形容詞)に由来する。、(赤松明彦『サンスクリット入門』中公新書)
-
つまり、不規則な語こそがよく使われていた語だということができるのであり、その社会と文化にとって重要な概念を表す語であったということができるだろう。(赤松明彦『サンスクリット入門』中公新書)
-
絶対語末に来る子音は1個に限られる。単語の語尾の変化に際し、2個以上の子音が語末に来るときは、最初のものだけが残る。(赤松明彦『サンスクリット入門』中公新書)
-
サンスクリットにおいて能動態は、「パラスマーイパダ(Parasmaipada)」「為他言」と呼ばれ、他者のための動作を示すと説明される。他方、中動態は、「アートマネーパダ(Ātmanepada)」「為自言」と呼ばれ、自己のための動作を示すとされる。(赤松明彦『サンスクリット入門』中公新書)
- 家族主義は平和主義と結びつき、恋愛主義は戦争主義と結びつく。恋愛至上主義は否定するが恋愛そのものは否定しない。
- 恋愛≒性愛
- そもそも婚姻は平和的な外交手段であり、恋愛は争奪と排除だ。
-
元々はすべての乳牛が「A2」でしたが、現在日本では「A2」のみの遺伝子を持つ乳牛は全体の3〜4割程度です。(A2牛乳(A2ミルク)とは?)
- 言い尽くしてからの文芸
- 詩人蛻骨
-
龍蛻骨於深谷(曹植「神龜賦」)
- 俳句はまんなかを空洞にして作る。
- tattvamasi 君は其れである。
- 君と其れとは現象的に顕現したものだから言語上の性が不一致説、あえて異なる言語上の性にすることで両者が同一であることを言う説。
-
ハンニバル・バルカ(Hannibal Barca, ポエニ語: 𐤇𐤍𐤁𐤏𐤋𐤟𐤁𐤓𐤒, 紀元前247年 - 紀元前183年/紀元前182年)(ハンニバル)
- 韓信の没年が紀元前196年
-
ここで、「名詞と形容詞」とひとまとめにして言っているのは、サンスクリットでは両者の間には形のうえでの区別はないからである。(赤松明彦『サンスクリット入門』中公新書)
- 杜其意、その考えをやめさせる、杜はふさぐ
- 文契、証書のこと
- 器能、才能のこと
- 俳号はプロジェクト名
所以173
- 会計(日本語)、計会(漢文)
- 宜莫如太子、宜しく太子に如くはなし
-
同(1926)年11月、旧交を温めようと訪ねてきた盛岡高等農林学校時代の友人・小菅健吉に対し、「世界の人に解つてもらうようエスペラントで発表するため。その勉強をしている」と語っている。 この年の12月2日、賢治は七度目の上京をするが(12月29日まで)、エスペラントの学習も目的のひとつだった。丸ビルの879号室にあった旭光社でエスペラントを学び、エスペランチストだったフィンランド公使・ラムステットの講演を聞きに行ったりした。 (宮沢賢治とエスペラント)
- 宮沢賢治(〜1933)の晩年におけるエスペラント学習
- エスペラントのように言語への関心、踏み込めば言語改造への関心。
- 表現したい世界を表現するための道具として今ある言語をたわめ詩語をつくる。
- 宮沢賢治の郵便制度への関心、言葉を届けることへの不安
- ポケベル一斉爆発、いつからモサドに、イスラエルに常識が通用すると思い込んでいた?
-
これらは、出版・朗読・合評・読書会・即売会を含む詩の総合教育システムといえると僕は考えている。(平居謙「蠢く京都、のプロデュース」『京都ダイナマイト!』草原支詩社)
-
くわえて関西、とくに京都という土地がコンテンポラリー・アートやマイナーな芸術に対して豊かな襟度を持しているため、企画の方向性や規模の大小を問わず実現することが容易であったということが大きかっただろう。(chori「パフォーマーたちの現在」『京都ダイナマイト!』草原詩社)
-
序文が後についているというのは、司馬遷の『史記』、班固の『漢書』、楊雄の『法言』など、昔の著述の体裁です。(頼惟勤監修『説文入門』大修館書店)
-
指揮が上手なら王陽明みたいなことになりますよ。(頼惟勤監修『説文入門』大修館書店)
- あなたが生きづらいのは属性ではなく個人差だよ。
- 私も誰もかもが自分以外の者たちreliquiにとっての自分以外の者reliquiであり、誰かの権利を圧迫している。そのことによる指弾や責任を逃れるために責任者たる為政者=権力者を欲して、為政者=権力者を指弾する。
- しかし為政者=権力者を必要としたのはわれわれ個人だ。
- 軍才に必要なのは空間認識力と人間観察力
- テロワールterroir
- ジャムでしか見たことのないルバーブに出会う気持ちでオフ会へゆく/小俵鱚太
- たしかにルバーブはジャムでしか見たことない。ネットのむこうの人もジャムの人だ。
- 林楷倫『廚房裡的偽魚販』
- 説、セツは述べるとき、ゼイは意見を述べて従わせるとき
-
能力評価は、その能力が用いられるべき状況が明確に示されないと意味がない。(佐藤大輔『皇国の守護者』中公文庫)
-
沼野 文学研究におけるフロイト的な方法というのは、すごく低俗な形では、これはペニスの象徴だとか、この穴はなんだとか、そういうことをいくらでも言えるわけです。だから、やりすぎると、作品がズタズタになっちゃう。(「あの『ロリータ』の著者と三島由紀夫は、「フロイトぎらい」だった…そこから見えること」)
-
チンギス・ハーンは騎馬兵には側対歩の馬を与え、揺れによる兵士の疲労を軽減し、移動効率を高めていたそうです。(検証チンギスハン伝説)
所以172
- 家があれば幸せだと言う人には家は建てたくない。建てても幸せになりそうにないから。
- 家がなくても幸せだと言う人には家を建てたい。幸せになりそうだから。
- 青天の天竜川の花盛/月野ぽぽな、どこかな
- 改革历程、改革歷程、趙紫陽
- 雖得良材、不能構慶。雖得良貨、不能購幸。
-
そうではない、そんなことをしなくても、われわれはすでに若干の真なる観念を持っていて、基準を云々する前から真だと知っている。(上野修『スピノザ考』青土社)
- 内定規定 denominatio intrinseca
-
スピノザ哲学は経験であれ概念であれその分析によって進むタイプの哲学ではない。彼にとって事柄は分析されるのではなくて証明的に構成さらるべきものだからである。(上野修『スピノザ考』青土社)
- スピノザの必然主義>因果的決定論
-
並行論でスピノザが言おうとしているのは、この現実はどこもかもが真理でできているという当たり前のことだと思う。本当だけが存在していてほかには何も存在しない。(上野修『スピノザ考』青土社)
- 観念と事物の並行論→真理の同一説、verumとesseの可換性
-
ただ『エチカ』は、そういう「証明をやっているもの」がまさに証明によって定理の中に姿を現わすというふうになっている。(上野修『スピノザ考』青土社)
- omne esse
-
そこからスピノザはわれわれの精神が無限知性の一部であるという驚くべき結論を導く。われわれが証明を理解するその知性は、証明によれば神の無限知性の一部なのである。(上野修『スピノザ考』青土社)
- 群集の力能 multitudinis potentia
- 或人有妻而無家也。妻曰「吾今不幸也。借汝構家吾必得幸矣」。其應曰「雖吾構家、汝不必得幸」。翌日妻曰「吾今幸也」。其曰「吾欲構家。借吾構家、汝必得幸。」
-
ここにはもはや、契約による義務づけのロジックもなければ代理のロジックもない。あるのは各人の「事実上」の服従行為を生産するある種の非対称性、すなわち各人がそれぞれに群集内部で自分以外の〈残りの者〉の全体と対峙し、それとのあいだに見出す圧倒的な力の差、この差だけなのだ。(上野修『スピノザ考』青土社)
- 自然権jus naturale↔国家的civile
- 自然の権利jus naturaeは、国家的という対立項は持たない絶対的な用法における自然
-
われわれは近現代哲学におけるスピノザ受容に共通する一つの特徴にきづいた。それはひとことで言うと、魅惑と恐怖のアンビバレンスである。(上野修『スピノザ考』青土社)
-
スピノザ主義は唯一の整合的な汎神論であり、絶対的合理主義であり、あらゆる合理主義の原型である。だから危険なのだ。(上野修『スピノザ考』青土社)
-
スピノザの必然主義は、およそすべての真理は必然的真理であるという帰結を伴う。(上野修『スピノザ考』青土社)
- 自分以外の者・残りの者reliqui(複数形)
-
あたかも一つの精神によってのように人間の群れが法の声に導かれる事態があるとすれば、そこには必ず、各人の外、各人のまわりに「残りの者」の力として現れる圧倒的な群集の力能がある。(上野修『スピノザ考』青土社)
- 廃人蛾号さんは廃人餓号さんと同一俳人物?
所以171
- 密輸1970밀수、群川군천
- 壱(副詞)、まったく、もっぱら、「壱似重有憂者」
- 言語不足採者、言葉は採るに足ぬ者
- 溺、デキはおぼれる、デウ・ネウは尿
- 志村貴子『敷居の住人』ビームコミックス、ヴァルター・ベンヤミンの境界線Grenzeと区別される敷居Schwelle。
-
しかし、ベンヤミンは敷居が儀礼的な構造的連関を背景とするひとつの領域であることを正確に見抜いている。(犬の街──境界の都市人類学のために | 田中純)
- 流麻溝十五號、台湾白色テロについての映画だと「返校」も。
-
仮借が字音の近接性を媒介として、同字同音異語をもたらす現象であるのならば、転注は、字義の近接性を媒介として、同字異音異語をもたらす現象です。(戸内俊介「街角の漢字の源流を辿って」『入門 中国学の方法』勉誠出版)
-
而詩人則為神話之仇敵、蓋當歌頌記敘之際、每不免有所粉飾、失其本來、是以神話雖托詩歌以光大、以存留、然亦因之而改易、而銷歇也。(魯迅「第二篇神話與傳說」『中國小說史略』)
- 詩人は神話の敵だ。神話本来と詩的粉飾
- いいことをやっていれば助け合う静岡と俺が俺がの浜松と言われるけれど
- 象徴資本の贈与があるのが交友圏、ないのを含むのが界隈
- 京都chori後継者戦争
- 「最強の者が帝国を継承せよ」ディアドコイΔιάδοχοι
- 評価されたがるのはいいけれど象徴資本は努力して積むべし。
- 広東語で交流電を濕電といい直流電を乾電というの、乾電池が直流電だから混乱する。
- 2024年9月12日産経俳壇対馬康子選〈国は夜ずっと流れているプール/以太〉
- 工作者、第五列
- 蓓華
- 芸術を複雑にしない。
- 選択的夫婦別姓は賛成だけれど少子化対策としてのそれには反対。なぜなら欺瞞だから。
- 少子化促進のための選択的夫婦別姓には賛成。
-
まず題のつけ方が変わっている。名詞を三つ並べるときの日本語の習慣は、『狼森、笊森、盗森』とするか、『狼森と笊森と盗森』のどちらかをとるのがふつうだ。英語っぽくやるとしても『狼森、笊森そして盗森』だろう。どう見ても、この並べ方は不自然だ。(谷川雁「狼森と笊森、盗森」『賢治初期童話考』潮出版社)
-
たしかに『水仙月の四日』は母系の物語、『やまなし』は父系の物語と言える。(谷川雁「やまなし」『賢治初期童話考』潮出版社)
-
〈母〉のイメエジが突出してくるのは、むしろ家父長制のもとにおいてである。(谷川雁「やまなし」『賢治初期童話考』潮出版社)
-
安全と恐怖が敷居地形の両極となる。(ヴィンフリート・メニングハウス、伊藤秀一訳『敷居学』現代思潮新社)
-
このように明白に敷居や敷居行為や敷居形態によって分節された世界では、敷居の破壊や平坦化は解放の行為ではなくて破滅を、神話的に形成された世界に混沌が侵入することを意味する。(ヴィンフリート・メニングハウス、伊藤秀一訳『敷居学』現代思潮新社)
所以170
-
焼失した声帯 又は すべての故郷を異郷と思うもののために(村岡三郎、Oxygen Shiga)
- 谷川雁、反パルタイ的パルタイ
-
石牟礼の筆致では、水俣の民衆を、患者を被害者と単純化して捉えてしまいかねない。この民衆には、負い目がないかのように書く。そのことを谷川雁は批判しているのだ。どんな人間であれ、純粋な被害者などは存在しないだろう。(森元斎『国道3号線』共和国)
-
ことに水俣だけでなく、日本社会を取り巻く問題をテーマとして扱うのならば、民衆や患者による加害責任を問うこともまた重要だ。(森元斎『国道3号線』共和国)
-
谷川は、近代的な主体を基盤にした社会の生成を説くよりもむしろ、アジアの日本の、そして九州の人々の「村」を基盤にした自立性を掘り起こしていき、それを徹底することで社会の生成を見ていく、あるいは革命の担い手を醸成していくことの方に希望を見出していると思われる。(森元斎『国道3号線』共和国)
- 自民党は農村であり、他の党は政党である。だから自民党が与党になっている。
-
大正行動隊を名乗るか否かは登録制ではなく、個人の自由に委ねられていた。名乗るからには全力でそれを個人個人が自覚して行動を行なうこと。しかも面白いことを。(森元斎『国道3号線』共和国)
- 語言共事、『意象萎縮』『鼓聲若響』『三生萬物』
- 椒盐豆豉
- 小球飞鱼
- atago feels(あたごフィールズ)、旧下阿多古中学校跡
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土着主義と西洋趣味。農民文化への指導者的位置と山人文化への郷愁。方言使用とエスペランティズム。これら宮沢賢治を構成しているさまざまなものたちは、彼が〈文化と文化のはざま〉にあって、逆に〈文化と文化の衝突の調停〉にみずからの文化的貢献の場を見出そうとしていたことをあらわしている。(西成彦「クレオール」『宮沢賢治ハンドブック』新書館)
-
賢治が銀河系をぜんたいとして一個の物理化学的なシステム(内部ではげしい反応や運動がある)とかんがえていたことは特筆されてよい。しかも彼は、それを「密教風の誘惑」とよんで、エロスさえも感じたらしいのである!(斎藤文一「銀河・銀河系」『宮沢賢治ハンドブック』新書館)
- 聖別化される作家はその象徴資本の蓄積によって聖別化されているのであって、全てその技量に拠るものではない。
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賢治のもつ過敏さと攻撃的な過剰性とは、人をも自分をも傷つけなければやまないような性質のものだ。(吉田美和子『宮沢賢治 天上のジョバンニ・地上のゴーシュ』小沢書店)
-
ローカルな地方語と標準化された共通語との問題ではない。その人の生い育ってきた母語とは、都会であれ田舎であれ家族や地域社会いわば世界全体の中で、彼がどのように外界にむかって位置しあうのかの《関係性》の文体である。自明のそこからずりおちることで、人は内語としての自意識の文体を紡ぎ出す。(吉田美和子『宮沢賢治 天上のジョバンニ・地上のゴーシュ』小沢書店)
-
伝わらなくてもかえってそのことが作品としての自立性を保証するという自信が彼にはあるのだ。(吉田美和子『宮沢賢治 天上のジョバンニ・地上のゴーシュ』小沢書店)
-
すなわち、昼の世界、現実の世界である農学校教師の仕事と、闇の世界、幻想の世界であるあの《銀河》――書くとこの仕事とを、同時に二重に感受してゆくことである。(吉田美和子『宮沢賢治 天上のジョバンニ・地上のゴーシュ』小沢書店)
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科学者賢治の中で、銀河のシステム、天体の運航はなお、菩薩の意志と合致するものでなければならなかった。(吉田美和子『宮沢賢治 天上のジョバンニ・地上のゴーシュ』小沢書店)
- 昭和八年七月十八日、『アザリア』同人だった河本義行(河本緑石)の水死
-
「鹿踊りのはじまり」は、今日も東北に伝わっている「鹿踊り」の起源を、剽窃の文化として説明している。(西成彦『森のゲリラ宮沢賢治』岩波書店)
-
宮沢賢治の文学もまた、これまでこうした近代文学の郷土主義的傾向とコスモポリタニズムほ綜合として論じられることがほとんどだったのである。(西成彦『森のゲリラ宮沢賢治』岩波書店)
-
コスモポリタンというよりも、むしろコスミックと形容した方がふさわしい宮沢賢治(西成彦『森のゲリラ宮沢賢治』岩波書店)
- ↑東北コンプレックスを露骨にあらわした極端なコスモポリタニズム
- どこの地でもクレオールな文学は可能
-
宮沢賢治とは、日本語を用いたクレオール文学の先駆者というよりは、むしろ日本語を用いた文学作品の中で、クレオール文学の正常な発育が阻害されずに済んだ稀なケースなのであった。(西成彦『森のゲリラ宮沢賢治』岩波書店)
- 国語教育から漏れてしまった山猫の召喚状(「どんぐりと山猫」)
- 異類同士をむすびつける国語が人間を食肉にする。(「注文の多い料理店」)
- 音楽教育と「セロ弾きのゴーシュ」
-
植民地主義そのものは異類同士の友愛の形式として構想された原理であったにもかかわらず、その不完全さゆえに、いまのところ弊害ばかりが目立つ世界文化の一形式である。(西成彦『森のゲリラ宮沢賢治』岩波書店)
-
宮沢賢治において、北は選ばれた方位である。南からやってくる到来者に対して、北は不可逆的な変質をもたらす異界特有の作用を及ぼす。(西成彦『森のゲリラ宮沢賢治』岩波書店)
- 鉄道の先にあるのは死か? 銀河鉄道とアウシュビッツ収容所へ向かう鉄道とシベリア鉄道と
-
宮沢賢治は、日本語をまるでそれがクレオール言語であるかのように文学に用い、クレオール化の途上にある言語の弾力性をいっそう高める方向に、日本語を酷使し、屈折させる。(西成彦『森のゲリラ宮沢賢治』岩波書店)
- 米→オリザ
- かぎりなくクレオール化された日本語
- 宮沢賢治はコスモポリタンではなく宇宙人。
所以169
-
大方の人は言語思考と視覚思考の両方を組み合わせながら考えるものだ。(テンプル・グランディン、中尾ゆかり訳『ビジュアル・シンカーの脳』NHK出版)
- 視覚空間型思考判定テストが10/18だったのでギリギリ視覚思考者かも。
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視覚思考とは、脳の働き方、つまり視覚情報の受け取り方なのだ。(テンプル・グランディン、中尾ゆかり訳『ビジュアル・シンカーの脳』NHK出版)
- 物体視覚思考者↔空間視覚思考者
- 三つの思考者がいるというより、〜思考偏重者や〜思考過多者もいるという感じが実態に近いのではないか?
- 多行俳句は物体視覚思考と言語思考のハイブリッド詩型
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物体視覚思考は危険を予測して事故を防止するのに役立つ。(テンプル・グランディン、中尾ゆかり訳『ビジュアル・シンカーの脳』NHK出版)
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物体視覚思考者なら、ずさんな仕事が目に飛び込んでくる。言語思考者にとっての誤字脱字と文法の間違いだらけの文章のようなもので、意味が通らず、修正すべきものとして映る。(テンプル・グランディン、中尾ゆかり訳『ビジュアル・シンカーの脳』NHK出版)
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動物は感覚に基づく世界で暮らし、視覚や嗅覚、聴覚、触覚で考える一方、私たち人間は言葉を重視する世界で暮らす。言葉は感覚をあざむき、感覚情報を素直に受け取る妨げになる。(テンプル・グランディン、中尾ゆかり訳『ビジュアル・シンカーの脳』NHK出版)
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この話で痛感したのは、言語思考のせいで、感覚に基づく動物の世界を理解するのがどんなに困難になっているかということだった。(テンプル・グランディン、中尾ゆかり訳『ビジュアル・シンカーの脳』NHK出版)
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俳句がいわゆる機知に関係していることは、誰もが認めうる。(絓秀秀実『詩的モダニティの舞台』論創社)
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機知としての詩的言語というあり方は、散文に対する詩の大きなメリットであると同時に、今日の文学において覆いがたいデメリットをもっていることも否定できない。(絓秀秀実『詩的モダニティの舞台』論創社)
- 党の指導者=預言者の存在を斥ける1968年の磁場
-
六〇年安保を主導し、そこから「擬制の終焉」や「定型の超克」といった言葉を抽出した詩人たちも、フラヌール的というよりは、預言者的な存在として自らを確立していたわけである。そして、預言者たらんとした者は必ず「挫折」して「呪われた詩人」として自己完結していくほかはない。(絓秀秀実『詩的モダニティの舞台』論創社)
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では「六八年」とは何であったのか。それは、むしろ預言者の存在を斥けるところに、その新しい磁場があった。(絓秀秀実『詩的モダニティの舞台』論創社)
- Plena Manlibro de Esperanta Gramatiko、Bertilo Wennergren
- lingvohelpilo、エスペラントの文法チェック
- Plena Ilustrita Vortaro
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Reta Vortaro実用エスペラント小辞典 《第1.8版》
-
ZpDIC Online、人工言語のオンライン辞典
- Avendia、シャレイア語
- Tomohiro Nakano、フィラクスナーレ
- 人工言語学研究会
所以168
- 全体を賑わせれば自らにも利があるのに、その初歩で他人を利させるのが嫌だという理由で全体を賑わせず、そのため自分にも利がないということはある。
- 詩歌界隈は(それ自体は悪いことではないけれど)病んでいる人とイキる人が目立ってしまうのでそうではない人へ焦点を当てたい。
- 両者に違いはあるのか?
- 詩がないと死んでしまう人のためではなく詩で楽しむ人のための。
- 猛暑日や日本列島鬱血す/吉竹純(朝日俳壇2024/9/1小林貴子選)
-
三篇から成る詩群「五輪峠」の重要性は、とくに次の点によるのである。つまりこれに先行する詩集『春と修羅』第一集の有名な「序」に接続し、「序」の思想がほとんど間をおかずにうつされたとみなされることである。(斎藤文一「五輪峠」『宮沢賢治ハンドブック』新書館)
-
ぼくらが深層に共有しているイメージみたいなのがあるんです。それをどれだけ上手く感受して選べるか。(穂村弘『はじめての短歌』河出文庫)
- 22
- 雨宮敬次郎と遠州鉄道
- Gemeinschaft共同体↔Gesellschaft組織
- 新季語「悲秋」、関連季語「秋思」
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萬里悲秋常作客/杜甫(「登高」)
-
老去悲秋強自寬/杜甫(「九日藍田崔氏莊」)
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少女の乳にしゃぶりつく老いた男たちは、世界の頂点で永い青春を謳歌する。(林奕含、泉京鹿訳『房思琪の初恋の楽園』白水Uブックス)
- 房思琪的初戀樂園
- 摜蛋(グアンダン)、江蘇省淮安市のカードゲーム
- 強き者の理論をもちて馘首せし二人に来むかふ冬を思へり 湯本竜
- ハマスの行動は虐げられた者の義挙なのでやむを得ないという発想は、大日本帝國の真珠湾攻撃を擁護する発想へ繋がる。
- 九郎判官義経と赤穂浪士
- 列強に虐げられた日本という神話を信じ本土決戦を経ないまま無条件降伏した日本人の無意識の抵抗が戦後民主主義のナルシシズムでありパレスチナ贔屓。
- 珈琲豆のエレメント、コロンビアやケニアは風、ブラジルは土、パプアニューギニアは水、インドネシアやグアテマラは火
- 砂糖を煮詰めた。
所以167
- テキトーをまじめにやってしまう。
- ひとつの言語しか響かないのは国民国家、連邦ではないのに複数の言語が響くのは帝国
- 100回目の甲子園での韓国語校歌は大日本帝國の復活を予兆する。
- 韮は洗って切って冷凍保存
- 詩丼の会場でchoriの死を知った。
- アトリエ茶葉
- 文學人.com及新詩.com
- 幼獅文藝
- 心内語
- 会(たまたま)、ちょうどそのとき
- 収破燕、敗戦の燕国を収復する
- 『民字集』生活營造の本、香港の街中で集めた民體字の記録
-
いま仮に「我読書」という文から「読」の字を用いて読む人の方を表そうとすれば「読者」といい、読まれる書物の方を表すには「所読」とする。(西田太一郎『漢文の語法』角川文庫)
- 者:別事詞
-
だから詩歌は、人間に対する異議申し立てをする痛烈な武器であり批評のツールなんだけど、いかんせんそのツールを駆使できる人が社会的にダメな人ばっかりなんですよ。(穂村弘『はじめての短歌』河出文庫)
- 草一本一本が人類滅亡を待つ マブソン青眼
- 空飛べぬ人間ばかり 雪に血痕 マブソン青眼
- これがまあ地球限定の満月か マブソン青眼
- ゆがみひがみ 窓にかかれる赭こげの月 われひとりねむらず げにものがなし 宮沢賢治
-
つまり、これらは短歌の律をもった別の詩片と言わなければならぬ(谷川雁「原基としての空」『国文学 解釈と鑑賞』1988年2月号)
-
たしかに少年の視線は高い。うつむいて地面を見たりすることはあまりない。けれども視線の行手にあるのはただならぬまがまがしさ、邪悪ともいうべき巨大な意志の動態である。こんなえたいのしれない空はかつて日本の文学史上にあらわれたことはなかった。(谷川雁「原基としての空」『国文学 解釈と鑑賞』1988年2月号)
-
しかるに賢治の〈短歌律の詩片〉はこの限界にむかって、むろん意識はしていないが、暴力的なハンマーをふるったにひとしい様相を呈している。(谷川雁「原基としての空」『国文学 解釈と鑑賞』1988年2月号)
-
このように空は賢治にとって、少年期から死にいたるまで幻想と科学と宗教の遭遇する場であり、感性の歌う泉であり、表現のるつぼであった。(谷川雁「原基としての空」『国文学 解釈と鑑賞』1988年2月号)
所以166
-
ラジオの音声が、家族には見えない「社会」の流れを象徴する。『牯嶺街少年殺人事件』において画面外の音は、人々を気遣うことのないこの社会=時代の自動性を表現する。(濱口竜介『他なる映画と2』インスクリプト)
- 『牯嶺街少年殺人事件』の縦書きの句点。と読点,は文の右上ではなく真ん中に打つ。原稿用紙の真ん中に。
-
というのも、若い時代でないと培われない「俳句勘」があるのです。十代、あるいは二十代の初めに俳句を覚えたような人は、目にしたもの、耳で聞いたことを、頭で考えずに俳句にできるんです。(小林恭二『これが名句だ!』角川学芸出版)
- 「吾与諸君絶矣」わたしは諸君と絶交した!
- 命令や義務の「すべき」を導くには必ず起こる未来が必要。
- 読むことの加害性
- 「執一之君子」、一つのことに専念君子=ヲタク
- 自分の領域から一歩も出たくないのが今の読者
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〈断片化〉は、シネマトグラフの制作において最重要の営為の一つだ。(濱口竜介『他なる映画と2』インスクリプト)
- レンディル浜松
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凡そ文学的内容の形式は(F+f)なることを要す。 Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに附着する情緒を意味す。(夏目漱石「文学論」)
- 人生の部分品
- アルコール飲料は航海のときなどの保存の効く水分補給手段となる。
- 浜松市の消防テレホンガイド
- 作品に著者名をつけるのは商業と資本の理屈だ。
- サンタクロースの従兄は豚肩ロース、誕生日プレゼントをもらうにふさわしい子かを審判する。
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だから他者への優位さを求めて禁欲をする人は、残酷で酷い人が多いですよ。宗教以外のコミュニティでも見るでしょう。自分は辛い思いをしているから他人より偉いんだと言う人が(https://www.tumblr.com/handa/759315461910462464/y-kasa)
- 控弦:弓の射撃兵
- 有諸:そういうことはありましたか
- 天子=天吏
- 揣摩(の術)、蘇秦が周書陰符で得たもの
- 可と可以、行為者が主語のときは可以、「天吏可以伐之」、被行為者が主語のときは可、「燕可伐」(※燕を伐ってもよい)
- 砂テトリスSandtrix
- 善人の顔をした悪魔は褒めて相手を滅ぼす。
- 世間は有名な凡人と無名な凡人には優しく、無名な天才には厳しい。
- 世間は有名な天才を崇めるので無名な天才は有名な天才を目指そうとして、挫折する。そもそも世間は天才を理解できないからだ。
- 天才は活動するジャンルを精査した方がよい。
- クリプトムネジア
- 黒枠の葉書
- 貧而無諂、富而無驕
- 菅浦惣、自治組織
- 2025年8月23日(土)再詩丼
所以165
- YAMAMOTO PAPER
- 1041uuu展示室
- 『放射線ポケットブック』中部原子力懇談会
- 村上春樹や俵万智や谷川俊太郎には替えが効かないけれど、日本文壇や日本歌壇や日本詩壇における村上春樹や俵万智や谷川俊太郎的立ち位置には替えが効く。
- 企業内詩人の雇用
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辻さんのオファーは「これからの時代は人文知ベースの監査が求められるようになる。だからこそ、哲学研究者に経営をモニタリングしてほしい」との意図(会社が哲学者を「雇用」する時代に。数値化されない利益を生み出す「企業内哲学者」とは?(佐々木晃也さん))
- 何かミスをしたときに「もう二度としません」と言う誠実を装った不誠実、「またやるかもしれません」と言う不誠実に見せかけた誠実。
- 「またやるかもしれません、でもそのときはあなたの顔を思い浮かべます」
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為侯者得東歸不?(「酷吏傳」『漢書』)
- マンガ図書館Zはどす恋ジゴロを読める。
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書院にて夕飯出る。酒一返廻る時、東北より鳴り轟きて地震す。(朝陽重章『鸚鵡籠中記(下)』岩波文庫)
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地震ますます強く、書院の鳴動の事夥しく、大木ざざめき渡りて、大風の吹くがごとく、大地動震して歩行する事を得ず。(朝陽重章『鸚鵡籠中記(下)』岩波文庫)
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名古屋中にて地震にて疵を蒙る者一人もなし。いわんわ死する者をや。但し臨産などの病人を介抱せずして死する者は間々あり。そのほか尾の御領分中にて、地震にて死する者いまだこれを聞かず。幸のまた幸なり。(朝陽重章『鸚鵡籠中記(下)』岩波文庫)
- 宝永4年10月4日の宝永地震
- ハブルシュ国
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それは荷風の健脚や情熱と同時に、明治漢詩の雄・永井禾原(ながいかげん)の子であり友人も多く漢学の家に育っていた、荷風の東京漢詩壇ネットワークの稠密さを証しだてているのである(【文庫解説】大正時代の「奥座敷」──永井荷風『断腸亭日乗 第一巻』より)
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池澤 『マシアス・ギリの失脚』はマジックリアリズム風に書こうと最初に決めたんです。マジカルな話をいっぱい出してもいいし、筋が通らなくてもいい。そう考えて書いたのですが、できあがってから見ると、お行儀が良すぎた。/なんでかというと、そこにはカトリックがないからなんですよ。あれがないと闇が深くならない。暗くしようと思っても暗くならないし、犯罪が犯罪らしくもならない。(『百年の孤独』に影響を受けた作家が同じ失敗を感じたはず…ガルシア=マルケスを超えられない理由とは? 池澤夏樹と星野智幸が語る【第5回】)
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無意識に歩くのであれば特に違和感を何も感じさせないところに、ここでは余計に「歩こう」という意図を加えているために、意識と無意識がからだにおいてコンフリクト(衝突)を起こしています。(濱口竜介『他なる映画と1』インスクリプト)
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『牯嶺街少年殺人事件』においては、見てきたすべてがある事件を契機として「再構造化される」という事態が起こります。それは「すべての出来事は、ここにつながっていた」という感覚であり、「運命」という避けようがない流れのなかにいるのだ、という強烈な感覚です。(濱口竜介『他なる映画と1』インスクリプト)
- 蟇誰かものいへ声かぎり/加藤楸邨
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結果論ではありますが、そうした庶民の苦痛を代弁したのは、一握りの軍人たちでした。彼等は沈黙する庶民に代わって「ものをいい」、日本を破滅に導いたのです。(小林恭二『この俳句がスゴい』角川学芸出版)
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わたしたちは普段あまりに似た環境でひしめきあって暮らしているために、長々とものをいわないでも通じあう部分が、ひじょうに多くなっているのです。そのことが俳句という畸形的に短い文藝の発達を促した、とわたしは考えています。(小林恭二『この俳句がスゴい』角川学芸出版)
- 金子兜太と流線型の時代
- 理性と論理は相反する概念で、むしろ本能と論理はほぼ同一の概念。
- 吉行淳之介と宮城まり子のねむの木学園を支えた3つの約束
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一、途中でやめると言わないこと。二、愚痴はこぼさないこと。三、お金がナイと言わないこと(「宮城まり子、88歳の日々」婦人画報2015年11月号)
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高山教授によると、いわゆる「銅像」が輸入されたのは明治以降。軍国主義が進むと軍人像が増えたが、戦中の金属供出や、戦後、軍国主義の排除を目指したGHQの政策で大半が撤去された。代わって登場したのが、歴史性、政治性の薄い「乙女の像」だという。(街のモニュメントなぜ女性の裸体?「公共の場にこれほど多いのは日本だけ」)
- スジャ測定所
- 自分の裸体像を造ってくれとは誰もが言いにくい。だから密かに造って欲しい人のために積極的に裸体像は造るべき。
-
ブロブには720種類近くの性別があるため、大きな注目を集めている。フィサルムにおいて、性は複数の変種体に表れる一連の遺伝子によって決定される。モジホコリは胞子を放出することで繁殖するが、その胞子が生殖細胞となる。生殖が成功するには、これらの生殖遺伝子の変異体を内包するふたつの生殖細胞が出会えばいい。(性別が720種類で、脳がなくても学習!? 謎の生物「ブロブ」にまつわる、5つの疑問)
- モジホコリ
所以164
- 「◯◯は誰も傷つけない」はたまたま自分が傷ついていないだけ。生きるものは必ず誰かを傷つける。
- 小児性愛が誰かを傷つけても同性愛が誰も傷つけないという言説は、傷ついてはいけない人と傷ついてもいい人への差別を正当化するための修辞法だ。
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だから寮生は寮の外側にあるしがらみや常識(という、いつのまにか身に付いた思い込み)や権威との結びつきからいったん解かれている必要がある。(冨岡勝「吉田寮ってどんなとこ」『究極の学び場京大吉田寮』実生社)
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ポエトリと写真を握りしめた余所行きの子ども。この長い夜が終わってもいい程の「奇跡のような」「朝を」「待ち侘びて」いる。ときどき ポエ式 として浜松で活動。(こながやさき「椅子と惑星」)
- こながやさき(詩人、写真家)、静岡県浜松市の詩歌界もまだまだ層と枠が厚い。
- 詩歌展示販売会詩丼(浜松アーツ&クリエーション)
- 判断保留する人と判断を下してしまう人。
- 虐殺事件があった、なかったと判断を下してしまう人は疑わしきがあれば判断を下して虐殺する。
- 虐殺事件があったかどうかについて判断を保留する人は疑わしきがあっても判断を下さず虐殺を保留する。
- 悪い人と善い人ではなく、判断を下す人と判断を下さない人に分ける。
- 京大吉田寮
-
もう一つ、私が大きく感銘を受けたのは「常識」や「普通」を理由に他人を黙らせない文化だ。(近藤司「ニューヨークと吉田寮の共通点」『究極の学び場京大吉田寮』実生社)
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合田 そのロマ書にあたる作品が、自分にとっては宮澤賢治の作品でした。小学生のときから、谷川雁さんという詩人の方が主催する「ものがたり文化の会」に参加していたのです。どういうふうに解釈して、体でどう表現したいくのか、まさにそういうことをずっと続けてきたのだと思います。(対談 色平哲郎+合田真「毎日が多文化コミュニケーションの演出だった」『究極の学び場京大吉田寮』実生社)
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で、吉田寮はそうした中動態的世界に開かれた場だったと思うのです。(山森亮「「京都啓蒙」と吉田寮」『究極の学び場京大吉田寮』実生社)
- 磔磔
- 拾得
- This LEGO Artist Builds Masterpieces Using All Black Bricks(WIRED)
- Ekow Nimako、黒色のレゴ
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夫民神之主也(左伝桓公六年)
- 筊・筶・桮、ポエ
- 喬木=高木
- 戦争には加害国(側)も被害国(側)もないと考えている。ただ国が自国(側)民を敵国(側)に殺させているだけ。
- 自分は正しい側になんか立っていないという射座から詩を放てる詩人が必要だ。
所以163
- 仕事で成績を挙げられる人と他人を管理できる人と組織の進む方向を考えられる人は別の才覚なのにそれを単一の体系で昇進させた管理職に担わせようとすると組織はおかしくなる。
- ハーブタバコ、ニルドーシュ(バジル、リコリス、ターメリック、インディアンブデリウム、クローブ、ビショップスウィード、インディアン・シナモン、テンドウ)
- 中南海にはリコリス(甘草)など、ガラムにはクローブ(丁子)などが含まれている。
- 「賃作食」、アルバイトをして学生の炊事を引き受けた
- 漢文の返り点は結果でしかなく、文構造が大事。
- 部勒→仕事を割り当てる
- 不能辯、処置することができなかった
- 社会人なら時計と火とペンを持て
- 李白の「疑是地上霜」と「疑是銀河落九天」
- デザインは言動を誘導し、詩歌は無意識に置かれる時限爆弾、お互いがお互いの役割を損なわないありかたが求められる。
- 実際の原作を確かめるより記憶を頼りに記憶の原作に当たった方がいい。
- 映画「草の響き」とレクサプロ
- 曰其所取之者義乎不義乎而後受之。
- 臣未之聞也(『論語』)→否定のときは代名詞の目的語を動詞に前置させる)
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讀書欲睡、引錐自刺其股、血流至足(「秦策」『戦国策』)
- 「責任をとれるのか?」には「責任をとれるほどの自由は私にはありません」
- 清酒=聖人、濁酒=賢人
- 賞選考への選者の態度表明はいらないので結果で示してください。
- オリーブの葉に抗ウィルス作用
- 「豎子不足與謀」は「豎子不足與之謀」とはしない。豎子=之
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謂を「いふ」「おもふ」いずれに読んでも、価値判断などをして「…と思ふ」または「…と思ったことをいふ」を意味する(西田太一郎『漢文の語法』角川文庫)
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三山半󠄁落靑天外/二水中分白鷺洲(李白「登金陵鳳凰臺」)
- 月刊さなるこ新聞デジタル
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音楽は言語を失い、言語は沈黙したのである。(ティム・インゴルド、工藤晋訳『線の文化史』左右社)
- 糸threadsと軌跡trace、菌糸
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おそらく生とは場所というよりも道に沿って営まれるものであり、道とは一種のラインである。(ティム・インゴルド、工藤晋訳『線の文化史』左右社)
- 点線dotted line
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そもそも人々は事物ではなくラインで構成される世界に住んでいるからである。(ティム・インゴルド、工藤晋訳『線の文化史』左右社)
- ページが発する複数の声 voces paginarum
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つまり記述は、記録として読まれるものではなく、復元の方法だったのだ。(ティム・インゴルド、工藤晋訳『線の文化史』左右社)
-
糸はなんらかの繊維であり、三次元空間で他の糸と絡み合い、点と点のあいだに張り渡される。(ティム・インゴルド、工藤晋訳『線の文化史』左右社)
-
軌跡とは、私たちの用語では、連続的運動によって硬質な表面のなかや上に残される、あらゆる恒久的な痕跡である。ほとんどの軌跡は付加的 additiveまたは切削的 reductiveのどちらかである。(ティム・インゴルド、工藤晋訳『線の文化史』左右社)
- 軌跡→糸としての綱渡り、迷路
- 徒歩旅行wayfaringと輸送transport
- 踏み跡trail
-
輸送ラインは踏み跡ではなく路線routeである。(ティム・インゴルド、工藤晋訳『線の文化史』左右社)
-
略図のラインを引くことは物語を語ることによく似ている。実際、両者は同じひとつの行為を補い合うものとして協力しつつ進行する。(ティム・インゴルド、工藤晋訳『線の文化史』左右社)
- 逍遥する読書と輸送する読書
-
中国語を読む者の多くは、ひとつの漢字を長い間見つめていると感覚が混乱し、その漢字が解体し、でたらめに配列された部品に見えてくると言う。(ティム・インゴルド、工藤晋訳『線の文化史』左右社)
-
糸を束ねることは世界のなかにひとつの場所を築く方法であるということだけではなく、束ねられた糸はそれぞれが相変わらず伸び続ける先端をもち、それらが今度は別の糸とともに別の結び目をつくるということである。(ティム・インゴルド、工藤晋訳『線の文化史』左右社)
所以162
- ᕱ୨୧ᕱ
- 由A、故B。Aであるので、それでBだ。介詞「由」
-
尾生與女子期於梁下、女子不來、水至不去、抱梁柱而死。(「盜跖」『莊子』)
- 荘子の尾生、好き。尾甲の祖かもしれない。
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故曰:或勞心、或勞力;勞心者治人、勞力者治於人;治於人者食人、治人者食於人:天下之通義也。(「滕文公上」『孟子』)
- 勞心者は精神労働者、勞力者は肉体労働者
- 静岡新聞「読者文芸」投稿窓口、毎月最終火曜日
- 鳳凰>鸑鷟(がくさく)
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貸錢者多不能與其息(「孟嘗君列伝」『史記』)
- 息=利息
- 田舎や地方都市で活動することの難しさは田舎地方都市に価値を判断する決意がないこと。価値を判断する能力はあるはずなのに。
- だから首都圏や関西圏から有名人を田舎や地方都市へ連れてきた方が楽。
- 幾夏
- 興味を引く現象に出くわしたとき、それに見合う感情があれば短歌に、なければ俳句になる。
- 世界最古の町チャタルホユックÇatalhöyük
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殷の首都である安陽は「四界枢軸pivot of the four quarters」として、すなわち、王国全体にとっての宇宙論的蝶番であり、王の儀礼のための壮大な舞台として設計されていた。(デヴィッド・グレーバー/デヴィッド・ウェングロウ、酒井隆史訳『万物の黎明』光文社)
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世界のあらゆる地域で、小さな諸共同体が、本当の意味での拡大したモラル共同体としての文明を形成していたのである。(デヴィッド・グレーバー/デヴィッド・ウェングロウ、酒井隆史訳『万物の黎明』光文社)
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すべての社会に科学があるように、すべての社会に神話がある。神話は、人間社会が経験に構造と意味を与える方法なのだから。(デヴィッド・グレーバー/デヴィッド・ウェングロウ、酒井隆史訳『万物の黎明』光文社)
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知者弗言、言者弗知(『老子』)
- 京都手話で「河原町」が河原町によく出没したというおばあちゃん聾者の眼鏡をずりあげる仕草なの、地名が本来もつ目的を示唆しているみたいでおもしろい。
- 閉じた共同体のなかで場所を示し合うための地名。地図を作る役人が来た時に閉じられた地名が開かれた地名となる。
- 光郷城 畑懐
- 王も奴隷も親族はいない。
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季節ごとの祝祭は、古い季節的変異のパターンの弱々しい反響であるかもしれないのだ。(デヴィッド・グレーバー/デヴィッド・ウェングロウ、酒井隆史訳『万物の黎明』光文社)
-
季節の移り変わりに合わせてみずからの社会的地位アイデンティティを変化させる。(デヴィッド・グレーバー/デヴィッド・ウェングロウ、酒井隆史訳『万物の黎明』光文社)
- 葵祭の斎王代、各都市の祭における戦国武将
- 余剰surplus
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人間が人間以外の動物と異なる点のひとつは、動物は必要分だけを正確に生産するということである。ところが人間は必ずや必要以上に生産する。(デヴィッド・グレーバー/デヴィッド・ウェングロウ、酒井隆史訳『万物の黎明』光文社)
- Overture Maps地図
- 「生理的に無理」は何も他者を批判していない。単に自分の体質を述べただけ。
所以161
- 外因を排し内因をなんとかして見つけようとし、真因を外れ偽因をなんとかこしらえる組織。
- 組織における責任は擬制である。組織は問題が起きれば誰にも責任なんてないのに誰かに責任を押しつけることが必要、私も組織の一員なので組織のためなら責任を負う(責任擬制論)。
- しかし問題が起これば誰かが責任を負うべきという責任虚構論もある。
- 連邦国>連合国>連和国
- 父去里所、おやじさんは一里ばかり行って
- 與老人期、後何也。老人と約束をして後(遅)れるとはなにごとか。
- 虞之與虢、脣之與歯。クジラ構文、介詞「與」おける。
-
「乎」は、相手に答えを要求する点に意味の重点がある。一方、「与」「邪」は、話し相手が文の命題に疑いを持つ点に重点があり、相手に答えを要求するニュアンスは稀薄で、相手に対していわば探りを入れるニュアンスがある。(宮本徹、松江崇『漢文の読み方』放送大学教育振興会)
- ↑疑問文末助詞
- 「上自南郡由武関帰」(秦始皇本紀)介詞
- 投函の函は「函へXを投ず」のように間接目的語ではなく「函を投ず」のように直接目的語だった。
- 函は手紙・封書・郵便物という意味。書函は封書のこと。
- 函館や銭函や函嶺に引きずられて函=郵便受箱・差出箱だと思い込んでいた。
- だから「郵便を投函する」「手紙を投函する」は重言・二重表現
- 投函の函ってなに?
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自己は社会的磁場の力を受けて生成される。どんなに個人的に思える感情や好みも、育った文化圏の影響を強く受けている。(小坂井敏晶『責任という虚構』ちくま学芸文庫)
- ベンジャミン・リベットの実験
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ところが実験によると、手首の運動を起こす指令が脳波に生じてしばらく時間が経過した後で意志が生じ、そのまた少し経ってから手首が実際に動く不思議な結果になった。(小坂井敏晶『責任という虚構』ちくま学芸文庫)
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熱いフライパンに触って思わず指を引っ込める反射運動は二五〇ミリ秒ほどしかかからない。まず指を引っ込めてから熱いと感じるのであり、その逆ではない。(小坂井敏晶『責任という虚構』ちくま学芸文庫)
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自由意志は責任を根拠付けるために動員される虚構だ。(小坂井敏晶『責任という虚構』ちくま学芸文庫)
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責任は因果律に基づかない社会的虚構だと主張してきた。しかしそれは責任とあう社会装置の価値や重要性を貶めるためではない。虚構と現実が相反するという常識がそもそも誤りだ。(小坂井敏晶『責任という虚構』ちくま学芸文庫)
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法制度は擬制であり、機能を担保するために警察という暴力装置を必要とする。だが、宗教・道徳・権威は虚構であるゆえに自主的な服従を促す。擬制と虚構の違いは権力と権威の違いに似ている。(小坂井敏晶『責任という虚構』ちくま学芸文庫)
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権力は擬制であり、合理的判断に支えられる。他方、権威は虚構であり、信仰として機能する。(小坂井敏晶『責任という虚構』ちくま学芸文庫)
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貨幣が通用する論理的保証はない。(小坂井敏晶『責任という虚構』ちくま学芸文庫)
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同様に貨幣も人間関係をできるだけ排除しながら交換を可能にする。(小坂井敏晶『責任という虚構』ちくま学芸文庫)
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贈物・商品・サービスなど、モノの交換だけを人間関係網から切り離す発想自体が近代個人主義の産物だ。(小坂井敏晶『責任という虚構』ちくま学芸文庫)
- 朘、勃起
- ジネンコロキウム