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太后盛気而胥之(史記、趙世家)
- ↑怒りながらこれを待つ
- 曾、スナハチはzēng、カツテはcéng
- 文化とは生活のしかた
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御歌所の伝承は、詩が帝王によって主宰され、しかも帝王の個人的才能や教養とほとんどかかわりなく、民衆詩を「みやび」を以て統括するという、万葉集以来の文化共同体の存在証明であり、独創は周辺へ追いやられ、月並は核心に輝いている。(三島由紀夫「文化防衛論」『文化防衛論』ちくま文庫)
- 良性記
- 緩腎忘士
- 太陽系外惑星K2―18bで硫黄化合物「ジメチルスルフィド」検出、地球外生命体?
- 獨毒讀不如眾讀讀
- 眾(衆)の字形が好き
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だから、ぼくたちは、言語で森をつくろうよ。なあ、黒狐、きみとぼくの文化は、言語の森をはなれたら、一秒だって生きて行けないじゃないか。ぼくらに、トンビの目があるか、コーモリの聴覚があるか、フクローの舌があるか、魚のエラがあるか、カブトムシの呼吸音があるか、青蛙のなめらかなヒフがあるか、カメレオンの本格的な知性があるか?(田村隆一『インド酔夢行』日本交通公社)
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「場」というものがこれほど「衝動」と深く結びついていることを初めて実感した。(大竹伸朗『カスバの男』集英社文庫)
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その中で一番興味を持ったのがロシアの地下出版物を集めたブースで、政治、文学、音楽などに大別されていた。日本人の感覚からすると本とは名ばかりであり、手で打った誤字だらけの生タイプ・シートにモノクロ一色のガリ版のような絵が組み合わさり、簡単な手作業の製本がなされたものが大半を占めていた。(大竹伸朗『カスバの男』集英社文庫)
- 千年村プロジェクト
- if anybody, blame him
- The backrooms
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風下当番といふ/若い顔した風がゐる(「風」『丸山薫詩集』思潮社)
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百日会わなかった少女の/もりあがつた乳房を眺めることは/まるで 大きくなつた腫れ物にでもさわるように/かなしいことだ(「春」『丸山薫詩集』思潮社)
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すみれ色の空間に廻転してゐるのは光沢のある二つの球体でした。(「両球挿話(NONSENSE)」『丸山薫詩集』思潮社)
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扨て、詩の一篇を書き了つて一杯の水(「詩の生活」『丸山薫詩集』思潮社)
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三島 おれは自我があるなんて信じたことはないよ。形式ということを考えている。フォルムがあれば自我だ。フォルムは個性でも何でもないんだ、フォルムがあればいいんだ。(三島由紀夫「政治行為の象徴性について」『文化防衛論』ちくま文庫)
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三島 学生たちと座談会をやったけれども、彼らのいうことはよく言えば、詩だよ。詩をいっているのに、対話しようなんていうバカなやつが現れる。どうやって詩と対話するんだよ。対話のしようがないじゃないか。あれが洗練されるとマヤコフスキー。(三島由紀夫「政治行為の象徴性について」『文化防衛論』ちくま文庫)
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三島 結論を先にいってしまうと、私は民主主義と暗殺はつきもので、共産主義と粛清はつきものだと思っております。(三島由紀夫「学生とのティーチ・イン」『文化防衛論』ちくま文庫)
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三島 私は人間というものは全部平等だと思う。ロバート・ケネディが特に偉くない。暗殺者が特に馬鹿じゃない。人間が一対一で顔を付き合わす。その時、その一人の小さな社会の人間の政治的意見とロバート・ケネディの政治的意見が真っ正面で衝突する。(三島由紀夫「学生とのティーチ・イン」『文化防衛論』ちくま文庫)
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三島 言論の自由による正義の追究は必ず言論の自由の弾圧に終るということを私は言いたいのであります。(三島由紀夫「学生とのティーチ・イン」『文化防衛論』ちくま文庫)
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三島 自分が社会というものに適合するのかどうか、自分の文学的才能というものは一つの社会の言葉になり得るのかどうか、そういう不安が文学の出発点です。ですから、その不安がなくて文学をはじめるやつは、文学を本当にはじめたといえないと思う。(三島由紀夫「学生とのティーチ・イン」『文化防衛論』ちくま文庫)
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三島 それでつまり言論統制というものは一つの言葉からその言葉の意味内容を取ってしまう。それが一番恐ろしいと思うからこそ、言論の自由ということを言っているわけです。(三島由紀夫「学生とのティーチ・イン」『文化防衛論』ちくま文庫)
- 読み手の解釈を書き手の「唯一正解の」解釈だと押し付けることもまた。
- 名辞と結果の不一致には甘く、名辞と手続きの不一致には厳しい。
