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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

中日歌壇中日俳壇2020年12月13日

中日俳壇の長谷川久々子選にて〈浮寝鳥ぶつかりあつて人歩く/以太〉が入選していた。島田修三選第三席〈外国の力士の本名番付表に長きカタカナ呪文のやうなり/山下豊子〉見慣れない外国語を呪文と読む発想。〈小気味よく絹糸はじき縁側に孫の晴れ着の丈を出しをり/松岡準侑〉七五三かな。〈魚屋でノルウェー産の鮭を買うまだ見ぬ白夜を連想しつつ/豊島芙美子〉常連さん、鮭の赤身が白夜に映える。小島ゆかり選第一席〈蕎麦待てば有東木沢の音激し音より出でて山葵負ふ人/倉橋正敏〉格調高い。第三席〈ゆつくりと遮断機上がり冬の陽を分け合ふ如く人ら歩めり/鈴木昌宏〉しばらく忘れていた群衆のやさしさ。〈親いもに子いもまとわり子のいもに孫いもまとわる里いもを掘る/佐々木剛輔〉常連さんの芋尽し。栗田やすし選第三席〈末枯や画鋲ばかりの掲示板/中田英子〉画鋲はきっと錆びている。〈棲み慣れし路地奥石蕗の花明り/藪内純治〉石蕗の花の明るさと葉の暗さの対照が異界を作る。〈息白く駅頭ライブ始まれり/可知豊親〉歌声が白息となる。長谷川久々子選第二席〈凩の追尾を断ちて我が家かな/水野謙二〉「追尾を断ちて」は扉を閉めたのだろう。〈吟醸の眠れる蔵の冬の虫/光崎賢治〉の虫は酵母だろう。

木下龍也『つむじ風、ここにあります』書肆侃侃房

NHK俳句短歌全国大会から内定通知が来た日、『つむじ風、ここにあります』を読む。〈公園の鉄の部分は昨晩の雨をゆっくり地面に降らす/木下龍也〉そういうことがあるかもしれないと思わせる。「降らせる」が巧み。〈B型の不足を叫ぶ青年が血のいれものとして僕を見る/木下龍也〉人は目的のためだけに他人を見る。〈風に背を向けて煙草に火をつける僕の身体はたまに役立つ/木下龍也〉人というより壁として。〈コンビニのバックヤードでミサイルを補充しているような感覚/木下龍也〉現代文明と腎臓を打ち砕くミサイル。〈愛してる。手をつなぎたい。キスしたい。抱きたい。(ごめん、ひとつだけ嘘)/木下龍也〉村上春樹の再現である。〈カードキー忘れて水を買いに出て僕は世界に閉じ込められる/木下龍也〉世界は部屋以外のすべて、すべてのなかにいるのになぜか落ち着かない不思議。〈バスの来る方ばかり見てバスの行く方を私は見ていなかった/木下龍也〉バス停あるある。

中日歌壇2020年12月6日

NHK短歌の日、竹取りの翁と羽田空港の落差がおもしろい島田修三選第一席〈竹取りの翁になりて光る孫羽田空港に今見つけたり/豊田芙美子〉と角ばった頬骨を思わせる第三席〈まだ渋の抜けぬ柿の実を思はしむ青年の主張すがしみて聴く/久米すゑ子〉は、よくお名前をお見かけする。〈正門に机積み上げしバリケードどの派も通る裏門愉しかりき/伊藤孝男〉裏門にうらとルビ、こんな時代もあった。小島ゆかり選第二席〈母親に歌聴かせてと言われても歌わぬ高一風呂場で歌う/村田尚子〉素直じゃない好漢。〈獣害に備え四方に網を張り檻に入りての柿の収穫/前村治美〉獣害を恐れるのは柿ではなく自分であるかのような諧謔がある。

大口玲子『トリサンナイタ』角川書店

サンタクロースへ手紙が届かなかった日、『トリサンナイタ』を読む。〈筆先を水で洗へばおとなしく文字とならざる墨流れたり/大口玲子〉「文字とならざる墨」という起こらなかった未来で規定されるものの描写に興味がある。〈イースター・エッグを包む薄紙を花びらむしるように解きたり/大口玲子〉「むしる」は楽しさ。〈花束はビニール袋に捨てられてそのわきにあをき泉湧きをり/大口玲子〉泉の青に花束のたぶん色とりどりが映える。〈男の子ですよと言はれひとごとのやうに曖昧に頷きたりき/大口玲子〉我が子とはいえ性別は確かにひとごとだ。出産後なら性別なんて二の次だ。〈指さして「みづ」と言ふ個に「かは」といふ言葉教へてさびしくなりぬ/大口玲子〉言葉を知って失うものがある。〈たかぶりて子は手を振れり消防車救急車ばかりのサービスエリア/大口玲子〉はたらく車が好きな子供と被災地へ向かう緊急車両の群の温度差がある。

一時間六百円で子を預け火星の庭で本が読みたし 大口玲子


bookcafe 火星の庭

事任八幡宮のことどひの里

東遠へ赴いた。静岡県掛川市八坂に、遠江国一宮の名を小國神社と分ける事任八幡宮がある。

事任八幡宮

鳥居をくぐらず右手、事任八幡宮の東へまわり細い坂をのぼると「譽田」と表札の立つ民家がある。祭神の応神天皇こと譽田別命に由来する姓だろう。茶畑を右手に奥へ進むと奥津城、つまり社家の墓地があり、その裏手の石段を降りると逆川の水辺、ことどひの里である。事任八幡宮の裏手に聳える禁足地の山の向こう側になる。ことどひの里には逆川の守神として龍神社が鎮座する。


磐笛の里の龍神社

龍神社の手前からも川に降りられるけれど、その奥から岩場を伝っても川へ降りられる。禊場とされている。


ことどひの里の禊場から見た逆川

禊場の反対側は急峻な山となっており、たぶん禁足地へ繋がるのだろう。清冽な川に悪疫も流れたように感じる。


事任八幡宮の禁足地

茶の花や言葉は水をかすめ散る 以太

『東北大短歌 第6号』

事任八幡宮へ行く日、北大短歌でも東大短歌でもない東北大短歌を読む。〈魚ではないもののため海水に近しい味でこぼれる涙/青木美樺〉魚と海水は実景としてはないけれど感情の基底に流れている。〈かんたんにこわせるからだ薬局のまあるい窓に月を見ていた/石原梨子〉脆い身体と永遠の天体と。〈橋の影をわたしの影が渡りゆく休学届を出した帰りの/岩瀬花恵〉俯きがちな視線は離人症的な感性に近い。〈幸せになれるでしょうかピーマンの種は食べてもいいのでしょうか/牛越凛〉質問一と二の落差。〈そこにいるあいだ言葉はいらなくて ひかりのにおいでお喋りしている/臼井悠華〉朝の陽、舞う埃のかがやきが見える。〈したあごを窓枠にのせ いつからか撮らなくなったただの夕景/如月妃〉ときめかない夕景、心の反映として。写真もまた夕景の反映である点が面白い。〈ツナ缶をてのひらひとつで開けられる文明にいてずっと楽しい/工藤真子〉楽しく生きる秘訣は今に充足すること。〈冬であらうと冬でなくともつめたさを保てる窓の性を思ひぬ/越田勇俊〉「窓の性」ってすごいな。とある固体の流動性として。〈wi-fiが繋がらないと振ってみる 水面がゆれる 遠くへのびる/高梨ふみ〉何か目に見えないものを遠くへ飛ばすため、振る。力はいらない。〈デパートでもらったヘリウム一つずつ飛ばしていって大人になった/濱菜摘〉大人になるためにいくつのヘリウムを飛ばしたか。風船をヘリウムというのは意外な換喩。〈君ならば恋人候補になっていい偽証罪から恋を始める/番澤芹佳〉恋人候補は恋の始まりではなく。

「あ」を打てば「あいしてい」の変換に次の愛さえ強いられていて 濱菜摘

今橋愛『O脚の膝』北溟社

浜松市文芸賞受賞者で競うBUNBUNはままつエッセイの部で入選し「浜松百撰」十二月号に「がんばる坂の家」が掲載された日、『O脚の膝』を読む。〈日本語にうえていますと手紙来て/日本語いがいの空は広そう/今橋愛〉「うえています」に羨望を感じている「広そう」。〈たばこ、ひるね、おふろ、カステラ、闇、じっとしていられない、たばこ、たばこ/今橋愛〉欲求が強いとは不満がつよいこと。〈おめんとか/具体的には日焼け止め/へやをでることはなにかつけること/今橋愛〉社会派な側面ものぞかせる一首。〈Tシャツのすそのところをつかんでた/いつのまにかうまくいかない/今橋愛〉「いつのまにか」は年単位で経過している。〈つかいおえるまでこのへやにいるかしら/三十枚入りすみれこっとん/今橋愛〉引っ越しの予感を生理用品で数える。〈映画ならななめうしろからとるシーン/おとこ、カーテン、西日、おんな/今橋愛〉カメラワークは感情の位置。

 

「水菜買いにきた」
三時間高速をとばしてこのへやに
みずな
かいに。 今橋愛

中日歌壇2020年11月29日

通読していると梶村京子氏、棚橋義弘氏、豊島芙美子氏などをお見かけして常連の方なのでは、と思う。島田修三選第二席〈枝つきのみかんぶらさげ姉来たる遠州弁をころがし姦し/小桜一晴〉青島みかんかな。〈降り来て手に乗りそうな金星を目指して歩む朝冷えの道/塩谷美穂子〉わずかな光も手をあたためてくれる。〈にぎやかな宴のごとき十三夜レジ閉るころ薄雲へ消ゆ/棚橋義弘〉シャッターの外の月夜と店内の閑静さの対比。小島ゆかり選第一席〈今年また同じ顔して庭師来て鋏さばきの音鳴り止まず/羽場千代子〉変に営業スマイルとかしていなさそう。〈「さみしい」は「さむい」からなる言葉かもしれず真白き手を擦りたり/酒井拓夢〉基底に「さぶし」がある。両唇音も寒さには合う。〈お遊戯で輪になって踊るキリン組社会的距離長めにとって/風間勝治〉ソーシャルディスタンスもお遊戯のひとつ。

川野芽生『Lilith』書肆侃侃房

ある晴れた日、「Lilith」を読む。〈夜の庭に茉莉花、とほき海に泡 ひとはひとりで溺れゆくもの/川野芽生〉近くの白い茉莉花に遠い海音を聴くかのような思考がある。溺れるのは誰かの言葉ではなく自分のそんな思考ゆえに。〈しろへびを一度見しゆゑわたくしは白蛇の留守をまもる執政/川野芽生〉しろへびは生物、白蛇(はくじゃ)は神。見た驚きをずっと持ち続け増幅させること。〈ぬばたまのピアノを劈きひとの手はひかりの絡繰に降り立ちぬ/川野芽生〉言葉だけで成り立つ世界がある。〈凌霄花は少女に告げる街を捨て海へとむかふ日の到来を/川野芽生〉映画「リリイ・シュシュのすべて」の津田詩織の庭に咲いていたのも凌霄花だった。〈書架の間を通路と呼べりこの夏はいづこへ至るためのくるしさ/川野芽生〉苦しさは夏の暑さというより学問の先の見通しの少なさ。いくら通路をまっすぐに歩んでも。〈海といふ肌理あらきものを均さむと波生れて海を覆ふに足らぬ/川野芽生〉「覆ふに足らぬ」は大きなものへも緻密に捉えようとする姿勢を感じる。海の把握は〈陸といふくらき瘡蓋の上を渡り見に来ぬ海とふ傷を/川野芽生〉も。〈月は馬具 そを光らせて渡りゆく影の騎り手に帰路はあらざる/川野芽生〉月と乗り物の発想は船からだろう。海の民ではなく大陸の騎馬民族の貴族性を思う。〈ほんたうはひとりでたべて内庭をひとりで去つていつた エヴァは/川野芽生〉イブはオイディプス王のように自らを追放した。蛇にそそのかされたのではなく自らの意志で。〈誰か言へりひとは死ののち白鳥に喰はするための臓腑を持つと/川野芽生〉ずっとその臓腑を温めて生きて死にますように。

つきかげが月のからだを離るる夜にましろくひとを憎みおほせつ 川野芽生

 

Lilith

Lilith

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初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』書肆侃侃房

小林一茶百九十四回忌全国俳句大会高校生大学生部門で〈雲影は山までつづく夏休/以太〉が佳作と連絡のあった日、『花は泡、そこにいたって会いたいよ』を読む。〈夜汽車 ふみきりのような温もりでだめって言って抱きしめている/初谷むい〉「夜汽車 ふ」で五音、夜汽車は走り去る衝動のよう。〈生活がうまくできない 吐きたてのガムなら汚くないと思った/初谷むい〉賞味期限と消費期限をはき違えている感じがする。〈花冷えのきみを抱くとききみの持つとてもきれいな精液の海/初谷むい〉繁殖しようとしている。〈自転車の座席がちょっと濡れていた ゆびで拭ってもう秋が来る/初谷むい〉濡れた指先のささいな冷たさが秋。〈東京は光の海、と聞きました 電車の音が波のようです/初谷むい〉海と波はゆらぎ。〈ラブホテル、窓がないからおひまさまに愛してるって言えなくて好き/初谷むい〉窓がなく、排水管の音や隣室の音が聴こえる。でもそんな愛の牢獄めいたところが好き。〈一瞬でわすれちゃったなでもそれはそれはすてきなハンドルネーム/初谷むい〉そんなハンドルネームを人は一生のうち一度だけ持てる。〈みんなきれい 水族館ではいきものが泳ぎやすいようひとみが濡れる/初谷むい〉そうやって涙をごまかしてきた「みんなきれい」という儚さ。

 

 

中日歌壇2020年11月22日

野田秀樹の「赤鬼」を観終わった。島田修三選第一席〈この秋の一番の濃き鱗雲 雲の余白に靴下を干す/大場米子〉「雲の余白」は空ばかりではなく地上もそうだと思わせる。第二席と第三席が突然音楽で「曲名」シリーズ〈断捨離のゴミの中よりオルゴールの「くちなしの花」突然流る/豊島芙美子〉〈山門をくぐると同時に「エリーゼのために」流れて大杉聳ゆ/三上正〉。〈マスクから解放された唇がffで鳴らすフルート/山崎美帆〉今朝は音楽でいっぱい。〈知らぬ間に居なくなりまた現わるる職場に一人煙草吸う人/吉田恵子〉煙草は吸うより喫むだけど吸うから非喫煙者から喫煙者への視点が見える。小島ゆかり選第一席〈湖昏れて遠く淋しき鴨のこゑあなたの貌が思ひ出せない/石川休塵〉評に〈海くれて鴨のこゑほのかに白し/芭蕉〉が引かれている。第三席〈ていねいにいれた珈琲にがすぎて夕べの言いすぎかえりみる味/上農多慶美〉自らの思いと受け取る方の思いのずれを珈琲で体験できるとは。〈一瞬の沈黙ありて「さあやろう」の医師の言葉で手術始まる/尾形哲雄〉と〈「メンテナンス終わりました」の声のして妙に納得の歯科検診/徳井晃子〉はセットで読みたい。

中日歌壇2020年11月15日

杏林堂で産まれて三ヶ月もない乳児を前抱きにしたお母さんが丹念にカートを消毒していた。島田修三選第二席〈横町のちひさき空のおぼろ月ふふめば甘くほろほろくづる/西脇祥貴〉おぼろ大根を思う。〈カレーには外米が合うパサパサの母のカレーが食べたくなる秋/山田昌史〉一九九三年米不作によるタイ米を思ったけれど、もっと昔か。小島ゆかり選第一席〈何もなきのつぺらぼうな夏がゆき今も静かな真つ白な秋/上村篤彦〉真っ白は漂白の意味もあるのだろう。第二席〈遊歩道のどんぐり拾いの幼な子は代わりに小さな靴跡置いて/佐藤規子〉どんどん行ってしまう。〈アルバムに笑顔ばかりを閉じ込めた私は子らの何を育てた/祖父江寿枝〉時間の怖さも感じる。〈黒犬と散歩の途中すれちがい缶コーヒーはブラックにする/相川高宏〉え、そんなことで決めちゃうの? ということは世の中けっこうある。今週は字余りについて学んだ。

奥田亡羊『男歌男』短歌研究社

淡い日、『男歌男』を読む。〈補助輪をはずせば赤き自転車の少女にわかに女めきたる/奥田亡羊〉補助輪を外すと均衡を保つため姿勢がよくなる。〈流木の流れぬときも流木と呼ばれ半ばを埋もれてあり/奥田亡羊〉流人めく扱いの流木。「流れぬときも流木と呼ばれ」は発見。〈てにをはのずれてる街を歩みおり五叉路に五軒鋭角の家/奥田亡羊〉遊歩者*1の視点として面白い。〈元旦の月と転がるガスタンクもろ手の砂を舟まで運ぶ/奥田亡羊〉元旦ということもあり異世界感、人類終焉後の世界感が強い。〈女護島に俺が渡ればいっせいに白き日傘のばばばと開く/奥田亡羊〉二代目世之介には「白き日傘」を持つような女がよく似合う。〈カストロの時代を五十年老いてピアノを持たぬピアニストあり/奥田亡羊〉その人の支柱を失ってもその人で居続ける人の強さ、チェスを指さないグランドマスターとか。〈飛田新地の一膳飯屋にキャンディーズうつむきて聞く「その気にさせないで」/奥田亡羊〉孤独の果てに。〈へそに土を盛りて菫を咲かせたりぼくはやさしい男でしたよ/奥田亡羊〉確かに。やさしい男であることも肝要だが、こんな男でもありたかった。

冷蔵庫に石を冷やしているような男であろうしゃべりつづけて 奥田亡羊

*1:flaneur

石井英彦『炎』文學の森

謹呈された『炎』を読む。〈白い電車が梅雨の山へ入ってゆく/石井英彦〉ただならぬ電車に違いない。死者を乗せるような。〈化物の国をやさしく雲の虹/石井英彦〉「化物の国」と「やさしく」は人柄のあたたかさ。〈たましいとこころ和解す瓜曲る/石井英彦〉「瓜曲る」の屈折が愉快。〈ビジネスマン不穏な坂は夜芽吹く/石井英彦〉ビジネスマト芽吹くの取り合わせが大好き。夜の坂を振り返るスーツ姿の男を想像する。その顔も、生き方も。〈仰がねば空は語らず五月尽く/石井英彦〉意志さえあれば応えてくれる。〈埋めた海へビルか墓標か冬の靄/石井英彦〉変わりゆく世界への諦念のようなものを感じた。

中日歌壇2020年11月8日

昨夜は〈母は云う私の生まれた経緯を林檎の赤を磨きつづけて/近藤尚文〉や〈ぼくにはぼくきみにはきみの名があって汐風香るその町へゆく/近藤尚文〉や〈鉄橋の真下でねむる冬の犬ただ星くずに降られぬように/近藤尚文〉といった輝かしい歌群を読み、今までの考え方とやり方では自分の限界が来ることを知った。島田修三選第二席〈夫婦して座席につくや即スマホ開きて独り独りになりぬ/久米すゑ子〉「つくや即スマホ」が面白い。よく名前を拝見する。〈満月を崩さぬように露天風呂ゆるりゆるりと静かに入りぬ/川村佳子〉評にもあるように「満月を崩さぬように」に惹かれた。〈深夜目が覚める時刻を言い当てる癖あり今は二時十五分/三上正〉私もそんな癖ある。小島ゆかり選第二席〈音を消し雨音のみを聞きをればなつかしい場所に身を置くごとし/岡本いつ〉評にもあるように「なつかしい場所」が面白い。たぶん行ったことのない心象風景なのだろう。そして〈静寂の中にパラリと音がする秋の匂いに満ちて図書館/酒井拓夢〉。待ってました酒井拓夢氏。季節に合わせて湿性から乾性へ。秋の匂いは古い書物のインクの匂いだろうか、文化の匂い。〈庭先に大・小・大の雨傘があざやかに咲く台風一過/高津優里〉大と小だけで家族のありようを伝えるのは上手いな。あと傘を三つも置ける庭がある。〈泡立ち草すすきを制すと思ひしがすすき反撃五分に戻しぬ/石川休塵〉一首に時間の経過がある。