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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

『東北大短歌 第6号』

事任八幡宮へ行く日、北大短歌でも東大短歌でもない東北大短歌を読む。〈魚ではないもののため海水に近しい味でこぼれる涙/青木美樺〉魚と海水は実景としてはないけれど感情の基底に流れている。〈かんたんにこわせるからだ薬局のまあるい窓に月を見ていた/石原梨子〉脆い身体と永遠の天体と。〈橋の影をわたしの影が渡りゆく休学届を出した帰りの/岩瀬花恵〉俯きがちな視線は離人症的な感性に近い。〈幸せになれるでしょうかピーマンの種は食べてもいいのでしょうか/牛越凛〉質問一と二の落差。〈そこにいるあいだ言葉はいらなくて ひかりのにおいでお喋りしている/臼井悠華〉朝の陽、舞う埃のかがやきが見える。〈したあごを窓枠にのせ いつからか撮らなくなったただの夕景/如月妃〉ときめかない夕景、心の反映として。写真もまた夕景の反映である点が面白い。〈ツナ缶をてのひらひとつで開けられる文明にいてずっと楽しい/工藤真子〉楽しく生きる秘訣は今に充足すること。〈冬であらうと冬でなくともつめたさを保てる窓の性を思ひぬ/越田勇俊〉「窓の性」ってすごいな。とある固体の流動性として。〈wi-fiが繋がらないと振ってみる 水面がゆれる 遠くへのびる/高梨ふみ〉何か目に見えないものを遠くへ飛ばすため、振る。力はいらない。〈デパートでもらったヘリウム一つずつ飛ばしていって大人になった/濱菜摘〉大人になるためにいくつのヘリウムを飛ばしたか。風船をヘリウムというのは意外な換喩。〈君ならば恋人候補になっていい偽証罪から恋を始める/番澤芹佳〉恋人候補は恋の始まりではなく。

「あ」を打てば「あいしてい」の変換に次の愛さえ強いられていて 濱菜摘