-
自治体文化財団とは、自治体が出捐した文化芸術を専門に扱う団体である。文化振興財団とも呼ばれる。(松本茂章編『はじまりのアートマネジメント』水曜社)
- 官僚制の逆機能
-
しかしながら、全体としては「地域活性化」に流れやすい重力が、スポンサーが公的機関であることと、官僚的な文章術によって、生じてしまう。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
- アートプロジェクトを主催する3パターン↓
- A.行政主導のアートプロジェクト、B.地域住民や関係者が企画するボトムアップ型のプロジェクト、C.アーティスト自身が新しい表現を目指し、既存の施設を飛び出して行うアートプロジェクト
- 静岡県浜松市の詩丼はどちらかというとCかな。ボトムだけどアップしていない、ボトムのまま
-
1つは消費者のニーズは、製品という物体そのものではなく、その製品を消費したときに得られる便益で満たされるからである。(松本茂章編『はじまりのアートマネジメント』水曜社)
- アートマネジメントと社会教育士
-
アートマネジメント人材は「アートの人」である必要はない。文化施設や文化芸術団体を経営するとともに、行政とタフな交渉を重ね、市民らと連携し、企業などの民間から寄附を集める。こうした総合的な能力が問われる。(松本茂章編『はじまりのアートマネジメント』水曜社)
-
「地域アート」とは、ある地域名を冠した美術のイベントと、ここで新しく定義します。/「地域アート」は、「現代アート」から派生して生まれた、新しい芸術のジャンルです。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
- 地域アート Community-Engaged Art Project
-
物質としての作品よりも、そのような「関係性」それ自体の快楽が「美」として認識されているかのようである。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
-
彼らは、とても素直なのである。だからこそ、本格的に「美」について構造が変動しているのではないかと考えざるを得なかった。/後述するように、これらの元になっている考え方が、カウンターとして打ち出された時には斬新なものであったと推定される。だが、それらの批評性が正しく認識されないまま、のっぺりと広がっていくような現状に、危惧を覚える。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
-
アートは、このように、コミュニケーションの生成に関わるものへと変化しようとしている。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
-
ビショップの批判を大胆に要約するとこうなる。関係性の美学はマイクロ・ユートピアの傾向、すなわち、内輪で盛り上がっているだけで排除的な傾向がある。美術の制度などにある程度適応している人間などの「関係」でしかなく、スラムやゲットーに住んでいる人との「関係」は排除されているのではないか、と(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
- ↑クリエーター・ファシズムとマイクロ・ユートピア、浜松市のクリエイターから排除された文芸人・文化人やオタク的な人々
-
この会話で腑に落ちたのは、関係性の美学が、マイクロ・ユートピアすなわち「安定した調和的な共同体のモデル」を志向しているという点である。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
-
真に問題なのは、歴史の中で発展してきたこのような芸術の伝統や理論を、相も変わらぬ日本の地方都市的なものが簒奪し、かなり自分の都合の良い場所だけ恣意的に抜き出し、自己肯定的に使い始めていることなのだ。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
-
このようなアートプロジェクトが、批評など他者からの言葉を排除しがちである傾向があることもまた指摘されている。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
-
しかし、現在の地域アートはそうではなかった。そこは「批評」が勝利し、「王」になれる世界ではない、むしろここでの「王」は「当事者」と「地域」である。あるいは「王」が廃絶された、民衆たちの民主主義がユートピア的に実現している(という錯覚がある)のかもしれない。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
-
ひとまずまとめると、関係性の時代の芸術において「大きい関係性」を扱う傾向を持っているのが「地域アート」であり、「小さな関係性」を扱うのが「友達アート」であるとここで仮に定義することにしよう。(美術手帖「友達アートの射程 じゃぽにか論①」)
-
ここで奥村の想定する「友達」が、日常言語における「友達」と異なっているのは、(その告知をあらかじめ知っていた者に限定されるとはいえ)、それがほぼオープンな状態であるという点である。知らない人でも「友達だと思う人」は参加できるということは、勝手に友達だと思い込んで参加する人間の出現可能性を排除していない。これは明らかに、通常の「友達」とは異なる。むしろ、奥村はここでこれまでのよくある「友達アート」における「友達」概念を改変することをこそ行おうとしているようだ。(美術手帖「友達アートの射程 じゃぽにか論①」)
- ↑友達の再定義、オープンな友達かクローズドな友達か
-
それと似たような意味で地域の滅亡の際の鎮痛剤として芸術が機能すればそれでよいという覚悟の上で、芸術を再定義しているのだとすると、北川フラム個人の芸術観を単純に否定はできない。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
- 鎮痛剤としてのアート、しかし鎮痛剤以上のものをアートに期待するならば叛逆の政治思想と芸術と社会とを連関させなければならない。かつて全共闘以後の日本ができなかったことを。
-
新しい世界の可能性を開示することで、根本的に別種の政治の可能性を提示することが、芸術にしかできないことではないか。政治思想や社会の動向に随伴し、既存の権威を用いて自己正当化することは、美術固有の存在価値を毀損しているのではないか。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
- 世界を全的に変えてしまうアートの鮮烈な力を活かす。
-
藤田 地域主義はグローバリゼーションの付随現象として誕生しなおしている。一般的に、全世界的にグローバリゼーションが遍在し、その反動として民族主義とナショナリズムが昂揚しています。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
-
星野 たとえば、毎日厳しい労働を強いられている人間がふとある詩を読み、そこから自分も新たに何かを創造するということがありえる。ここには、制作者と鑑賞者の直接的なコミュニケーションが存在するわけではないですね。むしろこうした出来事が起こりうるのは、「作品」を媒介として三者のあいだに「距離」が存在しているからです。こうした既存の社会関係を宙吊りにする力を、ランシエールは芸術作品の本当の潜勢力だとみなしています。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
- ↑星野太
-
星野 ある種の巨大な流れが情念的に形成されていくときに、水を差していったり、違う見方があると指摘するような、批評の営みには、ファシズム的な空気に抵抗する部分もあります。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
-
つまり、アートプロジェクトは、二〇〇〇年代を通して、その社会性が可視化されると同時に、その批評性の弱さによって特徴づけられるようになったと言えるだろう。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
-
田中 僕は、正直なところ、日本のなかでは「美術」という制度自体がなくなってしまってもいいんじゃないんだろうかと、どこかで思っています。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
- ↑田中功起
-
田中 「アート」には興味がない、でも「アーティスト」になりたいという人はいて、そういう人がいなくなって、むしろ本当に作りたい人たちが表面化していくわけだから、いいことだと思う。やっとそういう人たちが見えてくる状況になる。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
-
藤井 ゼロ年代に入ると、地域アートを推進する人たちが創造都市論を引き合いに出してきたじゃないですか。地域再生の鍵は工場の誘致ではなく、創造的な社会集団を地域にどう誘引するかといった議論です。(藤田直哉編著『地域アート 美学/制度/日本』堀之内出版)
- ↑藤井光
- 創造から生成へ
-
都市において、比較的低所得者層の居住地域が再開発や文化的活動などによって活性化し、結果、地価が高騰すること。(ジェントリフィケーション)
- Gentrification
-
アーティスト達がいい感じに文化度を上げた結果オシャレなカフェやギャラリー、ブランドが集中するようになり地価が高騰し、アーティスト達は近隣地域に移っていくという流れが発生し、その後もその流れは続いてベルリンが飽和すると近隣の地方に第二第三のベルリンと呼ばれる場所が生まれています。(https://www.threads.com/@sankakudo1026/post/DSPv2hFEgFP)
-
経済的に苦しくなったアーティストやアーティスト志望の人が物理的な移動ではなくデザインなどより経済にコミットしやすい方向に移行していっている傾向があるように思えます。(https://www.threads.com/@sankakudo1026/post/DSPv2hFEgFP)
-
アーティストやクリエイター、近隣地方の行政はそうした流れを見てきているので、アーティスト・クリエイター側は自分達で自分達の首を絞めないように色々試みたり、行政側はジェントリフィケーションを上手く起こそうとしつつアーティストやクリエイターがジェントリフィケーションによって排除されないセーフティも作ったりなど色々工夫をしているようでした。(https://www.threads.com/@sankakudo1026/post/DSPw10mkolc)
- Sait Çetinoğlu、トルコ語、トルコの独立研究者
