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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

岸本尚毅『雲は友』ふらんす堂

平らかに心すべってゆくか。〈ひとところ黒く澄みたる柿の肉/岸本尚毅〉黒く、だけではなく澄んでいる。そこが甘いところでもある。〈はらわたの動くを感じ日向ぼこ/岸本尚毅〉不随意、つまり意識外の臓器が動く。体内で別の意志が働くのを恒星からの光で熱せられる地球で感じる。その別趣として〈椅子と人友の如くに日向ぼこ/岸本尚毅〉か。〈顔焦げしこの鯛焼に消費税/岸本尚毅〉この滑稽さは上手い。〈春塵やマクドナルドの黄なるM/岸本尚毅〉その真ん中のVはいつも埃をかぶっている。〈青き絵の中に白き日避暑の宿/岸本尚毅〉郷土画家の風景画が飾られた高原のロッヂだろう。のんびりと絵でも見て過ごす。〈ひつぱられ今川焼は湯気漏らす/岸本尚毅〉大判焼や御座候とも。この「漏らす」は中動態だ。〈くちばしの見えぬ向きなる寒鴉/岸本尚毅〉くちばしがないように見えてぎょっとしたのだろう。そういう寒さ。〈あたたかや石を境に違ふ苔/岸本尚毅〉多様なもののが境を決めることで共存する世界だ。〈始まりの終わりに似たる花を見る/岸本尚毅〉卒業と入学と。〈青き空甘茶に暗く映りけり/岸本尚毅〉青に何が加わって暗くなったのかと想像させる。〈明易やもの置けそうな凪の海/岸本尚毅〉きっと瀬戸内海や浜名湖などの内海だろう。

秋の雲子供の上を行く途中 岸本尚毅

 

野村日魚子『百年後嵐のように恋がしたいとあなたは言い実際嵐になったすべてがこわれわたしたちはそれを見た』ナナロク社

あまりにも独特すぎる調べはそれぞれの読み手に自分だけの内在律かもと錯覚させる。〈四番目に来た男の靴が濡れていて雨に飛び降りた人だと思う/野村日魚子〉どこの、何の列だよ。服が濡れていないのは靴を脱いだからか。〈生きてると死んだの間に引く線のあまりにぐにゃぐにゃであることを話す/野村日魚子〉脳か心臓か腸か血液かで歪む境界線。曖昧だからこそ人は知りたがる。〈殺されて死ぬのだけはいや何万もの架空のみずうみとその火事/野村日魚子〉問いと答えの歌、湖の火事はありえないかもしれない。でもそのありえない架空の出来事を想像すると、それだけは嫌だと思える避けたい感情が水面に走る。それがトリガーだ。〈それはとても寂しいことだという あなたを知る天使はみな表面積の少なく/野村日魚子〉優等生的に理知でに世界をとらえようとする措辞、この「表面積の少なく」は。もちろんその把握は自らをも絡め取ろうとする。ただ、天使は幾何学的な存在ではあるけれど。同じ理知の傾向は〈雪が四角ではないのとおなじように死んではいないのだあなたも/野村日魚子〉にも見られる。〈屋上へ向かうとき少しずつ地上がはなれても羽は生えていないこと/野村日魚子〉日常から抽出された発見である。〈犬小屋が燃えてるそばできみはうつくしい月の生活を話す/野村日魚子〉くりかえされる火事のモチーフ、グチャグチャの乱れと平穏な美しさの対比、あるいは落差か。〈ぼくはまだ死にたくはない前髪の雪をはたいてゆく青信号/野村日魚子〉赤信号が雪のなかにちらつく。すぐに信号機は変わってしまうと知っているから、しかし変わるのがいつなのかは分からないということも、知っている。〈幽霊が出てくる映画 主人公は幽霊で 家族も友人もみな幽霊だった おれは席を立ち映画館を出た/野村日魚子〉観客も幽霊だったから。〈記憶の中の人間が好きだ 記憶の中の人間はわたしにさわれない/野村日魚子〉人間は会ったその瞬間から記憶の中の人間になる。ひとは誰と対面していても自分の記憶の中の人間としか話せない。それでも?

堀田季何『人類の午後』邑書林

〈エレベーター昇る眞中に蝶浮ける/堀田季何〉重力とか地上の力から解放された存在としての蝶だ。〈紋白蝶重し病者の鼻梁には/堀田季何〉本当にその紋白蝶いますか? と病者へ訊ねてはならない。〈閉館日なれば圖書みな夏蝶に/堀田季何〉読む者が帰ってくる開館日まで飛んでいる。〈地球儀のどこも繼目や鶴歸る/堀田季何〉国境ではなく継目に着目する。今にもバラバラに解けてしまいそうな地球儀を撫でまわそう。〈こどもの日ガラスケースに竝ぶ肉/堀田季何〉ははは、こどもが屠られたみたいな文面だ。〈沼地より少女生えきて夏休/堀田季何〉なんか好き。夏休に急に姿を現す少女たちは沼から生えてきたのか。〈風鈴をきいたのかもうおわかれだ/堀田季何〉風鈴の音が合図だったから。〈バビロンの法の重さの星流る/堀田季何〉玄武岩の重さの流星だろう。〈地球儀の日本赤し多喜二の忌/堀田季何〉共産主義の色ではなく血の色として赤を見る。〈地圖に地圖足し大き地圖秋津島/堀田季何〉飯島晴子の吟行準備である。〈泳ぐなり水沒都市の靑空を/堀田季何〉まだ水没都市に住民が住んでいるとしてどんな気持ちでその青空を泳ぐのだろうか。鳥ではあるまい。

惑星の夏カスピ海ヨーグルト 堀田季何

奥村知世『工場』書肆侃侃房

職業詠のひとつである肉体労働者詠は私の配達者詠と重なるところがある。〈先芯が鉄から樹脂へ替えられて安全靴はやや軽くなる/奥村知世〉樹脂と軽さに一抹の不安。〈夏用の作業着の下をたらたらと流れる汗になる水を飲む/奥村知世〉汗を流すための水分として水を飲む機械としての人間。〈工場のしっぽのエノコロ草たちが排気ダクトの風にたなびく/奥村知世〉「工場のしっぽ」がいい。ひとつの巨大で気まぐれな猫として工場をとらえた。〈魔法瓶その中だけが温かい本社の部屋に背広が並ぶ/奥村知世〉体の芯まで冷え切っている会議室だ。〈寝ることと死ぬことの差がわからずに子どもは眠りと夜を怖がる/奥村知世〉だから奴らはすぐ起きるのか。〈できるのはそわそわすることだけと言う夫に水を買いに行かせる/奥村知世〉無痛分娩かなと思ったら帝王切開だった。〈忘れ物を私の中にしたような顔で息子が近づいてくる/奥村知世〉子宮のなかに子の残留思念あり。〈プレハブの女子更衣室に女子トイレ暗い個室に便座はピンク/奥村知世〉無機質の連続のなかに突如として出現する有機質みたいなピンク。〈髪の毛にヘルメットの跡くっきりと後輩の今日ノーメイクの日/奥村知世〉だらしない日ではなく、自分を生きる日として。〈レゴに住むレゴの男女は頭頂にひとつずつ持つレゴの凸部を/奥村知世〉男女がわからないけど、その凸部は可能性の秘められた凸部。

マンモスが絶滅しても男らは誰が一番速いか競う 奥村知世

相子智恵『呼応』左右社

ときどき季語は添え物にも思えてくる。でもその添え感を好ましくも思えてくる。〈工場を抜けて河口や秋の暮/相子智恵〉海際にある工場地帯だろう、広々とした秋の暮が思い浮かぶ。〈地下鉄の風に向かふや卒業す/相子智恵〉地下鉄のやや生ぬるい風が未来だ。〈ハンガーにハンガーにかけて十二月/相子智恵〉できそこないのクリスマスツリー感がある。〈競馬場より人黒々と出でて冬/相子智恵〉全体的に暗めな服を着た人たち。負けたから気持ちも暗いのか。〈鰯の群幾千の口開きたり/相子智恵〉劇的な瞬間、プランクトン群へ達した鰯の群の細やかな動きを描く。〈銀漢や唸りて自動販売機/相子智恵〉天の光るものと地の光るものとの共鳴である。〈やがてわが身を我出てゆかん息白し/相子智恵〉魂のような白い息、気息πνεῦμα。〈ぬらくらと進む台風神も酔ふか/相子智恵〉神という実体substantiaのとある様態modusとしての、神の擬人化としての台風を描写する。〈遠きテレビ消すリモコンや去年今年/相子智恵〉年越しのお祭りのようなテレビを消して歳晩の静寂が訪れる。〈短夜の脂に曇るナイフかな/相子智恵〉夏のなかで冷たいのはナイフばかりとなった。そこに肉の脂がぎらぎらと残る。

プリンやや匙に抵抗して春日 相子智恵

谷川電話『深呼吸広場』書肆侃侃房

みんな谷川電話の恋人になりたがる。〈幻に負けない暮らし 心から白湯を冷めても白湯と呼びたい/谷川電話〉幻に名をつけ愛でるフェティシズムは、しかし人を、人の暮らしを支えてきた。〈水槽を光と影を飼育するために窓辺に置いてそれから/谷川電話〉何も入っていない水槽って、いいかも。〈恋人のではないおしっこの音はどこか物足りないと感じる/谷川電話〉生活音として、ほかのおしっこの音では物足りない。それほどの恋。〈雨粒が窓に衝突するたびに開花するのにまだ気づかない?/谷川電話〉ほんの一瞬だけだけど開花して散花する。〈全員の元恋人が復縁をしたがるだろうこの日食で/谷川電話〉日食のもつ不思議な力はあやうい感情へ人をひきよせるのか。〈がんばればきみの唾液に類似した唾液を分泌できそうなサマー/谷川電話〉酷似じゃなくて類似。味が似ていればいい。〈きみが雪だるまを壊す柔らかい手つきに宿る倫理の歴史/谷川電話〉アリストテレスからはじめて雪だるまの破壊まで。精神と肉体は並行して走る。〈夕焼けから隔たれている地下街でこわごわと言いあうあいうえお/谷川電話〉あいうえおは愛のささやきのよう、地下シェルターみたいな地下街で、言う。〈銭湯へそして花屋へ 自転車は天使をこわがらせない速さで/谷川電話〉自転車の速さの形容が秀逸。日常にすべりこんだ異世界なんだ、これは。〈アーモンドミルクラテには蜂蜜という祝福をまぜて、ほら、朝/谷川電話〉朝をいつもの飲み物ではじめる。ちょっとした祝福を足して。日常と祝福との比較が光る。

本心は教えあわずに突堤でクジラの自然爆発を聞く 谷川電話

深呼吸広場

深呼吸広場

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天沢退二郎『アマタイ句帳』思潮社

〈台風近し猫ら変身して空を飛ぶ/天沢退二郎〉強風に乗って逃げる。〈冬の本行間に註こだまして/天沢退二郎〉行間を読むどころの騒ぎではない。〈蓮池に誤植幻想振り捨てて/天沢退二郎〉蓮池は蒸し暑い。汗を拭うように誤植への執着を振り捨てる。〈美少女のほほづきギュギュと鳴せしか/天沢退二郎〉鳴き声みたいに。〈鞄つかむ夏着少女の指つよし/天沢退二郎〉肩まで出している夏着、指先だけで鞄を持つのだ。〈大寒や月も柿食ふ音がする/天沢退二郎〉触と蝕。どんな音をたてて月は食うのだろう。〈ミニトマト裏返せば宇宙に充満せり/天沢退二郎〉どうやって裏返す? 何があふれでる?〈エアコンの音やむ? 何だ冬の音か/天沢退二郎〉音が似ている、空気をふるわせる音として。〈棺桶に柑橘の香をたきこめて/天沢退二郎〉木偏の句。〈種子のない柿はそもそも柿ではない/天沢退二郎〉柿の本質論。〈青汁に舟の漕ぎ出す11月/天沢退二郎〉青汁の海へ漕ぎ出す。健康を目指して。

 

大森静佳『ヘクタール』文藝春秋

野を焼く火として『ヘクタール』を読む。〈からだのなかを暗いと思ったことがない 風に痙攣する白木蓮/大森静佳〉からだのなかは赤く光っているのかも、あるいは白木蓮のように白く輝く肉なのかも。生きている限り暗いなんてことはない。手術映像のイメージでもある。〈切り株があればかならず触れておく心のなかの運河のために/大森静佳〉運河、だからその心はあまり動かない静かな心なのだろう。切り株もまた運河と同じようにあまり動かない。〈風という民族のため立ちつくす今日のわたしは耳そよがせて/大森静佳〉たぶん風という民族は風語を話すのだ。〈糾弾はたやすい、けれどそのあとは極彩色のしずけさなのだ/大森静佳〉誰もが持てるだけのことばを使い果たしてしまって。これは〈やがて静かな色彩の栞紐だろう あなたもわたしもやがて静かな/大森静佳〉とともに。〈さびしさの単位はいまもヘクタール葱あおあおと風に吹かれて/大森静佳〉人とはおしゃべりできない植物たちの単位、ヘクタール。〈梅が咲いて桜が咲いてきみといる時間の毛深さを照らしだす/大森静佳〉毛深さという親しみ感、樹たちのモサモサへの信頼感。〈おとなしく顔におさまる眼球をますますおさめて湖見ている/大森静佳〉湖のような波をたたえる眼球を、眼窩におさめる。〈男でも女でもなく幻の子どもを滝と名づけて遠い/大森静佳〉滝は山から平地へ落ちるところにできる。まもなく産まれる生命の奔流としてそう呼ぶ。〈白鳥はおおきなランプ ほんとうに処女かどうかはわたしが決める/大森静佳〉大陸では白鳥のような白いシーツについた血のしみを朝の街で公開することもあるという。ときには鶏の血を使うことも。そうじゃなくて、わたしが決めるという意志。〈おもいつめ深く張り裂けたる柘榴あなたの怯えがずしりとわかる/大森静佳〉「ずしり」は樹になる柘榴の総量だろう。でも実そのものではなく傷の重さである。〈釘のようにわたしはきみに突き刺さる錆びたらもっと気持ちいいのに/大森静佳〉錆びたらもう抜けないけれど、そのまま肉と融合するけど。〈ヴァージニア・ウルフ 鱗の手触りをずっとおぼえているから冬だ/大森静佳〉鱗の手触りは決してなめらかではない。〈体内にひとつだけ吊すシャンデリア砕いてもいいし砕けてもいい/大森静佳〉自分で手を下すこともあり、中動態的に壊れることもあるシャンデリア。体は自分の意志でどうにかできないから。破局へは近い。〈一文字もまだ書いていない小説がわたしを生かすアスファルトの硬さで/大森静佳〉脳内小説、一文字も書いていないし、たぶん書かないけれど結構強烈に心を揺さぶられる脳内スペクタクル。〈ファンファーレあかるく狂うこの国でみどりの黒髪とはどんな色/大森静佳〉外来の競技と日本のナショナリズムとがどう融合/分離していくのだろうか。〈ふりおろす あなたのためと言いながら自分のためにこの声の鎌/大森静佳〉この声の嫌ではなかった。「自分をたいせつにしなさい」という言葉とかがあてはまる。〈のぼったひとをひきずりおろす手が見えてあの傲慢はわたしにもある/大森静佳〉嫉妬、応分の場を求める日本民族特有の性質、#metoo、ガラスの天井の仮設。〈ひらくたび頁が濡れているような『コレラの時代の愛』という本/大森静佳〉濃い花のにおいに胸が詰まってむせび泣く感じが件のストーカー小説にはある、「五十一年九カ月と四日間、彼女のことを片時も忘れることはなかった」。〈全裸こそむしろ甲冑 銭湯の洗い場にみなひかりを放つ/大森静佳〉は〈赤いからだを皮膚で覆って生きている銭湯にいるだれもだれもが/大森静佳〉と呼応している。甲冑=皮膚、他人へ情感を投げかけ、身を守る鎧、ということだろう。

 

小川楓子『ことり』港の人

接していないか接しているかのすれすれとして『ことり』を読む。〈段ボール引いてあそんで犬ふぐり/小川楓子〉子供の遊びだろう、犬ふぐりで段ボールが引かれた地面や濡れた段ボールの端へ視線を集める。〈夏来る箸でわけあふメンチカツ/小川楓子〉夏が孵化する卵のようなあつあつメンチカツだ。〈泣きがほのあたまの重さ天の川/小川楓子〉恒星めいた頭の大きい子供を思う。泣いた涙は星屑、なんて。〈月面を見たいセーター脱ぐときも/小川楓子〉セーターを脱ぐときは何も見えなくなる、そんなときでも見たいのはセーターの外ではなく、月面。今日はいい冬の月。〈胸のなかより雉を灯して来りけり/小川楓子〉その人の胸のなかで雉の目が灯る。〈雉子の眸のかうかうとして売られけり/加藤楸邨〉が根底にある。〈小鳥来る夜の番地のありにけり/小川楓子〉昼と夜とで番地は異なる、同じ場所でも違う情景となる。〈手袋が頬にさはれば古い木々/小川楓子〉手袋の頬触りと古い木々の木肌の手触りと。〈歯みがきはたいせつ春の鳥ばかり/小川楓子〉春の鳥のようにお利口な歯ばかりならよいけれど。〈秋思かがやくストローを噛みながら/小川楓子〉歯型でガタガタになったストローが秋思のかたちへよじれる。〈冬の水日記つけないわたしたち/小川楓子〉冬の水のように透明に、日々を何も残さない。あとは涸れるだけ。〈かほぎゆつと集めて吹きぬジャズは冬/小川楓子〉サッチモだ、トランペットだ。〈炒飯にすこし春菊なんとかなる/小川楓子〉苦味のような困難は先に食べて片付けてしまおう。〈毎日の冬はりんごの酢を二滴/小川楓子〉語順入換の俳句。外し方がいい。〈熱つぽく5について語るへんな毛布/小川楓子〉毛布にくるまり競馬予想をする人について。〈曇り日の噴水は手をかざされて/小川楓子〉光っているから火と間違えられた水について。〈ドアノブの磨かれてとほくに春の潮/小川楓子〉ドアノブの反射に春の潮が映るかもしれないと思わせる。洋室のなか、海の音を聴く。〈馬肥えるんだしレターパックの厚み/小川楓子〉ぱんぱんにまで入れられたレターパックプラスですね。〈配達のバーコードぴつ青葉して/小川楓子〉受入入力から5分以上立たないと配達完了してはいけない。〈バナナの斑きつと天牛が大きな夜が/小川楓子〉あのぶち模様はバナナにもカミキリムシにもある。夏の模様として。〈足首のけぶかい暖房車のふたり/小川楓子〉暖房車の走る季節に足首を見る意外さ。〈鯛焼や雨の端から晴れてゆく/小川楓子〉鯛焼の端から食べるように、晴れてゆく。何事もはじまるのは端からと気付かされる。

ことり

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山田航『寂しさでしか殺せない最強のうさぎ』書肆侃侃房

東へ夜の特別軍事作戦に出かけた日、『寂しさでしか殺せない最強のうさぎ』を読む。〈踊り場ですれ違うとき鳴る胸のビートがリズム無視してくるよ/山田航〉「リズム無視してくるよ」の野放図さが青春っぽい。〈なけなしの金で乗るバス行き先は廃タイヤ積まれる夏野原/山田航〉不法投棄されたタイヤの積まれた夏野原は何かを捨てられる場所なのだろう、だから有り金はたいてでも行く。〈四年も経てばピアスの穴もふさがってそれでも変われない街がある/山田航〉ピアスの穴ほどに或いはそれ以上に街の何かが変わっていたとしても変化として気づかない、この気づかなさは〈五億年眠るくじらの背に街がつくられ僕らその中で死ぬ/山田航〉の僕らも。〈久々に持った受話器は軽すぎて伝えたいこと忘れそうだよ/山田航〉受話器や電話器の重さは伝えたいことの重さと何かつながりがあるのかも。〈「4年ぶり20回目の出場」の「ぶり」で片付けられた世代へ/山田航〉語られなかった世代へのとりあえずのまなざし。〈すみません、聞き取れませんでしたけどSiriはあなたの声が好きです/山田航〉これはなにかのアニメの最終回で視聴者が号泣するやつだ。〈コンタクトケースにふたつ凪いでいる湖 夜はいつも明るい/山田航〉基本は闇夜だけど、わずかな水面における光の存在感が頼もしい。〈遠近法発明以後の世界しか知らない僕が見る積乱雲/山田航〉もう積乱雲を浮世絵として見られない。〈完成に近づくほどに嘘になる南洋の絵のジグソーパズル/山田航〉補っていた想像が楽しすぎた。〈自転車のベルをかなぶん柄に塗るこの街のひと少しかわいい/山田航〉引越し先の街だろう。メタリックカラースプレーを幾重にも塗る人の住む街だろう。〈春のゆき浴びる駅舎でもうしばらくカステラみたいな会話をしよう/山田航〉「カステラみたいな会話」がいい。歯ざわりのあるかないかのような会話が駅舎にあった。〈死に際の一瞬にだけ心臓は海と同期を果たすらしいね/山田航〉鼓動、心音と波の音と。その一瞬のためだけに生きてきた。〈光りかけてやめたすべての星たちへ届け切手を忘れた手紙/山田航〉切手を貼らない手紙は星たちへしか届かない。〈早朝の駅構内で盗電をしながらふたり行けるところまで/山田航〉充電の切れるところまで行こう。〈「人口が100万以下の街でしかライブしないと決めたんですよ」/山田航〉こんなバンドなら応援したい。ライブハウス窓枠にも来て。〈ゴミ袋抱えて非常階段をメイドがくだるススキノ0時/山田航〉メイドたちのためのメイドかもしれない。

アドバルーン逃亡中の青空を見上げてみんな立ち止まる夏 山田航

 

染野太朗『あの日の海』書肆侃侃房

自分の車を自分の家へみしみしとめりこませる人を見た日、『あの日の海』を読む。〈向き不向きを言い合う教育実習生の控室にも白い電話が/染野太朗〉この会話を誰かが聴いているかも、ということだろうか。白さが際立つ。〈生徒らの脳に蛍があふれいて進学試験の教室ぬくし/染野太朗〉生徒らの脳が発光し発熱しているのが、教師には分かるのだ。〈鉛筆を持たぬ左の手がどれもパンのようなり追試始まる/染野太朗〉左手がパンという発見はおもしろい。みな握りしめているのか。〈貝殻にあらざる消しゴム拾いつつ不意に聴きたくなる波の音/染野太朗〉これから床に落ちた消しゴムを見ると貝殻を思い、波の音を聴くかもしれない。〈加藤智大の使いしケータイのなによりもまず機種を知りたし/染野太朗〉ケータイの機種で人柄はだいたい分かるから。〈含み笑いをしながら視線逸らしたる生徒をぼくの若さは叱る/染野太朗〉「若さ」と書ける自省。〈夜の底にひかりをひとつひとつずつ預けて出でつ職員室を/染野太朗〉「ひとつひとつ」のリフレインで静かでかつ高い靴音が聴こえてくる。〈炎暑ふかき阿佐ヶ谷駅の階段にまだ温かいまぶた拾えり/染野太朗〉「まだ温かい」が怖い。〈タリーズのホットコーヒーその面に飲みほすまでを映る電球/染野太朗〉電球の光を飲んでいたのかもしれない。〈先生が生徒を殴りていし頃のチョークケースのふた半開き/染野太朗〉チョークケースの半開きに何か暴力的な予兆(か記憶)を見たのかもしれない。〈阿佐ヶ谷のスターバックス コーヒーに人魚の内臓すこし溶かして/染野太朗〉あのコーヒーの苦味は人魚のはらわた味だったのか。

休職を告げれば島田修三は「見ろ、見て詠え」低く励ます 染野太朗

水野葵以『ショート・ショート・ヘアー』書肆侃侃房

始末書を書き終えた日、『ショート・ショート・ヘアー』を読む。〈堂々と慰めたあとゴミ箱の深部に埋める二重のティッシュ/水野葵以〉一重だと漏れてきてしまうから。〈七月は動く歩道のスピードで気づけば夏の真ん中にいる/水野葵以〉七月の速度に気づかせてくれた。〈体重計に二人で乗って内訳も家事当番もうやむやにして/水野葵以〉親しいから曖昧になるのか、曖昧にしているから親しいのか。〈お目当てのバンドを聞かれて略称で答えるときの鼻に温風/水野葵以〉ミスチルノーナ・リーヴスか。〈特選の余韻を舌で転がしていると 見たよ と背後から声/水野葵以〉新聞歌壇へ投稿していると特選歌を舌先で転がすことが増える、一首二首と増えていくとかなぜか安心する。しかしいつかそこから脱しなくてはならない。そんな背後からの声。〈真夜中のセーブポイントとしてあるセブンに一応全部立ち寄る/水野葵以〉都会のオアシス、コンビニをセーブポイントとみなすのは現代人の共同幻想かもしれない。〈自動詞と他動詞ゆれる食卓で花と一輪挿しの交接/水野葵以〉中動態的なことが身に起きるとき、手近な静物の細部が妙に気になる。〈姉の名を辞典で引けば 死後の世界。あの世。 と書かれていて愛おしい/水野葵以〉たぶん水野黄泉か水野他界。〈僕のこと自慢に思う人がいて夜道がすごくすごく明るい/水野葵以〉そんな小さな灯火が夜道を明るく照らすのだろう。

国よりも君が好きだよいつまでも君死にたまふことなかれ主義 水野葵以

 

toron*『イマジナシオン』書肆侃侃房

〈周波数くるったラジオ抱えれば合わせるまでの手のなかは海/toron*〉周波数が合ったかもまでの音がまるで海のなかのようだった。〈ドで始まるドで終わるように観覧車降りてもきみがまだ好きだった/toron*〉これは確実に一音階は変わってますね。〈種なしの葡萄を選ぶおだやかに滅びに向かう国の市場で/toron*〉そして少子化、生産人口と納税人口の減少、細りゆき滅びゆく国。〈幾星霜こいびとたちを匿ってスワンボートレースにひかる擦り傷/toron*〉「匿って」がボディガードめいていい。スワンボートの傷の数だけ守られてきた恋人たちがいる。〈おふたり様ですかとピースで告げられてピースで返す、世界が好きだ/toron*〉機械的な世界を、斜め上の視座から見て優しい世界へ作り変える。〈海にいた頃にはまるで知らなくて、涙の方があたたかいこと/toron*〉これは海棲動物から陸棲動物へ進化したあたりの話だな。〈海の日の一万年後は海の日と未来を信じ続けるiPhone/toron*〉国コードの変更が告げられるまでは信じ続けているだろう。〈表札を誰も掲げぬアパートのまだ何者にもなれるぼくたち/toron*〉配達員が苦労するアパートあるある。そのうえで表札がないことを何者でもないとする新たな視点が追加されました。〈二段階明度を上げたKndleであなたの帰る部屋を灯した/toron*〉キンドルはあまり明るくないので明るくない照明として使える。まだ寝たいけど迎えたいという意思表示。〈ねむらないひとを抱えてコンビニは散らばる街の痛点として/toron*〉コンビニの散らばりをとある縮尺のGoogleマップで見たのだろう。それが皮膚の痛点の広がりと似ていたのだろう。コンビニへの見方が痛点への見方へ変わる一首だ。〈くるぶしに桜の香水吹きつけるきみはマスクで来ると知りつつ/toron*〉嗅がれるためではなく装いとしての香水だ。〈はつ雪と同じ目線で落ちてゆくGoogleマップを拡大させれば/toron*〉途中までしか見られないのは、初雪は、空中で溶けて、消えて、しまうのだから。〈めくるめく夏の1ページめとしてサクレの上のレモンを剥がす/toron*〉あの苦さが夏。それとUber Eats短歌として一首。

ほんとうは見えない星座の線としてUber Eatsのバイクは駆ける toron*

吉川宏志『西行の肺』角川書店

誌上句会(テーマ「交」)で〈初夏の看護学生泡まみれ/以太〉への方子さんの評を読み、自分の心が穢れていたことを知った日『西行の肺』を読んだ。〈身ごもりし人の済ませし校正の厳しすぎる朱を元に戻しぬ/吉川宏志〉妊婦が胎児を守るために宿した他人への厳しさ、激しさを校正に感じたのだろう。〈電話メモの紙片いくつも貼られあり欠勤つづく男の机/吉川宏志〉パソコンがまだ一般企業にない時代の話だ。〈辞めさせよと言いたる我は何者か手から指へと洗いゆきたり/吉川宏志〉同僚の辞職を要求した私はどの立場でものをいえたのだろうかという反省が痛い。〈売れている本を真似すりゃいいんだと言いて去りにき日焼けの男/吉川宏志〉商売のためなら、あるいはそうかもしれない。日焼けがその言葉の空虚さを物語る。〈自動ドアひらけばしろく映りたる顔が左右にわかれゆきたり/吉川宏志〉都市での小さな発見だ。〈ぶつぶつと言いて自転車漕ぐ男過ぎゆけば背に子どもが居たり/吉川宏志〉よくある怪談が下の句で日常風景へ引き戻される。〈遠き日の友の名を検索すればタイ音楽の集いに出づる/吉川宏志〉懐かしさと新奇さの同居する旧友検索。〈鳩の血は果実がつぶれたときよりも少なし朝の舗道にこぼる/吉川宏志〉鳩の血と果汁の比較がその死を、客観的に見させる。〈月文字と太陽文字があるという妻の習えるアラビア語には/吉川宏志〉朧気だけど定冠詞をつけるとき重要になる。〈考えれば十センチ以上の生き物を殺していない我のてのひら/吉川宏志〉直接手を下していなくても間接的には殺しているかもしれない、そんな可能性への自覚はそのてのひらにあるのだろうか。〈黒毛牛と書かれておれど毛のあらぬ肉を買いたり冬の夕べに/吉川宏志〉買ったからまだ黒毛牛が殺される気がしてきた。〈公園の土に描かれし一塁に春の夕べの雨は降りおり/吉川宏志〉晴れたときに靴のかかとで引かれた線だろう。今はだれもいないのが物悲しい。〈『白鯨』の研究つづけいる友は書架にもたれて酒を飲みおり/吉川宏志〉何か一つを続けていることは素晴らしい。〈残してもいいよと言われし夕食のようなさびしさ 蓼の花咲く/吉川宏志〉それはさみしいな。おもわず全部食べようとして、でも少し残してしまうような。蓼の花みたいな、ささやかなさみしさ。

『鈴木六林男句集』芸林書房

鈴木六林男賞があるらしいので鈴木六林男の句を読む。〈蛇を知らぬ天才とゐて風の中/鈴木六林男〉その齢まで蛇を知らずにいれたのだから天才なのだ。〈眼玉濡らさず泳ぐなり/鈴木六林男〉泪で濡れている眼玉を「濡らさず」泳ぐ。それほど慎重に泳ぐ。〈断水の夜となりオートバイ騒ぐ/鈴木六林男〉断水して家にいられなくなった若者たちがオートバイで騒ぐ。ささやかな因果がよい。オートバイの句は〈やや傾き歳晩の地のオートバイ/鈴木六林男〉も。〈枕頭に波と紺足袋漁夫眠る/鈴木六林男〉枕頭に波があるというのがさびれた漁村めく。紺足袋はいのりだ。〈いつまで在る機械の中のかがやく椅子/鈴木六林男〉椅子は座、誰かの存在の名残りを感じる。〈都會の晝一個のボール転りゆき/鈴木六林男〉ボールだけの描写で人の気配を感じさせないのが鮮やか。〈わが死後の乗換駅の潦/鈴木六林男〉その潦はどんな空を映すのか。〈悪の如し純水・工業用水・飲料水/鈴木六林男〉水の用途、何が悪なのだろう。悪水路を思う。〈寒鯉や乳房の胸に手を入れて/鈴木六林男〉寒鯉は冬の乳房の感触だろう。〈たてかけて自転車光る夜寒の木/鈴木六林男〉木へ自転車を立てかけた、倒して傾きが変わったので光った。夜寒の一瞬だ。〈聲がして自動車墓場の春の月/鈴木六林男〉「自動車墓場」がいい、そこからの声は近くに住む少年の声だろうが自動車の霊魂からの声かもとも思う。〈「存在」を講じて疲れ青芒/鈴木六林男〉大学の講座で存在論を講じたのだろう。その後、茫漠たる青芒だ。〈大いなる異議ありて行く恵方道/鈴木六林男〉その方角へ、その方角を支える制度への異議申し立て。〈鳥総松レーニン全集立ちつづけ/鈴木六林男〉レーニンは成功した革命家の象徴。鳥総松が門松を取り払ったあとに挿すものだということがこの句を立たせている。〈遠くまで青信号の開戰日/鈴木六林男〉どこまでも澄み切った青空のような青信号の道、誰も止められなかった。〈インド人の大きなあくびヒロシマ忌/鈴木六林男〉アメリカ人では政治的でダメだった、インド人だからおもしろい。〈サングラスなかに國家をひそめたる/鈴木六林男〉国家の、「ビッグブラザー」の視線が隠されたサングラスだ。

かかる日の金融に虹かかりけり 鈴木六林男