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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

所以148

  • 商代初期の総人口は四〇〇万から四五〇万程度、後期の人口は七八〇万人ほどとなる。(上田信『人口の中国史岩波新書
  • 移民と徙民
  • 焦培民は『史記』の断片的な記述から、春秋時代の人口を一四〇〇万人と推定するが、やはりその根拠は説得力を持つとはいえない。(上田信『人口の中国史岩波新書
  • 各国の兵力の概数から戦国時代の総人口三〇三〇万という数字を、中国の人口史家が算出している。参考値として掲げておこう。(上田信『人口の中国史岩波新書
  • 東周時代は五千万人に足らない。
  • 安能務風に言うなら、人口というより権力に従った人の数か。孟子に「一民莫非其臣也」とあるけれど。
  • ペルー映画「革命する大地」、「みどりの壁」「革命児トゥパク・アマル」「砂のミラージュ」「豚と天国」「チョロ」「アンデス、ふたりぼっち」
  • 南史氏と方方
  • 乖国の君主は、周王に対しては「乖伯」と「伯」の号を称するが、死後には周と同様に王号を名乗ることを許されていたようである。(佐藤信弥『古代中国王朝史の誕生』ちくま新書
  • 西周王朝には、一般に六師と八師の二つの正規軍が存在したとされる。六師は西の六師とも呼ばれ、宗周(鎬京)に置かれたとされる。もう一方の八師は殷八師、成周八師、東八師などと呼ばれ、こちらは「成周八師」の異称の通り、成周すなわち洛邑に置かれたとされている。(佐藤信弥『古代中国王朝史の誕生』ちくま新書
  • 江村知朗によると、呉のように祖先伝承が歴史的な事実ではなく虚構であったとしても、諸侯たちはその虚構性を問題とせず,、相互に祖先伝承を承認しあっていたのではないかという。(佐藤信弥『古代中国王朝史の誕生』ちくま新書
  • 春秋『左伝』『公羊伝』『穀梁伝』のほかの『鄒氏伝』『夾氏伝』
  • 晋の『乗』、楚の『檮杌』、魯の『春秋』
  • 支持されやすい政治的な主張をする作家は文芸のセンスがない。たとえば、平和・平等とか、ありきたりな。
  • そもそも支持されやすいと予想できなければ文芸政治のセンスがない。政治家ならばそれでもいいけれど。
  • 生きやすい人は他人のために生きる人、生きにくい人は自分のために生きる人
  • 出来事の記録のための年号から予祝の年号へ(漢武帝)、そして明代の一世一元制へ。
  • 下丸子文化集団には、最も優れた詩人であり、卓越したオルガナイザーでもあった青年がいました。江島寛、本名星野秀樹は、集団の優秀な「工作者」として名を残したばかりでなく、集団が1951年から59年まで持続的に活動する礎を築いた人物でもあります。(平川克美『ひとが詩人になるとき』ミツイパブリッシング)
  • 江島は、「書く」ことで集団の可能性を追求し、「書く」ことで主体としての自分の追究するという方法を示したのです。(平川克美『ひとが詩人になるとき』ミツイパブリッシング)
  • 頭木弘樹や小津夜景のようなサナトリウム型知識人が今後は文芸政治の頂点に立つだろう。でも有機的知識人ではないので牛耳れない。
  • 目的語≒賓語
  • 三島由紀夫天皇と諸君がひと言言ってくれれば俺は喜んで諸君と手をつなぐのに」
  • 政治闘争→文化闘争
  • 解放区、試す価値のある芸術
  • 駒場900番教室、民青(日本共産党実働部隊)と東大全共闘との対立に生じた中立地帯。
  • 本来はセクトとしての日本共産党と対立していた少数派であるニューレフトやノンセクト、のはずだったけれど今はそういった少数派が日本共産党を選挙で応援してしまっている、ネジレ。
  • 街頭ブランキズム
  • 事物にイマージュを与えてしまう、紙幣。