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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

大森静佳『ヘクタール』文藝春秋

野を焼く火として『ヘクタール』を読む。〈からだのなかを暗いと思ったことがない 風に痙攣する白木蓮/大森静佳〉からだのなかは赤く光っているのかも、あるいは白木蓮のように白く輝く肉なのかも。生きている限り暗いなんてことはない。手術映像のイメージでもある。〈切り株があればかならず触れておく心のなかの運河のために/大森静佳〉運河、だからその心はあまり動かない静かな心なのだろう。切り株もまた運河と同じようにあまり動かない。〈風という民族のため立ちつくす今日のわたしは耳そよがせて/大森静佳〉たぶん風という民族は風語を話すのだ。〈糾弾はたやすい、けれどそのあとは極彩色のしずけさなのだ/大森静佳〉誰もが持てるだけのことばを使い果たしてしまって。これは〈やがて静かな色彩の栞紐だろう あなたもわたしもやがて静かな/大森静佳〉とともに。〈さびしさの単位はいまもヘクタール葱あおあおと風に吹かれて/大森静佳〉人とはおしゃべりできない植物たちの単位、ヘクタール。〈梅が咲いて桜が咲いてきみといる時間の毛深さを照らしだす/大森静佳〉毛深さという親しみ感、樹たちのモサモサへの信頼感。〈おとなしく顔におさまる眼球をますますおさめて湖見ている/大森静佳〉湖のような波をたたえる眼球を、眼窩におさめる。〈男でも女でもなく幻の子どもを滝と名づけて遠い/大森静佳〉滝は山から平地へ落ちるところにできる。まもなく産まれる生命の奔流としてそう呼ぶ。〈白鳥はおおきなランプ ほんとうに処女かどうかはわたしが決める/大森静佳〉大陸では白鳥のような白いシーツについた血のしみを朝の街で公開することもあるという。ときには鶏の血を使うことも。そうじゃなくて、わたしが決めるという意志。〈おもいつめ深く張り裂けたる柘榴あなたの怯えがずしりとわかる/大森静佳〉「ずしり」は樹になる柘榴の総量だろう。でも実そのものではなく傷の重さである。〈釘のようにわたしはきみに突き刺さる錆びたらもっと気持ちいいのに/大森静佳〉錆びたらもう抜けないけれど、そのまま肉と融合するけど。〈ヴァージニア・ウルフ 鱗の手触りをずっとおぼえているから冬だ/大森静佳〉鱗の手触りは決してなめらかではない。〈体内にひとつだけ吊すシャンデリア砕いてもいいし砕けてもいい/大森静佳〉自分で手を下すこともあり、中動態的に壊れることもあるシャンデリア。体は自分の意志でどうにかできないから。破局へは近い。〈一文字もまだ書いていない小説がわたしを生かすアスファルトの硬さで/大森静佳〉脳内小説、一文字も書いていないし、たぶん書かないけれど結構強烈に心を揺さぶられる脳内スペクタクル。〈ファンファーレあかるく狂うこの国でみどりの黒髪とはどんな色/大森静佳〉外来の競技と日本のナショナリズムとがどう融合/分離していくのだろうか。〈ふりおろす あなたのためと言いながら自分のためにこの声の鎌/大森静佳〉この声の嫌ではなかった。「自分をたいせつにしなさい」という言葉とかがあてはまる。〈のぼったひとをひきずりおろす手が見えてあの傲慢はわたしにもある/大森静佳〉嫉妬、応分の場を求める日本民族特有の性質、#metoo、ガラスの天井の仮設。〈ひらくたび頁が濡れているような『コレラの時代の愛』という本/大森静佳〉濃い花のにおいに胸が詰まってむせび泣く感じが件のストーカー小説にはある、「五十一年九カ月と四日間、彼女のことを片時も忘れることはなかった」。〈全裸こそむしろ甲冑 銭湯の洗い場にみなひかりを放つ/大森静佳〉は〈赤いからだを皮膚で覆って生きている銭湯にいるだれもだれもが/大森静佳〉と呼応している。甲冑=皮膚、他人へ情感を投げかけ、身を守る鎧、ということだろう。

 

山田航『寂しさでしか殺せない最強のうさぎ』書肆侃侃房

東へ夜の特別軍事作戦に出かけた日、『寂しさでしか殺せない最強のうさぎ』を読む。〈踊り場ですれ違うとき鳴る胸のビートがリズム無視してくるよ/山田航〉「リズム無視してくるよ」の野放図さが青春っぽい。〈なけなしの金で乗るバス行き先は廃タイヤ積まれる夏野原/山田航〉不法投棄されたタイヤの積まれた夏野原は何かを捨てられる場所なのだろう、だから有り金はたいてでも行く。〈四年も経てばピアスの穴もふさがってそれでも変われない街がある/山田航〉ピアスの穴ほどに或いはそれ以上に街の何かが変わっていたとしても変化として気づかない、この気づかなさは〈五億年眠るくじらの背に街がつくられ僕らその中で死ぬ/山田航〉の僕らも。〈久々に持った受話器は軽すぎて伝えたいこと忘れそうだよ/山田航〉受話器や電話器の重さは伝えたいことの重さと何かつながりがあるのかも。〈「4年ぶり20回目の出場」の「ぶり」で片付けられた世代へ/山田航〉語られなかった世代へのとりあえずのまなざし。〈すみません、聞き取れませんでしたけどSiriはあなたの声が好きです/山田航〉これはなにかのアニメの最終回で視聴者が号泣するやつだ。〈コンタクトケースにふたつ凪いでいる湖 夜はいつも明るい/山田航〉基本は闇夜だけど、わずかな水面における光の存在感が頼もしい。〈遠近法発明以後の世界しか知らない僕が見る積乱雲/山田航〉もう積乱雲を浮世絵として見られない。〈完成に近づくほどに嘘になる南洋の絵のジグソーパズル/山田航〉補っていた想像が楽しすぎた。〈自転車のベルをかなぶん柄に塗るこの街のひと少しかわいい/山田航〉引越し先の街だろう。メタリックカラースプレーを幾重にも塗る人の住む街だろう。〈春のゆき浴びる駅舎でもうしばらくカステラみたいな会話をしよう/山田航〉「カステラみたいな会話」がいい。歯ざわりのあるかないかのような会話が駅舎にあった。〈死に際の一瞬にだけ心臓は海と同期を果たすらしいね/山田航〉鼓動、心音と波の音と。その一瞬のためだけに生きてきた。〈光りかけてやめたすべての星たちへ届け切手を忘れた手紙/山田航〉切手を貼らない手紙は星たちへしか届かない。〈早朝の駅構内で盗電をしながらふたり行けるところまで/山田航〉充電の切れるところまで行こう。〈「人口が100万以下の街でしかライブしないと決めたんですよ」/山田航〉こんなバンドなら応援したい。ライブハウス窓枠にも来て。〈ゴミ袋抱えて非常階段をメイドがくだるススキノ0時/山田航〉メイドたちのためのメイドかもしれない。

アドバルーン逃亡中の青空を見上げてみんな立ち止まる夏 山田航

 

染野太朗『あの日の海』書肆侃侃房

自分の車を自分の家へみしみしとめりこませる人を見た日、『あの日の海』を読む。〈向き不向きを言い合う教育実習生の控室にも白い電話が/染野太朗〉この会話を誰かが聴いているかも、ということだろうか。白さが際立つ。〈生徒らの脳に蛍があふれいて進学試験の教室ぬくし/染野太朗〉生徒らの脳が発光し発熱しているのが、教師には分かるのだ。〈鉛筆を持たぬ左の手がどれもパンのようなり追試始まる/染野太朗〉左手がパンという発見はおもしろい。みな握りしめているのか。〈貝殻にあらざる消しゴム拾いつつ不意に聴きたくなる波の音/染野太朗〉これから床に落ちた消しゴムを見ると貝殻を思い、波の音を聴くかもしれない。〈加藤智大の使いしケータイのなによりもまず機種を知りたし/染野太朗〉ケータイの機種で人柄はだいたい分かるから。〈含み笑いをしながら視線逸らしたる生徒をぼくの若さは叱る/染野太朗〉「若さ」と書ける自省。〈夜の底にひかりをひとつひとつずつ預けて出でつ職員室を/染野太朗〉「ひとつひとつ」のリフレインで静かでかつ高い靴音が聴こえてくる。〈炎暑ふかき阿佐ヶ谷駅の階段にまだ温かいまぶた拾えり/染野太朗〉「まだ温かい」が怖い。〈タリーズのホットコーヒーその面に飲みほすまでを映る電球/染野太朗〉電球の光を飲んでいたのかもしれない。〈先生が生徒を殴りていし頃のチョークケースのふた半開き/染野太朗〉チョークケースの半開きに何か暴力的な予兆(か記憶)を見たのかもしれない。〈阿佐ヶ谷のスターバックス コーヒーに人魚の内臓すこし溶かして/染野太朗〉あのコーヒーの苦味は人魚のはらわた味だったのか。

休職を告げれば島田修三は「見ろ、見て詠え」低く励ます 染野太朗

水野葵以『ショート・ショート・ヘアー』書肆侃侃房

始末書を書き終えた日、『ショート・ショート・ヘアー』を読む。〈堂々と慰めたあとゴミ箱の深部に埋める二重のティッシュ/水野葵以〉一重だと漏れてきてしまうから。〈七月は動く歩道のスピードで気づけば夏の真ん中にいる/水野葵以〉七月の速度に気づかせてくれた。〈体重計に二人で乗って内訳も家事当番もうやむやにして/水野葵以〉親しいから曖昧になるのか、曖昧にしているから親しいのか。〈お目当てのバンドを聞かれて略称で答えるときの鼻に温風/水野葵以〉ミスチルノーナ・リーヴスか。〈特選の余韻を舌で転がしていると 見たよ と背後から声/水野葵以〉新聞歌壇へ投稿していると特選歌を舌先で転がすことが増える、一首二首と増えていくとかなぜか安心する。しかしいつかそこから脱しなくてはならない。そんな背後からの声。〈真夜中のセーブポイントとしてあるセブンに一応全部立ち寄る/水野葵以〉都会のオアシス、コンビニをセーブポイントとみなすのは現代人の共同幻想かもしれない。〈自動詞と他動詞ゆれる食卓で花と一輪挿しの交接/水野葵以〉中動態的なことが身に起きるとき、手近な静物の細部が妙に気になる。〈姉の名を辞典で引けば 死後の世界。あの世。 と書かれていて愛おしい/水野葵以〉たぶん水野黄泉か水野他界。〈僕のこと自慢に思う人がいて夜道がすごくすごく明るい/水野葵以〉そんな小さな灯火が夜道を明るく照らすのだろう。

国よりも君が好きだよいつまでも君死にたまふことなかれ主義 水野葵以

 

toron*『イマジナシオン』書肆侃侃房

〈周波数くるったラジオ抱えれば合わせるまでの手のなかは海/toron*〉周波数が合ったかもまでの音がまるで海のなかのようだった。〈ドで始まるドで終わるように観覧車降りてもきみがまだ好きだった/toron*〉これは確実に一音階は変わってますね。〈種なしの葡萄を選ぶおだやかに滅びに向かう国の市場で/toron*〉そして少子化、生産人口と納税人口の減少、細りゆき滅びゆく国。〈幾星霜こいびとたちを匿ってスワンボートレースにひかる擦り傷/toron*〉「匿って」がボディガードめいていい。スワンボートの傷の数だけ守られてきた恋人たちがいる。〈おふたり様ですかとピースで告げられてピースで返す、世界が好きだ/toron*〉機械的な世界を、斜め上の視座から見て優しい世界へ作り変える。〈海にいた頃にはまるで知らなくて、涙の方があたたかいこと/toron*〉これは海棲動物から陸棲動物へ進化したあたりの話だな。〈海の日の一万年後は海の日と未来を信じ続けるiPhone/toron*〉国コードの変更が告げられるまでは信じ続けているだろう。〈表札を誰も掲げぬアパートのまだ何者にもなれるぼくたち/toron*〉配達員が苦労するアパートあるある。そのうえで表札がないことを何者でもないとする新たな視点が追加されました。〈二段階明度を上げたKndleであなたの帰る部屋を灯した/toron*〉キンドルはあまり明るくないので明るくない照明として使える。まだ寝たいけど迎えたいという意思表示。〈ねむらないひとを抱えてコンビニは散らばる街の痛点として/toron*〉コンビニの散らばりをとある縮尺のGoogleマップで見たのだろう。それが皮膚の痛点の広がりと似ていたのだろう。コンビニへの見方が痛点への見方へ変わる一首だ。〈くるぶしに桜の香水吹きつけるきみはマスクで来ると知りつつ/toron*〉嗅がれるためではなく装いとしての香水だ。〈はつ雪と同じ目線で落ちてゆくGoogleマップを拡大させれば/toron*〉途中までしか見られないのは、初雪は、空中で溶けて、消えて、しまうのだから。〈めくるめく夏の1ページめとしてサクレの上のレモンを剥がす/toron*〉あの苦さが夏。それとUber Eats短歌として一首。

ほんとうは見えない星座の線としてUber Eatsのバイクは駆ける toron*

吉川宏志『西行の肺』角川書店

誌上句会(テーマ「交」)で〈初夏の看護学生泡まみれ/以太〉への方子さんの評を読み、自分の心が穢れていたことを知った日『西行の肺』を読んだ。〈身ごもりし人の済ませし校正の厳しすぎる朱を元に戻しぬ/吉川宏志〉妊婦が胎児を守るために宿した他人への厳しさ、激しさを校正に感じたのだろう。〈電話メモの紙片いくつも貼られあり欠勤つづく男の机/吉川宏志〉パソコンがまだ一般企業にない時代の話だ。〈辞めさせよと言いたる我は何者か手から指へと洗いゆきたり/吉川宏志〉同僚の辞職を要求した私はどの立場でものをいえたのだろうかという反省が痛い。〈売れている本を真似すりゃいいんだと言いて去りにき日焼けの男/吉川宏志〉商売のためなら、あるいはそうかもしれない。日焼けがその言葉の空虚さを物語る。〈自動ドアひらけばしろく映りたる顔が左右にわかれゆきたり/吉川宏志〉都市での小さな発見だ。〈ぶつぶつと言いて自転車漕ぐ男過ぎゆけば背に子どもが居たり/吉川宏志〉よくある怪談が下の句で日常風景へ引き戻される。〈遠き日の友の名を検索すればタイ音楽の集いに出づる/吉川宏志〉懐かしさと新奇さの同居する旧友検索。〈鳩の血は果実がつぶれたときよりも少なし朝の舗道にこぼる/吉川宏志〉鳩の血と果汁の比較がその死を、客観的に見させる。〈月文字と太陽文字があるという妻の習えるアラビア語には/吉川宏志〉朧気だけど定冠詞をつけるとき重要になる。〈考えれば十センチ以上の生き物を殺していない我のてのひら/吉川宏志〉直接手を下していなくても間接的には殺しているかもしれない、そんな可能性への自覚はそのてのひらにあるのだろうか。〈黒毛牛と書かれておれど毛のあらぬ肉を買いたり冬の夕べに/吉川宏志〉買ったからまだ黒毛牛が殺される気がしてきた。〈公園の土に描かれし一塁に春の夕べの雨は降りおり/吉川宏志〉晴れたときに靴のかかとで引かれた線だろう。今はだれもいないのが物悲しい。〈『白鯨』の研究つづけいる友は書架にもたれて酒を飲みおり/吉川宏志〉何か一つを続けていることは素晴らしい。〈残してもいいよと言われし夕食のようなさびしさ 蓼の花咲く/吉川宏志〉それはさみしいな。おもわず全部食べようとして、でも少し残してしまうような。蓼の花みたいな、ささやかなさみしさ。

島楓果『すべてのものは優しさをもつ』ナナロク社

夏祭の日、『すべてのものは優しさをもつ』を読む。〈トースター開けたら昨日のトーストが入ったままでゆっくり閉じる/島楓果〉他人事とは思えない。〈郵便の入れられる音が二回して郵便受けを見に行くと空/島楓果〉これを解説すると、一回投函したけれど次の家に着いたときに順立したときにあったはずの郵便がないので「しまった、誤配だ」と前の家に戻って受箱に手を突っ込んだら指先で誤配した郵便を取れたから取り戻したんですね。一件落着というわけです。〈夕方のニュースで親子が食べているお子様ランチの旗はブラジル/島楓果〉浜松市だと土地柄だからかお子様ランチにはブラジル国旗がよく刺さっている。〈湯加減が良くて見上げた天井に貼り付いている金の長髪/島楓果〉上昇気流で天井まで舞い上がった?〈自分から出た聞いたことない音に目を見開いて再び閉じる/島楓果〉と〈舌打ちをしていないのに舌打ちに似た音が出て苛立ってくる/島楓果〉舌打ちに似た音は舌打ち音ではないのだから聞いたことない音の可能性はある。〈返事をされなかった瞬間から話しかけた言葉はひとりごとになる/島楓果〉「それって独り言?」「そう、独り言」

コードレス掃除機ほしいけどたまにコードが暴れているのは見たい 島楓果

 

上坂あゆ美『老人ホームで死ぬほどモテたい』書肆侃侃房

ファンシーな商品で過半を埋め尽くされた文房具店でA4原稿用紙を買った日、『老人ホームで死ぬほどモテたい』を読む。〈ロシア産鮭とアメリカ産イクラでも丼さえあれば親子になれる/上坂あゆ美〉アメリカはアラスカでロシアはシベリアと言っては無粋に過ぎる。目の付け所がおもしろい。〈欲しい物聞かれて米と答えたらそれはいつしか年貢と呼ばれた/上坂あゆ美〉五公五民なみに何度も米を貰ったのだろう。〈アマゾンで激安だったツナ缶のマグロは海を覚えてるかな/上坂あゆ美〉己の脂に塗れながら脳の破片はふるさとの海を思う。思念はきっと肉片に宿るから。〈法人化したほうが税金お得だし、みたいな感じで結婚する人/上坂あゆ美〉建前の事業目的と建前の「子を産み育てる」目的で血縁のない人たちがつくる共同体への直観の鋭さ。

お父さんお元気ですかフィリピンの女の乳首は何色ですか 上坂あゆ美

 

岡本真帆『水上バス浅草行き』ナナロク社

〈教室じゃ地味で静かな山本の水切り石がまだ止まらない/岡本真帆〉がぎりぎりまで見つからなかった日、『水上バス浅草行き』を読む。〈にぎやかな四人が乗車して限りなく透明になる運転手/岡本真帆〉四人に対して相対的に透明へ近づいていく運転手。その過程で機械として次のバス停を案内したりする。〈もうキミが来なくたってクリニカは減ってくひとりぶんの速度で/岡本真帆〉クリニカは当時の歯磨き粉の商品名だろう。量が速度に置換される。〈お風呂から10分くらいまだ歩くけど4人はパジャマになった/岡本真帆〉入浴後の清潔と不清潔の狭間で迷いがあったのかもしれない。これからの10分で自分がどう変わりゆくのかという疑念。〈珈琲にたった一滴泥水が入ればそれは珈琲じゃなく/岡本真帆〉泥水が混ざるとコーヒータイムの時間として楽しんで飲めなくなるから珈琲ではなくなる。〈売春と言ってあなたが差し出した小さな白い花を買う春/岡本真帆〉ささやかで小さな隠語として。〈銀行の審査が下りない繋がれた犬を逃した春があるから/岡本真帆〉それは信用問題になってしまった。〈南極に宇宙に渋谷駅前にわたしはきみをひとりにしない/岡本真帆〉ライカもタロもジロもハチも気づかないだろう、自分たちが同じ「犬」と呼ばれる生命であることに。〈偽物の山手線の駅名を二人で挙げる4時のカラ館/岡本真帆〉「駒塚」とか「東反田」とか。

言い切れる強さがほしい「レターパックで現金送れ」はすべて詐欺です 岡本真帆

 

嶋稟太郎『羽と風鈴』書肆侃侃房

〈止めていた音楽をまた初めから長い時間が経ってから聴く/嶋稟太郎〉初めから聴くけれど、もしかしたら止めたときの記録や栞のような痕跡が残っていたのだろうかと思わせる。〈やがて森の設計図となる旅客機が東の空にともされてゆく/嶋稟太郎〉飛行機の老朽化して引退したあとを思う。〈夕立の終わりは近く二輪車の音は二輪の線を引きつつ/嶋稟太郎〉二輪の水轍が少しずれて残るのだろう。暗い、優しい時間だ。〈月面に着陸したる人思う何も持たずに浴室を出て/嶋稟太郎〉別のところへ踏み込んだ違和感は宇宙飛行士も入浴者も同じかもしれない。〈おもむろに風吹く午後の地の上を擦りながら飛ぶ包装容器/嶋稟太郎〉好きだなぁ。〈問いかける形で記すいくつかの議題の文字は傾いたまま/嶋稟太郎〉「傾いたまま」の客観写生が効いている。〈車椅子を降りようとして美しい筋肉きみがマンボロを吸う/嶋稟太郎〉喫煙者の車椅子利用者という像がうつくしい。〈一晩はパジャマを借りるあたたかな異郷の風に髪が乾いて/嶋稟太郎〉着慣れないパジャマと吹き慣れない風の感じがわかる。〈ロッカーの鍵を手首にからませる地図で見つけた銭湯に来て/嶋稟太郎〉ロッカーの鍵は実感である。〈日だまりにレシートが散るポケットの底から鍵の束を抜いたら/嶋稟太郎〉レシートの白は光であろう。

かさぶたを剥がしたような西の果て飛行機雲はどこまで続く 嶋稟太郎

 

羽と風鈴

羽と風鈴

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類歌による入選取消し

中日新聞2022年1月16日朝刊22面の俳壇歌壇欄に「2021年2月14日付の島田修三選の1席は類歌と判断したため、入選を取り消します」と「お断り」が載せられた。


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新聞歌壇・新聞俳壇にときどき掲載される「おことわり」、今回の入選取消理由は二重投稿ではなく類歌とのこと。どのような類歌だったのか辿ってみた。

取り消された該当の歌は〈バイクよりひらりと降りたる青年がヘルメット脱ぎ美少女となる〉というもの。Googleで該当歌を検索すると

バイクよりひらり降りたる青年がヘルメット脱ぎ美少女となる

安部 綾 「雪明りの坂」(2002年)所収(変身、ちょっといい感じ

『バイクよりひらり降りたる青年がヘルメットを脱ぎ美少女となる 』

こういうの、僕のど真ん中なんです。意外性とか、別の顔とか、誰も知らない素顔とか…♪

(詩 / 阿部綾『雪明りの坂』より)(三左衛門

という歌が見つかった。作者は阿部綾さんのようで『雪明りの坂』は沃野叢書として角川書店から2002年に刊行されている。そして該当歌は阿部綾さんのこの歌のテニヲハをいじっただけの歌であるようだ。もちろんうっかり似てしまった可能性もあるが、同じくらい盗作の可能性もある。

吉竹純『日曜俳句入門』岩波新書にこうある。

しかし、なにより頼りになるのは、読者の目です。かつて地方紙からの盗用であれば、見つからないと思ったケースがあったようです。しかし天網恢々疎にして漏らさず、アウトになったという話です。

投稿歌人と投稿俳人はいま一度気を引き締めなければならない。

 

荻原裕幸『リリカル・アンドロイド』書肆侃侃房

〈さくらからさくらをひいた華やかな空白があるさくらのあとに/荻原裕幸〉その空白は決して虚しくない。〈ここはしづかな夏の外側てのひらに小鳥をのせるやうな頬杖/荻原裕幸〉「夏の外側」という疎外感がなじむ。〈皿にときどき蓮華があたる炒飯をふたりで崩すこの音が冬/荻原裕幸〉黙々と炒飯を食べる時間、そんな言葉のない静寂さが冬。〈スマホの奥では秋草の咲く音がする結局そこもいま秋なのか/荻原裕幸スマホの奥から聴こえる音は脳のなかで鳴る音であろう。〈右折するときに大きく揺れながら春をこぼしてクロネコヤマト荻原裕幸〉春の落失事故である。〈壁のなかにときどき誰かの気配あれど逢ふこともなく六月終る/荻原裕幸〉誰かがいることは否定することなく終わる六月。梅雨の闇にひそむ生命あるいは生命なき物音の気配。〈ローソンとローソン専用駐車場とに挟まれた場所にひとりで/荻原裕幸〉あの名前のない場所に立つ、受動喫煙の烟に巻かれながら。〈緘でも〆でも封でもなくて春の字を記して封をした封書来る/荻原裕幸〉そんな封書来て欲しいし、そんな封書を出せる友が欲しい。〈誰も画面を見てゐないのにNHKが映りつづけてゐる大晦日荻原裕幸紅白歌合戦はもはや歌だけを届けている。〈この世から少し外れた場所として午前三時のベランダがある/荻原裕幸〉見慣れた場所は深夜にがらりと様相を変える。〈同じ本なのに二度目はテキストが花野のやうに淋しく晴れる/荻原裕幸〉一度目とは読める意味が変わってきたゆえ。〈四枚のキングのなかで髭のないひとりのやうに秋を見てゐる/荻原裕幸〉ハートのキングはカール一世だとか。彼はなぜ髭なしとされているのか分からないけど、そのくっきりとした目のような確かな視線で見る秋には冷ややかさがこもる。

春が軋んでどうしようもないゆふぐれを逃れて平和園の炒飯 荻原裕幸

 

 

鶴舞公園と短歌

名古屋市鶴舞(つるま)公園は名古屋市昭和区鶴舞一丁目にあり、明治四十二年に名古屋で最初に整備された公園*1だ。小酒井不木の「名古屋スケツチ」には

なほ又名古屋市民に近頃追々喜ばれ出した鶴舞公園はスケツチの種にならぬことはないけれど、公園などのスケツチに出かけては、近頃流行の感冒にでも襲はれると悪いから、今日はこの辺で筆をとゞめて置く。

と書かれ、相当な人出と人気だったようだ。この小酒井不木国枝史郎によれば鶴舞公園の近所に住んでいた*2。また国枝史郎の「銀三十枚」や江戸川乱歩の「猟奇の果」に鶴舞公園は舞台として登場する。吉川英治が感心した*3図書館も公園にある。鶴舞公園は日本文学史、特に東海地方の文学史を語る上で重要な公園である。

この鶴舞公園の噴水塔は歌人加藤治郎によって個人的な短歌の聖地となっている。

 

青き水噴き上げてゐつ解き放たねばならぬあまたを持ちてゐし日/春日井建

その加藤治郎鶴舞公園の噴水塔をタイトルとした『噴水塔』という歌集を出している。

八本の円柱はみゆ鶴舞の噴水塔につどう歌人加藤治郎

また、『東海のうたびと』中日新聞社加藤治郎は吟遊の街の三番目に鶴舞公園噴水塔を挙げている。

噴水に春のブラウス濡らしつつほんきなのって瞳は嘆く/加藤治郎

そのほか惟任將彥による「鶴舞公園」と題された連作12首も「AICHI⇆ONLINE」の短歌プロジェクト「ここでのこと」で発表されている。

芝生ではバドミントンの親子らがいつかは落ちるシャトル打ち合ふ/惟任將彥

またtwitterではこんな短歌があった。

噴水塔を含めて鶴舞公園は名古屋の短歌スポットを列挙した際に平和園名古屋市短歌会館とともに挙げざるをえない場所のひとつだ。

*1:明治42年11月19日、「鶴舞(ツルマ)公園」と名称が定められました。設計は、全体計画が本多静六林学博士、鈴木禎次工学士が行い、日本庭園は村瀬玄中、松尾宗見の両宗匠が行いました。「鶴舞公園の歴史

*2:名古屋市中区御器所町、字北丸屋八二ノ四、鶴舞公園の裏手にあたり、丘を切通した道がある。その道を見下ろした小高台に、氏の住宅は立っている。「小酒井不木氏スケッチ

*3:ぼくが感心したのは、鶴舞公園の図書館だった。いったいに、図書館というと、どこも陰鬱で閑休地域みたいだが、百パーセント閲覧者を容れ、尺地もないほど活用されているのを見た。殊に児童閲覧室の風景がじつによかった。「随筆 新平家

柴田葵『母の愛、僕のラブ』書肆侃侃房

〈そとは雨 駅の泥めく床に立つ白い靴下ウルトラきれい/柴田葵〉ウルトラは広告宣伝の強調のための文句だったのかもしれない。異常なほどの低視線がある。〈紫陽花はふんわり国家その下にオロナミンC遺棄されていて/柴田葵〉オロナミンCに実存感が出る。〈地球だって宇宙なんだよこんにちはスターバックスにぎやかに夏/柴田葵〉宇宙がそこだけ延伸されてスターバックスになっているような店舗、ある。〈手をつないで 正しくは手袋と手袋をつないで ツナ缶を買って海へ/柴田葵〉手に対して手袋、鮪に対してツナ缶、模倣品でもいいから愛めいた景色が広がる。〈浅瀬には貝殻すらない冬の海このまま待てば夏になる海/柴田葵〉たいていの人は夏まで待てずに去ってしまう、でも。〈マーガリンも含めてバターと言うじゃんか、みたいに私を恋人と言う/柴田葵〉一度きりの関係でも恋人と言うじゃんか、みたいに。〈あしたには出社する旨メールしてその手で傷んだ檸檬を捨てる/柴田葵〉傷んだ檸檬がお守りだった。〈校庭の砂を散らして去ってゆく風になりたい月曜だった/柴田葵〉下の句が好き。月曜日もそうであれば愛されたであろう。〈盗まれやすい自転車みたいな人だから探すことには慣れているから/柴田葵〉そんな関係性、いいね。〈電車待つ他人の海でわたしだけわたしの他人ではないわたし/柴田葵〉わたしの関係者としてのわたしが人混みの中に立つ。離人症的な感覚への拮抗からうまれた歌。〈産まれたらなんと呼ぼうか春の日にきみはきっぱり別人になれ/柴田葵〉「きっぱり別人になれ」がなかなか言えないのだ。〈からまった髪をほぐして人を待つ金木犀にまぶされて待つ/柴田葵〉「まぶされて」が新しい。匂いに髪をまぶされる感じだろう。

 

母の愛、僕のラブ

母の愛、僕のラブ

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渡辺松男『雨る』書肆侃侃房

〈病棟に孤独の落ちてゐた朝はいちまいの楓のやうに拾ひぬ/渡辺松男〉孤独→楓の転換が鮮やか。〈生は死のへうめんであるあかゆさにけふ青年は遠泳したり/渡辺松男〉遠泳しているかのような息継ぎのような生として捉えた。〈こゑのうらこゑのおもてとひるがへりひるがへりつつもみぢは空へ/渡辺松男〉「空へ」の意外さ。表と裏の表現は〈まぶたのそとまぶたのうちにゆきはふりつまりわたしはもつゆきなのだ/渡辺松男〉も。〈ジョバンニの父のこと気になりながらねむるならくるしまずねむらめ/渡辺松男銀河鉄道の夜、冒頭のジョバンニの父のそれからは、私も気になる。〈一心にむすめのもてるシャーペンの芯のほそさの怖き立冬渡辺松男〉リットウの響きがシャープペンシルの芯の細さにも似て。