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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

江戸雪『昼の夢の終わり』書肆侃侃房

〈白雲がとてもまぶしい春の日にあなたと椅子を組み立ててゆく/江戸雪〉組み立てるのはなんでもいいけれど、椅子なのがいい。居場所ができるから。〈ストライプの日傘をさして川へゆくときどき風が胸をぬけつつ/江戸雪〉大阪の運河と少し日の強すぎる町並みを思う、工業団地とか。〈降る雪にあしたの傘をかたむけて境界線のような道ゆく/江戸雪〉道は、人と人とをつなぐように見えて、実は人と人とを隔てる境界線なのかもしれない。〈電話してほしいとメイルにかいたあと瓶にのこったアーモンド食む/江戸雪〉青酸カリはアーモンドのにおいという。〈3ミリのボルトは箱にしゃらしゃらと風呼ぶように擦れあっている/江戸雪〉大阪の鉄工場の景だろう。運河の水音も聴こえそう。〈水無月は青い時間といつからかおもいておりぬ麻かばん抱く/江戸雪〉六月ならばその青の感覚はある、麻かばんの手触りにもそれはある。〈誤解されだめになりたる関係を舟のようにもおもう窓辺に/江戸雪〉無重力のように慣性のようにそのまま池面を離れてゆく舟として。最後に好きな歌を一首。

漆黒のぶどうひとつぶ口に入れ敗れつづける決心をする 江戸雪

渡辺松男『雨る』書肆侃侃房

〈癌のなかにゐずまひ正してきみはありゐずまひはかなし杏子のかをり/渡辺松男〉医師は杏林ともいう。最後の「杏子のかをり」の調べにクラっと来る。〈死後の永さをおもひはじめてゐるわれはまいにち桜はらはらとちる/渡辺松男〉数十億年の孤独に。〈黒煙を鴉と気づきたるときに鴉の多さに黒煙のきゆ/渡辺松男ブラックスワンのように黒煙がふっと消え鴉に変わる瞬間がある。〈ひかりほどせつなきものはなきものをみえざる雪を背おふ白鳥/渡辺松男〉見えないものを表現してくれる。〈とうめいなペットボトルはとうめいな水みたされてさへづりのなか/渡辺松男〉囀りのザワザワ感が粒子となり透明になってペットボトルにおさまる。きらきら光っている。〈はつなつのとほいみ空にゐる
ひとが降りてきてここ麦の穂の波/渡辺松男〉あの人にまた会える。〈すでに吾の非在なる世か目のまへのたんぽぽまでが無限に遠い/渡辺松男〉こういう感覚が尊い

渡辺松男『雨る』書肆侃侃房

週刊金曜日の金曜俳句に〈短調の隣より漏る室の花/以太〉が載っていた日、『雨る』のⅠを読む。〈ゆふかげはわが身を透かし地にあれば枯蟷螂にすぎぬたましひ/渡辺松男〉枯蟷螂に自分を仮託する、その自分、ことわが身は夕影に透けているという。危うい自己像。〈きいんとなにもなきまひるなり 歯の痛みいづるに遠き雪渓ひかる/渡辺松男〉「きいん」「雪渓」と歯の痛みは共鳴しあい、私は奥歯が痛い。〈すれちがひたり くらつとしたる香水に鼻腔のなかのビル群くづる/渡辺松男〉「鼻腔のなかのビル群」にクラっと来る。矜持が築き上げたビル群だろう。〈大き蠅うち殺したりそのせつな翅生えてわれのなにかが飛びぬ/渡辺松男〉魂ではなくとある感情に翅が生えたのだ。〈あぢさゐのやうにふつくらしたきみのひざがしらなどさむい図書館/渡辺松男〉紫陽花に喩えられる膝頭という豪奢。

渡辺松男『寒気氾濫』書肆侃侃房

〈約束のことごとく葉を落とし終え樹は重心を地下に還せり/渡辺松男〉落葉で樹の重心が変わるという発想が哀しくも冬めく。〈アリョーシャよ 黙って突っ立っていると万の戦ぎの樹に劣るのだ/渡辺松男〉人が木より勝るとしたら話し動くがゆえに。〈捨てられし自動車が野にさびていて地球時間に浸りていたり/渡辺松男〉投棄された自転車に「猿の惑星」感が出ている。〈樹は内に一千年後の樹を感じくすぐったくてならない春ぞ/渡辺松男〉芽吹きの感じを一千年後の樹と喩える驚き、〈春さむき大空へ太き根のごとく公孫樹の一枝一枝のちから/渡辺松男〉も芽吹きの感じがある。〈残業を終えるやいなや逃亡の火のごとく去るクルマの尾灯/渡辺松男〉終業後の尾灯ほど活き活きしている赤はない。〈君の乳房やや小さきの弾むときかなたで麦の刈り取り進む/渡辺松男〉そして、豊饒へ。〈絶叫をだれにも聞いてもらえずにビールの瓶の中にいる男/渡辺松男〉ビール瓶を一本開けて幻を思うとき。

 

黒瀬珂瀾『ひかりの針がうたふ』書肆侃侃房

巨大な箱に入っていた『ひかりの針がうたふ』を読む。〈しばらくを付ききてふいに逸れてゆくカモメをわれの未来と思ふ/黒瀬珂瀾〉今の自分という本質がもしあるならそれを逸れてゆく実存がカモメということか。〈海のいづこも世界の喉と思ふとき雲量8は7へと移る/黒瀬珂瀾〉海を世界の喉と喩え、雲量という体温のような具体に触れる。世界は我が身体のように変化する。〈西鉄は夜へと吾を運びゆく履歴書を書く男とともに/黒瀬珂瀾西鉄バスジャック事件を思う。履歴書を書いているのに彼は正気を保てるのだろうか。〈阿蘇の陽に首照らされて妻は立つ旅嚢を分かつひとのゐること/黒瀬珂瀾〉分かち持つ人のいる安心が自信に変わり、阿蘇の陽が妻を神々しく立たせる。

身のほぐれゆくくらがりに替へ玉、と声をあげたり大森静佳 黒瀬珂瀾

 

 

立花開『ひかりを渡る舟』角川書店

〈セーラー服色のチューブを探してる一気に塗ってしまいたくなり/立花開〉セーラー服を着ていることの煩わしさなどがあるのだろう、だから一気に片付けたい。〈セーラーを脱いだら白い胸にある静かな風をゆるす抜け道/立花開〉も。谷間だろうか。風音が爽やか。〈深海に部屋ごと引きずり込まれてゆく孤独は蛸の容をしている/立花開〉孤独というものを触手をもつ生物、蛸と捉える。引っ付いたら離れないゆえに。〈夕焼けを返して光る教室の机の水面にだまってふれる/立花開〉光を反射する机のつるつるを水面と呼ぶ。教室に生徒の数だけ池ができる。〈明るすぎて冷たい浜辺 持ち切れぬものとして足跡を残せり/立花開〉持ちきれずあふれたものとして足跡を捉える感覚に惚れる。〈友人はノートに頬をかぎりなく寄せながらその影に詩を書く/立花開〉高校生のころの私もそうしていた。そうしないとそのままを書けない気がしていた。〈たのしい日をつないで生きる凍空の星座はそうして創られたらしい/立花開〉たのしいと言っているのに悲しげな星座譚。〈ただひとつの惑星に群がり生きたれどみな孤独ゆえ髪を洗えり/立花開〉惑星にほしとルビ、本当は髪を洗うこと以外のことをしたいけど、今はそれしかできないから。

 

 

吉田隼人『忘却のための試論』書肆侃侃房

目が覚めてしまった午前三時に『忘却のための試論』を読む。〈旋回をへて墜落にいたるまで形而上学たりし猛禽/吉田隼人〉決して幾何学ではない、まず見えもしない。〈枯野とはすなはち花野 そこでする焚火はすべて火葬とおもふ/吉田隼人〉生と死は表裏であり同面で起こりうる。〈わが脳に傘を忘るるためだけの回路ありなむ蝸牛のごとき/吉田隼人〉私の脳のぐちゅぐちゅの部分として。→〈もう傘をなくさぬ人になりにけり、と彫られて雨滴ためる墓碑銘/吉田隼人〉も。傘忘れという属性。〈季節ごとあなたはほろび梅雨明けの空はこころの闇より蒼し/吉田隼人〉「蒼し」が深い、ほろびののちに心の隅々までその色に濁る。〈喪、といふ字に眼のごときもの二つありわれを見てをり真夏真夜中/吉田隼人〉それらは死者の世界からの視線。〈わづらひてねむりてさめて雨ふりのどこかラジオのうたごゑがする/吉田隼人〉遠くのラジオは何かの予兆のように聴こえることがある。〈おつぱいといふ権力がなつふくの女子らによつて語られてゐる/吉田隼人〉乳房は権力、パイスラッシュは権威。〈霊といふ字のなかに降る雨音をききわくるとき目をほそめたり/吉田隼人〉雨冠の漢字のなかで霊はもっとも雨から遠いかも。〈ゆめにのみいづる土地ありそのゆめにかきかへられてゆく地政學/吉田隼人〉夢の土地は現実の土地を支配する。なぜなら人々には現実を離れ、夢へ旅立とうとする力能があるから。〈きたよりのしほかぜうけて歸化植物もきみの恥毛もつめたくなびく/吉田隼人〉あたたかくそよぐのではなくつめたくなびく。凍るかのように。

政體の性感帶にふるるときうみのくろさにゆびはそまりぬ 吉田隼人

 

 

佐佐木幸綱「群黎」『現代短歌全集』筑摩書房

〈海岸の跡地へ梅雨の星降れり/以太〉が麦誌上句会テーマ「海岸」の特選になっているのを確認した日、「群黎」を読む。〈何を聴く耳密林を繁らせてアフリカの地図わが裡にある/佐佐木幸綱〉アフリカの耳はいま砂漠、でも密林のほうがいい。〈ボーリング場の少女の腰細しふり返りざま恋の目をせよ/佐佐木幸綱〉ボーリング全盛の時代か。〈語らんは若き人麿北風に冴えてわが街ふいに天に尖れば/佐佐木幸綱〉北風にきたとルビ、「わが街」はわが心である。〈古歌に激しく切られてすがしストーヴの炎しずかにうねる夜更を/佐佐木幸綱〉古歌の鋭さが切ったのだ、切りつけたのだ。〈セーターの乳房の重み手に受けて揺れ揺られいるラッシュは情時(学生)/佐佐木幸綱〉現代でなければこんな歌も書けるのか。〈立ち泳ぎの吾を残して夕暮るる錆色の海藍の島山/佐佐木幸綱〉劇的な夕暮れの海に浸かる男一匹。〈じんじんとジンが沁みゆく内側はわが闇の沼夏の夜更けの/佐佐木幸綱〉「わが闇の沼」か、そういう心理状態なのか。

山階基『風にあたる』短歌研究社

『風にあたる』を読む。〈ヘアムースなんて知らずにいた髪があなたの指で髪型になる/山階基〉髪が髪型になるとき、やさしい指がかかわる。〈真夜中の国道ぼくのすぐ先を行くパーカーのフードはたはた/山階基〉真夜中の原付を追いかける。〈二十歳でも煙草やらないぼくたちを締め出して喫煙所にぎやか/山階基〉喫煙所へ締め出しているのではなく、その逆転として自らを捉える。〈雨が降りだしたみたいに郵便は届きふたつの宛て名を分ける/山階基〉配達原簿に記載されたのだろう。もう次々に来る。〈待ちわびた姿だけれど目の前にあらわれるまで思い出せない/山階基〉おぼろげには覚えているけど像を結ばない待ちわび。〈ラーメンがきたとき指はしていないネクタイをゆるめようとしたね/山階基〉着目点がいい。そこにないネクタイを見ている。〈牛丼の残りわずかをかき込めば有線にいい曲がはじまる/山階基〉どんぶりに音が反響してよりよい曲になる。〈いまは冬か春かすこしもめてから包みをやぶる音だけになる/山階基〉贈り物を開く、季節をひとつずらすように。〈はぐれ雲ひとつ浮かべてがら空きの元日をゆく各駅停車/山階基〉行き先の見当たらなさが元日っぽい。〈濡れた身を夢のみぎわへ引き上げて暮れがたの眼を風はかわかす/山階基〉あらゆる身体のうち常に涙のわく眼を乾かす風というふしぎ。〈くちぶえの用意はいつもできているわたしが四季をこぼれたら来て/山階基〉巡りから外れたのなら社会に従わなくてもいい。

 

 

谷川由里子『サワーマッシュ』左右社

静岡県浜松市にも蔓延防止等措置が適用された。〈日当たりのいい公園のブランコは夜になってもギラギラしている/谷川由里子〉余熱のようにして、昼がそこだけ続いているかのように。〈ルビーの耳飾り 空気が見に来てくれて 時々ルビーと空気が動く/谷川由里子〉他人に見せる耳飾りではない。〈からだをもっていることが特別なんじゃないかって、風と、風のなかを歩く/谷川由里子〉読点のぶつ切りが風から息を取り戻したかのよう。〈少しずつ透明になるはつなつの学芸会で虹を演じた/谷川由里子〉「少しずつ透明になる」がかかっているのは虹、だ。〈連絡網を好きだったのは雲のような吹き出しでつながっていたから/谷川由里子〉漫画のような連絡網。〈心臓を心臓めがけ投げ込むとぴったり抱きしめられる雪の日/谷川由里子〉心臓の延長としての肉体と肉体とが重なる、雪のなか。〈珈琲が体の一部になったのでこぼさず歩くことができます/谷川由里子〉たぷたぷ音がする。

 

 

江戸雪『椿夜』砂子屋書房

磐田市中央図書館で借りた『椿夜』を読む。〈思い出す旅人算のたびびとは足まっすぐな男の子たち/江戸雪〉確かに算数の文章題に女の子はあまり出てこない。〈水平な音のながれる冷蔵庫君はわたしを忘れつづける/江戸雪〉冷蔵庫の「水平な音」とは何なのか? 音なき音なのか? 冷蔵庫のなかは見えず、水があることさえ忘れることができる。そのように忘れられる。〈このわれを女と呼ぶな真夜中にくろぐろと胸つきだきている/江戸雪〉「くろぐろ」の冷えた物質感。〈身体はただいれものにされてゆく蛾がふれてゆく脹脛かな/江戸雪〉蛾は虫の我である。〈Jくんの郵便箱に鳥ねむりぬるぬるともりあがる暗天/江戸雪〉郵便受箱は何か黒いものの増幅器かもしれぬ。〈円卓にひた置く銀の水筒のわれらを細くうつしていたり/江戸雪〉そこだけが家族の幸せであるかのように。

伊藤一彦『微笑の空』角川書店

磐田市中央図書館で借りた『微笑の空』を読む。〈いつよりか男もすなるごみ出しをわれも励めり当然として/伊藤一彦〉新時代を生きるために必要なこと。〈兵役を経ずに六十代になりたりとゴミの袋を出しつつ思ふ/伊藤一彦〉も。〈鉛筆の尖りて赤し 憎しみに武器とならざるものなき教室/伊藤一彦〉憎しみさえ抱けば全てを武器とすることができる。〈「一斉」をきらへるゆゑに給食も授業も拒み家にゐる少女/伊藤一彦〉かつて「みんな」に苦しめられてきたのだ。〈あまりにも「いい子」の君は手首切る過剰期待はすでに虐待/伊藤一彦〉脚韻はすでに語と語に意味的なつながりを表す。さらにその上に構文でのつながりがある。〈よき長男よき委員長のこと生徒よく磨かれし嵌め殺し窓/伊藤一彦〉「嵌め殺し窓」の語の強さとそれまでの柔らかさとの落差。〈沿道に立ちて媼の売りをれば婆篦アイスと地の人言へり/伊藤一彦〉高知のアイスクリンと秋田のババヘラアイス。

小林理央『20÷3』角川文化振興財団

五歳から十五歳までの歌とのこと。〈道ばたのポストの口は今までに何回手紙を迎え入れたの/小林理央〉「おまえは今まで食べたパンの数を覚えているのか」とポストに言われそう。〈人間が生まれて初めて見る空とさいごに見る空おんなじ青かな/小林理央〉そのうち「青」ではないと知る。なぜなら〈雪の色何色かって聞かれたら白と答えない人になりたい/小林理央〉だから。〈夕立に濡れてみたいというよりは私が夕立になって降りたい/小林理央〉大人になった。

奥田亡羊『亡羊』短歌研究社

磐田市中央図書館で借りた『亡羊』を読む。〈宛先も差出人もわからない叫びをひとつ預かっている/奥田亡羊〉そして、ときどき誤配したりする。〈のどかなる一日を死者よりたまわりて商店街のはずれまで行く/奥田亡羊〉慶弔休暇だろう。悼むべきだが少し心は浮つく。〈つり革に腕を1000本ぶらさげて明日の平和を祈願している/奥田亡羊〉満員電車という日常こそが平和へ連なる。〈宵宮の金魚すくいの店の上に大きなる赤い金魚ともりぬ/奥田亡羊〉こういうオドロオドロとした装置が日本の昔からの祭そのもののようだ。〈何もない部屋の日暮れに点してはガスの炎を楽しんでいる/奥田亡羊〉青い火は暖炉のように。〈辞令書の四隅の余白広々とさあどこへでも行けというのだ/奥田亡羊〉辞令書の余白の広さは自由のようだが、あくまでもそれは辞令書なのだ。〈明日もまた何もするなと言うような私自身の夕暮れである/奥田亡羊〉そんな夕暮れの空の色であるというのだ、無力感。〈いいと言うのに駅のホームに立っていて俺を見送る俺とその妻/奥田亡羊〉俺?

石川美南『砂の降る教室』書肆侃侃房

折込チラシと段ボールで七夕飾りを作った日、『砂の降る教室』を読む。〈親知らずの治療控へてゐるごとき夕立雲を見上げをるなり/石川美南〉不安と郷愁と逃亡癖とが積み重なったような夕立雲だろう。〈半分は砂に埋れてゐる部屋よ教授の指の化石を拾ふ/石川美南〉この古い校舎が実在しなくても構わないと思えてくる、地点の記録。〈満員の山手線に揺られつつ次の偽名を考へてをり/石川美南〉駅ごとに名前と人生がある。〈海底の匂ひをつけて帰る人 開けつぱなしのピアノのやうに/石川美南〉そうかピアノの内側のあの匂いは海底の匂いだったのか、音もまた海底の音。〈虫籠を二時間かけて選びたり森の暗闇ども覚悟せよ/石川美南〉風の谷のナウシカの逆、近代科学的な思考としての「覚悟せよ」。〈カーテンのレースは冷えて弟がはぷすぶるく、とくしやみする秋/石川美南〉高貴と見せかけて学校生活という卑俗に裏打ちされている。〈グランドピアノの下に隠れし思ひ出を持つ者は目の光でわかる/石川美南〉自作の「海底の匂ひ」からの連想だろう。〈ブラインドに藤棚映り書評でしか知らない本のやうな明るさ/石川美南〉本物を知らないほうがよいこともある。