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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

岩田奎『膚』ふらんす堂

蠅について考えた。〈天の川バス停どれも対をなし/岩田奎〉上りと下りの対、宇宙と時刻表の調和のような。〈合格を告げて上着の雪払ふ/岩田奎〉胸の高鳴りを抑えて、平静を装うかのように雪を払う。〈東国のほとけは淡し藤の花/岩田奎〉深大寺と詞書。比較先は京都や南都だろうが、もちろん西方浄土との比較でもある。〈ぺるしあに波の一字や春の星/岩田奎〉波斯、ペルシア湾の波なども思う。〈晩夏光鍵は鍵穴より多し/岩田奎〉鍵は詩、鍵穴は詩を求める人だ。〈寒卵良い学校へゆくために/岩田奎〉受験戦争とか教育ママとかを思うの。〈苔生して滝の弱まるあたりかな/岩田奎〉苔と滝って変形する時間の流れが違う。滝が弱まって苔時間に接近する感じがある。〈稲の花ラジオは馬の名を呼んで/岩田奎〉郊外感をたたみかけるように。〈ただようてゐるスケートの生者たち/岩田奎〉形容に合う死者ではなく生者という俳。〈冬空のざらついてゐるラジオかな/岩田奎〉形容詞関係のアクロバット。〈立ちて座りて卒業をいたしけり/岩田奎〉立ちて座りては卒業式の省略であるし、学校時代の省略でもある。〈二種類の吸殻まじる夕焼かな/岩田奎〉夕刻まで続く長談義があったのだろう。物の理についてとか。〈桐生高桐生女子高秋の風/岩田奎〉桐の花より桐一葉か。たしかにキリュウという語感はどこか秋めいてはいる。

 

斉藤志歩『水と茶』左右社

日常の道具にかすかに開かれた異世界へ。〈再会や着ぶくれの背を打てば音/斉藤志歩〉再会を喜ぶ快音が出た。〈ラガーの声ところどころは聞き取れて/斉藤志歩〉アルプススタンドからか受像機からか。ラグビーは全体を眺めるもの。〈文法書終はりに近く冬の星/斉藤志歩〉その言語というものがなんとなく分かり始めたのに仮定法に戸惑うころ、寒空を見上げる。〈春休み郵便受の裏に人/斉藤志歩〉これは郵便配達員側の視点ですね。手わたそうか、入れようかどうしようかというところ。のんびりした景がある。〈皿よりもピザ大きなる花見かな/斉藤志歩〉予測が外れた笑い声が聴こえそう。〈バス停にバスの沿いゆく暮春かな/斉藤志歩〉ちゃんと春が来た。〈雹やんで雹の話の多き街/斉藤志歩〉その人がいなくなるとその人の話がはじまるかのように。〈残業や硝子をつつく金魚の口/斉藤志歩〉餌か空気を欲しがるように金魚は硝子をつつく。残業中の人もまた。〈歯科医院に歯の置物や秋日和/斉藤志歩〉あたりまえだけどそんなあたりまえをちゃんと言うことも大事だ。〈風邪を引きさうな顔して帰りけり/斉藤志歩〉意外とそれは微笑みだったりする。

目がふたつマスクの上にありにけり 斉藤志歩

水と茶

水と茶

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『鼓直句集』水声社

この鼓直とはかのラテンアメリカ文学の翻訳者、鼓直である。〈わが胸の流氷もまた軋みおり/鼓直〉春への兆しに音を立てて軋む。〈花冷えと言うひとの手のぬくさかな/鼓直〉そんなことを言う人が隣にいるあたたかさ。〈石垣を喰い破ったか鬼あざみ/鼓直〉咲いた場所の特異さ。でもそもそも鬼だったか。〈単線の青葉涼しき独り旅/鼓直〉車窓に触れる青葉、独り旅もまた楽しい。〈艶然と玉虫吊るす女郎蜘蛛/鼓直季重なりだけど女郎蜘蛛優勢。玉虫を盗賊の蓄えた宝石のように描く。〈沢蟹の影も染まりて紅葉谷/鼓直〉過剰な比喩がいい。〈街までは遠しと聞けば秋の雨/鼓直〉峠の寂しさ。〈寒林に大きな犬の消えし朝/鼓直〉幽明境が寒林に開いた。〈闇汁をこぼしたような夜の道/鼓直〉きっと道はべとべとしている。

鳥の音を追うて細りし山路かな 鼓直

小津夜景『花と夜盗』書肆侃侃房

華麗なイメージと技の連なり。〈空蝉に棲む在りし日の青年は/小津夜景〉思念は空蝉に棲むというより、ただ蝉の声だけがある世界にその青年の虚像がある。〈脱皮したのは虹の尾をふんだから/小津夜景〉蛇族の虹の尾を踏む。〈おはやうのやうなさよなら夏隣/小津夜景〉いつもする挨拶のように別れを告げる。別れたあとは昼のくにだから。〈馬肥えて一マス進むチェスの駒/小津夜景〉進むのはナイトでなくてもいい。一マス進むのはポーンやルークやキングだ。わかるのは、すでに戦場だということ。〈道すがら脚を描きたす冬の虹/小津夜景〉淡く書き足す。ふと思いついたその人は画家かもしれないし、ファッションデザイナーかもしれない。〈春深む胸にフォークをしまひけり/小津夜景〉食欲もしまってしまう。いつか、すぐに掘り出せるように。〈運慶と快慶が翔ぶ月と花/小津夜景〉W慶の音がいい。〈月に騙されて鯆は花漬けに/小津夜景〉鯆にいるかとルビ、月は罠だった。ホルマリン漬けのように花漬け、ある地方では美味として知られる。

ちはやぶるアンドロイドや秋の草 小津夜景

花と夜盗

花と夜盗

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所以79

  • L'écriture libyco-berbère et les tifinagh
  • Tifinagh
  • ティフィナグ文字またはティフナグ文字(wikipedia)
  • 1月9日(月)午前、プロギング浜松の旗を浜松城公園で観た。そんなふうに土日祝に公園や路上で何か誰でも参加できるゲーム・あそび・競技をやっているとワクワクする。アウトドアにもいい。
  • たとえばモルックとか。遠州だと磐田モルックの会がある。あと都田総合公園にも会があるらしい。モルック・ミニもある。
  • ボッチャペタンクもある。
  • おもちゃのクロスボウペトロンなんかもいいな。
  • 非公式のスポーツチャンバラも欲しい。
  • とっかん小豆+全脂粉乳+切り餅の行動食。
  • 遺稿集の理性的な生活vita rationalisと手稿の生きるに値する生活vita vitalisでは少しニュアンスが違う。
  • カオスの噴出による祝祭的革命というイメージは美しいが、ひとたび脱聖化された社会に祝祭の興奮をよびさますことはゼツボウテキに困難である。(浅田彰『構造と力』勁草書房
  • 異質さや近代を超えるパラダイムを突きつけてもパック化・商品化してしまう近代社会。ならば外側から働きかけるのではなく、内側からパラドクサを作用させ続ける必要がある。
  • みんな平気で渡っているけれども信号は赤なのだということを示し、さしもの柔軟性を誇る近代のドクサを一瞬ずらしてみたときのマルクスのように?(浅田彰『構造と力』勁草書房
  • 冷笑主義は正義による糾弾の下で歴史的必然として起きる。三十人僭主Τριάκοντα Τύραννοιのあと民主派の正義によって反民主派への糾弾が吹き荒れた。その糾弾の根拠となる民主派の正義=賢さを無知の知を使って解体したのがソクラテス
  • 彼をリスペクトし自身も狂ったソクラテスと呼ばれたディオゲネスはノミス(慣例/通貨/貨幣的正義)をパラハラッテイン(変造)する解体作業を続け、犬儒派κυνισμός=冷笑主義を確立した。
  • audonマストドン向け音声会話システム。
  • 1月14日(土)16時ごろ馬込川右岸、瓜内橋の下流50mほどの水門近くでヌートリアが泳いでいた。
  • むかしといっても十数年前に四谷のエルサラーヤというエジプト料理屋でサービスのシーシャを初体験してから、やっていない。その当時は水タバコと呼んでいた。

平出奔『了解』短歌研究社

風にたよりがち。〈月末の僕は公共料金を支払うことにためらいがない/平出奔〉自動機械のように当たり前とも疑問とも思わず払う。違う生き方もあったかもしれないけれど、とりあえず払う。〈本名で仕事をやってあることがたまに不思議になる夜勤明け/平出奔〉仮名でも充分通用するけれど、なぜか本名を使う僕らへのまなざし。〈誰だってパスタにレトルトカレーって思うとこまでいくんだろうな/平出奔〉極限までいく生活の例、保存の効く2つの食材の合いそうで合わない組み合わせ。〈比較的胃に優しいという薬飲んでそれでも長すぎる夜/平出奔〉胃が痛いとなかなか眠れない。日野百草丸がいい。〈風とかを言う言い方で今日眠くないですか? って言った月曜/平出奔〉眠気は午後には過ぎ去るものだから。〈東京にいてその1メートル先が東京じゃないことはありうる/平出奔〉概念としての東京はいつのまにかあらわれ、いつのまにか消える。〈別に誰も救えないかもしれないな 鳥の群れの数がわからない/平出奔〉鳥の群れは雑踏のようにおしよせる難問の数々、飛び去っていくことも。〈友達だけど会ったことない友達のブログにいつもあるいつもの病院/平出奔〉その人をアイデンティファイさせるものとして病院。〈あとはもう冷えるばかりの心臓は速さを変えながら鳴っていた/平出奔〉〈おそらくは持ってるという前提でお持ちですかと尋ねられてる/平出奔〉疑問形は持てという含意でもある。〈コンビニのジャスミン茶飲んでるくせに社会が苦手とか言っちゃって/平出奔〉麦茶なら気にならなかった。

民家からカレーのにおいがただよってそれを食べることは難しい/平出奔

所以78

  • すべての言語は人が携わった人工語であるという立場に立てば、自然発生的な民族語と近代国家のために整備された計画語とが対置される。
  • 民族語か計画語かは程度の問題であり、エスペラント語はほぼ計画語、日本語の文語は民族語、明治時代以来の言文一致運動を経た日本語の口語はどちらかと言えば計画語寄りである。
  • 文語で短歌や俳句を作るとは民族語で作ることである。口語で短歌や俳句を作るとは計画語で短歌や俳句を作ることである。
  • エスペラントには母語話者がいない*1。つまりエスペラントは誰のものでもない言語であり、普遍を志せる。
  • もちろん誰かの言語ies lingvoでも普遍を語れるのだが、母語話者としての特権を主張する人がほとんどいない誰のものでもない言語nenies lingvoは常に全ての人の言語ĉies lingvoになれるという性質を孕んでいる。
  • 誰のものでもない言語nenies lingvoという無標の言語。
  • 日本語の文語には母語話者がいないため、文語で短歌や俳句を作ると普遍を志す意図を示せる。
  • ピグミーの雨の薬を服んでみたい。
  • 「共感」で繋がろうとする輪ほど警戒すべきものはない。(高島鈴『布団の中から蜂起せよ』人文書院
  • 社会は絶対に、「何もできない人」に対して腐るほど多くの選択肢を用意すべきなのである。(高島鈴『布団の中から蜂起せよ』人文書院
  • 布団をかぶったまま路上へ出るのがいい。
  • 天皇制は象徴天皇制のはるかまえ平安時代ころから摂政関白・院政・幕府とkhaqan-bek制みたいな体制をとっていて、構造主義的な家父長制の象徴というより家父長の立場にある人は名目なもので家の実質的な支配者は別の人です、それぞれに世間と家のなかで応分の場を占められるんです、という家父長制よりずっと厄介な欲求を活用した支配体制の象徴だったりする。
  • 家父長制でも父系制でも母系制でもない双系制としての日本の家族。
  • 天皇が主として男性であるのは、男性がこの日本社会で名目的に持ち上げられるだけの人権のない実質的な奴隷であることの象徴である。
  • 景観を容易く受け入れるな。景観に飲み込まれるな。景観が変わる想像をやめるな。景観の中にいる自分を、景観を景観足らしめている自分の内側を意識せよ。何もできないと感じる時間もわれらは景観の一部だ。それゆえに不正義を憎み、革命を信じて生きることは、すでに抵抗なのである。(高島鈴『布団の中から蜂起せよ』人文書院
  • 高島鈴の景観への態度は、『スぺクタクルの社会』『風景の死滅』を参照に考えられる。
  • 式典への参加拒否だけでなくてもいい。巨大な儀礼空間としての社会に抗うためには、例えば突然意味不明な言葉を叫ぶとか、帰り道で突然靴を脱ぐとか、社会のなかで想定されている行為の外へ逸脱していく行為が重要だと私は思っている。(高島鈴『布団の中から蜂起せよ』人文書院
  • ↑ 漂流dériveである。
  • 道路が壊れたらすぐ道路が修復される、すぐに交通や人流が回復する、そのことへ疑念をもつこと。便利さを疑うこと。
  • 1月7日(土)夕刻の浜松駅前北口広場。路上ライブが2箇所、朱音と中学生の実優、それから大輝という男性2人組が歌っていた。
  • インドネシアの「詩」が朗読をその主な発表形態にしていることに関して、かつて知り合いの新聞記者が「表現の自由、政権批判などが厳しく統制されていたスハルト時代の名残ではないか。印刷物でない朗読は記録にも、証拠にも残らないからだ」と解説してくれたことがあるが、真相は不明だ。(詩は詠じられてこそ詩となる インドネシア文化における詩
  • 「多様性の中の統一」を国是とする多民族、多文化、多言語のインドネシア社会を理解する一つのキーワードに「SARA(サラ)」というものがある。これは「suku(民族)」「agama(宗教)」「ras(人種)」「antargolongan(階層)」の頭文字をとった言葉で、この4つが絡む問題は特に神経を使う必要があるのだ。(知事選絡みのジャカルタ騒乱 インドネシアのタブーSARAとは

*1:生まれつきのエスペランティストdenaska esperantistoはいるが稀なので捨象する。

鈴木加成太『うすがみの銀河』角川文化振興財団

ひとつ、あるいはふたつの印象的なことばから展開される広大な世界へ少年とともにゆく。ときどき漢語を歯がゆく思った。〈ボールペンの解剖涼やかに終わり少年の発条さらさらと鳴る/鈴木加成太〉発条にばねとルビ、日常のどこにでもある光景なんだけど「少年の発条」のことばの組み合わせが飛び跳ねそうでいい。〈飛行士は夏雲の果てに睡り僕は目を覚ます水ぬるき夕べに/鈴木加成太〉遠さと近さの対比、心のありかとは。〈蟬の声は夜にはどこへ行くのだろう水辺の街に投函をせり/鈴木加成太〉蟬の声の行方と投函をした封書の行方と。裏方の世界はどうなっているかへの探求心がある。〈早朝のバス停で聴くジョン・レノン こころの砂丘に雪降るごとし/鈴木加成太〉砂丘に雪を降らせることに疑いを挟ませない言い切り。〈重力というやわらかさ 惑星と紙飛行機の浅き接触/鈴木加成太〉宙に浮かぶ二つの物体は渦動説のエーテルを介して接触するだろう。〈第九番惑星消えてビリヤードの卓は煙草の香染みるみどり/鈴木加成太〉惑星とビリヤードの球との共鳴。みどりは宇宙の深さでもある。〈水底にさす木洩れ日のしずけさに〈海〉の譜面をコピーしており/鈴木加成太〉光のまばゆさが少年期である。初夏のしずけさのなかで心の旋律が複写される。〈缶珈琲のタブ引き起こす一瞬にたちこめる湖水地方の夜霧/鈴木加成太〉音がそのにおいを引き起こすのだ。〈海はすべて川の引用 その川をさかのぼりゆく月下の鮎は/鈴木加成太〉「鮎は」のつきはなしに、夜の海から川へ次々と遡上してゆくうごめく無数の生命を思う。〈はつなつの水族館はひたひたと海の断面に指紋増えゆく/鈴木加成太〉多くの人が訪れた証として、海がそこで途切れた記録として指紋は残される。〈劇中葬より抜け来しように黒き傘ひらく共産党員の祖父/鈴木加成太〉の祖父が〈虹の根のあたりが祖父の少年期/鈴木加成太〉の祖父なんだと思うとグッとくる。〈しろながすくぢらの息を吐きながら新宿の夜に着く夜行バス/鈴木加成太〉あのぶしゅーという音だろう。代々木のころのバスターミナルだとなおいい。〈使はなかった銃をかへしにゆくような雨の日木蓮の下をくぐりて/鈴木加成太〉これでよかったんだ、とでもいうような感情につつまれて木蓮の白だ。〈洗濯機の序破急の音を聴きゐたり乱るるところ越えて瀬の音/鈴木加成太〉ぜったいシンエヴァンゲリヲンの影響下にまだあったろう。

雪舟えま『緑と楯 ロングロングデイズ』短歌研究社

〈夜空から直接風が吹いてくる実家とは荒削りなところ/雪舟えま〉「直接」がいい。田舎の、平原にぽつんと建つ一軒家を思う。星空の下の灯とか。〈やすらぎは死後でじゅうぶんだといって君は私を妻と定めた/雪舟えま〉ファムファタール味がある。〈ヤクルトをひさぐ身に地は柔らかくこの先は海、そのあとは春/雪舟えま〉地のやわらかさはヤクルトレディの履くスニーカーの靴底のやわらかさかもしれない。〈下り坂は気づきやすくて目が眩むどれだけ愛されていたかとか/雪舟えま〉愛の下り坂でしか気づけないこともある。〈名を呼べずその顔を見て喋れずに鎖骨が鳥のようだったこと/雪舟えま〉視線が鎖骨におりていく。いや、そこしか見られなくなって鳥。〈この体が地図だったなら君がゆく町のあたりがほのかにかゆい/雪舟えま〉なんかそこが気になってしまうから。

佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』書肆侃侃房

〈土くれがにおう廊下の暗闇にドアノブことごとくかたつむり/佐藤弓生〉暗闇のなかのドアノブは、異世界と通じてぬらぬらと光るかたつむりのような冷たさと異物感とがある。〈泣き方を忘れた夜のこどもたち蛙みたいに裏返されて/佐藤弓生〉新生児室だろうか。〈引力の生まれたてなるうれしさに落ち葉は落ち葉のまわりをまわる/佐藤弓生〉枝から切り離されたとき、自由という引力を得る落ち葉よ。〈されこうべひとつをのこし月面の静の海にしずかなる椅子/佐藤弓生〉拡張人類滅亡後の月面の静寂がうつくしい。さびしくなんかないよと椅子が言う。〈なきひとに会いにゆく旅ナトリウムランプのあかりちぎれちぎれて/佐藤弓生〉ちぎれそうなのは風で動くから。旅は動く動く。〈新聞受けに新聞なくて惑星の昼ひそやかに藍色のドア/佐藤弓生〉新聞という世事を報せる道具が来ない扉は、藍色に冷たくて、世界から隔絶された空間へ繋がっていそうだ。別世界と隣り合わせの扉についての歌。〈地をたたく白杖の音しきりなり地中の水をたどるごとくに/佐藤弓生〉盲人の歩みに新たな意味を見出す。〈もう誰も月を覚えていないはるじおん咲きひめじょおん咲き/佐藤弓生〉印象的な一言めいたことばと写生の組み合わせ。〈曲がるたび月みえかくれするバスに耳たぶうすく透けゆく子ども/佐藤弓生〉色と質感の相似を楽しむ。〈詩を思うときのなずきいいにおい くちなしいろの月が上がった/佐藤弓生〉詩を思うときの脳のにおいと政治を考えるときの脳のにおいは同じか、それとも違うのか。私は同じ、焦げるようなにおいがすると思う。〈いつもより月が大きい 紙芝居みたいな生を生きおおせたい/佐藤弓生〉月を大きく感じる心持ちが、いつもより作りごとめいた夜の世界をはじまる。〈捨てられた子どもがつどう港あり月のいちばんあかるいところ/佐藤弓生〉港の倉庫とかに集めら……、いや集まっているこどもたち。埠頭でなにして暇をつぶすのか。

月は死の栓だったのだ抜かれたらもういくらでも歌がうたえる 佐藤弓生

栗木京子『新しき過去』短歌研究社

中立的というより詩の混沌にまで昇華できた社会詠をときどき読みたくなる。〈占領期といふ濃霧の日々ありき謀殺の文字ただ忌しく/栗木京子〉1949年国鉄三大ミステリー事件の一つ下山事件について。濃霧の日々というのが歴史感覚と合う。〈前を行く男女のつなぐ手はかつて蹄なりしか鰭てありしか/栗木京子〉現代の恋人の手つなぎにムカシクジラたちの世を思う。〈花の蜜よりも木の蜜しづかにて眠れぬ夜の紅茶に垂らす/栗木京子〉きっとメープルシロップ。〈海沿ひの道に給油所明るくて夏を連れ来る一滴の雨/栗木京子〉ちょっとした車旅に雨、夏への華やぐ心を抱えながら。〈楽しきもの想ひ眠らむひまはりの野をゆく移動図書館などを/栗木京子〉移動図書館のちょい田舎感がいい。至福の光景かも。至福の光景といえば〈叡山を下りて雄琴に来しことありソープランドの街とは知らず/栗木京子〉も、また。〈食パンの上にレタスを置くやうに街にゆふべの冷気降りくる/栗木京子〉レタスにまつわる水気とかを思わせる比喩だ。かすかに触れて降りくる。〈飛行機の狭きトイレで気付きたり生きてゐる身は伸び縮みする/栗木京子〉トイレは気付きの場と言われるけれど、非常な場所だからこそ気付くこともある。〈近すぎると思ふは哀し手から手へ受け渡さるる赤きゴムまり/栗木京子〉新型コロナウィルスの比喩として赤いゴムまりというのは面白い。〈一等星多きがゆゑに冬空は怖しと昔あなたは言ひき/栗木京子〉明るすぎる星は宇宙の深さを想像させるがゆえだろう。〈末枯れつつ冬に入る野よ半死語より死語へと移るほどのしづけさ/栗木京子〉ことばの寿命が尽きてしぬほどの冬寂、唇が動かなくなることでもある。

麦星よ狩の民には近く見え海の民には遠く見えしか 栗木京子

春日いづみ『地球見』短歌研究社

恵まれた世代の詩という感じ。〈雁垂れの厨と厠を書き込めば図面に水音仄かにひびく/春日いづみ〉設計図面に生活がありありと再現された、水道管はまだ書き込まれていないけれど。〈国家なきクルドの民に長閑にも「お国はどちら」と聞きてしまへり/春日いづみ〉エスペラントの造語法ではkurdioなんて言えてしまうけれど。〈ヘブライ語の時制を語る君のこゑ雪の京都ゆ湿りを帯びて/春日いづみ〉哲学あるいは神学と冬の京都の共鳴は好き。〈わが胸に球根植ゑし心地なり一体一体めぐりしのちは/春日いづみ〉球根がいいね、彫像展を観た比喩として。〈浮きあがる突起を友は星と呼び展示は神秘とかの日語りぬ/春日いづみ〉点字読みは星読みとなる。〈指に読む文字にいかなる響きありや点字聖書を購ひに行く/春日いづみ〉手話や点字の神秘さと宗教とがよく合う味わい。〈残りわづかな消毒液を噴霧してドアノブ拭けば銀のかがやき/春日いづみ〉銀のかがやきはそこにいた細菌が死滅したその遺骸のかがやきだ。〈アドレスにpacem友は灯しをり送信の度ひろがるpacem/春日いづみ〉「※ラテン語 平和」としか書いていないけれどpacemは平和paxの単数対格、ミサなどで言うdona nobis pacem.などに由来するのだろう。〈アラビア語の光はヌールやはらかき若草のやうな文字をなぞれり/春日いづみ〉نور、この単語はイスラーム神学などでよく使われる。

加藤治郎『海辺のローラーコースター』書肆侃侃房

レモンが印象に残った歌集だった。〈ボディソープぬりたくっているやわらかい刃に指を滑らせながら/加藤治郎〉やわらかい刃は熱を帯びた危険な皮膚だ。〈あちこちにスイッチがあるまちがって明るくなった地球の一室/加藤治郎〉地球から一室への想像力の落差にくらくらする。〈Excelのセルにレモンを置いてきて午後は静かなオフィスである/加藤治郎〉レモンという小道具の色が静寂のなかに生きる。〈本棚はことばの湊 未来の友とあなたの歌を語りつくしたい/加藤治郎〉未来は未来だろう。〈家にいろ(旅に出ようよ(ぬばたまの黒いリュックの配達バイク/加藤治郎〉これもまたウーバーイーツ短歌として。〈咳をしてもよろしいですかさらさらと月のひかりは水槽に差す/加藤治郎〉咳さえためらわれるほどの静けさのなかに、月光の刺さる水槽の、たとえばあぶく。〈頭部にはずいぶん穴があることのどうかしている眠れない夜/加藤治郎〉穴からいろいろ入ってきて眠れないんだ。〈にんげんの断面図みる想いあり満員電車鉄橋を渡る/加藤治郎〉鉄橋にもしピアノ線が結んであったら、どのように人々は切れるのか、なんて想像する朝の満員電車である。〈現在は無所属という略歴の春の渚にたわむれている/加藤治郎〉根無し草であるのは自由だけど、ちょっと手持ち無沙汰である。

中也*1は自由詩に向かう過渡期の詩人だったのか。そうではないだろう。音数律詩と自由詩を統合した〈民族の詩〉を構想していたのではないか。(加藤治郎「詩歌の旅人」)

くちびるを見せあっている散る花の鶴舞公園風の冷たさ 加藤治郎

*1:引用者註:中原中也、1907-1937 詩人。

黛まどか『北落師門』文學の森

噴水へのこだわりと季節への哀惜が感じられる。噴水は吟行地にあるのかな?〈春の旅島が寄つたり離れたり/黛まどか〉動く船を定点として航路から観察している。旅の躍動感がある。〈青空に触れて噴水折れにけり/黛まどか〉重力の存在を忘れた主観からの知覚としてのおもしろさ。〈囀を残して発てり只見線黛まどか〉また只見線に乗りたくなる。〈青空のどこが弛み梅香る/黛まどか〉やはり冬から春へ、はゆるむでしょう。〈荒星のなかより夜間飛行の灯/黛まどか第一次世界大戦のあと空軍の職を失った飛行機操縦士たちの、危険な夜間飛行へ賭ける勇気とその陰の悲哀を思う。〈蝶ひとつ力のかぎり凍てにけり/黛まどか〉「力のかぎり」という肯定表現が切ない。〈がらくたに春の夕日の載つてをり/黛まどか〉がらくたへの優しい温度の目線がある。〈ていねいに眼鏡を拭いて緑の夜/黛まどか〉噴き出る樹脂に鏡面が汚れる感じがよく出ている。〈朴葉みそ焦がして冬の旅惜しむ/黛まどか〉旅館の食事だろう。〈初島へ航跡伸びる花みかん/黛まどか〉花みかんの白があることで海が鮮やかに映える。〈冷房の隅々にまで女将の目/黛まどか〉よく気が利く女将の宿だろう。

父の日のことさら白き雲ひとつ 黛まどか

佐藤弓生『薄い街』沖積舎

〈だしぬけに孤独のことを言う だって 銀河は銀河の顔を知らない/佐藤弓生〉象の背を知らない象のように向き合えない銀河の巨大さ、孤独がある。〈弥生尽帝都地下鉄促々と歩行植物乗り込んでくる/佐藤弓生〉年度末に通勤する種族は脳のない植物人間のようなものかも。それと〈読む人の読む文字ぬすみ見てしより前頭葉はやわやわ芽吹く/佐藤弓生〉の植物感とは呼応する。〈ひとのためわが骨盤をひらくとき湖の底なる浴槽はみゆ/佐藤弓生〉水底に沈む浴槽に、自らの子宮のなにを投影するのか。〈五月五月わたしはふいごのようである風が枝踏む森に抱かれて/佐藤弓生〉わたしから出る風がまるで私のようにして森をさまよう。〈星動くことなき夜のくることもなつかし薄き下着干しつつ/佐藤弓生〉全てが止まった夜、ほぼからだひとつで宇宙へ出る。そこで得られる浮遊感の味はおいしいか。〈花に箸ふれさせるとき生きてきた香りほのかにほろにがい骨/佐藤弓生〉箸のつよさほどの感触が愛おしくなる、うつくしさ。〈火にこころ吸われておれば蠟燭はこころの外をくらくするもの/佐藤弓生〉火へこころが吸われたら火も薄れてくるかな。こころの外を明るくするはずの蠟燭がこころに火を奪われることでなぜかこころの外を暗くしてしまうのだ。こころは点らない。〈うごかない卵ひとつをのこす野に冷たい方程式を思えり/佐藤弓生〉鳥の卵か恐竜の卵か、そこに卵がのこってしまった自然のうごきは冷たい方の方程式でしか解けない。〈復讐はしずかなるもの氷たち製氷室に飼いならされて/佐藤弓生〉一定の温度に保たれて保管される復讐心というおそろしさ。〈川の街わたりわたりて行き交うに川の前世を誰も知らない/佐藤弓生〉誰の気にもとめられない、でも確かにあるもの、としての川。〈とざすべきまぶたいちまいもたぬ空 ころされるのはこわいだろうか/佐藤弓生〉直視しなければならない、殺されるのを。〈みずいろの風船ごしにふれている風船売りの青年の肺/佐藤弓生〉肺の模型として風船が使われることもある。〈この人といつか別れる そらみみはいつも子どもの声をしている/佐藤弓生〉幼少期の自分がいつまでも心の隅にいて、語りかけている。〈靴ひもをほどけば星がこぼれだすどれほどあるきつづけたあなた/佐藤弓生〉歩き続けて疲れてからだからぽろおろこぼれ落ちていくものがある。それを星とよぶということ。〈風ゆきつもどりつ幌を鳴らすたび四月闌けゆく三月書房/佐藤弓生〉懐かしい、今はない京都の書店。月の境界の淡い感じ。

骨くらいは残るだろうか秋がきて銀河と銀河食いあいしのち 佐藤弓生