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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

所以78

  • すべての言語は人が携わった人工語であるという立場に立てば、自然発生的な民族語と近代国家のために整備された計画語とが対置される。
  • 民族語か計画語かは程度の問題であり、エスペラント語はほぼ計画語、日本語の文語は民族語、明治時代以来の言文一致運動を経た日本語の口語はどちらかと言えば計画語寄りである。
  • 文語で短歌や俳句を作るとは民族語で作ることである。口語で短歌や俳句を作るとは計画語で短歌や俳句を作ることである。
  • エスペラントには母語話者がいない*1。つまりエスペラントは誰のものでもない言語であり、普遍を志せる。
  • もちろん誰かの言語ies lingvoでも普遍を語れるのだが、母語話者としての特権を主張する人がほとんどいない誰のものでもない言語nenies lingvoは常に全ての人の言語ĉies lingvoになれるという性質を孕んでいる。
  • 誰のものでもない言語nenies lingvoという無標の言語。
  • 日本語の文語には母語話者がいないため、文語で短歌や俳句を作ると普遍を志す意図を示せる。
  • ピグミーの雨の薬を服んでみたい。
  • 「共感」で繋がろうとする輪ほど警戒すべきものはない。(高島鈴『布団の中から蜂起せよ』人文書院
  • 社会は絶対に、「何もできない人」に対して腐るほど多くの選択肢を用意すべきなのである。(高島鈴『布団の中から蜂起せよ』人文書院
  • 布団をかぶったまま路上へ出るのがいい。
  • 天皇制は象徴天皇制のはるかまえ平安時代ころから摂政関白・院政・幕府とkhaqan-bek制みたいな体制をとっていて、構造主義的な家父長制の象徴というより家父長の立場にある人は名目なもので家の実質的な支配者は別の人です、それぞれに世間と家のなかで応分の場を占められるんです、という家父長制よりずっと厄介な欲求を活用した支配体制の象徴だったりする。
  • 家父長制でも父系制でも母系制でもない双系制としての日本の家族。
  • 天皇が主として男性であるのは、男性がこの日本社会で名目的に持ち上げられるだけの人権のない実質的な奴隷であることの象徴である。
  • 景観を容易く受け入れるな。景観に飲み込まれるな。景観が変わる想像をやめるな。景観の中にいる自分を、景観を景観足らしめている自分の内側を意識せよ。何もできないと感じる時間もわれらは景観の一部だ。それゆえに不正義を憎み、革命を信じて生きることは、すでに抵抗なのである。(高島鈴『布団の中から蜂起せよ』人文書院
  • 高島鈴の景観への態度は、『スぺクタクルの社会』『風景の死滅』を参照に考えられる。
  • 式典への参加拒否だけでなくてもいい。巨大な儀礼空間としての社会に抗うためには、例えば突然意味不明な言葉を叫ぶとか、帰り道で突然靴を脱ぐとか、社会のなかで想定されている行為の外へ逸脱していく行為が重要だと私は思っている。(高島鈴『布団の中から蜂起せよ』人文書院
  • ↑ 漂流dériveである。
  • 道路が壊れたらすぐ道路が修復される、すぐに交通や人流が回復する、そのことへ疑念をもつこと。便利さを疑うこと。
  • 1月7日(土)夕刻の浜松駅前北口広場。路上ライブが2箇所、朱音と中学生の実優、それから大輝という男性2人組が歌っていた。
  • インドネシアの「詩」が朗読をその主な発表形態にしていることに関して、かつて知り合いの新聞記者が「表現の自由、政権批判などが厳しく統制されていたスハルト時代の名残ではないか。印刷物でない朗読は記録にも、証拠にも残らないからだ」と解説してくれたことがあるが、真相は不明だ。(詩は詠じられてこそ詩となる インドネシア文化における詩
  • 「多様性の中の統一」を国是とする多民族、多文化、多言語のインドネシア社会を理解する一つのキーワードに「SARA(サラ)」というものがある。これは「suku(民族)」「agama(宗教)」「ras(人種)」「antargolongan(階層)」の頭文字をとった言葉で、この4つが絡む問題は特に神経を使う必要があるのだ。(知事選絡みのジャカルタ騒乱 インドネシアのタブーSARAとは

*1:生まれつきのエスペランティストdenaska esperantistoはいるが稀なので捨象する。