- 日焼けしてできる蕁麻疹、日光疹にはやはりステロイド剤が効く。市販薬のなかではシオノギM軟膏EXがいろいろ入っていていい。
- パートナー減らしてサル痘の感染防止を、男性同士の性的接触に WHOが勧告
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世に出て身を立てる穢多の子の秘訣――唯一つの希望、唯一つの方法、それは身の素性を隠すより外に無い、「たとへいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅はうと決して其とは自白けるな、一旦の憤怒悲哀に是戒を忘れたら、其時こそ社会から捨てられたものと思へ」かう父は教へたのである。(島崎藤村『破戒』)
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それは、分かりえないことを知りながら、「分かれ」と言って相手に本質的な同化を求める。その時、「もの」という空虚な本質に憑依してしまう奇怪なまでに道徳主義的な「主体」が誕生してしまうわけである。七・七以降における新左翼の多くの活動家が、そうした主体と化したことはすでに述べたとおりだし、それが今やPCとして希薄に一般化しているのことも繰り返すまでもない。(絓秀実『1968年』ちくま新書)
- 機動戦論(レーニン主義)・陣地戦論(グラムシ主義)・持久戦論(毛沢東主義)
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ガンディーの消極的抵抗は、一つの陣地戦であって、ある時期には機動戦となり、また他の時は地下戦に転化する。ボイコット運動は陣地戦であり、ストライキは機動戦であり、武器や戦闘部隊を秘密に準備するのは地下戦である。(『グラムシ・セレクション』平凡社ライブラリー)
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エスペラント語の存在は、それ自体、多くを示さないにしても、労働者国際主義よりもブルジョワ的コスモポリタニズムと関係があるにもかかわらず、労働者に強い関心をもたせ、その習得に時間を費やさせているという事実から、エスペラント語には、国民的限界をこえた複合的言語形成への情熱と歴史的衝動が存在するということを示している。(『グラムシ・セレクション』平凡社ライブラリー)
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現代において新しい君主の主役になることができるのは、個人的英雄ではなく政党である。そのつど、さまざまな国のさまざまな内的関係において、新しい型の国家を創設しようとする特定の政党である。(『グラムシ・セレクション』平凡社ライブラリー)
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「世論」と呼ばれているものは、政治的ヘゲモニーと密接に結びついている。すなわち「市民社会」と「政治社会」のあいだの、同意と強制のあいだの接点がそれだ。(『グラムシ・セレクション』平凡社ライブラリー)
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そして、そもそも言葉の世界である象徴界は、ファルス優位のシステムになってる。人間は、去勢されることで、つまりペニスの代わりにファルスを獲得することによって、この象徴界に参入するんだって話は、前にしたよね。だから極論するなら、なにかを語ることを含めて、言葉による活動は、どうしても男性原理的なものが優位になりがちだ。(斎藤環「生き延びるためのラカン」)
- 7月31日(日)、昼寝させるために県道296号線で北上して石神から県道9号線・県道297号線を南下する車旅。上野あたりの県道296号線は渓流と平行して走る。
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"Je suis un observateur. J'observe aussi consciensieusement que possible. Ça arrive sans aucun effort de ma part."(私は観察者である。できるだけ丹念に観察する。それはわたしにとって全く努力を要しないことなのだ)ミロスラフ・ティッシーの言葉 Miroslav Tichý au Centre Pompidou
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「人間は国民として生まれるのでなくて、生まれてのちに国民にされるのである」という彼の言葉は、彼が、統治の主体を、「個人」ではなく、国家的なものの回収を逸脱する諸々の個体性と諸力の結合体としての「多数者(マルチチュード)」〔群衆‐多数性〕とみなし、人間の自己意識や主体性をも規定する諸力の交錯する状態が、スピノザの政治的関心の焦点であったことを示しています。(【番外】 スピノザの生涯と政治思想)
- すごい文章は、書いても意味はない。凡人はそのすごさに気づかないし、凡人は自分が理解できない文章に価値があるとは決して認めない。
- 国道一号線バイパスは小動物の轢死体をよく見かける。猫や鳥ではない、おそらく狸の毛皮は丈夫で、数日残っている。
- 某市立病院のコロナ陽性者宛の速達は呼鈴を押さず投函できるようになった。今更感はある。
- よく行っていたTSUTAYA領家店のレンタル機能が営業終了していた。サブスクのせいだ。近隣は佐鳴台店と天竜川を渡った豊田町店しかない。