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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

所以44

  • 日本郵便島嶼公募は地域基幹職と総合職しか応募できない。
  • 東京が車を運転しやすい街になれば多様性やにぎわいは減衰するだろう。
  • 郵便外務の班長は配達の「速い」「できる」人がなるので、配達の「遅い」「できない」人は、心情面で理解されず、取り残されていく。ゆえに放棄隠匿や離職が起こる。
  • 配達という現業と管理という虚業は別の才覚が受け持つ。
  • vizaĝo de kosmopolita humanisto kaj vizaĝo de patrioto. esperantisto povas vivi kun ambaŭ vizaĝoj kiel multaj japanoj estas naciistoj matene kaj anarĥiistoj nokte.
  • 台風一過だからといって秋晴れにならないなぁ。いつまでもグズグズ雨。
  • 吟行はシュルレアリスト的な偶然を発見するだけではなく、単にネオ・ダダ的な路上観察学をするのでもない。吟行は旅や散策・散歩ではなく、言語と写生によって街を風景を創造していく漂流dériveでありシチュアシオニスト的な「状況」の構築である。
  • 吟行≒漂流説として、漂流句会の宣言として。
  • 転用détournementは俳句の屈折に使える。〈あやまちはくりかえします秋の暮 /三橋敏雄〉
  • 転用とは、反−イデオロギーの流動的言語なのである。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • 季語は最後に付ける方が良い俳句になりやすい。
  • 才能が気づかれないとき、気づかれるほどの才能ではないのか余人が気づかないほどの高みに達した才能なのかの二つある。
  • 浜松市東区和田町の自動車街、宮竹交差点にあるガソリンスタンドの東にラーメン横綱浜松店ができるらしい。
  • 男女問わず積極的に改姓しよう。もとの姓にしがみつくのは歪んだ「家」の概念と怪しい「個」の概念にとらわれているに過ぎない。
  • 改姓をチャンスと捉えられない人は何をやっても中途半端に終わる。
  • 怒っている人は怒ることで相手を威嚇して相手より優位に立ちたいだけ。
  • 冷笑しつつ劣位から論理のみで抗う者を尊ぶ。
  • 少子化対策など統計学に基づく政治は分析が誤っていることがあるから、結果を出すために歴史学・伝統に従うのも一理ある。

所以43

  • take one's proper station、ルース・ベネディクト菊と刀』の「応分の場を占める」の英語、「応分の場を占める」が和訳か。「各々 其ノ所ヲ得」とも。
  • 9月16日に生命保険会社から新型コロナウィルス感染症の自宅療養についての入院給付金が下りたとメール連絡があった。9月5日にウェブ上で請求したから約10日かかった。
  • 5日を超えているので平常時なら金融庁案件。
  • 家族の目標は娘の入学あたりに別居婚へ移行、私はモバイル度を高めて離島・島嶼部で文学修行となった。自由に生きるため。
  • 類想句・等類句・同巣句。芭蕉「等類の事おろそかにすべからず」
  • 駒場東大前駅たこ焼き屋「みしま」が11月30日に閉店するらしい。狭い店内、変色した色紙、小粒なたこ焼き36個とはちみつ入り青汁が青春の味だった。
  • 春過ぎて夏来たるらし/白妙の衣ほしたり/天の香具山、という万葉調・五七調
  • 春過ぎて/夏来にけらし白妙の/衣ほすてふ天の香具山、という古今調・七五調
  • 昨今の俳句批評鑑賞ときたら杜撰そのもので、古句等類句はおろか役者芸人の句を引く気配り洒落ッ気などまるで見られぬ。(加藤郁乎『市井風流』岩波書店
  • ホテルの大浴場ではスリッパの履き間違えが起こるので、スリッパは籠に入れよう。
  • プリンにカラメルは要らないというけれど、濃厚なプリンを多く食べるにはカラメルの苦味が要る。
  • 鎌倉殿の13人、オンベレブンビンバとは? エスペラントでombroは影。ロマンス諸語系と関係あるかも。
  • 〈オレンジ色のおしぼりは変わっている オレンジ色ってところじゃなくて色がついてるところ/フラワーしげる〉『世界学校』短歌研究社、確かに、そっちだよね。
  • 〈女から建物が落ちて死ぬ 運のいい人がずっと横向きで話してる/フラワーしげる〉『世界学校』短歌研究社、建物から女が落ちたのなら普通だった。
  • 〈わたしの名前はCovid 19です あなたがたを滅ぼしにきました/フラワーしげる〉『世界学校』短歌研究社、かかってこいや。
  • 〈患者の膀胱をひっくりかえすと内側をびっしりと埋めるQRコード/フラワーしげる〉『世界学校』短歌研究社、読み取ると超短編へ繋がる。
  • 洗脳とかマインドコントロールというけれど、もともと人は何割くらい自分の意志で動いているのだろう。
  • 完全な自律性を獲得した瞬間の哲学のように、自律的となった学問分野はすべて崩壊せざるをえない。まず最初は、社会全体を首尾一貫したやり方で説明できるという思い上がりによって、そして最終的には、自分自身の境界内でしか使用できない部分的な道具となり果てることによって。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • ダダイスムは芸術の実現なしに芸術を破棄しようとした。そして、シュルレアリスムは、芸術を破棄することなく芸術を実現しようとした。シチュアシニストがそれ以降、入念に作り上げてきた批判的立場は、芸術の破棄も実現も、同じ芸術というものを乗り越えるために不可分な両面であることを明らかにした。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • 日本で革命を起こしたいなら風俗店を潰しAVを発売禁止にすればよい。
  • 鎖国下の江戸期日本にあった花街という治安維持機能。
  • 風流とポリティカルコレクトネスは相反した思想ではないけれど、いずれ衝突する。
  • 北野未奈という白雌豚。

所以42

  • ジェイムソン*1によれば、テクストは、他の仕方ではアクセスできないような歴史性へ私たちを導く、主要な媒介項である。その歴史性は、スピノザ的な意味での不在原因として機能している。その点においてテクストは、私たちの「政治的無意識」を理解するための資源なのであり、この「政治的無意識」が解釈作業の対象とならなければならない。(ジゼル・サピロ、鈴木智之・松下優一訳『文学社会学とはなにか』)
  • 作家の位置は、彼らが保持する特定の象徴資本〔capital symbolique〕の量や構成、すなわち彼らが作家として享受する承認の度合いや種類との関係で定まる。(同業者や批評家による)象徴的承認は、必ずしも世俗的成功(売り上げや制度的聖別化)をともなうものではないし、逆もまたしかりである。(ジゼル・サピロ、鈴木智之・松下優一訳『文学社会学とはなにか』)
  • 支配者dominantsと従属者dominés、アカデミー・フランセーズ会員と文学的ボヘミアン、地位を確立した者とアウトサイダー、ベテランと新参者の対立、新たな参入者たちの異義申し立て活動とジャンルの区分の問い直し。
  • 文学場の特徴のひとつは、流通(雑誌、出版社)および聖別化の諸審級の多元性であり、これは専門職的性格の弱さと表裏の関係にある。(ジゼル・サピロ、鈴木智之・松下優一訳『文学社会学とはなにか』)
  • 審級の多様性。大学や学問期間・社交の場・出版社*2による流通、聖別化の審級としての文学賞*3、作家協会*4、文学集団や文学流派*5など。
  • 文学作家の専門職的性格の弱さ、副業が多い。
  • ブルデューの理論的視点に立てば、それぞれの芸術場や文学場や知識人の場は、何が語られる(描かれる)に値し、いかなる語り方(描き方)がより正統であるのかについての共通の信念に支えられている。この基本的な信念を転覆させる行為が「象徴革命(révolution symbolique)」である。(ジゼル・サピロ、鈴木智之・松下優一訳『文学社会学とはなにか』)
  • しかしながら、預言者的な人物の周辺に集まったセクトのようなものである限り、前衛集団も多くの場合、手順のルーティン化、メッセージの希薄化、そのメンバーの制度的固定化などから引き起こされる社会的老化を免れることができない。(ジゼル・サピロ、鈴木智之・松下優一訳『文学社会学とはなにか』)
  • →レミ・ポントンによるルコント・ド・リールらパルナス派に関する研究。前衛集団もやがて社会的老化する。
  • 文学フェスティヴァルは、新人作家たちには承認と正統化の機会を与え、すでに地位を得ている作家たちにとっては、その名声を保ち、象徴資本を維持し強化する場となっている。(ジゼル・サピロ、鈴木智之・松下優一訳『文学社会学とはなにか』)
  • samurajo estas ununura revolucia klaso, kiu venkis en japanujo.
  • lernu latine kaj skribu esperante.
  • われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。(日本国憲法前文
  • 日本国憲法前文には『菊と刀』で描かれた国際社会で名誉ある地位=応分の場を占めたいと願う大日本帝国のころから一貫した日本人の希求が書かれている。
  • 日本国憲法前文は1945年8月15日を境とする日本人の軍国主義から民主主義者への変節を変節ではなく応分の場への一貫した態度であったと追認している。
  • 統一された不可逆的時間とは、世界市場の時間であり、その必然的帰結として世界的スペクタクルの時間となる。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • 世界は、既に一つの時間の夢を所有している。今、それを現実に生きるための意識を所有せねばならない。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • 地理的距離を除去するこの社会は、自らの内部で、スペクタクル的分離として距離を取り集める。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • 商品循環の副産物ときて、一つの消費とみなされる人間的循環、すなわち観光が生まれるが、それは結局のところ、本質的に、凡庸化されたものを見に行く余暇である。さまざまな土地を訪れるための経済的整備は、既にそれ自体で、それらの土地の等価性を保証するものである。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • インフラ整備された国での観光(ツーリスム)はどこまでも似たような都市を巡るだけとなる。寺山修司の言うような永山則夫の見た灰色の空はどこにもない。
  • 旅から時間を奪ったのと同じ現代化が、旅から空間の現実性を奪い去ったのである。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • 巨大スーパーマーケットというかイオンモールは「分配工場」と呼んでいい。
  • プロレタリア革命とはこの人間的地理による批判であり、それを通して個人と共同体は、もはや単に自分たちの労働が横領されていることだけではなく、自分たちの全体的な歴史が横領されていることにも応える風景と事件を構築せねばならない。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫

*1:引用者註、アメリカのマルクス主義批評家フレドリック・ジェイムソン『政治的無意識』

*2:大出版社あるいは信頼できる専門出版社の名を本に印字すること

*3:新人賞も

*4:俳人協会歌人協会

*5:俳句や短歌の結社

所以41

  • 災害が起きると、ヒエラルキー、行政、公共機関といった社会構造が崩壊しがちだが、その結果、生じがちなのは、メディアのほうじる無法な蛮行という意味の無政府状態ではなく、人々が自由に選んだ協力のもとに結束する、クロポトキンの提唱する無政府状態だ。(レベッカ・ソルニット、高月園子訳『災害ユートピア亜紀書房
  • 災害時に卑劣な行いをするのは、たいてい権力をもたない大多数ではなく、権力を手にした少数の人たちなのだ。(レベッカ・ソルニット、高月園子訳『災害ユートピア亜紀書房
  • 災害と革命は、ある意味、カーニバルを生じさせる。混乱が生じ、人が集まる場所があるという意味で、災害にはカーニバル的な側面がある。また、革命も一種のカーニバルだと考えることができる。なぜなら、革命により長期的にはどんなにめざましい結果が得られたとしても、お互いや可能性に対するオープンな感覚に気分がウキウキさせられる期間はほんの一瞬にすぎないからだ。(レベッカ・ソルニット、高月園子訳『災害ユートピア亜紀書房
  • 集団主義アナキスト≒共同体アナキストたちの国である日本は大震災などの災害時に無政府状態での相互扶助に適応しやすい。
  • 災害を怖れるのと同じくらい災害を待ち望んでいる日本人はいつも権力者の鼻をあかしたくてウズウズしている。これは『菊と刀』の応分の場で説明できる。
  • 戦争を怖れ戦争に反対している人は本当は戦争を待ち望んでいるのかもしれない。そうでなくてもいざ開戦すれば戦争反対者は熱烈な戦争支持者となるかもしれない。
  • 戦前戦中から戦後へ1945年8月15日を境に日本人の変節したかのようにも見える応分の場への一貫した態度は、戦争反対からいざ開戦したあとの好戦的な態度への変節においても応分の場への一貫した態度として現れるだろう。
  • 日本(京都以外)の街並みに統一感がないのは貨幣経済社会を生きる集団主義アナキストの国だから。地震の多さや空襲があったことを差し引いても、日本の民家建築の無政府状態のような不統一感や雑然さはアナキスト国家らしいと誇れる。
  • 近世のはじまりとともに、民衆は貨幣経済社会を生きることになる。それにより精神の拠り所であった、人としての在るべき姿、善悪、道徳等、すべての価値基準が根底から覆るという一大転換を経験するようになった。同時に貨幣という新たな全能の神の出現により、出自や家柄や階層などの前提に規定されることなく、個人の能力にしたがい可能性にを追求する自由をも手にした。(日暮聖『近世考』影書房
  • 元禄期の人々は、消費文化の強烈な魅力を体験し、一方では、遊びのための金がいともたやすく借りられる、そんな危険な状況にいっきに投げ込まれた。(日暮聖『近世考』影書房
  • 西鶴近松貨幣経済社会を直接描写し、芭蕉は「わぶ」というかたちで新しい社会と向き合った。
  • 伊賀上野を伊陽と呼ぶ。洛陽と同じ。
  • 芭蕉俳諧にかぎらず、元禄の創作の場は、作者であると同時に読者であるような、個人であると同時に集団であるような在り方に基づいている。(日暮聖『近世考』影書房
  • 連句の醍醐味は、思いがけない自身の可能性を他者によって発見されることにある。ときにはからかい半分であるとしても(当然それは相互関係をなす)。良い句を詠むことが喜びなのではなく、変わり得ることが、他者との関係のなかで変わり得ることが胸をつく喜びなのである。(日暮聖『近世考』影書房
  • 付句の役割は打越とは違う世界を示すこと。
  • 円環的時間は、それ自体では葛藤のない時間である。だが、時間のこの幼年期において葛藤が植えつけられる。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • 小笠原諸島父島や五島列島福江島種子島屋久島や喜界島や奄美大島や徳之島や対馬など離島・島嶼部の郵便局で3年ほど働くのも悪くない。

所以40

  • スペクタクルはさまざまなイメージの総体ではなく、イメージによって媒介された、諸個人の社会的関係である。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • スペクタクルは世界観Weltanschanng
  • 個人的現実は、存在しないという限りにおいてのみ姿を現すことが許される。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • スペクタクルは哲学を実現するのではなく、現実を哲学化する。すべての人の具体的な生が、思弁的な(spéculatif)世界に堕落したのである。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • 分離séparationは疎外Entfremdung、私的所有は人間を自分自身からも他の人間からも分離した状態に置く。
  • スペクタクルは単に眺めるだけの貨幣である。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • スピノザならエスペラントで『エティカ』を書いたかもしれない。Spinozo skribus libron "Etiko" esperante.
  • 菊と刀』で描かれていたようにどこでも寝られる日本人というは、発酵食品と漬物で腸内細菌が正常なころの日本人なのだろう。
  • いずれにせよ『東京战争戦争秘話』の出現によって情況は風景に乗取られたのである。(松田政男『風景の死滅』航思社)
  • 情況が風景を乗取る、夜が白昼を乗取る。
  • べつに意固地な偏見だと思われても構わないが、私が、フォーク・ソングやらロックやらをどうしても好きになれないのは、それらの〈うた〉が、常に、白昼のイメージを伴って聴えてくるからである。(松田政男『風景の死滅』航思社)
  • 冒頭に引いた津村喬の断言命題――「風景が国家権力のテクストとしてある」――(松田政男『風景の死滅』航思社)
  • 中平卓馬が次のように発言しているからだ。「風景という言葉はもうものすごい古い言葉だと思うけれど、そのなんでもない風景という言葉を実際に生きている中で突然、これは風景だと感じる、というより発見する。すると世界はそれ以前と以後では明らかに変わってくるはずだ」(松田政男『風景の死滅』航思社)
  • ゴダールが〈風景〉の彼岸に〈権力〉を透視していることは明白だが、しからば〈風景〉の此岸にあるものはいったい何なのであろうか。俗流風景論者や俗流風景論批判者たちが言うごとく、それは〈まなざし〉なのか、それとも〈人間〉なのか。加藤郁乎によれば、〈風景〉の此岸にあるものは、そんなチャチなものではないのだ。風景に対する人間なんかではない、風景と非風景について頭を痛めるべきであろうと、加藤郁乎は喝破する、眺められるもの、あり得べきこととしての風景は、すでに北を指したままの磁石のようにその確実な用途を使い果たした、と加藤郁乎は言い切るのだ。(松田政男『風景の死滅』航思社)
  • 情況派はシチュアシオニストの訳語でいいだろう。
  • ホブソンの「経済的な主根economic taproot」、帝国主義の貯蓄超過がマルクスの予言にも関わらず資本主義を崩壊させなかった。
  • 排便と睡眠は無徴ではできるかわからない。でも有徴ならきっとできる。
  • スターとして演出されるスペクタクルの代理人は、個人とは正反対のものであり、その者自身においても、他の者に対しても、同じように明白に個人の敵である。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • 身代わり肉便器シリーズと最高の射精旅館シリーズは癖になる。
  • 集団主義アナキズム≒共同体アナキズム
  • 〈駅長と局長競ふ運動会/伊澤敬介〉毎日俳壇西村和子選、毎日新聞2022.9.13、田舎っぽいけれど東京の景でもあるかな。
  • 〈百選の棚田の露の光り合ふ/重親利行〉毎日俳壇井上康明選、毎日新聞2022.9.13、吉賀町柿木村の棚田は行ったことがある。
  • 〈コスモスの光を映す反射鏡園児の列に揺らいでいたり/月城龍二〉毎日歌壇米川千嘉子選、毎日新聞2022.9.13、車を運転しているときに見た反射鏡、気をつけなければ。
  • 〈ただ雨に濡れてゆく壁 正答に出逢へぬ問ひはあと幾つある/酒井拓夢〉毎日歌壇選、毎日新聞2022.9.13、この壁は古い、歴史のある壁だろう。先人もまた同じ問いを投げかけた。

所以39

  • 注目したのは句点の打ち方。「中上さんの文章は、コルトレーンやアイラーのフリージャズのようにどこまでも自由なインプロビゼーションが続いていく」。『千年の愉楽』(82年)を取り上げ、丁寧に読んでいく。(中上健次、没後30年の「熊野大学」 濃密な言葉の海、いまもなお
  • la homaro ne havas subspecion. neandertalo estas formortinta subspecio. nek negroido nek kaŭkazoido nek mongoloido nek aŭstraloido estas subspecioj laŭ scienco. ili estas rasoj kaj rasoj ne ekzistas laŭ scienco. do kaj rasismo kaj kontraŭrasismo estas fetiĉismo pri afero, kiu ne ekzistas.
  • 前衛の歴史、第45回現代俳句講座質疑(11)
  • われは知る、テロリストのかなしき心を(石川啄木「ココアのひと匙」)
  • 柳田氏。官吏なぞで無政府主義の著述なぞを愛読してる人がある、非常な矛盾ぢやないか。(『アナキスト民俗学筑摩書房
  • ↑闕語法としての自己の戯画化
  • 柳田のエスペラントへの傾斜には、むしろ社会主義アナキズムへのシンパシーが滞在していたとも考えられる。(『アナキスト民俗学筑摩書房
  • 語学力の弱い柳田國男国際連盟の作業語になろうとしていたエスペラントの関係。
  • 森はカブトムシのにおい、市民プール付属のサウナは牛乳のにおいと娘。
  • 世論調査はいくら統計学的に正確であっても、選挙の無記名投票のように自然状態を擬制することはできない。世論調査は性別や世代や階級が反映されてしまう。たとえ選挙と世論調査の結果が同じでも代替不可能となる。
  • 1960年頃までの日本農業不変三大定数、農家戸数六百万戸・農地面積六百万町歩・農業就業人口千四百万人。
  • ひとえに、風景こそが、まずもって私たちに敵対してくる〈権力〉そのものとして意識されたからなのである。(松田政男『風景の死滅』航思社)
  • 私たちが、単なる性や、或いはさらに風景としての暴力に満足しえないとするならば、私たちは、まず、密室のなかでの考察を徹底化させることによってついに密室の壁を爆砕しうるにたる、語の正しき意味での終末の論理を獲得しなければならないのだ。(松田政男『風景の死滅』航思社)
  • 私たちには、そこに帰るべき〈山〉を、もはや所有していない。しかし、にもかかわらず、私たちが私たちの都市を占拠し、解体し、私たちの共同の空間として革命してしまう長い長い戦いにおいて、ひとりのゲリラ戦士として生きようと欲するならば、私たちにとっての〈山〉を、この「住み心地のよい煉獄」のど真中に聳立せしめねばならないのである。(松田政男『風景の死滅』航思社)
  • politiko laŭ popolopinio, kiun maldekstruloj gvidas, influas pli grave ol politiko laŭ sekreta balotado en Japanujo post 1968. ĉefministro KIŜIDA kredus ke ŝtatsepulto igos ABE Ŝinzo simboligi de politiko laŭ sekreta balotado. ĉar ABE Ŝinzo estis mortigita dum la balotperiodo.
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  • 安倍国葬について言えることは、エリザベス女王の死期を推定できなかった日本の情報機関・諜報機関の無能さ、もしくは不在への危惧。税金を使ってでも国葬という場で内閣情報調査室を鍛え直すのが急務だろう。
  • 語学は、何を学び何を伝えたらよいか分からないころにやっても上達しないけれど、何を学び何を伝えたらよいか分かってからではすぐに上達するためには年をとりすぎている。
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所以38

  • 東区中郡町、祭の積立金が1軒あたり30万円/年とか、自治会の力が強い。
  • 娘の父母への罰が「もういっしょにあそばないからね」「もういっしょにたべないからね」
  • 闕語法rétricenceとは自分に不利なことには口をつぐむ方法。
  • 商品の価値は生産に要した労働量だと述べた。これは「労働価値説(lavour theory of value)」として知られている。(ナイアル・キシテイニー、月沢李歌子訳『若い読者のための経済学史』すばる舎
  • 資本家は労働者を低賃金で長時間働かせて剰余価値を搾取する。
  • 雇用主は他者を人間としてではなく生産手段とみなす。他者との結びつきをうむ人間らしさから遠くなる、疎外Entfremdungという鎖。
  • ひとつの物事についてざっと把握するには最低5冊読書が必要。つまり入門書・概説書・歴史書・専門書・異端書。
  • それは、われわれの社会では、現実はひとつしか存在してはならず、夢と現実の関係を現実に逆転させる行為は社会的に許されない、という事実だ(塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』ちくま学芸文庫
  • 主体の消滅を目指す自動記述écriture automatique、速度の転換le changement de vitesse
  • 1853年9月、ジャージー島ヴィクトル・ユゴーと「ものいうテーブル」交霊会。しかし霊媒の主体は消えても霊という主体がとってかわるだけ。
  • 速度という科学的な思いつきに依拠する、理性からの解放を目指しながら理性を信頼していたシュルレアリスムデカルト的宇宙から離脱できなかったシュルレアリスト
  • シュルレアリスムの目的を、自動記述のような特別なことは何もしなくても、すでに証明していたのがスピノザ
  • 思考言語としてのラテン語と発信言語としてのエスペラント
  • ネアンデルタール人ホモ・サピエンス種の亜種なのでネアンデルタール人への人種差別は存在しうる。でもホモ・サピエンス種の下位分類である亜種を持たない現生人類の間に科学的な人種の違いは存在しない。
  • モンゴロイドネグロイドコーカソイドは社会的な人種ではあるが科学的な人種ではない。モンゴロイド人種があると言うのは部落民が存在すると言うようなものだ。
  • 女は存在しない*1部落民は存在しない*2、同様に人種差別も人種差別への反対も存在しないものへのフェティシズムである。
  • 人種に属さない人は存在しえないゆえに、人種差別という人種の問題に非当事者は存在しない。あらゆる人は人種という名目でその人の形質的特徴によって差別されている。
  • ジョージ・オーウェル1984』的なネオロジスム(新造語)によって支えられていたファシズムの言語とブルトンシュルレアリスム宣言』のイメージ論。
  • 二〇世紀の言語のさまざまな実験のなかで、全体主義だけがみずからを政治権力として確立することに成功したという歴史は、現在のわれわれ自身の言語状況とも、おそらく重なるものでもあるからだ。(塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』ちくま学芸文庫

*1:Jacques-Marie-Émile Lacan、La femme n'existe pas.

*2:穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス、明治4年8月28日太政官布告

所以37

  • エスペラントesperantoの中動態medialo、他動詞を自動詞としたり他の品詞から自動詞を作ったりする接尾辞iĝが中動態的な役割を果たすのは分かる。
  • 受動態pasivo、能動態aktivo、中動態medialo
  • 例えばrompi(壊す)の場合, esti rompitaは「だれかに壊された」だがrompiĝiは「ひとりでに壊れた」というニュアンスになる。(『エスペラント日本語辞典』第1版、日本エスペラント学会)
  • けれど線動詞(状態動詞)を点動詞(動作動詞)にする接尾辞iĝは中動態的な役割を果たすのか?
  • 浜松東局の23区、配達区のなかに4軒もガソリンスタンドがあってすごい。
  • フランスの重農主義physiocratie。重税に喘ぎ疲弊したフランス農村を背景に、神に与えられた自然の法則に従う経済活動によって「純生産物」*1は湧き出るとする。自由放任主義laissez-faire
  • ケネーら重農主義者「羊毛製ボタンを禁止するボタン製造業ギルドの特権は富を生まない」
  • だが、アダム・スミスはこういった考え方を根底から覆した。社会は、人々が自分の利益を求めて行動するときにこそ、うまく機能する、と主張したのだ。(ナイアル・キシテイニー、月沢李歌子訳『若い読者のための経済学史』すばる舎
  • 管理が行き過ぎる重商主義を論駁するためのアダム・スミス国富論』、見えざる手invisible hand
  • また角川春樹*2が「俳句朝日」創刊号*3に作品を発表したことについて、抗議の署名運動が行われたことがあった。「豈」の同人も何人か参加し攝津や私に勧誘の電話がきたことがあった。後から攝津にあうと不愉快そうな顔で「春樹がなんであれ、発表させるな、というのはよくない」とつぶやいていた。/これらは、攝津が最後のインタビューで語った「恥ずかしいことだけど。僕はやっぱり現代俳句っていうのは文学でありたいな、という感じがあります」の言葉と通じるところがある。(筑紫磐井「語録・文章・俳句から」『攝津幸彦選集』邑書林
  • 社会の価値観とは別に文学の価値観を打ち立てること。
  • こうして、未来派の過去との断絶が現在を絶対化する方向にむかったのに対して、ダダによる意味との切断は、主体からの距離によって言葉やモノの意味が定められるという知の遠近法を根底から揺るがせてしまった。その結果、世界という見慣れた場所は確実な準拠枠を失って、不確実で偶然的な、見知らぬ場所へと変貌することになる。(塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』ちくま学芸文庫
  • かかる〈擬制〉には終止符がうたれねばならぬ。アナキズムを去勢化し、平然と蹂躙してきた“公許”アナキズムは葬り去らねばならない。(千坂恭二『歴史からの黙示』航思社)
  • むかし千日前の味園ビル2Fデジタルカフェで飲んでいたとき、さらに奥のTORARY NANDで過激な研究会があると聞いて千坂恭二氏を見たことがある。
  • 人間は肉体と精神を有する存在であり、そのなかに〈自然過程〉と〈幻想過程〉を併せ備えている存在価値であることは言うまでもなかろう。(千坂恭二『歴史からの黙示』航思社)
  • 人間は主体的存在しか把握しえぬ存在であり、したがってまた〈存在が意識を規定する〉とは、実は〈存在についての意識が、意識を規定する〉ということにならならぬのである。また〈存在が意識を規定する〉とは、〈(存在についての)意識についての意識が存在についての意識を規定する〉ということにほかならない。これを一元的に表現すれば〈意識が存在を規定〉するということになろう。(千坂恭二『歴史からの黙示』航思社)
  • 無政府主義マルクス主義の違い、プロレタリア独裁を認めないか、認めるか。
  • 無政府主義は世界を矛盾として捉える。世界は永久矛盾体であり、無政府主義とはこの矛盾(永久矛盾)を解決しようとする永久変革の流れにほかならない。(千坂恭二『歴史からの黙示』航思社)
  • 俳句結社から俳句オンラインサロン*4への試みはいつき組や屍派が先鞭をつけた。
  • DADA NE SIGNIFIE RIEN

 

 

*1:全収穫=総生産から農民が必要とする分を除いた余剰

*2:引用者註、1993年8月29日、コカイン密輸事件で逮捕される。

*3:引用者註、1995年5月

*4:無会費、有志による運営など

所以36

  • 今日のカルチュラル・スタディーズやポストコロニアリズムが標榜する「グラムシルネッサンス」が政治性を欠いて弱々しいのは、六八年の毛沢東主義の「経験」を払拭してしまおうという、「現行のプロパガンダ活動」に陰に加担してしまっているからにほかなるまい。(絓秀実『革命的な、あまりに革命的な』ちくま学芸文庫
  • 重商主義時代には、黄金がないと、王や女王は国境防衛のための軍備や城の建築をする支払いができなかった。(ナイアル・キシテイニー、月沢李歌子訳『若い読者のための経済学史』すばる舎
  • 金銀の流出を阻止し貿易収支=貿易差額を黒字にするために輸出を拡大し輸入を縮小させるトーマス・マンらの重商主義mercantilism。
  • 事前に設けた条件を満たす案として、仮称A区(中、東、南、西区と北区の一部)については「奏(かなで)区」「灘区」「曳馬野区」「渚区」「青区」、同B区(浜北区と北区の大部分)は「緑区」「みどり区」「万葉区」「橘区」「青葉区」の各5案を説明した。(「奏区」「緑区」など上位 浜松市行政区再編、区名案の公募結果
  • A区は渚区、B区は万葉区がいいな。灘区と青葉区は神戸市・仙台市横浜市から文句が来そう。
  • 〈春を断る白い弾道に飛び乗つて手など振つたがつひにかへらぬ/斎藤史〉〈濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ/斎藤史二・二六事件と短歌
  • 灘本昌久、映画「橋のない川」上映阻止は正しかったか 今井正版・東陽一版を見て
  • 20〜30句(首)を二三日で無理なく量産できるようにならないと新人賞は難しいし、なにより受賞以後が厳しい。
  • 9月6日(火)、某大手芸能事務所*1の配達日指定郵便を転送せずそのまま誤配達した廉で慣習化されたパワーハラスメントとしての始末書をキメてやった。
  • 始末書は、管理職が誤配の責任を回避*2し、誤配の責任を一配達員に過ぎない被雇用者に全て負わせるための冤罪文書に過ぎない。
  • 誤配の原因が管理者の作る体制にあるにもかかわらず、当の管理者が始末書によって自己の責任を放棄した時点で誤配という問題を解決する道は断ち切られた。
  • ぼく、は橋なんかじゃない/他人の一生を載せて渡すなんぞはまっぴら(戈麦、是永駿訳「渡し口」『戈麦詩集』書肆山田)
  • 麦の苦痛の黄金を反射している(戈麦、是永駿訳「麦打ち場」『戈麦詩集』書肆山田)
  • わたし、はわたしの一生の中の果てしない闇(戈麦、是永駿訳「黄昏の星に献ぐ」『戈麦詩集』書肆山田)
  • 死んだ胡蝶、生あることを知らないのに、死あることを知るはずもない(戈麦、是永駿訳「胡蝶」『戈麦詩集』書肆山田)
  • わたしは南方の耳をまのあたりに見た(戈麦、是永駿訳「南方の耳」『戈麦詩集』書肆山田)
  • 動詞はどの語根にも歯が付着している(戈麦、是永駿訳「死に関するノート」『戈麦詩集』書肆山田)
  • SMの極意は「下部構造が上部構造を規定する!」
  • なぜDXを推進する会社の始末書が手書きなのか?
  • 日本共産党の志位委員長と鶯谷の疑惑ははじめて耳にした。

*1:ジャ○ーズ

*2:充分な指導があったと配達員に偽証させることで

所以35

  • 映画「シンデレラ」のボブ髪王女グウェン。最後はグウェン女王になってやりたい統治プランを実行できそうでよかった。ドレス作りだけが女の子のやりたいことじゃない。女の子だって政治をやりたい。
  • 世代・性別・年齢・階級に基づくかつての応分の場が崩壊している現代日本社会では、学歴・努力*1・全国模試の成績*2・知識量*3・賢さ*4などによって各自が各自の応分の場を決める。
  • 応分が満たされないと子供部屋にひきこもったり差別を訴えたりファンタジーに逃げたりフェミニズムを訴えたりガラスの天井を仮設したりする。
  • 自己へ、他者へと向けられる応分の場を求める諍いは、かつて列強のなかで応分の場を求めた大日本帝国の戦争と似ている。
  • 応分の場という概念、過労死する電通の若手社員もガラスの天井を訴えるフェミニストも女子社員へセクハラする中堅社員も説明できる最強の概念。男女雇用機会均等法下での応分の場を求める行為。
  • 新型コロナウィルスの医療保険保険金請求をMy HER-SYSの療養証明書スクリーンショットで完遂した。
  • 古い刃で髭を剃ったら顔中血まみれになったけど、刃を替えたら怪我せずに済んだ。
  • 9月4日(日)昼、卸本町のGS Burgerの行列に並ぶ。はじめてのさばバーガーを食べる。ほとんど臭みがなくて獣肉みたいな鯖。それと久々のルートビア
  • 楽天モバイル大規模障害。
  • アリィの冬と夏 Re.10、2022.9.24-25、浜松卸商団地
  • 一週間に2日くらいしか開いてなくて、何で生計を立てているのか分からない店がある。
  • 「ぼくはあそぶにはとしをとりすぎているし、こころがかなしすぎる」と少年はいいました。(シェル・シルヴァスタイン村上春樹訳『おおきな木』あすなろ書房
  • ストライダースポーツ→ヨツバ16の4歳児、初日で自転車を数メートルこぐ。
  • Official髭男dismのミックスナッツを主題歌としているスパイファミリー、万引き家族舞妓さんちのまかないさんみたいな擬似家族の一つだった。
  • 河北彩花や宮下玲奈や末広純を巡ってもやがて田中ねねへ還る。
  • 撮り鉄はオタクだから個人主義アナーキスト、共同体アナーキストからは嫌われる。

*1:自認

*2:4年以上過去の

*3:自認

*4:自認

所以34

  • 娘が「(父母が)〜するのは恥ずかしい」と羞恥心に訴えかける異議申し立てをするようになった。
  • たとえば、個人経営の店主の常套句、「すみません」。その意味はこうである。「あなたから恩を受けましたが、現代の経済の仕組みの中では、恩返しをすることができません。このような立場にいることを心苦しく思います」。(ベネディクト、角田安正訳『菊と刀光文社古典新訳文庫
  • 日本では気軽な発言をおそろしく真剣に受け止める。(ベネディクト、角田安正訳『菊と刀光文社古典新訳文庫
  • 本来、人は自分が侮辱されたと考えない限りは侮辱されようがない。また、人を汚すのは、「本人の内部からにじみでてくるもの」であって、その人に対する悪口や嫌がらせではない。だが、日本人の価値体系は、そのようなことは教えていないのである。(ベネディクト、角田安正訳『菊と刀光文社古典新訳文庫
  • ↑インターネットの誹謗中傷への過敏な反応(自殺など)はまさに日本人的伝統と言えよう。名に対する義理としての自殺や抗議。
  • 日本人は妻に属する領域と、官能的な悦楽に属する領域との間に一線を画する。どちらの領域も、人目を憚らないし、やましくないという点で同じである。(ベネディクト、角田安正訳『菊と刀光文社古典新訳文庫
  • ↑応分を守り、帳尻をぴしっと合わせる遊びなら許される。
  • 映画「シンデレラ」のボブ髪王女GwenことTallulah Greiveがいい。
  • 日本人は、精緻な相互的責務を中心にすえて生活を組み立てている。このような国民が自己犠牲をとんちんかんなことと見るのは当然である。(中略)だが、相互義務の慣行が伝統的な力として働いているので、自分自身を憐れに思うことはない。また、個人主義的な競争社会によく見られる独善に走ることもない。(ベネディクト、角田安正訳『菊と刀光文社古典新訳文庫
  • 「死んだつもりになって生きる」ような無我の境地に至ることで日本人は「観察する自己」という不安感の源泉を除き、活力と注意力を目的達成のために注げるらしい。
  • 幼児と老人のときだけ自由度があがる日本人社会はほんとうにそうかも。自由すぎて幼児と老人は急にとびだす。
  • 彼らは階層上の立場に応じて驚くほど従順な態度をとるが、にもかかわらず、上からの統制になかなか素直に応じようとしない。(ベネディクト、角田安正訳『菊と刀光文社古典新訳文庫
  • 日本人の倫理は、方針転換の倫理である。(ベネディクト、角田安正訳『菊と刀光文社古典新訳文庫
  • ミュージアムキャラクターアワード2022、浜松科学館のまるだしくんを応援する。
  • 9月3日(土)午後、ソラモのブラジリアンデー浜松2022のうら浜松駅前でRyuseiRikushi李燈の名古屋の金山から来た3人組が路上ライブをしていた。浜松は初路上という。娘が座りこんで聴いていた。
  • 遠くを見ている歌が読みたいのです。(二階堂奥歯「二〇〇二年一月二六日(土)」『八本脚の蝶』河出文庫
  • 気がついたら、東から風が吹いても平気になっていた。そうしたら歌を作らなくなった。わかりやすい。(二階堂奥歯「二〇〇二年八月一五日(木)」『八本脚の蝶』河出文庫

所以33

  • 2週間ぶりくらいにカフェでコーヒーを飲むと果実感にやられてガブ飲みしてしまう。エクセシオールカフェドトールでも。
  • 老人と海』でコンデンスミルクの空き缶に入れられたコーヒーは斯くの如しとか思う。
  • 浜松市立中央図書館駅前分室に『八本脚の蝶』があった。私がむかし蔵書提案をした。
  • ただ、上五で一度切れていますので、句の終わりは「置く」ではなく、「置き」にしたい。(櫂未知子「金曜俳句149」週刊金曜日2022.8.26)
  • ↑〈原爆忌サドルの熱に尻を置く/谷岡健彦〉について。
  • 型のとおり、上五で切れているから下五=句末でも切るなという意だろう。
  • 〈春三日月近江は大き闇を持つ/鍵和田秞子〉など上五切れ句末終止形の句群を櫂未知子氏はどう解釈するのか?
  • 鍛冶町の百獣屋、「道東産ヒグマあります」の隣に「カラスあります」と貼紙。雑食の烏肉は美味なのか。
  • しかし国家étatの発展はその国paysを疲弊させる。国家は国の精神的実体を食らい、これを糧として生きのび、肥えふとり、ついにはその糧を貪りつくす。(シモーヌ・ヴェイユ、冨原眞弓訳『根をもつこと』岩波文庫
  • Per finem cujus causa aliquid facimus, appetitum intelligo.(EP4D7)
  • →目的があって衝動がついてくるのではなく、まず衝動がある。創作意欲だって、承認されたい欲求よりまず創作したい意欲が先にくるだろう。
  • アメリカ合衆国が全面的な戦争においてこれまで戦った敵の中で、日本人ほど不可解な国民はなかった。(ベネディクト、角田安正訳『菊と刀光文社古典新訳文庫
  • 欧米と日本の間に見られた最大の違いは、疑いなく、日本の兵卒が捕虜になったあと連合軍に協力したということである。(ベネディクト、角田安正訳『菊と刀光文社古典新訳文庫
  • 9月2日(金)フルーツパーク時之栖のトロピカルトレイン号、調子悪くて一両編成だった。
  • 林檎はつがる、梨は八達が採れ時。
  • 一組しかいないペルレ内で豪雨をしのぐ。
  • 「少女」はほとんど水分を摂らないので小便をほとんどしない。
  • 浜北区平口の矢矧橋付近で馬込川が氾濫した。矢矧橋北交差点東の高橋の東側では冠水が長引いている。そのため高橋は通行止め。
  • プレ葉ウォーク浜北の駐車場や従業員駐車場も冠水したらしく、自動車数台がJAFなどレッカーサービスを呼んでいた。プレ葉ウォーク浜北の西北にある住宅地の冠水被害が大きかった。
  • 応分の場、国際社会のなかでの日本の応分の場、天皇と将軍や家臣団など封建領主たちの応分の場、肉親のなかでの世代・性別・年齢にもとづく応分の場。
  • デビューを目指す創作文芸家や短詩人は応分の場を強く気にするものだ。
  • 日本では、世代・性別・年齢にもとづく特権は大きい。しかし、特権を享受する人々は、恣意的な専制君主というよりはむしろ管財人のように振る舞う。父親または兄は、家族の責任を負う。(ベネディクト、角田安正訳『菊と刀光文社古典新訳文庫
  • 家長は、重大な決定を下し、それらの決定が実行に移されるよう取り計らわなければならない。しかし、だからといって無条件の権威を持っているわけではない。期待されているのは、一家の名誉のために責任ある態度で行動することである。(ベネディクト、角田安正訳『菊と刀光文社古典新訳文庫
  • 分国ということばをもっと使っていこう。
  • 天皇サモアやトンガなど太平洋島嶼諸国の「神聖首長」

所以32

*1:引用者註、黒姫鉱山(寸座鉱山)や気賀鉱山や大知波鉱山のことだろう。

所以31

    • 「考えて」と他人へ言う人はほとんど考えておらず騙されている。「考えなくていいよ」と他人へ言う人は他人を騙すことを考えている。
    • よく行くスーパーマーケット、フィール*1、バロー*2、マム*3など。ときどきエブリィビッグデー*4やビオあつみ*5やクックマート*6など。東海色が強い。
    • 物語要素事典

    • 斉藤斎藤は「短歌は私性は本質的じゃない。一人称性(ある一人の人間が内側から世界を把握している)が本質的」(筆者メモ)(連作の新たな領域について思う / 花山 周子
    • 〈水鳥の声に目覚めて先ほどの夜を少しく憎む月曜/小川優子〉短歌21世紀2022.9、月曜を憎むのではなく先ほどの夜を憎むという感覚が新鮮。
    • 〈教室の本と孤独の底辺で冷たい時間紛らわせてた/鈴木イオリ〉短歌21世紀2022.9、冷たい時間はどんな感触だろう。
    • 〈太陽の香りの強い方角へただ自転車を今日も漕ぎゆく/小川竜駆〉短歌21世紀2022.9、西とも南ともつかない方角へ。
    • 日本人は、全人類のうちでもっとも寛容な国民であった。その帝国では、十二の穏和な宗教が定着していた。そこへイエズス会士が来て、十三番目の宗派を形成した。ところが、この宗派は自分たち以外の宗教を認めたがらない。(ヴォルテール斉藤悦則訳『寛容論』光文社古典新訳文庫
    • 寛容はけっして内乱の原因にならなかった。不寛容が地上を殺戮の場に変えた。(ヴォルテール斉藤悦則訳『寛容論』光文社古典新訳文庫
    • 性別迷子
    • 自分の価値観と言うけれど、LGBTqな価値観は、理解のない人の価値観と同じように他者の価値観なのよね。いくつかある他者の価値観のなかから選んだのは君だけれど。
    • 存在しているか an est、何であるか quid est
    • 私にとってはどうでもいいことだ mihi est nulla.
    • 必要条件causa sine qua non.
    • 「予め認識されていないかぎり、意志されることはない」nihil volitum quin praecognitum.
    • 「動かされるものはすべての他のものによって動かされる」 omne quod movetur, movetur ab alio.
    • スコトゥスによる主知主義、「意志作用における作用の全体原因は意志の対象に由来する」tota causa actualitatis in actu voluntatis est ex parte obiecti voluntatis.
    • 「中立性によるあらゆる否定は包含である」omnis negatio per indifferentiam est continentia.
    • アンセルムスの純粋完全性「いかなるものにおいても、それでないことよりもそれであることが無条件によいもの」tale quid quod in quolibet simpliciter melius est esse ipsum quam non ipsum.
    • Denazify feminism and feminists!
    • スコトゥス「存在は多義的である」ens est aequivocum.
    • ヘンリクスの事物resの区別、 1「私は考える」「あなたは考える」ことかわいわれるもの res a reor, reris dicta. 2妥当性に基づめのくres a ratitudine dicta 3現実に存在するもの res existens in actu.
    • ヘンリクスの存在esseの区別、1事物において客観的にある在り方esse naturae extra in rebus 2概念志向における存在esse rationis 3本質存在esse essentiae
    • 他人任せ嫌い。依存の徹底的拒否。大杉思想のこうしたコアは、社会主義がほぼ過去のものと扱われるようになった現在、なお生きながらえる現代性を帯びている。(浅羽通明アナーキズムちくま新書
    • *7は、近郊農地だった多摩郡千歳村(現・世田谷区)六百坪の土地を自ら耕して野菜をつくり、山羊の乳を絞って、文筆収入に頼らない自給自足生活を実践したのだ。(浅羽通明アナーキズムちくま新書
    • 石川三四郎の共学社(共學社)は千歳村八幡山にあった。のちに旧住所・世田谷区船橋町七七四番地となる。望月百合子によれば土地は八幡神社*8の所有で中央に川*9が流れ水車小屋があったという。希望が丘公園の北東の区画あたりだろうか。

*1:愛知県と浜松市、本社は名古屋市昭和区鶴舞

*2:中部・近畿地方、本社は 多治見市大針町

*3:静岡・神奈川・三河・群馬、本社は静岡市駿河区小鹿

*4:静岡県、本社は浜松市東区天王町

*5:東三河浜松市、本社は田原市福江町

*6:三河と西遠、本社は豊橋市東田町

*7:引用者註、石川三四郎

*8:八幡山八幡社、世田谷区八幡山1丁目12-30

*9:烏山川だろう。

葉冠記

※ 新型コロナウィルス感染症の診断や治療に関する詳しい情報については、厚生労働省国立感染症研究所のサイトを参照してください。

葉冠記は妻が新型コロナウイルス感染症の陽性者になり私が濃厚接触者となってから、家族全員が陽性者となる記録である。2022年夏から秋にかけて第七波の感染者数が高止まりしているまっただ中であり、日本国民の1/10以上が感染者となって、もはや感染者となることが特異ではなく普通になった頃の話だ。ロシアによるウクライナ侵攻は続行中、安倍晋三元首相暗殺事件後の国葬開催をめぐる政治不信が渦巻き、社会不安や孤独感から生まれた反ワクチン派や反マスク派などの声も大きくなっている。ちなみに夫婦ともにワクチン接種3回*1済み、児は接種年齢に達していない。それ以前のコロナ禍日記は鹿蟹記へ。

8月22日(月)

天竜川を渡って職場へ到着した直後、目覚めた妻が38.9℃の発熱という連絡を受ける。管理者に報告したところ濃厚接触者になる可能性があるという理由で帰宅指示が出る。素早く指示が出たのは先週金曜日に37.0℃の同僚が出勤し夕方に陽性が判明した騒ぎがあったからだ。

天竜川を逆に渡って7時半に帰宅。同じ区の耳鼻咽喉科が発熱外来を受け付けていたので妻が電話して予約をとり私が車で送る。検査の30分前は何も食べてはいけないらしい。妻は耳鼻咽喉科の裏口から入り、私は駐車場で児と待つ。抗原検査の結果、妻は新型コロナウイルスの陽性。昨日を0日として10日間の自宅待機*2となった。私と児は症状がないので検査は受けず濃厚接触者として昨日を0日として5日間の自宅待機になった。薬局前の駐車場で車窓越しに妻が処方された薬はカルボシステインやアストミンやカロナールなど一般の風邪薬だけである。

家族に陽性者が出た場合は個室に隔離が基本だが、弊家では無理なので日常の延長で生活することにした。児はまだワクチン接種年齢に達していない。将来また大流行が起きたときに児の身体が「あ、これママからもらったやつだ」と新型コロナウイルスの型を覚えて免疫機能を働かせてくれるようになっていれば幸いだ。

それから一日中妻は寝ており、家事や児の世話は私がする。余暇は谷川健一『日本の地名』『日本の神々』岩波新書を読んで過ごす。民俗学は近所、三遠南信くらいの話だと興味を持って読める。(浜松市感染者543人)

8月23日(火)

8月上旬に妻の会社は懇親会を居酒屋で催した。人数とテーブルの都合でぎゃうぎゅう詰めに座らされて以降、十数日で三分の一にあたる社員がコロナ陽性になったという。妻は懇親会に参加していなかったけれど同僚*3からうつされたようだ。これは人災である。

運の悪いことに今日は地域的に昼は断水である。朝のうちに浴槽に水を貯めて、飲料としてルイボスティーポカリスエットのボトルを確保する。咳の出る妻を寝かせるためと断水で育児はたいへんなのとで私は児を連れて清掃工場のある篠原町へ車で赴き総合水泳場トビオで泳ぐ。

 雨降ればプールは秋の音となる 以太

帰宅してから、山内志朗『目的なき人生を生きる』角川新書を読む。文章が青い。喉が微かに違和感があるので緑茶を飲む。児にカードゲーム*4のルールを説明しても、どうしても親に勝ちたい児の前ではルール説明は声の風 flatus vocisとなる。(浜松市感染者931人)

8月24日(水)

妻の発熱は収まったようだ。でも咳は出るのと下痢が続くらしい。晴れたので私はまた児と車で篠原町のトビオへ赴き、泳ぐ。それから児が昼寝をしないので天竜川を渡り、竜洋の大中瀬にある昆虫館やその横の誰もいない公園で児を遊ばせる。

 残暑から淡い鎖が垂れている 以太

帰宅後、全身に倦怠感。特に両脚の体幹が疼くので16時に私の体温を測ると38.0℃だった。児は36.4℃。水曜午後なので発熱外来は休みか、開いているところも予約受付を終えている。陽性でも陰性結果が出ると噂の東亜産業の研究用抗原検査スティックで私の唾液を調べたら陽性である。夫婦共倒れである。食材は鯖缶とツナ缶を買いだめしてあったのでなんとかなる。

未来のことで心を悩ますな。必要ならば君は今現在のことに用いているのと同じ理性をたずさえて未来のことに立ち向うであろう。(マルクス・アウレーリウス、神谷美恵子訳『自省録』岩波文庫

夕食後、妻が処方されたカロナール200mgを服む。そういえば、従来言われていたような味覚障害や嗅覚障害はない。夜のうちに体温は38.5℃まで達する。(浜松市感染症者2028人*5

白き皿/拭きては棚に重ねゐる/酒場の隅のかなしき女 石川啄木

8月25日(木)

朝起きたときの私の体温は38.1℃だった。高熱があったためだろう頭が疼き、痰が出る。同じ区の病院の発熱外来へ車でひとり赴く。大きな病院なので待たされる。看護師から電話で問診を受け、車を移動し、青い防護服の看護師から鼻腔の奥へ綿棒を入れられてぐりぐりと粘液を採られ抗原検査となる。昨晩カロナールを服んだことを伝えると、カロナールは私の体重だと500mgないと効かないらしい。検査後一旦帰宅しろと言われたので帰る。自宅の駐車場へ着くと医師からの電話診療が来る。陽性だった。帰宅するとイオンマックスバリュから食料の宅配が届いていた。これでしばらく持つだろう。

昼食をとっても病院から薬と会計の連絡はなく、映画「日日是好日」を観る。樹木希林は出演する日本映画をことごとく観られる映画に変えてきた。この映画には興味を示さないと思っていた児が思いのほか茶道を気に入っていた。和菓子を食べるシーンがあるからだろう。鑑賞後に私の体温を測ると37.5℃である。

「ノミスマ(世間で通用している慣習、制度、しきたり)をパラハラッテインせよ」(山川偉也『哲学者ディオゲネス講談社学術文庫

病院から電話があり、車で病院へ向かう。検査と電話診療は約2800円であったが、処方された風邪薬アストミンとカルボシステインは無料だった。

 秋風や有熱患者様とあり 以太

夕方から洟水と嚔がではじめる。それと前からの咳と痰。だが体調はだいぶ恢復する。ワクチンを3本も打っていればコロナはタチの悪い風邪でしかない。そういえば児はなかなか発症しない。(浜松市感染者1546人)

8月26日(金)

朝に体温は36.3℃まで下がる。洟水と咳と痰が残る。保健所から連絡があると昨日の病院から聞いたけれど、まだない。昼前に群馬県の本家*6から支援物資が届く。

死は人生のできごとではない。ひとは死を体験しない。(ウィトゲンシュタイン野矢茂樹訳『論理哲学論考岩波文庫

昼食後に車で浜名湖を反時計回りに一周する。途中、入出あたりで児が「首*7がいたい」と言い出す。ぐったりと昼寝した児の身体を触ると熱い。帰宅して児の体温を測ると39.2℃ある。大人と同じで発熱から16時間たたないと検査できないので通院は明日となる。アセトアミノフェン坐剤を入れると元気になる。しかし、幼児の看病という難題がはじまる。

夕方に私の体温は37.3℃にぶり返す。かつ咳がひどい。熱が長引くのが新型コロナウイルス感染症*8の特徴か? 職場へ架電して私が濃厚接触者から陽性者になったこと、次の出勤日が9月5日(月)になったことを告げる。岸田首相が自宅療養期間を10日間から7日間へ縮める前のことゆえ。長期間の欠となることで職場は大変になるだろうけれど正社員を共働きせざるをえない薄給に抑え、配偶者勤務先からの感染リスクへの管理を怠った会社の責任である。

夕食にゼリー3個だけを食べて児はみずからベッドに寝転ぶ。未だかつて自らベッドに倒れ込むことはなかった。そして、息苦しそうにしている。ワクチン未接種なので辛かろう。妻は申し訳無さそうである。

夕食中に保健所から第一報がショートメッセージで来る。22時に児の体温を測ると40℃に達している。坐剤を入れる。(浜松市感染者1052人)

8月27日(土)

早朝、児の体温は39.9℃。朝に38.8℃に下がったけれど辛そうなので最後の坐剤を入れる。土曜朝は検査をしてくれて待ち時間のなさそうな小児科が近所でなかなか見つからず、佐鳴台の小児科へ家族3人で赴く。児は抗原検査で陰性だった。処方されたのは解熱用のカロナール100mg*9だけ。陽性になっても薬が変わることはないので陰性でこのまま熱が下がったら陰性のまま通そう*10と帰路に夫婦で決める。しかし帰宅後、小児科から着信がある。「遅れて線が見えてきた」という。なんだそれ。でも、これで児も陽性となる。それから児の体温は39℃を下回らず、キウイとサクレ・オレンジを食べた他はほとんど寝て過ごす。

昼過ぎに厚生労働省と保健所からショートメールが届き、My HER-SYSに登録する。療養証明書をスクリーンショットできるようになった。これで自宅療養期間終了後に保険金請求できる。

児はほとんど高熱で寝ていたけれど、私の喉の痛みや咳や洟水は夜になるまでに気にならなくなるほどに恢復している。妻もほぼ全快である。(浜松市感染者1097人)

8月28日(日)

朝の私はやはり痰がからむし、洟水も出る。すこし歩いただけで疲れる。一方で、児の体温は37.8℃に下がる。そして、カロナール100mg服用は昨夜の一回きりなのに昼には36.7℃まで下がる。食欲も回復する。午後にはしゃぼん玉で遊べるようになった。喉の痛みもなくなったようで、咳も嚔もない。

暮れ空に溜井の光り秋燕 飯田蛇笏

私はやることがなさすぎて朝鮮中央放送のアナウンサー声真似を練習する。夜には大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を観る。源仲章*11が出てきたとき「なぜ畠山重忠*12が京に?」と思ったら他人の空似だった。(浜松市感染者1145人)

8月29日(月)

八日目の朝。深夜に絶叫していた児の体温は36.7℃、もうぶり返さないだろうということで家族3人の葉冠記を終える。あとは3人とも体力が落ちているのでその恢復を目指すだけだ。

ラテン語のcorona

『改訂版 羅和辞典』研究社2021

*1:すべてモデルナ、3回目は2022年3月19日

*2:発熱は20日(土)からあった。

*3:親の意向でワクチン未接種、40℃近い発熱と肺炎。

*4:TRIO APARTMENT

*5:一日だけだと佐賀県岩手県の感染者数より多い。

*6:義実家

*7:喉だろう。

*8:咳由来以外の喉の激しい痛みはないのでおそらくオミクロン株の変異株である亜型BA5系統

*9:粉薬である。

*10:登園開始が早くなる

*11:生田斗真

*12:中山大志