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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

所以41

  • 災害が起きると、ヒエラルキー、行政、公共機関といった社会構造が崩壊しがちだが、その結果、生じがちなのは、メディアのほうじる無法な蛮行という意味の無政府状態ではなく、人々が自由に選んだ協力のもとに結束する、クロポトキンの提唱する無政府状態だ。(レベッカ・ソルニット、高月園子訳『災害ユートピア亜紀書房
  • 災害時に卑劣な行いをするのは、たいてい権力をもたない大多数ではなく、権力を手にした少数の人たちなのだ。(レベッカ・ソルニット、高月園子訳『災害ユートピア亜紀書房
  • 災害と革命は、ある意味、カーニバルを生じさせる。混乱が生じ、人が集まる場所があるという意味で、災害にはカーニバル的な側面がある。また、革命も一種のカーニバルだと考えることができる。なぜなら、革命により長期的にはどんなにめざましい結果が得られたとしても、お互いや可能性に対するオープンな感覚に気分がウキウキさせられる期間はほんの一瞬にすぎないからだ。(レベッカ・ソルニット、高月園子訳『災害ユートピア亜紀書房
  • 集団主義アナキスト≒共同体アナキストたちの国である日本は大震災などの災害時に無政府状態での相互扶助に適応しやすい。
  • 災害を怖れるのと同じくらい災害を待ち望んでいる日本人はいつも権力者の鼻をあかしたくてウズウズしている。これは『菊と刀』の応分の場で説明できる。
  • 戦争を怖れ戦争に反対している人は本当は戦争を待ち望んでいるのかもしれない。そうでなくてもいざ開戦すれば戦争反対者は熱烈な戦争支持者となるかもしれない。
  • 戦前戦中から戦後へ1945年8月15日を境に日本人の変節したかのようにも見える応分の場への一貫した態度は、戦争反対からいざ開戦したあとの好戦的な態度への変節においても応分の場への一貫した態度として現れるだろう。
  • 日本(京都以外)の街並みに統一感がないのは貨幣経済社会を生きる集団主義アナキストの国だから。地震の多さや空襲があったことを差し引いても、日本の民家建築の無政府状態のような不統一感や雑然さはアナキスト国家らしいと誇れる。
  • 近世のはじまりとともに、民衆は貨幣経済社会を生きることになる。それにより精神の拠り所であった、人としての在るべき姿、善悪、道徳等、すべての価値基準が根底から覆るという一大転換を経験するようになった。同時に貨幣という新たな全能の神の出現により、出自や家柄や階層などの前提に規定されることなく、個人の能力にしたがい可能性にを追求する自由をも手にした。(日暮聖『近世考』影書房
  • 元禄期の人々は、消費文化の強烈な魅力を体験し、一方では、遊びのための金がいともたやすく借りられる、そんな危険な状況にいっきに投げ込まれた。(日暮聖『近世考』影書房
  • 西鶴近松貨幣経済社会を直接描写し、芭蕉は「わぶ」というかたちで新しい社会と向き合った。
  • 伊賀上野を伊陽と呼ぶ。洛陽と同じ。
  • 芭蕉俳諧にかぎらず、元禄の創作の場は、作者であると同時に読者であるような、個人であると同時に集団であるような在り方に基づいている。(日暮聖『近世考』影書房
  • 連句の醍醐味は、思いがけない自身の可能性を他者によって発見されることにある。ときにはからかい半分であるとしても(当然それは相互関係をなす)。良い句を詠むことが喜びなのではなく、変わり得ることが、他者との関係のなかで変わり得ることが胸をつく喜びなのである。(日暮聖『近世考』影書房
  • 付句の役割は打越とは違う世界を示すこと。
  • 円環的時間は、それ自体では葛藤のない時間である。だが、時間のこの幼年期において葛藤が植えつけられる。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • 小笠原諸島父島や五島列島福江島種子島屋久島や喜界島や奄美大島や徳之島や対馬など離島・島嶼部の郵便局で3年ほど働くのも悪くない。