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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

所以40

  • スペクタクルはさまざまなイメージの総体ではなく、イメージによって媒介された、諸個人の社会的関係である。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • スペクタクルは世界観Weltanschanng
  • 個人的現実は、存在しないという限りにおいてのみ姿を現すことが許される。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • スペクタクルは哲学を実現するのではなく、現実を哲学化する。すべての人の具体的な生が、思弁的な(spéculatif)世界に堕落したのである。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • 分離séparationは疎外Entfremdung、私的所有は人間を自分自身からも他の人間からも分離した状態に置く。
  • スペクタクルは単に眺めるだけの貨幣である。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • スピノザならエスペラントで『エティカ』を書いたかもしれない。Spinozo skribus libron "Etiko" esperante.
  • 菊と刀』で描かれていたようにどこでも寝られる日本人というは、発酵食品と漬物で腸内細菌が正常なころの日本人なのだろう。
  • いずれにせよ『東京战争戦争秘話』の出現によって情況は風景に乗取られたのである。(松田政男『風景の死滅』航思社)
  • 情況が風景を乗取る、夜が白昼を乗取る。
  • べつに意固地な偏見だと思われても構わないが、私が、フォーク・ソングやらロックやらをどうしても好きになれないのは、それらの〈うた〉が、常に、白昼のイメージを伴って聴えてくるからである。(松田政男『風景の死滅』航思社)
  • 冒頭に引いた津村喬の断言命題――「風景が国家権力のテクストとしてある」――(松田政男『風景の死滅』航思社)
  • 中平卓馬が次のように発言しているからだ。「風景という言葉はもうものすごい古い言葉だと思うけれど、そのなんでもない風景という言葉を実際に生きている中で突然、これは風景だと感じる、というより発見する。すると世界はそれ以前と以後では明らかに変わってくるはずだ」(松田政男『風景の死滅』航思社)
  • ゴダールが〈風景〉の彼岸に〈権力〉を透視していることは明白だが、しからば〈風景〉の此岸にあるものはいったい何なのであろうか。俗流風景論者や俗流風景論批判者たちが言うごとく、それは〈まなざし〉なのか、それとも〈人間〉なのか。加藤郁乎によれば、〈風景〉の此岸にあるものは、そんなチャチなものではないのだ。風景に対する人間なんかではない、風景と非風景について頭を痛めるべきであろうと、加藤郁乎は喝破する、眺められるもの、あり得べきこととしての風景は、すでに北を指したままの磁石のようにその確実な用途を使い果たした、と加藤郁乎は言い切るのだ。(松田政男『風景の死滅』航思社)
  • 情況派はシチュアシオニストの訳語でいいだろう。
  • ホブソンの「経済的な主根economic taproot」、帝国主義の貯蓄超過がマルクスの予言にも関わらず資本主義を崩壊させなかった。
  • 排便と睡眠は無徴ではできるかわからない。でも有徴ならきっとできる。
  • スターとして演出されるスペクタクルの代理人は、個人とは正反対のものであり、その者自身においても、他の者に対しても、同じように明白に個人の敵である。(ギー・ドゥボール、木下誠訳『スペクタクルの社会ちくま学芸文庫
  • 身代わり肉便器シリーズと最高の射精旅館シリーズは癖になる。
  • 集団主義アナキズム≒共同体アナキズム
  • 〈駅長と局長競ふ運動会/伊澤敬介〉毎日俳壇西村和子選、毎日新聞2022.9.13、田舎っぽいけれど東京の景でもあるかな。
  • 〈百選の棚田の露の光り合ふ/重親利行〉毎日俳壇井上康明選、毎日新聞2022.9.13、吉賀町柿木村の棚田は行ったことがある。
  • 〈コスモスの光を映す反射鏡園児の列に揺らいでいたり/月城龍二〉毎日歌壇米川千嘉子選、毎日新聞2022.9.13、車を運転しているときに見た反射鏡、気をつけなければ。
  • 〈ただ雨に濡れてゆく壁 正答に出逢へぬ問ひはあと幾つある/酒井拓夢〉毎日歌壇選、毎日新聞2022.9.13、この壁は古い、歴史のある壁だろう。先人もまた同じ問いを投げかけた。