以太以外

空の色尽きて一月一日に/以太

西村和子『素秋』朔出版

〈花篝祇園の空の暮れきらず/西村和子〉木の花と人の花と。〈駅員の申し送りに燕の巣/西村和子〉のどかな田舎の、きっと単線の駅の景だろう。〈遮断機のぎくしやく上がり梅雨晴間/西村和子〉通れる道の開けたさまと、梅雨の雲の晴れ間と。〈隠れ棲む文士と女優木槿垣/西村和子〉宮城まり子吉行淳之介を想像した。木槿の鮮やかさとまばらさがいい。〈検疫を待つ船あまた春寒し/西村和子〉コロナ禍を思い出した。〈マフラーや口ごもるとき句が生まれ/西村和子〉音にならない音からことばができてゆく、マフラーの色を媒介に。〈向日葵の待ち伏せに会ふ夜道かな/西村和子〉向日葵のヒトガタ感をよく表現している。〈歩み寄るほど噴水の音粗雑/西村和子〉発見の句だ。〈蛇衣を脱ぎ少年の声太る/西村和子〉ふしぎな相関関係。〈かき氷一人一卓占領し/西村和子〉夏の小屋だろう。それぞれ他人同士でかき氷を食べる。〈冴返る我が身にいくつ蝶番/西村和子〉ガチガチ音をたてる。

愚かなる人類に年改まる 西村和子

 

対中いずみ『蘆花』ふらんす堂

〈門弟の一人に大き螢かな/対中いずみ〉誰でも弟子をとる覚悟とも。〈ぶらんこの鎖ごと抱きしめられて/対中いずみ〉痛いくらいに。〈汗の子の水槽に手をはりつけて/対中いずみ〉ピタッという音が聴こえそう。〈虹もまたこの波音が聴きたくて/対中いずみ〉と〈と申しましても白鷺がゐまして/対中いずみ〉は言い差しの妙がある。〈蛇穴を出でて泪の溜まりたる/対中いずみ〉生物の生理を情念として読み取る。

古すぎてさはれぬピアノ蘆の花 対中いずみ

所以261

  • しかし地理的な位置にかかわらず、一九九〇年代における社会的なものへの芸術の指向性――その顕著な特徴は、芸術の物的対象、アーティスト、そして鑑賞者の間に横たわる旧来の関係を打開しようという、共有された一連の欲求である。(クレア・ビショップ、大森俊克訳『人工地獄』フィルムアート社)
  • つまるところ、アーティストは物的対象の創造主たる個人というより、むしろ状況の協働の試行者や実践主体とみなされるのだ。(クレア・ビショップ、大森俊克訳『人工地獄』フィルムアート社)
  • アートプロジェクトの批評・語りは批評家や研究者ではなくキュレーターの手に委ねられつつある。
  • この研究の重要なモチベーションとなったのは、こうしたキュレーターたちの語りにおいて、批評的な客観性が排されていることへの私の失望であった。(クレア・ビショップ、大森俊克訳『人工地獄』フィルムアート社)
  • Everyone is an artist. (Joseph Beuys ヨーゼフ・ボイス)
  • 芸術と創造性
  • 芸術の選民的な営為は、創造性の議論を介して民主化されるというわけだが、けれども今日その行く手にあるのはヨーゼフ・ボイスではなく、むしろビジネスなのだ。(クレア・ビショップ、大森俊克訳『人工地獄』フィルムアート社)
  • アーティストは、創造性を引き出すためにプロジェクトを行なう。そして、そうしたアーティストによるヒエラルキーの解体という主張は、社会的包摂とクリエイティブな都市という、繰り返される一対の信条に向けた政府の文化政策と、結局は似た意味合いを含むことになる。(クレア・ビショップ、大森俊克訳『人工地獄』フィルムアート社)
  • 芸術の価値判断が「証明可能な結果を重んじる政府の芸術政策と似たり寄ったりとなる。」(クレア・ビショップ、大森俊克訳『人工地獄』フィルムアート社)
  • oda projesi, archive三人の女性アーティスト、ガラタ地区の三部屋
  • oda projesiの自らの表現の裁定基準は「審美的考察というより、活力と持続性のある関係が成功の指標となる」(クレア・ビショップ、大森俊克訳『人工地獄』フィルムアート社)
  • あたらしい関係を構築・再生するための手立てとしての芸術
  • Atatürk “Yarın Cumhuriyet ilan edeceğiz”
  • cezve、トルココーヒーのコーヒーポット、إبريق
  • Kardıraçトルコ語の雑誌
  • Ya sistemin içinde muhalif iseniz doğrudan Saray hizmetlisi olacaksınız ya da sistem içinde muhalif olmak gibi tutumları terk edip, sisteme karşı muhalif olacaksınız. Bu sizin, işçi sınıfından, devrimden yana atacağınız ilk ciddi adım olur.("Dilenmek” değil direnmek, “sistem içi” muhalif olmak değil sisteme muhalif olmak
  • Dilenerek değil, direnerek yaşamak./Sistem içi değil, sisteme karşı mücadele etmek.("Dilenmek” değil direnmek, “sistem içi” muhalif olmak değil sisteme muhalif olmak
  • システム内でではなくシステムに対して闘う。
  • Saray Rejimi 宮殿政権
  • 文化行政組織が中立でありたいのはわかるけれど、その中立はもはやクリエイターのなかの中立になっていないか? 市民を含めた中立ではダメなのか?
  • 第8回浜松「私の詩」コンクール
  • これは俺の経験から来てるんだけど、すごい奴っていうのはそいつに何か例えば才能みたいなのがぺたっとくっついているんじゃなくて、何か欠けてる場合の方が多いんだ。(村上龍『愛と幻想のファシズム(上)』講談社文庫) 
  • The FLAG PROJECT浜松市
  • Turgut Uyar "Seni seviyorum ama bu bende kalacak. Çünkü sen de diğerleri gibi sevgiyi ziyan ediyorsun."
  • トロツキーは続けて、イタリアのファシズムロシア革命の施策上の相似性を指摘した。双方の違いはといえば、「我々は革命に踏み出し、いっぽうで未来派はそれに陥る」(クレア・ビショップ、大森俊克訳『人工地獄』フィルムアート社)
  • むしろブルトンはこう示唆した――観者は、芸術表現と彼らの生活との間に連続性を発見すべきだと。しかるに「街頭に繰り出すこと」は、芸術と生のより近い関係を築く手立てとなるのである。(クレア・ビショップ、大森俊克訳『人工地獄』フィルムアート社)
  • ドゥボールの考えでは、批評を介した文化的実践によっては、あらたな形式が創出されることはない。その代わりに、転用――既存する表象内容を転覆させるための、既存イメージの破壊分子的な横領行為――というシチュアシオニストの技倆を介して、「文化表現の常套手段」が利用されることになる。(クレア・ビショップ、大森俊克訳『人工地獄』フィルムアート社)
  • ドゥボール固執したのは、あらゆる類の批評は筋道の通った主張というかたちをとってはならないということだ。彼は、文化に対する構造主義的な見方や、先行する方法論を超えた熟達を主張するあらゆる批評言語に強く反対した。(クレア・ビショップ、大森俊克訳『人工地獄』フィルムアート社)
  • 誰もがあらゆる人々に向けて意見を発信できる世界にあって、私たちが直面しているのは大衆への権限付与ではなく、陳腐化したエゴの垂れ流しである。スペクタクルへの抵抗どころではなく、参加はいまやスペクタクルと完全に一体化しているのだ。(クレア・ビショップ、大森俊克訳『人工地獄』フィルムアート社)
  • 文化は市民のコントロールCitizen controlによるものの範疇にある。
  • 「参加の梯子」の最上段が「市民のコントロール」で終わることは、ここであらためて言及すべき点である。社会的変化が達成されるということはつまり、ある時点で芸術が別の組織へと明け渡されねばならないということなのだ。(クレア・ビショップ、大森俊克訳『人工地獄』フィルムアート社)
  • FORMER WEST
  • 〈宇宙に占める短歌の割合 玄関の向こうに知らない人が来ている/丸田洋渡〉(『これからの友情』ナナロク社)宇宙と短歌の交換条件とは?
  • 〈爆撃のかなしいメロディ 想像のピアノを想像の指で弾いた/丸田洋渡〉(『これからの友情』ナナロク社)音と音との闘い
  • 〈聴診器からパーティーが聴こえたら医者が言わなければならぬこと/丸田洋渡〉(『これからの友情』ナナロク社)「残念ながらveganです」
  • 〈素敵な眼科で眼を診てもらう自分では自分を止められなくなったから/丸田洋渡〉(『これからの友情』ナナロク社)自のなかには目がある。
  • Reichsrabbiner(帝国ラビ)
  • 〈駒のない将棋のような戦争は将棋盤を傷つけて終わった/丸田洋渡〉(『これからの友情』ナナロク社)自のなかには目がある。
  • 〈カーテンの風の初めはなまぬるく帝政のように膨張した/丸田洋渡〉(『これからの友情』ナナロク社)ローマ帝国とか。
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片山由美子『水柿』ふらんす堂

〈ポケットの中の銀貨の凍りつく/片山由美子〉布に覆われた、皮膚に近い、凍らないはずの銀貨も凍る、それほどの寒さということ。〈城濠を埋めつくしたる荻の声/片山由美子〉こういう句にときどきハッとさせられる。〈無花果に雨のにほひの残りをり/片山由美子〉雨の匂いに注目した着鼻点のよさ。〈すぐ分かる人の声より初電話/片山由美子〉これは昭和の電話感覚だ。〈覚えある声の近づく朧かな/片山由美子〉こちらの声はすでにもうこの世にないかも。〈帰省して一冊の本持ち帰り/片山由美子〉幼い時に読んだ本をもう一度読みたいときが人にはある。〈駅前のどこもよく似て冬の雨/片山由美子〉風景や没場所性についての句だろう。〈映るもの映さぬまでに水澄めり/片山由美子〉逆説的な形容のおもしろさ。

 

板倉ケンタ『一花一虫』ふらんす堂

〈臘梅を悪い薬のやうに嗅ぐ/板倉ケンタ〉顔をしかめたりして。〈はだれ野やあれはバブルの頃の文字/板倉ケンタ〉甘愁の句、雪舞う郊外、遠いラブホテルの景だろう。〈七人が水着に変はる昼の樹下/板倉ケンタ〉下に水着を着ていたのかな。〈咲かされてゐるパンジーの寒い丘/板倉ケンタ〉「咲かされてゐる」の人工感が丘を寒からしめている。〈気化するガソリン夏蝶がその匂ひ/板倉ケンタ〉俳句は新味をうみだすものとしたら、この句がその新味。〈武蔵野の昼の寒さよ檸檬の樹/板倉ケンタ〉漢字のたたずまいがようござんす。〈覚えなき電波を拾ふ石蕗の花/板倉ケンタ〉石蕗の茎がながいとアンテナっぽい。〈花葡萄悪食の山羊なれば売る/板倉ケンタ〉雑草除去用の山羊が野菜を食べるときもある。〈温室をでてみんなみの疲れかな/板倉ケンタ〉軽い、ぬめっとした倦怠感だろう。〈北風は日能研の崖に吹く/板倉ケンタ〉受験戦争の厳しさや過酷さなんてことを「崖」に落ちてゆく北風に思うのか。〈幽霊がピアノの部屋に充ちてゐる/板倉ケンタ〉鳴るはずの音がない、それが欠如を際立たせ、この世ならざるものを手招きする。

あやめにも弱き雨ふる郵便夫 板倉ケンタ

所以252

  • スピノザ主義者の哲学探究
  • 日本軽佻派・大岡淳
  • 双義仄用・複義偏用、愛憎は憎、得失は失、利害は害、緩急は急、成敗は敗、同異は異、禍福は福、老幼は老、車馬は車、
  • 古人之辞、寛緩不迫故也
  • 腰蓑の逆立つ遠州鬼踊/対馬康子(『百人』ふらんす堂
  • 虫の音の結界褌の男たち/対馬康子(『百人』ふらんす堂
  • 磐田市の見付天神裸祭についての俳句
  • 互文、「動天地、感鬼神」=「感動天地鬼神」
  • このようにして漢文にはそれ独自の文章の作り方があり、省略のように見えても実はそれだけで充足している場合もあるのである。(西田太一郎『漢文の語法』角川文庫)
  • Fluctuat nec mergitur
  • 五月祭の汗の青年 病むわれは火のごとき孤独もちてへだたる/塚本邦雄
  • でも、短歌はほんとうは上書きしていくものだと思うんですよね。(我妻俊樹・平岡直子『起きられない朝のための短歌入門』書肆侃侃房)
  • Spinoza, Ethica 1,2,3,4,5ラテン語
  • はるばると浜松風にもまれきて涙にしつむざゝんざの声/八百屋半兵衛(『万載狂歌集』)
  • 位格、ヒュポスタシス(υπόστασις)
  • YENİÇAĞ, 新キプロスYeni Kıbrıs Partisiの新聞。
  • Güney Kıbrıs Rum Yönetimi
  • イスラーム世界の任俠アイヤール عیاران
  • 男女共同参画社会とは作家もクリエイターも天才もいない群衆の社会である。あるいはみんなが作家であり、みんながクリエイターであり、みんなが天才の社会である。
  • 自分たちだけが作家・クリエイター・天才と名乗りたいなら、まずは男女共同参画社会を否定しなければならない。

対馬康子『百人』ふらんす堂

ブログタイトルの百人を変換しようとして百年になって驚く。そういえば金子兜太『百年』という句集があった。〈ホッチキス滝はどこまで綴じられる/対馬康子〉滝を綴じるという感覚はいままでなかったけので新しい、滝はこちらとあちらを隔てる裂け目のようなものかもしれない。〈白き花摘む台風の目の真中/対馬康子〉花を摘む舞台として整いすぎて、あとが怖い。〈東京の西日は猫の舌ざわり/対馬康子〉東京の西日には粒子感があるのかも。〈風鈴は海の中まで揺れている/対馬康子〉風鈴の拡張現実といえる。音の聞こえる範囲までが風鈴かも。〈太陽の筋肉であり鮭のぼる/対馬康子〉北海道で見るような鮭の蠢くさまの描写として、おもしろい。〈夜の息吐ききっており遠花火/対馬康子〉スターマインが終わったのだ。〈心臓の半分は夜雁の声/対馬康子〉体内のちいさな惑星としての心臓を思う。〈まっさらな柩が芽吹いていますか/対馬康子〉死と再生を思う。〈稲光ふいに液体はかなしい/対馬康子〉空気がないから、吸って吐くような空気のなかにある稲光の理論とは別の世界だから、かなしい。

百人に死は百通り薔薇の香水/対馬康子

 

なつはづき『人魚のころ』朔出版

〈切手貼るさっき小鳥がいた場所に/なつはづき〉小鳥来るではなく小鳥去る。その場所はどこへでも通じる場所だ。〈啓蟄やどんな森にもなる図書館/なつはづき〉啓蟄という生き物の芽吹きに、図書館も自然に還るのだ。〈嚔して守衛は顔を取り戻す/なつはづき〉この守衛は居眠りしていたのだ。〈傷ついた羽根落ちている卒業式/なつはづき〉卒業とは傷つき終わること。〈ところてん宣戦布告だったのか/なつはづき〉ところで、ところてん〈どの骨が鳴れば花野に辿り着く/なつはづき〉骨を強調してからだのうちを剥き出しにしたことで怪しい情景となる。〈QRコードの中の水涸れる/なつはづき〉QRコードに付着しただろう水滴の省略表現によって黒い迷宮のなかの水を思う。〈枯芝やバンクシーなら声を描く/なつはづき〉あいつなら描けるかも!〈しゃぼん玉民法何条かに触れる/なつはづき〉何条かはわからないけれど法に触れる、そしてはじける。〈絵本から入る抜け道春の雪/なつはづき〉春の、たのしい雪世界へはなるほど絵本から入るのだ。〈足音を取り換えにゆく枯野かな/なつはづき〉冬の、姿の見えない人を思う。〈睡眠薬飲む水ひんやりと流星/なつはづき〉深海の底の夢みたいな句だ。〈心から遠い指先あすは雪/なつはづき〉「遠い指先」でとても寒いんだと分かる。

空の色決められぬまま梨を剥く/なつはづき

望月哲土『望』

表紙がテカりすぎて写真を撮ると自撮りになる句集。百句収録されているが、すべてに詞書というより解説がついている。〈地道という地図にない道梅ひらく/望月哲土〉「地図にない道」という表現がいい。初春の期待感もある。〈靴下の左右が不明春の風邪/望月哲土〉何も手元に残っていない。〈句読点打ちようがない蟻の列/望月哲土〉ひとつの文脈で呼吸もなくうごく蟻たちを思う。〈蟬時雨もうじき森の沸騰点/望月哲土〉限界へ向けて鳴き続ける蟬たち。〈能面の裏何もない芒原/望月哲土〉「何もない」がいい。芒のこすれる音が能面裏からわきたつ。〈性格の明るい樹から黄落す/望月哲土〉暗い人ほど過去と過去の栄光にしがみつくものよ。〈鉛筆の略図枯野に出てしまう/望月哲土〉鉛筆の地図は簡単に書き換えられてしまうものだから。

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滝浪武『羅針盤』牧羊舎

故・滝浪武さんの句集が届いた。〈さくらから手と足がでる異邦人/滝浪武〉省略が効いて笑える景になった。〈急流が眼下にありて春のピアノ/滝浪武〉ただならぬ景、ただならぬ音が奏でられそう。〈夏帽の少年馬の背にたてがみ/滝浪武〉生前「少年」という語にこだわっていた俳人の少年句、夏帽ー少年、たてがみー馬の相関で甘くさせない。〈白桃の中にふるさと深々と/滝浪武〉深々と刃をさしいれる。ふるさとは何色かり〈仰臥して腹式呼吸鳥渡る/滝浪武〉腹が山河に見えるのだ。〈電話線大きくたるむ建国日/滝浪武〉電線ではなく電話線であるおもしろさ。〈点眼や夜をまっすぐ落ちる滝/滝浪武〉水の動きをまなざす眼がある。〈鯛焼やその夜隕石海に落ち/滝浪武〉日常と変事の落差がおもしろい。〈あおあおと白鳥の来る道のあり/滝浪武〉句柄が大きい。〈蜩の領域雲と旅をする/滝浪武〉と〈蜜蜂の領域にあり雲の谷/滝浪武〉、領域は音だろうか。でも〈梟の領域にいて豆を煮る/滝浪武〉も音か?〈単色のいのち砂丘に雲の峰/滝浪武〉砂も雲も単色なのだ。

鳥渡る海の街からくる葉書/滝浪武

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所以241

  • 及其至於王所、與王同筺牀、食芻豢、而後悔其泣也。(荘子、斉物論)
  • ↑驪姫
  • 「火星に移民しよう、と言っているおめでたい人たちというのは、宇宙空間の過酷さを理解していない。また、宇宙との距離感を想像する能力を持っていない人たちの集まりだ」(「人は宇宙で暮らせない」ガンダム生みの親、富野由悠季氏スペースコロニー否定で会場騒然
  • ↑母校、「武蔵野の明けゆく空に金色の朝日がのぼる」
  • 予悪乎知夫死者不悔其始之蘄生也(荘子、斉物論)
  • 直道而事人、焉往而不三黜(論語
  • 黜、免職・降職
  • 大きな鐘がそこに在る/どこを叩いても鐘は鳴らぬ(嵯峨信之「鐘」『嵯峨信之詩集』芸林書房)
  • そこにあるものがはなやかなほど/そこにないものを考えよう(嵯峨信之「旅びと」『嵯峨信之詩集』芸林書房)
  • 金木犀探して過ごす昼休み/峯村友香里〉(「バイバイをしてから」『断食月』創刊号)、優雅だけど少し間の抜けた昼休み、きっと金木犀をおおきく回るようにして。においだけは、金木犀のにおいだけは嗅いでいるのに、金木犀は見えない。
  • 〈初燕胸ポケットに三角紙/白川ユウコ〉(「天空無限」『断食月』創刊号)、三角紙は蝶採集の道具。初燕という空のイメージとポケットに潜ませた三角紙という非・空のイメージをうまく衝突させた。「天空無限」全体に悼みの気配がある。
  • 断食月 創刊号』(模索舎
  • ある日 死がこともなげにその橋の上を渡るのを見た(嵯峨信之「広大な国」『嵯峨信之詩集』思潮社
  • ぼくのなかにおまえの墓を建てる/だがその日はまだ暦にない(嵯峨信之『嵯峨信之詩集』思潮社
  • 渚をねむらせようと/砂丘を閉じる/静な夜も思いだせない小さな港がある/ぼくがはじめて旅立つた港である(嵯峨信之『嵯峨信之詩集』思潮社
  • みどりの森の美術館浜松市中央区中野町
  • 乾久子展 n次元の世界
  • 蝶標本の専門店、三角紙
  • サティ「グノシエンヌ」
  • 不食肉糜

 

大塚凱『或』ふらんす堂

コーラと虹と火事と墓参の句集と思う。〈いつか住む街を迷へば鰯雲/大塚凱〉鰯雲には迷走の雲感がある。〈目つむりてゐても西日がつらぬくバス/大塚凱〉映画シルミドの最後に乗っていたバスもかんたんに銃弾に貫かれていた。〈秋よ詩を読むこゑが思つたより若い/大塚凱〉声に老いがないのだろう。〈帰りくる帆があり秋の名もない帆/大塚凱〉帆のリフレイン。〈ペン先を馬と思へば夜が進む/大塚凱〉筆記という旅だ。〈海市から見ても僕だとわかる鼻/大塚凱〉わかるわけは大きさではない、照りだ。〈蠍座のほとりに濡れてゐる卵/大塚凱〉蠍座蠍座の人という川、というか時間という解釈でいいだろう。生殖を思うのは〈蠍座や公園ぬるくつるみあふ/大塚凱〉もあるから。〈みじんこのなかのつめたい機械かな/大塚凱〉ああ、これすごくいいね。機械をひろい意味で読みたい、遺伝子とか。〈みぢんこのねむらず殖えて街に雪/大塚凱〉も機械感ある。〈なにもない丘のねむたさ桃の花/大塚凱〉蕩蕩という感じがする。丘といえば〈寝静まるあなたが丘ならば涼しい/大塚凱〉も。丘と眠り。〈胸と胸かさねてゐるとどこかで火事/大塚凱〉『ノルウェイの森』小林書店から見る火事のように。〈死後あたたか郵便受けをあふれる紙/大塚凱〉孤独死の家だ。死んでも請求書は届くなんてあたたかな世の中よ。〈文体がちがふ夜食のまへとあと/大塚凱〉これは或るあるとしか言えない。〈炎帝に飼ひ殺されて砂残る/大塚凱〉逆に言うと砂しか残らなかった。〈雪の日のピザが来るまでさはりあふ/大塚凱〉クリスマス感がある。〈シードル醸すひっきりなしに蝶の私語/大塚凱〉醗酵音と蝶のことばの取り合わせ。〈哺乳類離れてゆけば炬燵に似/大塚凱〉炬燵に似る哺乳類は人でしかない。〈氷旗ふつうの川をふつうに撮る/大塚凱〉夏の鮮やかさでふつうの川も撮りたくなる。水の固着化が氷だった。〈祭日をどつと使つてトマト煮る/大塚凱〉ホトトギス的安心感がある句だ。〈立てかけたままの網戸や味の素/大塚凱〉決してていねいではない生活を楽しむ。〈からすうり苗字がうつすらと絶える/大塚凱〉烏瓜のうっすら田舎感が活きる。〈冷房に乳房の唾液うすく光る/大塚凱〉房と房と。〈夜桜やうるほふ肉のわたしたち/大塚凱〉しっとりと。〈吹かれくる簡単服のいうれいも/大塚凱〉簡単服だからじゃないけれど幽霊に足はない。地に足つかない。

 

涼野海音『虹』ふらんす堂

〈初旅や雲かがやいて雲の中/涼野海音〉飛行機と書かない飛行機句。〈寒卵非常口より光さす/涼野海音〉いまわたしたちは卵のなかにいます。〈履歴書の空欄に汗落ちにけり/涼野海音〉空欄は人事担当が読まないところだ。〈辛口のカレー勤労感謝の日/涼野海音〉頭韻K音のたのしさ。〈短日の手帳ひらけば海の音/涼野海音〉このさりげない動作と自然現象との取り合わせが巧い。〈水温む鳥ばかり描く少年に/涼野海音〉水の蒸発と空とを思うけれど〈未知の空あり風船に青年に/涼野海音〉と近い句だ。対にすると空への希求を得る。〈五月来る森の中なる神学部/涼野海音〉五月と神学が近い気がしたけれど下五が学部はまず採るのが私だ。〈黄落や膝につめたき黒鞄/涼野海音〉黄と黒という強いコントラストの組み合わせ。〈交番の聖樹に星のなかりけり/涼野海音〉発見の句、年末の警察をとりまく事情をも連想させる。

三村純也『高天』朔出版

〈人に尾のありし頃より山椒魚/三村純也〉はるかむかしからの詩的な言い方。〈曲るたび路地暗くなる秋の暮/三村純也〉「~たび」はよくあり「曲がるたび」も頻出だけれど好みな俳句表現。〈動く看板光る看板十二月/三村純也〉暗いなかでも目立つ看板たち、年末の賑わい。〈一番湯浴びて道後の朝桜/三村純也〉晩春にさっぱりしていた。〈鴨鍋や湖賊の話聞きながら/三村純也〉山賊・海賊・水賊ならぬ湖賊。〈チューリップ開いて何も飛び出さず/三村純也〉否定形を使う俳句はここまでやりきればいいのかという発見がある。〈葉桜や箸は先より古びゆく/三村純也〉うん、つながりそうでつながらなそうな桜の樹と箸の付け合わせ、いい。〈動脈も静脈もある鶏頭花/三村純也〉そう鶏頭花は雄雌ではなく動脈と静脈に分けられる。〈次が咲くから凌霄花の散つてゆく/三村純也〉生命の奔放をあの花の色からは感じる。次から次へと。

大木あまり『山猫座』ふらんす堂

〈病身にシャネル一滴寝正月/大木あまり〉間の抜けた矜持みたいなものを感じる。〈蟻地獄郵便物がどさと来る/大木あまり〉これからはじまる郵便処理地獄を思う。〈峰雲や離れ家のごとしんとして/大木あまり〉雲が離れ家という発想はおもしろい。〈蝶の去る野のなだらかに西日かな/大木あまり〉蝶の去った痕跡を照らす、穏やかな西日がいい。情景俳句だ。〈鯛焼の王と呼びたき面構え/大木あまり〉奴隷王朝の王みたいなニュアンス。〈納骨や小魚ひかる冬の川/大木あまり〉うん、よくわからなそうで感じの伝わりそうな具象、いいね。水の少ない感じ。〈水底の石のたひらに七五三/大木あまり〉うん、脇社に厳島神社があるのだろう。いい感じ。〈落ちさうな牛の乳房よ春の草/大木あまり〉「落ちさうな」は新しい。〈トラクターに蝶待つごとく寄りかかり/大木あまり〉トラクターがいい、土に汚れていたらなおいい。

銀河にも句会あるらし出句せよ 大木あまり