以太以外

蒼褪めた巨漢は笑う水澄んで 以太

「凍港」『山口誓子句集』角川書店

続く梅雨に「凍港」部分を読む。〈鏡中に西日射し入る夕立あと/山口誓子〉西日と鏡に照り返された西日とで二倍明るさを強調された夕立あと。〈鱚釣りや靑垣なせる陸の山/山口誓子〉陸くが、鱚釣りなのに周囲を取り巻く山々へ着目させる景作り。〈競漕の空しき艇庫汐さしぬ/山口誓子〉「空しき」は言い過ぎだが、競技そのものではなくその準備場所への眼差しは意外で好ましい。〈大學の空の碧きに凧ひとつ/山口誓子〉企図の大きさと希望、とは言い過ぎか。カラリとした句だ。〈扇風器大き翼をやすめたり/山口誓子〉は競漕句と同じく中心から視線を逸した。今度は場所の辺境ではなく時間の辺境である。〈捕鯨船嗄れたる汽笛をならしけり/山口誓子〉汽笛ふえ、捕鯨史の長さ深さを感じさせる「嗄れたる」。〈海は春入渠の船のうすき煙/山口誓子〉霞がかっているために煙はうすく見えるという春の港、「うすき煙」としたことで入渠のゆっくりさが強調される。薄さや淡さは遅さ。なぜか、なんとなく。〈月食の夜を氷上に遊びけり/山口誓子〉月蝕のために怪しげな雰囲気を醸すようになったスケート遊び。

『明石海人歌集』岩波文庫

かりん糖を貰った日、『明石海人歌集』を読む。〈とりとめて書き遺すこともなかりけむ手帖にうすき鉛筆のあと/明石海人〉は〈鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ/林田紀音夫〉と並べられる。「うすき鉛筆」は世への未練か。〈大楓子油注射のときを近づきて口覆の上に黒む瞳なりし/明石海人〉口覆はマスク、看護婦の思い出、救いのような残像のようなものか。〈ソクラテスは毒をあふぎぬよき人の果は昔もかくしありけり/明石海人〉ソクラテスが「よき人」であったかどうかは判断する人に因るし、それはよき人より服毒死への憧憬だ。〈うすら日の坂の上にて見送れば靴の白きが遠ざかりゆく/明石海人〉靴の白さが光として、残像としていつまでも残る。〈まじまじとこの眼に吾子を見たりけり薬に眠る朝のひととき/明石海人〉いつ見えなくなるともわからない一瞬一瞬を、見る。〈切割くや気管に肺に吹入りて大気の冷えは香料のごとし/明石海人〉「香料のごとし」という感覚の生々しさ。〈蒼空の澄みきはまれる昼日なか光れ光れと玻璃戸をみがく/明石海人〉祈りのように磨く。〈蟬の声のまつただなかを目醒むれば壁も畳もなまなまと赤し/明石海人〉目覚めると夕陽の赤に囲まれる、この赤は〈手にのこるけだものの香のけうとさは真紅にかはる海を想へり/明石海人〉にも。〈傷つける指をまもりてねむる夜を遥かなる湖に魚群死にゆく/明石海人〉指の傷のため犠牲になる魚群のような、ひとつの不安を守るために死んでいく世界のような。〈そんなことちつともないと言ふ貌に半透明な心臓がのぞく/明石海人〉半透明な心臓は模型か、見え透いた心なのか。〈空はもうかすんでゐるのにこの朝の海へ落ちこむ沢山な蝶/明石海人〉「もう〜のに」はもうその必要がないのに。

地図のある小説/鈴木ちはね

梅雨、流れ着くように届いた『bouquet, 2020』稀風社が郵便受箱に立っていた日、連作「地図のある小説」を読む。〈地図のある小説の良さ この世界も地図のある小説であればいい/鈴木ちはね〉地図のある小説というとファンタジー小説がぱっと思いつく。いまだらだらと三度目を読んでいる佐藤大輔皇国の守護者』も地図がある、ほとんど地図は見ていないけど。オズの魔法使いにも指輪物語にもゲド戦記にも地図があった。そういえば十二国記も。ファンタジー小説は読み手や作者からすると「思いのまま」のように思えるのだろうけれど作中主体からすると理不尽なことが多いものだ(と断定する私はどこの世界の住人だろう)。ただファンタジー地図を眺める分には楽しそうに思えるだろうし、その感覚は旅行計画時を地図帳を見るのと似た感覚のはずで、だから「地図のある小説の良さ」とは小説の内容の良さというより、小説に地図があること、それから読み手が自由に冒険を想像できることの良さなのだろう。この世界が「地図のある小説であればいい」というのも読み手の解釈が巨大な思想体系によってひとつに固定されることなく、自由に解釈できる世界であればいいという願いなのかもしれない。〈ビルの窓も開けばいいのに開かなくて敗戦国に雨が降っている/鈴木ちはね〉、これについては乾遥香が「わたしのための鈴木ちはね入門」で引用していた歌〈日本がまた戦争をやるとして勝つイメージが湧かない 大変だ/鈴木ちはね〉「感情のために」をなんとなく置いておく。ビルのはめ殺し窓は制空権を奪われ都市に空襲されるようになってしまった敗戦国における窓の目張りを連想させる。しかしはめ殺し窓によりビルのなかの人は一滴も雨に濡れていない。「開けばいいのに開かなくて」でもその窓によって実は敗戦国の人も何らかの害から守られているのかもしれない、たとえば戦争とか、それとも恋愛とか。

『宮柊二歌集』岩波文庫

牛乳を飲んだ日、『宮柊二歌集』を読む。〈かうかうと仕事場は灯の明くして夜深き街を旋風過ぎたり/宮柊二〉夜業のいつ果てるともない不安、心の荒涼。〈ちりぢりに空の高処をひかりつつ小鳥わたれり山は寒しも/宮柊二〉失意の地を睥睨するかのような小さき空飛ぶ生命たちへの羨望だろう。〈道の辺に片寄せ敷かれし貝殻をこの夜踏み帰るあやしきまで酔ひて/宮柊二〉貝殻の割れる乾いた音が酔いのあやしさを際立たせる。〈日蔭より日の照る方に群鶏の数多き脚歩みてゆくも/宮柊二〉数多き鳥脚の奇怪さ。〈つき放たれし貨車が夕光に走りつつ寂しきまでにとどまらずけり/宮柊二〉引力を失い、つきはなされた心よ。〈軍衣袴も銃も剣も差上げて暁渉る河の名を知らず/宮柊二〉ただ義務として機械のように渡る。〈ある夜半に目覚めつつをり畳敷きしこの部屋は山西の黍畑にあらず/宮柊二〉山西はさんしい、戦場がいつまでも脳裏を離れない。〈孤して椅子に倚るとき厨べに妻がいく度も燐寸擦る音/宮柊二〉無気力と隣り合わせの生活と。〈おとろへしかまきり一つ朝光の軌条のうへを越えんとしをり/宮柊二〉朝光はあさかげ、越えられたかどうかより、越えんとすることの方が大事なのだ。〈/宮柊二〉〈七夕の星を映すと水張りしたらひ一つを草むらの中/宮柊二〉星を映しかつ夜闇のなかに張られた盥の水という潤い。〈夜の汽車無くなりてよりレール更ふる作業の重き音のきこゆる/宮柊二〉夜間作業への、工夫への同情心がある。〈仰向きに芝生に臥せば青空のおくかも知れぬ青さわれを惹く/宮柊二〉青空の奥にある青色を見たかもしれないという淡い希望の尊さがある。〈休日の百貨店の側つやつやと油ひきたるごとき鋪道ぞ/宮柊二〉側はわき、なんてことない、寧ろつまらない景色も言葉の置き方ひとつで歌いあげる情景となる。「油ひきたるごとき」の鋭さ。〈硝子戸に額押しあてて心遣る深きこの闇東京が持つ/宮柊二〉「東京が持つ」という把握への感嘆、硝子戸にべったりと額の脂がこびりつくだろう。すっかり疲労した夜に。〈元日のしづけき時刻百舌群るる欅冬木に日のあたりゐつ/宮柊二〉元日の清澄と百舌鳥の血腥い音との対比がある。〈寂しかる空間や貨車と貨車つなぐ鋼の黒き連結器見え/宮柊二〉寂しいとされる空間に屈曲な黒鉄が見える、頼もしさ、いや恐怖か。

おとうさまと書き添へて肖像画貼られあり何といふ吾が鼻のひらたさ 宮柊二

与謝野晶子『みだれ髪』新潮文庫

枇杷が発芽していたのを知った日、『みだれ髪』を読む。〈その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな/与謝野晶子〉いまの二十歳は子どもだけれど明治期の二十歳は年増である。その子は令和期では二十代なかばから三十歳までの感覚だろうか、それでも若く、少し世も知っている。ゆえに驕りは美しい。〈清水へ祗園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき/与謝野晶子〉京都観光の高揚感とは何だろう。いまの新宿歌舞伎町でそんな高揚感を感じられるのだろうか。〈ゆあみして泉を出でしやははだにふるるはつらき人の世のきぬ/与謝野晶子〉心の稚さを肌の稚さへ喩える。〈こころみにわかき唇ふれて見れば冷かなるよしら蓮の露/与謝野晶子〉エロスを秘める唇肉の冷感で終わらせず蓮の露という景へ飛ばす。露、それは涙のようで。〈牛の子を木かげに立たせ絵にうつす君がゆかたに柿の花ちる/与謝野晶子〉牧歌的な、とは安易か。白が目に残る。〈手をひたし水は昔にかはらずとさけぶ子の恋われあやぶみぬ/与謝野晶子〉いつまでも変わらない恋なんてありませんよと諭すように。

やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君 与謝野晶子

『若山牧水歌集』岩波文庫

「死か芸術か」以降の部分をざっと読む。〈浪、浪、浪、沖に居る浪、岸の浪、やよ待てわれも山降りて行かむ/若山牧水〉山道をおりて開けた場所に出て、どうっと海が広がったのだろう。「、」は寄せて返す浪の間だ。〈なにゆゑに旅に出づるや、なにゆゑに旅に出づるや何故に旅に/若山牧水〉は〈ぼくたちはこわれてしまったぼく たちはこわれてしまったぼくたちはこわ/中澤系〉の原形とも言うべき。〈われを恨み罵りしはてに噤みたる母のくちもとにひとつの歯もなき/若山牧水〉罵られても平静か視線を保つのは家族相手ゆえに。〈朱欒の実、もろ手にあまる朱欒の実、いだきてぞ入る暗き書斎に/若山牧水〉灯りのような果実としてのザボン。〈日本語のまづしさか、わがこころの貧しさか海は痩せて青くひかれり/若山牧水〉言語能力が世界の姿を変える。〈すたすたと大股にゆき大またにかへり来にけり用ある如く/若山牧水〉「用ある如く」の諧謔。〈夕かけて風吹きいでぬ食卓の玻璃の冷酒の上のダーリア/若山牧水〉滅びゆく寂しさの味がしみわたる。〈わびしさや玉蜀黍畑の朝霧に立ちつくし居れば吾子呼ぶ声す/若山牧水〉望郷のような幻聴。〈古汽車の中のストーヴ赤赤と燃え立つなべに大吹雪する/若山牧水〉「燃え立つ」がストーヴなのか鍋なのか判然としなくいけれど、昔の旅の風情だ。〈麦ばたの垂り穂のうへにかげ見えて電車過ぎゆく池袋村/若山牧水〉「池袋の女」伝奇を下敷きにしていそう、谷間としての昔の池袋村を。

檜葉記(一)

伊那から帰った日、現代俳句協会青年部による「翌檜篇」(19)『現代俳句』令和二年七月号を読む。「目印」より〈厚あげの断面ほどの冬銀河/珠凪夕波〉厚あげという厨のなかの卑近と銀河という宇宙規模の広大さを並べたところに興が起こる。厚あげの白さが、鍋の温かさや雪の白さをも連想させる。「木箸」より〈人といて喉のトマトの青臭さ/三嶋渉〉トマト=赤という定式を崩して、なおかつ表現は喉を過ぎる言葉の「青臭さ」まで及んでいる。青春になり損ねて崩れるトマトよ。「白玉抄」より〈蜜豆や話途端に切り替はる/中西亮太〉蜜豆や白玉は〈蜜豆をたべるでもなくよく話す/高浜虚子〉を始め対面の景がよく添えられる。吟行句ならその確率は跳ね上がる。蜜豆は甘さより赤豌豆と求肥と寒天の歯ざわりの違いが際立つ食べ物であり、「話途端に切り替はる」は対面の楽しさという蜜豆の古い本質を捨てず、食感という蜜豆の新しい本質を切り拓いている。

「独り歌へる」「別離」「路上」『若山牧水歌集』岩波文庫

諏訪大社上社本宮と神長官守矢史料館うらのミシャグジ社を訪れた日、「独り歌へる」「別離」「路上」部分を読む。〈角もなく眼なき数十の黒牛にまじりて行かばやゝなぐさまむ/若山牧水〉あるべきもののない動物と行く寓話。漂泊の究極形だろう。〈玻璃戸漏り暮春の月の黄に匂ふ室に疲れてかへり来しかな/若山牧水〉消耗して帰宅。〈停車場に札を買ふとき白銀の貨のひゞきの涼しき夜なり/若山牧水〉貨幣の響きに旅立ちの高揚感がある。〈床に馴れ羽おとろへし白鳥のかなしむごとくけふも添寝す/若山牧水〉失墜ののち、家族という安らぎ。〈春白昼ここの港に寄りもせず岬を過ぎて行く船のあり/若山牧水〉出会うということのありがたさ、出会わなくても在るというありがたさ。〈海底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり/若山牧水〉眼のなき魚という寓話、「恋しかりけり」で作者の人柄が分かる。〈指に触るるその毛はすべて言葉なりさびしき犬よかなしきゆふべよ/若山牧水〉「その毛はすべて言葉なり」という優しさ。〈しら砂にかほをうづめてわれ禱るかなしさに身をやぶるまじいぞ/若山牧水〉「うづめて」鮮烈な祈りの景、恥のかなしさを含む。

われ二十六歳歌をつくりて飯に代ふ世にもわびしきなりはひをする 若山牧水

「海の声」『若山牧水歌集』岩波文庫

鳶の飛ぶ諏訪湖を見ながら「海の声」部分を読む。〈白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ/若山牧水〉「青」と「あを」を書き分けたのは空と海の色の違いによるものだろうけれど、やや理屈っぽいかもしれない。俳句なら同じ漢字を使う。〈海明り天にえ行かず陸に来ず闇のそこひに青うふるへり/若山牧水〉や〈海の声そらにまよへり春の日のその声のなかに白鳥の浮く/若山牧水〉の方がごつごつしているが、神々しい。〈夕海に鳥啼く闇のかなしきにわれら手とりぬあはれまた啼く/若山牧水〉は〈淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば情もしのに古思ほゆ/柿本人麻呂〉を思わせるかなしさ。〈片ぞらに雲はあつまり片空に月冴ゆ野分地にながれたり/若山牧水〉は野分に動く雲という巨大な景を描く。それにしても「片ぞら」「片空」で書き分ける必要はあるのだろうか。〈春の夜の匂へる闇のをちこちによこたはるかな木の芽ふく山/若山牧水〉闇に潜在する匂い立つような生命力について。〈幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく/若山牧水〉長野県の山を巡るときとは違う感じが中国山地を巡るときにはある。歴史の感覚と神話の感覚と。そして〈旅ゆけば瞳痩するかゆきずりの女みながら美からぬはなし/若山牧水〉は旅詠らしさがある。

玉葉和歌集の冬

都田図書館へ行ってみたくなった日、「冬」部分を読む。〈おのづから音する人もなかりけり山めぐりする時雨ならでは/西行法師〉さびしさのはてなむ国ぞ。〈神無月時雨飛び分け行雁の翼吹き干す峰の木枯らし/後鳥羽院御製〉「翼(を)吹き干す」の技巧は写実を超えるほどに映画的。〈夕時雨嵐に晴るゝ高嶺より入り日に見えて降る木の葉哉/よみ人しらず〉橙の薄日にちらちら散る木の葉が見える遠景、美しい。この遠景のちらちらする複数色の美しさは〈暮れかゝる夕べの空に雲さえて山の端ばかり降れる白雪/前大納言為氏〉も。〈落ち積もる木の葉ばかりの淀みにて堰かれぬ水ぞ下に流るる/平宗泰〉清濁、動静の対比がある、〈早き瀬は猶も流れて山川の岩間に淀む水ぞ氷れる/権中納言公雄〉とも。〈時雨降る山のはつかの雲間より余りて出る有明の月/前大納言為家〉「余りて出る」という描写の力だ。〈淡路島瀬戸の潮風寒からし妻問ふ千鳥声しきるなり/前参議経盛〉淡路は逢はじ、地名と境遇と。〈下折れの竹の音さへ絶えはてぬあまりに積もる雪の日数に/民部卿為世〉音の絶える雪の深さと竹林の奥深さ、青と白、明と暗とが映える。

玉葉和歌集の秋

若山牧水の「梅雨紀行」を読んだ日、「秋」部分を読む。〈尾花のみ庭になびきて秋風の響きは峰の梢にぞ聞/永福門院〉庭という近景と峰の梢という遠景とを同時に見て、聴いている。この近景と遠景を併置するのは〈我が門の稲葉の風におどろけば霧のあなたに初雁の声/伊勢〉も。〈山の端の雲のはたてを吹風に乱れて続く雁のつら哉/前中納言定家〉「乱れて続く」という動きの描写が壮大。空飛ぶ鳥は地を這う獣の数倍も数十倍も広がって散らばる。〈宵の間の群雲のづたひ影見えて山の端めぐる秋の稲妻/院御製〉「山の端めぐる」という雷光の動き、鮮烈だね。〈海の果て空の限りも秋のよる野月の光のうちにぞ有ける/従二位家隆〉と〈人も見ぬよしなき山の末までに澄むらんつきの影をこそ思へ/西行法師〉は月光の領域化についての歌だ。〈明石潟浦路晴れ行朝凪に霧に漕入る海人の釣り舟/後鳥羽院御製〉技巧はさておき、霧の海と晴れの海がこもごもするなかで霧へ突っ込む釣り舟の悲愴さが際立つ。〈衣打つ賤が伏屋の板間あらみ砧の上に月洩りにけり/醍醐入道前太政大臣〉「月漏りにけり」とは田園的で、写実的である。

玉葉和歌集の春

「春」部分を読む。〈木々の心花近からし昨日今日世はうす曇り春雨の降る/永福門院〉木々の花咲かんとする心を春雨に仮託している。そこに、作者の心もまた入りこむ。〈折りかざす道行き人のけしきにて世はみな花の盛をぞしる/永福門院〉「折りかざす」は貴族趣味のようであり、現代人には人工と自然の錯誤のおもしろさとも読める。花の枝を折る行為については〈枝しあらばまたも咲きなん風よりも折る人つらき花桜哉/前参議教長〉を参考に。〈散り積もる庭に光を映すより月こそ花の鏡なりけれ/源光行〉光の主客転倒がおもしろい。これが心の絶対優位と言葉の自由ということだ。もちろん現代人なら月が鏡に過ぎないことは知っているけれど。〈庭の面は埋み定むる方もなし嵐に軽き花の白雪/津守国助〉「埋み定むる方もなし」で白の躍動が伝わる。〈吹弱る嵐の庭の木の本に一むら白く花ぞ残れる/前参議家親〉「吹弱る嵐」の変化が「一むら」へ収束していく。

二つの読層

セブンイレブン静岡東名インター店だった。浜松へ帰る水分を確保するべく伊藤園の濃い茶を手にとるとこんな句が第三十回伊藤園新俳句大賞都道府県賞として掲載されていた。

化学式雪解けの日はまだ遠い/岡元愛瑠

和歌山県賞だったのだろう。ある読層では、「化学式」から学校の教室を想像させる。「雪解けの日はまだ遠い」は春の季語「雪解」を冬の季感を表すために使っている。厚い冬雲の下、教室の窓から積雪を見下ろす生徒たちの姿が見える。将来への不安、たとえば大試験への不安を想像させる。

別の読層では化学式の点と線のつながりと、雪の結晶を連想させる。科学的な解への道筋の遠さのようなものを思わせる理知的な暗示がある。化学式がそのまま雪の結晶を示しそうにない不安定さも、句のひとつの魅力となっている。

これら二つの読層が重なり合い、調和しあう面白い句だ。


化学式雪解けの日はまだ遠い/岡元愛瑠15歳

玉葉和歌集の夏と旅

叙景に徹すれば詩は永遠になると思い、『玉葉和歌集』の夏歌を読む。〈を山田に見ゆる緑の一村やまだ取り分けぬ早苗なるらん/前右近大将家教〉起伏のある緑の喜び。〈五月雨は晴れんとやする山の端にかゝれる雲の薄くなり行/今上御製〉雲と光が山の端をめまぐるしく動く。〈篝火の影しうつればぬばたまの夜河の底は水も燃えけり/貫之〉「水も燃えけり」という心象写生。〈こゝのみと煙を分けて過ぎゆけばまだ末暗き賤が蚊遣火/入道前太政大臣〉賤の家の奥行きの深さを闇の深さとして描く。〈闇よりもすくなき夜半の蛍哉おのが光を月に消たれて/藤原為守女〉蛍光を消す月光という、闇のなかの光の氾濫。〈行きなやむ牛の歩みに立つ塵の風さへあつき夏のを車/前中納言定家〉牛の怠そうな息も聴こえてきそうな暑さ。〈風早み雲の一むら峰越えて山見えそむる夕立のあと/院御製〉気象変化のダイナミズム。〈とまるべき陰しなければはるばると濡れてを行かん夕立の雨/右兵衛督基氏〉「濡れてを行かん」の威勢の良さ。〈入日さす峰の梢に鳴く蝉の声を残して暮るゝ山もと/民部卿為世〉蝉が消えても「声を残して」とする秀逸。〈暮れかゝる遠ちの空の夕立に山の端見せて照らす稲妻/藤原定成朝臣〉は〈宵の間の群雲づたひ影見えて山の端めぐる秋の稲妻/院御製〉ほど動きはないかわりに濡れた光を強調している。〈この比(ころ)ぞ訪ふべかりける山里の水せきとむる松の下陰/後光明峰寺前摂政左大臣〉「水せきとむる」は光も音もあり、匂いもある。〈岩根つたふ水の響きは底にありて涼しさ高き松風の山/大江宗秀〉水の響く谷底と「涼しさ高き」という空と高低差のある景を描く。

旅歌も読む。〈泊まるべき宿をば月にあくがれて明日の道行く夜半の旅人/前大納言為兼〉月狂いと言うべき旅。〈浪の音を心にかけて明かす哉苫洩る月の影を友にて/西行法師〉漁村の月夜、孤独という楽しみ。〈あま乙女棚無し小舟漕ぎ出らし旅の宿りに楫の音聞ゆ/笠金村〉「棚無し小舟」は時代を超える。

垂直/浅川芳直

関西現代俳句協会青年部招待作品「垂直」を読む。〈はめごろし窓へかたまる春の蠅/浅川芳直〉はめ殺しという建具の名には猥雑さと残酷さが秘められている。「春の蝿」とは言え蝿の密集はその名が秘めたものを滾らせる。いや、「春の」だからこそはめ殺しという形に囚われた若さという視点が加わる。〈白ばらへ雨の垂直濁りけり/浅川芳直〉垂直という雨の「正しさ」が濁るほどの白薔薇の無垢さ、白さと読める。