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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

「和紙」『林翔全句集』コールサック社

もうすぐ浜松市でポエデイがあるので全句集を読む。〈かの童まだ遠凧につながれる/林翔〉遥か感がある。大きな景色だ。〈ものの芽をうるほしゐしが本降りに/林翔〉だんだん激しくなる雨。春も深まりあたたかくなる。〈訊きかへす梅雨の電話のなほ遠し/林翔〉濡れて漏電感のある電話。よく聴こえない。〈滝あふる近視痩骨の教師らに/林翔〉仕事に励む教師らの姿、意志を滝の姿に見る。〈電力地帯煌々の灯に銀河懸く/林翔〉遠州の地の光と天の光との対照。〈放送終り人寝て虫の地の厚み/林翔〉テレビかラジオ放送後の眠りの世界。〈石蹴つて石光らしむ卒業期/林翔〉蹴石すらも光るように思える時期だ。〈休暇果てむ晩夏の樹液手に粘り/林翔〉晩夏の記憶としての樹液がいつまでもいつまでも手に粘りつく。〈満開の花のことばは風が言ふ/林翔〉風も花の色をして。〈冷じく絵具削りしナイフ痕/林翔〉えのぐ、だろう。ペンチングナイフだろうか。

 

林翔全句集

林翔全句集

  • 作者:林 翔
  • コールサック社
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正木ゆう子『玉響』春秋社

俳諧自由として〈地虫鳴く総面積を求めなさい/以太〉を胸に『玉響』を読む。〈春眠の繊毛戦ぐ耳の奥/正木ゆう子〉親しい人の耳であろう。〈以来そこにあるヘルメット走り梅雨/正木ゆう子〉事故か何かある出来事から彼はバイクに乗らなくなった。梅雨に思いを託す。〈たれも見ぬ深山の螢火になれるか/正木ゆう子〉きっとなれないのだけれど。〈美しいデータとさみしいデータに雪/正木ゆう子〉データを描くホワイトを思う。〈兵戈なき雛壇をこそひなまつり/正木ゆう子〉随身はいないほうがいい。〈黒豆を煮るや黒耀石の艶/正木ゆう子〉おいしさの発見。〈息白くわれへ繋がる太古かな/正木ゆう子〉太古の人も息は白く、息の色は繋がっている。〈行く鷹の後ろにこの世なき如く/正木ゆう子〉颯爽と、という言葉そのままに猛禽は飛ぶ。〈よき枝のあれかし旅の夜の鷹に/正木ゆう子〉鷹の今後を寿ぐ視線がある。〈人亡くて誕生日くる雨水かな/正木ゆう子〉人が死に、産まれても暦は巡る。〈紅梅の蘂蘂白梅の蘂蘂蘂/正木ゆう子〉小さなものへの視線がある。〈ゆらめいてこの星もひとつぶの露/正木ゆう子〉はるか宇宙から見れば地球も小さなひと粒。

小川軽舟『無辺』ふらんす堂

かつ丼の蓋の雫や春浅き/小川軽舟〉春の雪が溶け、湿り始める気配をカツ丼の蓋の裏に見つける。〈/小川軽舟〉〈春郊の道あつまりて橋一つ/小川軽舟〉いいな。道の集まって橋となる様は確かに春めいている。〈新しき街に寺なしチューリップ/小川軽舟〉人工度の高い街に死の匂いをさせる寺はない。そこへ中央アジア・トルコ・オランダから外来植物であるチューリップを合わせた趣き。〈バーベキュー薫風汚すこと楽し/小川軽舟〉季語の粗雑な扱いが愉悦。〈アトリエに暮らすモデルや雪の朝/小川軽舟〉このモデルはたぶん裸に毛皮を着ている。〈ドア開けて待つタクシーや蝶の昼/小川軽舟〉蝶がそのまま客になりそう。〈街宣に美青年あり実朝忌/小川軽舟〉暴力ではなく言葉の暴力で。〈蜜豆や出てみたかりし文学部/小川軽舟〉そんなには甘くない。〈一階に載せて二階や氷水/小川軽舟〉甘さを重ねに重ねる。〈珈琲はデカフェ夜長の窓あけて/小川軽舟〉カフェインは夜に似合わない。〈漂着のごと老人の日向ぼこ/小川軽舟〉日向ぼこか変死体かわからないまま。〈春の人眠り手首にレジ袋/小川軽舟〉買い物帰りに疲れて寝てしまったか。だんだんレジ袋は垂れていく。〈旗立ててチキンライスの孤島に夏/小川軽舟〉夏休み感、ある。

虹に声奪られし我ら虹仰ぐ 小川軽舟

小澤實『澤』角川書店

〈秋風やカレーにソースかけて父/小澤實〉カレーにソース、たぶん味見もせずにソースをかける父。〈雪嶺まで信号五つすべて青/小澤實〉幸先が良い。田舎なので交差する道路は車が少ないのだと分かる。青っぽい雪。〈一支線二輛往復さくら咲く/小澤實〉のどかな田舎風景。〈をんなの子同士の相撲すぐ引き分け/小澤實〉そういうものなのかも。争わない。〈さはやかに知多と渥美とむかひあふ/小澤實〉地理俳句。〈即死以外は死者に数へず御柱/小澤實〉祭の高揚感のなかで死ぬという愉悦。〈海に入る直前冬日拡がれる/小澤實〉日の入りを最後まで見届ける目。〈鍋深くスープ澄みをり冬籠/小澤實〉長らく火を点けていなかったのだろう。〈雪つけず墓一群や雪の中/小澤實〉いまどきの墓は雪の結晶を弾く。〈残雪の一文字なり畝の間/小澤實〉葱畑だろう。〈階段の鉄ひびきける西日かな/小澤實〉非常階段だろう。誰か来る。〈サーファーの頭頭頭頭頭頭頭波を待つ/小澤實〉灰色の海で。

薫風や頬杖ついてかんがへず 小澤實

安田中彦『定本 人類』

読んだのは2023年10月発行の、定本の方。〈新聞を踏んづけてゆく孕み猫/安田中彦〉世情を越えてゆく孕み猫であり命を産むものの強さ。〈雛段の底の臣民略さるる/安田中彦〉下の方の人ほど多くの段を買えないので臣民を多く略している皮肉。〈/安田中彦〉〈顕れて聖痕となる黒揚羽/安田中彦〉存在そのものが聖遺物という尊さ。〈蜥蜴まで都市計画の届かざる/安田中彦〉おもしろい。都市計画の線引きが蜥蜴のからだへ届かないという無法図さ。〈白昼といふ暗さありソーダ水/安田中彦〉ソーダ水の明るさに、より暗くなる部屋とか。〈八月やうつ伏せの子を仰向けに/安田中彦〉不気味な句。寝ている子が原爆による死体か否かを確認するかのように。〈人体に鍵挿しこめば黒ぶだう/安田中彦〉ぶづぶづと鍵が人体へ沈んでいくような。ちょっと癌感ある。〈ろぼっとに訛ありけり冬籠/安田中彦〉雪山の老博士を思う。ろぼっとの訛はろぼっとの世界における標準語だった。〈新人はみな黒スーツやがて死ぬ/安田中彦〉いきなり過ぎて笑う。喪服の色を思うのだろう。そりゃそうだけど、と言いたくなる。

これは吾の前頭葉かブロッコリ 安田中彦

 

山口昭男『礫』ふらんす堂

アゼルバイジャンアルメニアの紛争が落着したかと思ったら今度はイスラエルとガザ。第三次世界大戦も危惧されるなか『礫』を読む。〈冬鵙のゐさうな山の容かな/山口昭男〉たぶん中国地方や四国地方の山ではなく中央高地の尖っている山だ。〈手袋のその人らしくなつてをり/山口昭男〉手のかたちに馴染んでいた。〈鳥の巣に鳥の来てゐる時間かな/山口昭男〉鳥の巣と呼ばれていてもいつも鳥がいるわけではないことを思い出させる。〈豆咲いて黒一色の貨物船/山口昭男〉豆の花の軽さ、色が黒一色の貨物船によって際立つ。この色彩感は〈測量の小黒板や稲の花/山口昭男〉にも。〈科学誌の表紙にぎやか草いきれ/山口昭男〉想像をトばしてきている。〈炬燵より短き返事する男/山口昭男〉まともに向き合う気はない。〈雨粒に沈丁の香のうつりつつ/山口昭男〉こういう詩的普通さもいい。〈蝶の口蝶の脚へと近づきぬ/山口昭男〉些細なものへの視線、〈蟻の口開けば三角四角かな/山口昭男〉にもそれはある。〈塵取の内と外との桜しべ/山口昭男〉何が内と外とを分けたのか。〈音はみな雪解雫の中にあり/山口昭男〉音を聴いているつもりになっていたけれど、音は雫のなかに閉じこめられている。私も雫のなかにいたのかもしれない。〈如月の平たき銀の電池かな/山口昭男〉こういうなんでもない句もいい。如月のなんでもなさ。〈石鹸に牛の刻印春の風/山口昭男〉青箱の方だろう。〈余花に風ハンバーガーを包む紙/山口昭男〉かさこそ感がある。〈新緑や御所を出てゆく郵便車/山口昭男〉著配だろう。ひっそりと出る。〈女待つ黒き日傘の女かな/山口昭男〉二人の女にまつわる物語がありそう。〈雷のにほひ出したる近江かな/山口昭男〉雷の落ちそうなにおいなのだろう。〈首の汗背中の汗に追ひつきぬ/山口昭男〉おもしろい。首の汗は塩分を多く含み重いのかもしれない。〈水鳥へ頁の角を折つてゐる/山口昭男〉なぜ?と問うのは野暮だ。嘴であり、鳥の渡りへのねぎらいである。〈浮寝鳥見るどのポケットも深い/山口昭男〉水面下における浮寝鳥の水掻きの頑張りの意味深さ。〈囀や練乳缶に穴二つ/山口昭男〉練乳缶というとヘミングウェイ老人と海』で老人が珈琲を飲んでいたコンデンスミルク缶を、荒涼とした鳥交むを思う。〈筍にそのまま書いてある値段/山口昭男〉発見の句だ。〈風邪の子に仏壇明かるすぎないか/山口昭男〉風邪で視覚が弱っている子には仏壇はにぎやかすぎるかもしれない。〈風鈴の揺れとは合はぬ音であり/山口昭男〉微細な音の違いに気づく聴力がある。予想とずれる。〈メンソレの蓋の少女や聖夜来る/山口昭男〉厳かな気持ちになる。〈焙煎の大きな音や濃山吹/山口昭男〉山奥の焙煎所だろう、古民家を改修してカフェにしているのだろう。〈初夏の鯉は体をもてあまし/山口昭男〉動けるようになったけれどどう動いたらいいかを忘れた鯉について。〈口論にサイダー持って加はりぬ/山口昭男〉なかば茶化すように対話する。〈片手にて水着絞つてゐたりけり/山口昭男〉めんどうなので片手の拳でぎゅっと絞るぶっきらぼうさ。〈煌々と台風圏のシャンデリア/山口昭男〉円状の、大きな風の氾濫と小さな光の氾濫の対照を愛でる。

 

千葉皓史『家族』ふらんす堂

淡々と日々。〈とんとんと事の運べる息白し/千葉皓史〉上手くいっているのはいいことだけれど、気忙しくなる。〈ま近くに駅あるらしき櫻かな/千葉皓史〉人の気配がある、街の動く気配がある。春は人が外に出て、動く。〈薔薇園のみじかき道を行きにけり/千葉皓史〉庭園の道は短い。〈丸められたるセーターを預かりぬ/千葉皓史〉雑な人なのだろう。〈熊皮は折り猪皮は巻きにけり/千葉皓史〉獣皮の保存方法。〈すべらせて配る白紙や夜の秋/千葉皓史〉夜学のプリント配布であろう。〈船が押す岸の動かぬ冬隣/千葉皓史〉そりゃあ動かないけれど、動くと思って動かないのが冬隣の気分。〈秋風をのせてふくらむ水面かな/千葉皓史〉波の一表現として。〈夕暮れは道ひろきとき桐の花/千葉皓史〉影が長くなり道をひろく感じるのだろう。〈甲板に仰ぎ見るべし夏の山/千葉皓史〉望郷の視線である。〈蜻蛉の行き交ふ街に商へる/千葉皓史〉露店だろう。青空の下で売り文句を述べる。これは〈店番の独り働きいわし雲/千葉皓史〉とも通じる。〈声ちぢむ水鉄砲をしてゐるよ/千葉皓史〉うわああと逃げている。撃たれた水が冷たくて身を縮め、声も縮む。〈引きかえす他なき空の澄みにけり/千葉皓史〉負けを認めることの清々しさ。〈金星の生まれたてなるキャベツ畑/千葉皓史〉金星の大きさとキャベツの小ささの対照が愉快。〈警官の隠れどころの青芒/千葉皓史〉いまどき芒原で張り込みである。交通違反の監視か。

今井杏太郎「海の岬」『今井杏太郎全句集』角川書店

ときどき読みたくなる今井杏太郎。〈うすらひといふつかの間の水の色/今井杏太郎〉薄氷は、水というはるかな時間にとって一瞬にすぎない。〈眠るなら紅梅の散る海がいい/今井杏太郎〉水葬されるなら。〈南より北へながるる春の川/今井杏太郎〉日本海へ注ぐのかなぁ。〈春風に吹かれて貨物船の来る/今井杏太郎〉帆船ではないけれど、ゆったりゆっくりと来る。〈眠らうとおもへば春の星の降る/今井杏太郎〉これでは夢なしに眠れないじゃないか。〈新緑のいろのこぼれを愉しみぬ/今井杏太郎〉「いろ」とひらいたのが良い。〈夜が明けてくる短夜の鳥のこゑ/今井杏太郎〉鳥が夜明けを繰り上げてゆく。〈風のある町を歩いて祭かな/今井杏太郎〉鯨ヶ丘の祭、丘の上の祭とかを思う。〈桑の実の色づきしよりうすぐもり/今井杏太郎〉桑の実はすこしくすんでいるね。〈湯の町に湯の川泰山木咲けり/今井杏太郎〉泰山木の花の荒々しい白が温泉街っぽい。〈いちにちがゆるやかに過ぎ草茂る/今井杏太郎〉いまではいろいろな意味に捉えられるけれど、ゆるやかに時間が過ぎてもそれは草にとっても同じ時間なのだろう。〈涼しさやむかしは水に影ありぬ/今井杏太郎〉あったのか?〈いつ見てもゑのころぐさの揺るるなり/今井杏太郎〉いつ見ても。〈きのふより葡萄のいろの濃くありぬ/今井杏太郎〉本当にきのふから?〈颱風の南から来るさびしさよ/今井杏太郎〉南のあそこのあたりはさびしい空だ。〈下総は背高泡立草のなか/今井杏太郎〉総の字は背高泡立草っぽい。〈こほろぎに透明といふ冥さあり/今井杏太郎〉透明にして冥いという不思議。〈霧をゆく人あり水になりながら/今井杏太郎〉人は消えてゆくのだろうか。〈仄暗き夜を虫売の帰るなり/今井杏太郎〉虫売にも帰る家がある。〈秋の夜は海の岬の空にあり/今井杏太郎〉岬は境い目にある。〈魴鮄に眼のあることの寂しさよ/今井杏太郎〉ある、でも寂しい。〈梟のこゑは信濃の山の風/今井杏太郎〉たぶんね。〈寒さとはかなしみに似る歩かねば/今井杏太郎〉一歩ずつでも進む。〈山よりもしづかに冬の滝の水/今井杏太郎〉滝は動いていないのかな、山にある唯一の音が滝と思うときもあったけれど。〈東京をあるいてメリークリスマス/今井杏太郎〉いいなぁ。道行くひとへちょっとメリークリスマス、なんて。〈いくつもの星が師走の空にあり/今井杏太郎〉ゆく年のさようならの数だけ。

西村麒麟『鶉』港の人

ひょろひょろと帰路。〈なつかざる秋の金魚となりにけり/西村麒麟〉懐く金魚とは? 夏飾るとも読める。〈いくつかは眠れぬ人の秋灯/西村麒麟〉首都高から見た高層マンションの灯。〈虫の闇伸びたり少し縮んだり/西村麒麟〉音の波として。〈上野には象を残して神の旅/西村麒麟〉象に跨がらない神もいる。〈細長き日本の楽器初しぐれ/西村麒麟〉音も細そう。〈闇汁に闇が育ってしまひけり/西村麒麟〉闇「ぴるる」〈ポケットに全財産や春の旅/西村麒麟〉気軽な旅、気楽ではないかもしれないが。〈燕来る縦に大きな信濃かな/西村麒麟〉多摩の横山の横に対して。〈掛軸の山河が遠し夕蛙/西村麒麟〉心の距離だ。〈夏蝶を入れて列車の走り出す/西村麒麟〉終点まで。〈訪れし人の数だけラムネ瓶/西村麒麟自動販売機のない峠道。〈香水や不死身のごときバーのママ/西村麒麟〉ずっといる。

どの島ものんびり浮かぶ二日かな 西村麒麟

渡部有紀子『山羊の乳』北辰社

小世界という愉しみ。〈夏休みドールハウスに世界地図/渡部有紀子〉ドールハウスに小さな世界地図がある。それを見て人形たちの旅を思う夏休みのささいな楽しみ。似た趣きは〈夜店の灯にはかに玩具走りだす/渡部有紀子〉や〈箱庭の夕日へすこし吹く砂金/渡部有紀子〉にも。小世界を愛でる。〈朝市の魚に歯のあり復活祭/渡部有紀子〉宗教臭くない生活のなかの魚だからこそ季語が活きる。同じ復活祭の〈均等に麺麭切る機械復活祭/渡部有紀子〉はたぶん13枚に切る。〈ジャム瓶の蓋は金色夏立ちぬ/渡部有紀子〉日常のちいさな発見。〈線細き信玄花押山眠る/渡部有紀子〉信玄と山は付きすぎかもしれないが、「線細き」が意外で佳句。〈移されて金魚吐きたる泡一つ/渡部有紀子〉世界の変化にたじろがぬ金魚が印象的。〈枇杷の花階段続く島の径/渡部有紀子〉枇杷の花で、傾斜地に建てられた漁村の密集具合を想像できる。家々のあいだを縫うように曲がり細い階段だろう。〈渡り鳥折紙にある山と谷/渡部有紀子〉折紙の山折りと谷折り、渡り鳥という季語を斡旋しただけで折紙という小世界を飛び回る鳥を思う。〈フラスコの底の結晶鳥雲に/渡部有紀子〉何の結晶かはわからないけれどフラスコの底にあるのは何か気体が飛び去って残った結晶で、それが季語と共鳴する。雲と塩と。〈ガチャポンの怪獣補充炎天下/渡部有紀子〉世界の隙間への着眼点がおもしろい。〈八月の折紙の裏みな真白/渡部有紀子〉確かに。今のカラフルな平和の裏にある真っ白な世界とは何だったのか、みんな忘れてしまっただけではないのか。

朝焼や桶の底打つ山羊の乳 渡部有紀子

 

虫武一俊『羽虫群』書肆侃侃房

〈しまうまのこれは黒側の肉だってまたおれだけが見分けられない/虫武一俊〉しまうまの黒側の肉と白側の肉が違う肉だと見分けるのは色ではない、味だ。〈自販機の赤を赤だと意識するたまにお金を持ち歩くとき/虫武一俊〉コカ・コーラの赤だろう。赤は目には入っているが購買意欲を刺激する赤ではなかった。お金があれば刺激されるものもある。〈唯一の男らしさが浴室の排水口を詰まらせている/虫武一俊〉毛ではなく液だろう。〈敵国の王子のようにほほ笑んで歓迎会を無事やり過ごす/虫武一俊〉居場所のないけれど自分が主役の歓迎会をうまく言った歌。ひとつの記念碑となる。〈労働は人生じゃない雨の日を離れてどうしているかたつむり/虫武一俊〉「労働は人生じゃない」は金言集に収められる。〈水を飲むことが憩いになっていて仕事は旅のひとつと思う/虫武一俊〉と読み比べたい。

あかぎれにアロンアルファを塗っている 国道だけが明るい町だ 虫武一俊

 

 

伊藤一彦『瞑鳥記』現代短歌社

〈採血車すぎてしまえば炎天下いよよ黄なる向日葵ばかり/伊藤一彦〉赤と黄と青の色彩、採血車という危機めいた暗示。〈おびただしき穴男らに掘られいて恥深きかなまひるわが街/伊藤一彦〉工事現場だろうけど違う肉穴も想像してしまう。〈漂泊のこころもつときあかるくて余白のごとき一本の河/伊藤一彦〉目的のない旅、見知らぬ街の見知らぬ河川敷を歩きたくなる。雑念を流すように。〈古電球あまた捨てきぬ裏の崖ゆきどころなき霊も来ていし/伊藤一彦〉光を集める器具として電球に霊も集まる。〈鳥失せしあとのゆうぞら鳥の霊のこりているや烟るがにあり/伊藤一彦〉インディアンの長旅のような感じ。速く移動する鳥、その霊はその場に残る。〈夜の海を全速力に泳ぐときわれのこころを占むるアメリカ/伊藤一彦〉なぜアメリカか。遠い場所への憧れとして。〈体刑を子にくわえたる日の月夜ただよえるごとし草木もわれも/伊藤一彦〉子を叩くときの、まとわりつく罪悪感。

畢竟はかなしみとなる怒りかも雨降りしぶく冬桜道 伊藤一彦

 

光森裕樹『鈴を産むひばり』港の人

水銀は輝く。〈疑問符をはづせば答へになるやうな想ひを吹き込むしやぼんの玉に/光森裕樹〉答えを求めて問いを発する人は、すでに答えを持っている。〈どの虹にも第一発見した者がゐることそれが僕でないこと/光森裕樹〉二番手でも三番手でも僕にとってはそれは僕の虹のなのだけれど、一抹のさびしさがあること。恋の隠喩かもしれない。〈アラビアの林檎を知らない王様が描くりんごを黄砂に想ふ/光森裕樹〉想像の象みたいな果実。仮名の使い分けは適切だろうかと思う。〈ポケットに銀貨があれば海を買ふつもりで歩く祭りのゆふべ/光森裕樹〉銀貨という字面はなんでも買えそうな魔力をもつ。白銅貨もまた。〈金糸雀の喉の仏をはめてから鉱石ラヂオはいたく熱持つ/光森裕樹〉喉仏を鉱石ラヂオの黄鉄鉱や方鉛鉱のかわりに使うのだ。声が出るという共通点ゆえに。〈われを成すみづのかつてを求めつつ午睡のなかに繰る雲図鑑/光森裕樹〉雲図鑑が夢想めいていい。川や池ではなく雲へ焦点をあてるのは、心がすでに上の空だったからだろう。〈明日からの家族旅行を絵日記に書きをりすでに楽しかつたと/光森裕樹〉絵日記あるある。過去を書くのではなく、書きたい未来を書く。〈花積めばおもさにつと沈む小舟のゆくへは知らず思春期/光森裕樹〉思春期は水面より上しか見ていない。自らの責で沈めてしまうものには目もくれない。〈ポケットに電球を入れ街にゆく寸分違はぬものを買ふため/光森裕樹〉みちゆく人は誰もその人がポケットに電球を入れているなんて知らない。〈狂はない時計を狂はす要因のひとつとしての脈拍があり/光森裕樹〉時計へ差し挟まれる人間の時間。〈隣人の目覚まし時計が鳴り止まず君の何かが思ひ出せない/光森裕樹〉私の部屋が君への記憶、それへの回路を隣の部屋からの音で妨げられる。内向的な、という形容詞が合う。〈喫茶より夏を見やれば木の札は「準備中」とふ面をむけをり/光森裕樹〉営業中の札のうらがわが準備中なら店内から見れば外の世界は準備中かもしれない。いつか準備の終えた世界を思う。事実を発見した歌。〈[スタート]を[電源を切る]ために押す終はらない日を誰も持ちえず/光森裕樹〉発見の歌、パソコンとかも、そう。〈反戦デモ追ひ越したのち加速する市バスにてまたはめるイヤフォン/光森裕樹〉反戦デモの主訴を聴いていたのか、街の生活と同居する政治の表現が鮮やかであり青春のにおいがする。〈屋上の鍵のありかをともに知るみしらぬ人と街を見下ろす/光森裕樹〉と〈請はれたるままに男に火をわたす煙草につける火と疑わず/光森裕樹〉はある事象への別の、とある視点がある。〈オリオンを繋げてみせる指先のくるしきまでに親友なりき/光森裕樹〉「くるしきまで」の屈曲が親友であることの難しさ。

 

『林和清集』邑書林

第一歌集『ゆるがるれ』部分。〈父子というあやしき我等ふたり居て焼酎酌むそのつめたき酔ひ/林和清〉父子という関係の不思議さが三つの酉に現れている。〈熱帯の蛇展の硝子つぎつぎと指紋殖えゆく春から夏へ/林和清〉ふえる指紋に生き物の気配を感じる。〈灯さねどしんの闇にはならぬ部屋みなぞこにゐてめつむるごとし/林和清〉はるか遠くに希望にも似て光る水面がある。〈瓦斯の火の冷たいやうな青さ見ていつまでも目がはなせずをりぬ/林和清〉火の冷たいやうな青さという言い回しにくらっと来る。離すと跳びついてきそうな。〈死後の地につづく野の沖冬ざれて獣の皮のごとき夕暮/林和清〉獣の皮のような夕暮とはどんな色なのか、気になる。〈木賊など刈るひまもなし愛人がなにみごもりてすごき月映/林和清〉ちょっと心がここにない。〈いや果てに冬来たるらしわれかつて詩語のひとつと聞きたる「鉄冷え」/林和清〉製鉄の街の凩を思う。そう鉄の町は前近代は風の強い町だった。〈八百万神ある国や秋冷の地下駅にしろたへの雪隠/林和清〉男子用立小便器でいいだろう。聖俗の共鳴であるし、黄泉の国のスサノオでもある。

山岸由佳『丈夫な紙』素粒社

蟋蟀だな。〈うすばかげらふ空に時計の針余り/山岸由佳〉残り時間をもたない虫と余った時計の針の対比がすごい。〈雪原の真下をとほる水の音/山岸由佳〉それは見えないけれど聴こえる。〈ストローを上る果肉や成人の日/山岸由佳〉狭き門より入ように成人した。〈蟋蟀に呑み込まれたる小学校/山岸由佳〉蟋蟀の音とまでは言わない。〈長き夜のスプーンに歌声を灯す/山岸由佳〉実際にスプーンに映ったのは歌い手の衣装の色かもしれない。〈白き蛾は夜景をはがれゆき北へ/山岸由佳〉夜景から夜景ではなく、夜景とは隔絶したものとしての北へ。〈恋猫の赤鉛筆を転がせり/山岸由佳〉赤へ恋が集約される。〈古着屋に鍵かけられて冬の鳥/山岸由佳〉古いヨーロッパの店みたいな構えの古着屋を想う。〈つばくらめ川を下つてゆけば歌/山岸由佳〉流れに身を任せたとき、水と風との摩擦が歌になる。〈暑き日の草叢メロディオンへ息/山岸由佳〉近所に鈴木楽器製作所がある。こども時代の思い出のような草「息」れ。〈本入れて鞄の深くなる夜寒/山岸由佳〉腹と背のくっついていたひんやりとした鞄が本で広がる。旅の準備だろう。〈凩に振るポロライド写真の海/山岸由佳〉印画紙に灰色の海が定着していくのだろう。〈手から手へ硬貨ながるる蛍の夜/山岸由佳〉小さな嘘としての硬貨と小さな星としての蛍の対比がおもしろい。

 

丈夫な紙

丈夫な紙

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