以太以外

辷り台に脚を忘れた虫の闇/以太 ※リンク・引用自由

天沢退二郎『アマタイ句帳』思潮社

〈台風近し猫ら変身して空を飛ぶ/天沢退二郎〉強風に乗って逃げる。〈冬の本行間に註こだまして/天沢退二郎〉行間を読むどころの騒ぎではない。〈蓮池に誤植幻想振り捨てて/天沢退二郎〉蓮池は蒸し暑い。汗を拭うように誤植への執着を振り捨てる。〈美少女のほほづきギュギュと鳴せしか/天沢退二郎〉鳴き声みたいに。〈鞄つかむ夏着少女の指つよし/天沢退二郎〉肩まで出している夏着、指先だけで鞄を持つのだ。〈大寒や月も柿食ふ音がする/天沢退二郎〉触と蝕。どんな音をたてて月は食うのだろう。〈ミニトマト裏返せば宇宙に充満せり/天沢退二郎〉どうやって裏返す? 何があふれでる?〈エアコンの音やむ? 何だ冬の音か/天沢退二郎〉音が似ている、空気をふるわせる音として。〈棺桶に柑橘の香をたきこめて/天沢退二郎〉木偏の句。〈種子のない柿はそもそも柿ではない/天沢退二郎〉柿の本質論。〈青汁に舟の漕ぎ出す11月/天沢退二郎〉青汁の海へ漕ぎ出す。健康を目指して。

 

大森静佳『ヘクタール』文藝春秋

野を焼く火として『ヘクタール』を読む。〈からだのなかを暗いと思ったことがない 風に痙攣する白木蓮/大森静佳〉からだのなかは赤く光っているのかも、あるいは白木蓮のように白く輝く肉なのかも。生きている限り暗いなんてことはない。手術映像のイメージでもある。〈切り株があればかならず触れておく心のなかの運河のために/大森静佳〉運河、だからその心はあまり動かない静かな心なのだろう。切り株もまた運河と同じようにあまり動かない。〈風という民族のため立ちつくす今日のわたしは耳そよがせて/大森静佳〉たぶん風という民族は風語を話すのだ。〈糾弾はたやすい、けれどそのあとは極彩色のしずけさなのだ/大森静佳〉誰もが持てるだけのことばを使い果たしてしまって。これは〈やがて静かな色彩の栞紐だろう あなたもわたしもやがて静かな/大森静佳〉とともに。〈さびしさの単位はいまもヘクタール葱あおあおと風に吹かれて/大森静佳〉人とはおしゃべりできない植物たちの単位、ヘクタール。〈梅が咲いて桜が咲いてきみといる時間の毛深さを照らしだす/大森静佳〉毛深さという親しみ感、樹たちのモサモサへの信頼感。〈おとなしく顔におさまる眼球をますますおさめて湖見ている/大森静佳〉湖のような波をたたえる眼球を、眼窩におさめる。〈男でも女でもなく幻の子どもを滝と名づけて遠い/大森静佳〉滝は山から平地へ落ちるところにできる。まもなく産まれる生命の奔流としてそう呼ぶ。〈白鳥はおおきなランプ ほんとうに処女かどうかはわたしが決める/大森静佳〉大陸では白鳥のような白いシーツについた血のしみを朝の街で公開することもあるという。ときには鶏の血を使うことも。そうじゃなくて、わたしが決めるという意志。〈おもいつめ深く張り裂けたる柘榴あなたの怯えがずしりとわかる/大森静佳〉「ずしり」は樹になる柘榴の総量だろう。でも実そのものではなく傷の重さである。〈釘のようにわたしはきみに突き刺さる錆びたらもっと気持ちいいのに/大森静佳〉錆びたらもう抜けないけれど、そのまま肉と融合するけど。〈ヴァージニア・ウルフ 鱗の手触りをずっとおぼえているから冬だ/大森静佳〉鱗の手触りは決してなめらかではない。〈体内にひとつだけ吊すシャンデリア砕いてもいいし砕けてもいい/大森静佳〉自分で手を下すこともあり、中動態的に壊れることもあるシャンデリア。体は自分の意志でどうにかできないから。破局へは近い。〈一文字もまだ書いていない小説がわたしを生かすアスファルトの硬さで/大森静佳〉脳内小説、一文字も書いていないし、たぶん書かないけれど結構強烈に心を揺さぶられる脳内スペクタクル。〈ファンファーレあかるく狂うこの国でみどりの黒髪とはどんな色/大森静佳〉外来の競技と日本のナショナリズムとがどう融合/分離していくのだろうか。〈ふりおろす あなたのためと言いながら自分のためにこの声の鎌/大森静佳〉この声の嫌ではなかった。「自分をたいせつにしなさい」という言葉とかがあてはまる。〈のぼったひとをひきずりおろす手が見えてあの傲慢はわたしにもある/大森静佳〉嫉妬、応分の場を求める日本民族特有の性質、#metoo、ガラスの天井の仮設。〈ひらくたび頁が濡れているような『コレラの時代の愛』という本/大森静佳〉濃い花のにおいに胸が詰まってむせび泣く感じが件のストーカー小説にはある、「五十一年九カ月と四日間、彼女のことを片時も忘れることはなかった」。〈全裸こそむしろ甲冑 銭湯の洗い場にみなひかりを放つ/大森静佳〉は〈赤いからだを皮膚で覆って生きている銭湯にいるだれもだれもが/大森静佳〉と呼応している。甲冑=皮膚、他人へ情感を投げかけ、身を守る鎧、ということだろう。

 

小川楓子『ことり』港の人

接していないか接しているかのすれすれとして『ことり』を読む。〈段ボール引いてあそんで犬ふぐり/小川楓子〉子供の遊びだろう、犬ふぐりで段ボールが引かれた地面や濡れた段ボールの端へ視線を集める。〈夏来る箸でわけあふメンチカツ/小川楓子〉夏が孵化する卵のようなあつあつメンチカツだ。〈泣きがほのあたまの重さ天の川/小川楓子〉恒星めいた頭の大きい子供を思う。泣いた涙は星屑、なんて。〈月面を見たいセーター脱ぐときも/小川楓子〉セーターを脱ぐときは何も見えなくなる、そんなときでも見たいのはセーターの外ではなく、月面。今日はいい冬の月。〈胸のなかより雉を灯して来りけり/小川楓子〉その人の胸のなかで雉の目が灯る。〈雉子の眸のかうかうとして売られけり/加藤楸邨〉が根底にある。〈小鳥来る夜の番地のありにけり/小川楓子〉昼と夜とで番地は異なる、同じ場所でも違う情景となる。〈手袋が頬にさはれば古い木々/小川楓子〉手袋の頬触りと古い木々の木肌の手触りと。〈歯みがきはたいせつ春の鳥ばかり/小川楓子〉春の鳥のようにお利口な歯ばかりならよいけれど。〈秋思かがやくストローを噛みながら/小川楓子〉歯型でガタガタになったストローが秋思のかたちへよじれる。〈冬の水日記つけないわたしたち/小川楓子〉冬の水のように透明に、日々を何も残さない。あとは涸れるだけ。〈かほぎゆつと集めて吹きぬジャズは冬/小川楓子〉サッチモだ、トランペットだ。〈炒飯にすこし春菊なんとかなる/小川楓子〉苦味のような困難は先に食べて片付けてしまおう。〈毎日の冬はりんごの酢を二滴/小川楓子〉語順入換の俳句。外し方がいい。〈熱つぽく5について語るへんな毛布/小川楓子〉毛布にくるまり競馬予想をする人について。〈曇り日の噴水は手をかざされて/小川楓子〉光っているから火と間違えられた水について。〈ドアノブの磨かれてとほくに春の潮/小川楓子〉ドアノブの反射に春の潮が映るかもしれないと思わせる。洋室のなか、海の音を聴く。〈馬肥えるんだしレターパックの厚み/小川楓子〉ぱんぱんにまで入れられたレターパックプラスですね。〈配達のバーコードぴつ青葉して/小川楓子〉受入入力から5分以上立たないと配達完了してはいけない。〈バナナの斑きつと天牛が大きな夜が/小川楓子〉あのぶち模様はバナナにもカミキリムシにもある。夏の模様として。〈足首のけぶかい暖房車のふたり/小川楓子〉暖房車の走る季節に足首を見る意外さ。〈鯛焼や雨の端から晴れてゆく/小川楓子〉鯛焼の端から食べるように、晴れてゆく。何事もはじまるのは端からと気付かされる。

ことり

ことり

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山田航『寂しさでしか殺せない最強のうさぎ』書肆侃侃房

東へ夜の特別軍事作戦に出かけた日、『寂しさでしか殺せない最強のうさぎ』を読む。〈踊り場ですれ違うとき鳴る胸のビートがリズム無視してくるよ/山田航〉「リズム無視してくるよ」の野放図さが青春っぽい。〈なけなしの金で乗るバス行き先は廃タイヤ積まれる夏野原/山田航〉不法投棄されたタイヤの積まれた夏野原は何かを捨てられる場所なのだろう、だから有り金はたいてでも行く。〈四年も経てばピアスの穴もふさがってそれでも変われない街がある/山田航〉ピアスの穴ほどに或いはそれ以上に街の何かが変わっていたとしても変化として気づかない、この気づかなさは〈五億年眠るくじらの背に街がつくられ僕らその中で死ぬ/山田航〉の僕らも。〈久々に持った受話器は軽すぎて伝えたいこと忘れそうだよ/山田航〉受話器や電話器の重さは伝えたいことの重さと何かつながりがあるのかも。〈「4年ぶり20回目の出場」の「ぶり」で片付けられた世代へ/山田航〉語られなかった世代へのとりあえずのまなざし。〈すみません、聞き取れませんでしたけどSiriはあなたの声が好きです/山田航〉これはなにかのアニメの最終回で視聴者が号泣するやつだ。〈コンタクトケースにふたつ凪いでいる湖 夜はいつも明るい/山田航〉基本は闇夜だけど、わずかな水面における光の存在感が頼もしい。〈遠近法発明以後の世界しか知らない僕が見る積乱雲/山田航〉もう積乱雲を浮世絵として見られない。〈完成に近づくほどに嘘になる南洋の絵のジグソーパズル/山田航〉補っていた想像が楽しすぎた。〈自転車のベルをかなぶん柄に塗るこの街のひと少しかわいい/山田航〉引越し先の街だろう。メタリックカラースプレーを幾重にも塗る人の住む街だろう。〈春のゆき浴びる駅舎でもうしばらくカステラみたいな会話をしよう/山田航〉「カステラみたいな会話」がいい。歯ざわりのあるかないかのような会話が駅舎にあった。〈死に際の一瞬にだけ心臓は海と同期を果たすらしいね/山田航〉鼓動、心音と波の音と。その一瞬のためだけに生きてきた。〈光りかけてやめたすべての星たちへ届け切手を忘れた手紙/山田航〉切手を貼らない手紙は星たちへしか届かない。〈早朝の駅構内で盗電をしながらふたり行けるところまで/山田航〉充電の切れるところまで行こう。〈「人口が100万以下の街でしかライブしないと決めたんですよ」/山田航〉こんなバンドなら応援したい。ライブハウス窓枠にも来て。〈ゴミ袋抱えて非常階段をメイドがくだるススキノ0時/山田航〉メイドたちのためのメイドかもしれない。

アドバルーン逃亡中の青空を見上げてみんな立ち止まる夏 山田航

 

染野太朗『あの日の海』書肆侃侃房

自分の車を自分の家へみしみしとめりこませる人を見た日、『あの日の海』を読む。〈向き不向きを言い合う教育実習生の控室にも白い電話が/染野太朗〉この会話を誰かが聴いているかも、ということだろうか。白さが際立つ。〈生徒らの脳に蛍があふれいて進学試験の教室ぬくし/染野太朗〉生徒らの脳が発光し発熱しているのが、教師には分かるのだ。〈鉛筆を持たぬ左の手がどれもパンのようなり追試始まる/染野太朗〉左手がパンという発見はおもしろい。みな握りしめているのか。〈貝殻にあらざる消しゴム拾いつつ不意に聴きたくなる波の音/染野太朗〉これから床に落ちた消しゴムを見ると貝殻を思い、波の音を聴くかもしれない。〈加藤智大の使いしケータイのなによりもまず機種を知りたし/染野太朗〉ケータイの機種で人柄はだいたい分かるから。〈含み笑いをしながら視線逸らしたる生徒をぼくの若さは叱る/染野太朗〉「若さ」と書ける自省。〈夜の底にひかりをひとつひとつずつ預けて出でつ職員室を/染野太朗〉「ひとつひとつ」のリフレインで静かでかつ高い靴音が聴こえてくる。〈炎暑ふかき阿佐ヶ谷駅の階段にまだ温かいまぶた拾えり/染野太朗〉「まだ温かい」が怖い。〈タリーズのホットコーヒーその面に飲みほすまでを映る電球/染野太朗〉電球の光を飲んでいたのかもしれない。〈先生が生徒を殴りていし頃のチョークケースのふた半開き/染野太朗〉チョークケースの半開きに何か暴力的な予兆(か記憶)を見たのかもしれない。〈阿佐ヶ谷のスターバックス コーヒーに人魚の内臓すこし溶かして/染野太朗〉あのコーヒーの苦味は人魚のはらわた味だったのか。

休職を告げれば島田修三は「見ろ、見て詠え」低く励ます 染野太朗

水野葵以『ショート・ショート・ヘアー』書肆侃侃房

始末書を書き終えた日、『ショート・ショート・ヘアー』を読む。〈堂々と慰めたあとゴミ箱の深部に埋める二重のティッシュ/水野葵以〉一重だと漏れてきてしまうから。〈七月は動く歩道のスピードで気づけば夏の真ん中にいる/水野葵以〉七月の速度に気づかせてくれた。〈体重計に二人で乗って内訳も家事当番もうやむやにして/水野葵以〉親しいから曖昧になるのか、曖昧にしているから親しいのか。〈お目当てのバンドを聞かれて略称で答えるときの鼻に温風/水野葵以〉ミスチルノーナ・リーヴスか。〈特選の余韻を舌で転がしていると 見たよ と背後から声/水野葵以〉新聞歌壇へ投稿していると特選歌を舌先で転がすことが増える、一首二首と増えていくとかなぜか安心する。しかしいつかそこから脱しなくてはならない。そんな背後からの声。〈真夜中のセーブポイントとしてあるセブンに一応全部立ち寄る/水野葵以〉都会のオアシス、コンビニをセーブポイントとみなすのは現代人の共同幻想かもしれない。〈自動詞と他動詞ゆれる食卓で花と一輪挿しの交接/水野葵以〉中動態的なことが身に起きるとき、手近な静物の細部が妙に気になる。〈姉の名を辞典で引けば 死後の世界。あの世。 と書かれていて愛おしい/水野葵以〉たぶん水野黄泉か水野他界。〈僕のこと自慢に思う人がいて夜道がすごくすごく明るい/水野葵以〉そんな小さな灯火が夜道を明るく照らすのだろう。

国よりも君が好きだよいつまでも君死にたまふことなかれ主義 水野葵以

 

toron*『イマジナシオン』書肆侃侃房

〈周波数くるったラジオ抱えれば合わせるまでの手のなかは海/toron*〉周波数が合ったかもまでの音がまるで海のなかのようだった。〈ドで始まるドで終わるように観覧車降りてもきみがまだ好きだった/toron*〉これは確実に一音階は変わってますね。〈種なしの葡萄を選ぶおだやかに滅びに向かう国の市場で/toron*〉そして少子化、生産人口と納税人口の減少、細りゆき滅びゆく国。〈幾星霜こいびとたちを匿ってスワンボートレースにひかる擦り傷/toron*〉「匿って」がボディガードめいていい。スワンボートの傷の数だけ守られてきた恋人たちがいる。〈おふたり様ですかとピースで告げられてピースで返す、世界が好きだ/toron*〉機械的な世界を、斜め上の視座から見て優しい世界へ作り変える。〈海にいた頃にはまるで知らなくて、涙の方があたたかいこと/toron*〉これは海棲動物から陸棲動物へ進化したあたりの話だな。〈海の日の一万年後は海の日と未来を信じ続けるiPhone/toron*〉国コードの変更が告げられるまでは信じ続けているだろう。〈表札を誰も掲げぬアパートのまだ何者にもなれるぼくたち/toron*〉配達員が苦労するアパートあるある。そのうえで表札がないことを何者でもないとする新たな視点が追加されました。〈二段階明度を上げたKndleであなたの帰る部屋を灯した/toron*〉キンドルはあまり明るくないので明るくない照明として使える。まだ寝たいけど迎えたいという意思表示。〈ねむらないひとを抱えてコンビニは散らばる街の痛点として/toron*〉コンビニの散らばりをとある縮尺のGoogleマップで見たのだろう。それが皮膚の痛点の広がりと似ていたのだろう。コンビニへの見方が痛点への見方へ変わる一首だ。〈くるぶしに桜の香水吹きつけるきみはマスクで来ると知りつつ/toron*〉嗅がれるためではなく装いとしての香水だ。〈はつ雪と同じ目線で落ちてゆくGoogleマップを拡大させれば/toron*〉途中までしか見られないのは、初雪は、空中で溶けて、消えて、しまうのだから。〈めくるめく夏の1ページめとしてサクレの上のレモンを剥がす/toron*〉あの苦さが夏。それとUber Eats短歌として一首。

ほんとうは見えない星座の線としてUber Eatsのバイクは駆ける toron*

吉川宏志『西行の肺』角川書店

誌上句会(テーマ「交」)で〈初夏の看護学生泡まみれ/以太〉への方子さんの評を読み、自分の心が穢れていたことを知った日『西行の肺』を読んだ。〈身ごもりし人の済ませし校正の厳しすぎる朱を元に戻しぬ/吉川宏志〉妊婦が胎児を守るために宿した他人への厳しさ、激しさを校正に感じたのだろう。〈電話メモの紙片いくつも貼られあり欠勤つづく男の机/吉川宏志〉パソコンがまだ一般企業にない時代の話だ。〈辞めさせよと言いたる我は何者か手から指へと洗いゆきたり/吉川宏志〉同僚の辞職を要求した私はどの立場でものをいえたのだろうかという反省が痛い。〈売れている本を真似すりゃいいんだと言いて去りにき日焼けの男/吉川宏志〉商売のためなら、あるいはそうかもしれない。日焼けがその言葉の空虚さを物語る。〈自動ドアひらけばしろく映りたる顔が左右にわかれゆきたり/吉川宏志〉都市での小さな発見だ。〈ぶつぶつと言いて自転車漕ぐ男過ぎゆけば背に子どもが居たり/吉川宏志〉よくある怪談が下の句で日常風景へ引き戻される。〈遠き日の友の名を検索すればタイ音楽の集いに出づる/吉川宏志〉懐かしさと新奇さの同居する旧友検索。〈鳩の血は果実がつぶれたときよりも少なし朝の舗道にこぼる/吉川宏志〉鳩の血と果汁の比較がその死を、客観的に見させる。〈月文字と太陽文字があるという妻の習えるアラビア語には/吉川宏志〉朧気だけど定冠詞をつけるとき重要になる。〈考えれば十センチ以上の生き物を殺していない我のてのひら/吉川宏志〉直接手を下していなくても間接的には殺しているかもしれない、そんな可能性への自覚はそのてのひらにあるのだろうか。〈黒毛牛と書かれておれど毛のあらぬ肉を買いたり冬の夕べに/吉川宏志〉買ったからまだ黒毛牛が殺される気がしてきた。〈公園の土に描かれし一塁に春の夕べの雨は降りおり/吉川宏志〉晴れたときに靴のかかとで引かれた線だろう。今はだれもいないのが物悲しい。〈『白鯨』の研究つづけいる友は書架にもたれて酒を飲みおり/吉川宏志〉何か一つを続けていることは素晴らしい。〈残してもいいよと言われし夕食のようなさびしさ 蓼の花咲く/吉川宏志〉それはさみしいな。おもわず全部食べようとして、でも少し残してしまうような。蓼の花みたいな、ささやかなさみしさ。

『鈴木六林男句集』芸林書房

鈴木六林男賞があるらしいので鈴木六林男の句を読む。〈蛇を知らぬ天才とゐて風の中/鈴木六林男〉その齢まで蛇を知らずにいれたのだから天才なのだ。〈眼玉濡らさず泳ぐなり/鈴木六林男〉泪で濡れている眼玉を「濡らさず」泳ぐ。それほど慎重に泳ぐ。〈断水の夜となりオートバイ騒ぐ/鈴木六林男〉断水して家にいられなくなった若者たちがオートバイで騒ぐ。ささやかな因果がよい。オートバイの句は〈やや傾き歳晩の地のオートバイ/鈴木六林男〉も。〈枕頭に波と紺足袋漁夫眠る/鈴木六林男〉枕頭に波があるというのがさびれた漁村めく。紺足袋はいのりだ。〈いつまで在る機械の中のかがやく椅子/鈴木六林男〉椅子は座、誰かの存在の名残りを感じる。〈都會の晝一個のボール転りゆき/鈴木六林男〉ボールだけの描写で人の気配を感じさせないのが鮮やか。〈わが死後の乗換駅の潦/鈴木六林男〉その潦はどんな空を映すのか。〈悪の如し純水・工業用水・飲料水/鈴木六林男〉水の用途、何が悪なのだろう。悪水路を思う。〈寒鯉や乳房の胸に手を入れて/鈴木六林男〉寒鯉は冬の乳房の感触だろう。〈たてかけて自転車光る夜寒の木/鈴木六林男〉木へ自転車を立てかけた、倒して傾きが変わったので光った。夜寒の一瞬だ。〈聲がして自動車墓場の春の月/鈴木六林男〉「自動車墓場」がいい、そこからの声は近くに住む少年の声だろうが自動車の霊魂からの声かもとも思う。〈「存在」を講じて疲れ青芒/鈴木六林男〉大学の講座で存在論を講じたのだろう。その後、茫漠たる青芒だ。〈大いなる異議ありて行く恵方道/鈴木六林男〉その方角へ、その方角を支える制度への異議申し立て。〈鳥総松レーニン全集立ちつづけ/鈴木六林男〉レーニンは成功した革命家の象徴。鳥総松が門松を取り払ったあとに挿すものだということがこの句を立たせている。〈遠くまで青信号の開戰日/鈴木六林男〉どこまでも澄み切った青空のような青信号の道、誰も止められなかった。〈インド人の大きなあくびヒロシマ忌/鈴木六林男〉アメリカ人では政治的でダメだった、インド人だからおもしろい。〈サングラスなかに國家をひそめたる/鈴木六林男〉国家の、「ビッグブラザー」の視線が隠されたサングラスだ。

かかる日の金融に虹かかりけり 鈴木六林男

 

抜井諒一『金色』角川書店

『金色』を読んだら元気になった。〈カーラジオ消して遠花火を探す/抜井諒一〉音で花火を探し、車で近づく。〈花火とは別の夜空へ帰りたる/抜井諒一〉花火の夜空より少し寂しいけれどあたたかい自宅の夜空へ帰る。〈目の前を運動会の砂の音/抜井諒一〉リレーが目の前を過ぎた、砂を蹴る音がした。〈マスクしてゐて口元を隠す癖/抜井諒一〉これは可笑しい。意味は特にないのに自然とやってしまう仕草。〈一灯に集まる闇や寒の雨/抜井諒一〉灯があるからこそその周囲の闇が際立つ、寒中だから、なおいっそう。〈おほかたは手の届かざる石鹸玉/抜井諒一〉しょぼん玉はできたらもう手が届かない、あるいは近寄る手が起こした風でさらに届かない遠くへ行ってしまうもの。〈風よりもかすかに重き落花かな/抜井諒一〉把握の美しさ。ゆえに風より下へ落ちる。〈二人乗り自転車過ぎて避暑地めく/抜井諒一〉日常を外れ無法地帯めいているのも避暑地の趣きか。

朽ちてゆくものの匂ひや秋の風 抜井諒一

 

越智友亮『ふつうの未来』左右社

好きになってはいけない人を好きになったかもと思った日、『ふつうの未来』を読む。〈雲雀野や空は球体なのだろう/越智友亮〉球から垂直に線を引いたとき、見下ろした空が球体だといつから気づき、いつから忘れるのか。〈八月の蛇口をひねる水がでる/越智友亮〉八月には過去そこまでも水が欲しい人たちがいた。広島で、長崎で。〈波音に波ずれてゆく小春かな/越智友亮〉微細を発見する視力と聴力。〈アイマスク代わりに本や風涼し/越智友亮〉風涼しは肌で感じているのだと中七までが示している。〈城跡に市役所近し孔雀草/越智友亮〉たいていの市で共感の渦が巻かれる。〈水槽は部屋を灯して夏の風邪/越智友亮〉部屋の中心ではない外れでどうしようもない闇を水槽の電灯が照らすのは、風邪のどうにもならない熱っぽい体のようで。〈天高し鞄に辞書のかたくある/越智友亮〉それは信念のようなものの固さ。〈信号は夜を眠れず虫しぐれ/越智友亮〉虫時雨が信号のように機械的に聴こえる夜であることよ。最後に〈アラビアに雪降らぬゆえただ一語ثلجと呼ばれる雪も氷も/千種創一〉を即座に連想した句を。

恋も愛もloveで表すソーダ水 越智友亮

 

片山一行『凍蝶の石』ふらんす堂

『凍蝶の石』を戴く。〈本棚の広き抜きあと春兆す/片山一行〉本の抜きあとは影である、しかしそこに戻るべき本の色彩を想像させる。春の予感がする。〈音楽の吊るされてゐる立夏かな/片山一行〉楽譜を糸に吊るしてインクを乾かす映像を見たことがある。白い紙に初夏の光が反射する。〈ほととぎす森にも海のあるらしき/片山一行〉この惚けた感じが好き。〈岬より岬の見えて良夜かな/片山一行〉この地理造型はいいな、闇のなかの海や崖や岬と岬のあいだの漁港などを思い描いてしまう。〈啓蟄に石鹸の皹浅くなる/片山一行〉啓蟄のぶよぶよした幼虫感と石鹸のぶよぶよが共鳴する。〈小手鞠やテロリストほど無垢な人/片山一行〉この人間群像を見透したような視線!〈蛍火のほかことごとく闇夜かな/片山一行〉句柄の大きさがあり、名句の佇まいがある。「ことごとく」は森羅万象を導く。〈穭田やたとへば遅き変声期/片山一行〉あの未熟そうな青が、変声期の声のようにも見えてくる。現実の景色を変容させる力のある句。〈砂山の砂粒ごとの春日影/片山一行〉全体を見る視点が突如として個々を見分ける視点へ変わる。この小と大の対照の妙は〈首の骨こきと大枯野に響く/片山一行〉にも。

折り鶴はすべて俯き敗戦忌 片山一行

 

島楓果『すべてのものは優しさをもつ』ナナロク社

夏祭の日、『すべてのものは優しさをもつ』を読む。〈トースター開けたら昨日のトーストが入ったままでゆっくり閉じる/島楓果〉他人事とは思えない。〈郵便の入れられる音が二回して郵便受けを見に行くと空/島楓果〉これを解説すると、一回投函したけれど次の家に着いたときに順立したときにあったはずの郵便がないので「しまった、誤配だ」と前の家に戻って受箱に手を突っ込んだら指先で誤配した郵便を取れたから取り戻したんですね。一件落着というわけです。〈夕方のニュースで親子が食べているお子様ランチの旗はブラジル/島楓果〉浜松市だと土地柄だからかお子様ランチにはブラジル国旗がよく刺さっている。〈湯加減が良くて見上げた天井に貼り付いている金の長髪/島楓果〉上昇気流で天井まで舞い上がった?〈自分から出た聞いたことない音に目を見開いて再び閉じる/島楓果〉と〈舌打ちをしていないのに舌打ちに似た音が出て苛立ってくる/島楓果〉舌打ちに似た音は舌打ち音ではないのだから聞いたことない音の可能性はある。〈返事をされなかった瞬間から話しかけた言葉はひとりごとになる/島楓果〉「それって独り言?」「そう、独り言」

コードレス掃除機ほしいけどたまにコードが暴れているのは見たい 島楓果

 

上坂あゆ美『老人ホームで死ぬほどモテたい』書肆侃侃房

ファンシーな商品で過半を埋め尽くされた文房具店でA4原稿用紙を買った日、『老人ホームで死ぬほどモテたい』を読む。〈ロシア産鮭とアメリカ産イクラでも丼さえあれば親子になれる/上坂あゆ美〉アメリカはアラスカでロシアはシベリアと言っては無粋に過ぎる。目の付け所がおもしろい。〈欲しい物聞かれて米と答えたらそれはいつしか年貢と呼ばれた/上坂あゆ美〉五公五民なみに何度も米を貰ったのだろう。〈アマゾンで激安だったツナ缶のマグロは海を覚えてるかな/上坂あゆ美〉己の脂に塗れながら脳の破片はふるさとの海を思う。思念はきっと肉片に宿るから。〈法人化したほうが税金お得だし、みたいな感じで結婚する人/上坂あゆ美〉建前の事業目的と建前の「子を産み育てる」目的で血縁のない人たちがつくる共同体への直観の鋭さ。

お父さんお元気ですかフィリピンの女の乳首は何色ですか 上坂あゆ美

 

岡本真帆『水上バス浅草行き』ナナロク社

〈教室じゃ地味で静かな山本の水切り石がまだ止まらない/岡本真帆〉がぎりぎりまで見つからなかった日、『水上バス浅草行き』を読む。〈にぎやかな四人が乗車して限りなく透明になる運転手/岡本真帆〉四人に対して相対的に透明へ近づいていく運転手。その過程で機械として次のバス停を案内したりする。〈もうキミが来なくたってクリニカは減ってくひとりぶんの速度で/岡本真帆〉クリニカは当時の歯磨き粉の商品名だろう。量が速度に置換される。〈お風呂から10分くらいまだ歩くけど4人はパジャマになった/岡本真帆〉入浴後の清潔と不清潔の狭間で迷いがあったのかもしれない。これからの10分で自分がどう変わりゆくのかという疑念。〈珈琲にたった一滴泥水が入ればそれは珈琲じゃなく/岡本真帆〉泥水が混ざるとコーヒータイムの時間として楽しんで飲めなくなるから珈琲ではなくなる。〈売春と言ってあなたが差し出した小さな白い花を買う春/岡本真帆〉ささやかで小さな隠語として。〈銀行の審査が下りない繋がれた犬を逃した春があるから/岡本真帆〉それは信用問題になってしまった。〈南極に宇宙に渋谷駅前にわたしはきみをひとりにしない/岡本真帆〉ライカもタロもジロもハチも気づかないだろう、自分たちが同じ「犬」と呼ばれる生命であることに。〈偽物の山手線の駅名を二人で挙げる4時のカラ館/岡本真帆〉「駒塚」とか「東反田」とか。

言い切れる強さがほしい「レターパックで現金送れ」はすべて詐欺です 岡本真帆