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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

山口昭男『礫』ふらんす堂

アゼルバイジャンアルメニアの紛争が落着したかと思ったら今度はイスラエルとガザ。第三次世界大戦も危惧されるなか『礫』を読む。〈冬鵙のゐさうな山の容かな/山口昭男〉たぶん中国地方や四国地方の山ではなく中央高地の尖っている山だ。〈手袋のその人らしくなつてをり/山口昭男〉手のかたちに馴染んでいた。〈鳥の巣に鳥の来てゐる時間かな/山口昭男〉鳥の巣と呼ばれていてもいつも鳥がいるわけではないことを思い出させる。〈豆咲いて黒一色の貨物船/山口昭男〉豆の花の軽さ、色が黒一色の貨物船によって際立つ。この色彩感は〈測量の小黒板や稲の花/山口昭男〉にも。〈科学誌の表紙にぎやか草いきれ/山口昭男〉想像をトばしてきている。〈炬燵より短き返事する男/山口昭男〉まともに向き合う気はない。〈雨粒に沈丁の香のうつりつつ/山口昭男〉こういう詩的普通さもいい。〈蝶の口蝶の脚へと近づきぬ/山口昭男〉些細なものへの視線、〈蟻の口開けば三角四角かな/山口昭男〉にもそれはある。〈塵取の内と外との桜しべ/山口昭男〉何が内と外とを分けたのか。〈音はみな雪解雫の中にあり/山口昭男〉音を聴いているつもりになっていたけれど、音は雫のなかに閉じこめられている。私も雫のなかにいたのかもしれない。〈如月の平たき銀の電池かな/山口昭男〉こういうなんでもない句もいい。如月のなんでもなさ。〈石鹸に牛の刻印春の風/山口昭男〉青箱の方だろう。〈余花に風ハンバーガーを包む紙/山口昭男〉かさこそ感がある。〈新緑や御所を出てゆく郵便車/山口昭男〉著配だろう。ひっそりと出る。〈女待つ黒き日傘の女かな/山口昭男〉二人の女にまつわる物語がありそう。〈雷のにほひ出したる近江かな/山口昭男〉雷の落ちそうなにおいなのだろう。〈首の汗背中の汗に追ひつきぬ/山口昭男〉おもしろい。首の汗は塩分を多く含み重いのかもしれない。〈水鳥へ頁の角を折つてゐる/山口昭男〉なぜ?と問うのは野暮だ。嘴であり、鳥の渡りへのねぎらいである。〈浮寝鳥見るどのポケットも深い/山口昭男〉水面下における浮寝鳥の水掻きの頑張りの意味深さ。〈囀や練乳缶に穴二つ/山口昭男〉練乳缶というとヘミングウェイ老人と海』で老人が珈琲を飲んでいたコンデンスミルク缶を、荒涼とした鳥交むを思う。〈筍にそのまま書いてある値段/山口昭男〉発見の句だ。〈風邪の子に仏壇明かるすぎないか/山口昭男〉風邪で視覚が弱っている子には仏壇はにぎやかすぎるかもしれない。〈風鈴の揺れとは合はぬ音であり/山口昭男〉微細な音の違いに気づく聴力がある。予想とずれる。〈メンソレの蓋の少女や聖夜来る/山口昭男〉厳かな気持ちになる。〈焙煎の大きな音や濃山吹/山口昭男〉山奥の焙煎所だろう、古民家を改修してカフェにしているのだろう。〈初夏の鯉は体をもてあまし/山口昭男〉動けるようになったけれどどう動いたらいいかを忘れた鯉について。〈口論にサイダー持って加はりぬ/山口昭男〉なかば茶化すように対話する。〈片手にて水着絞つてゐたりけり/山口昭男〉めんどうなので片手の拳でぎゅっと絞るぶっきらぼうさ。〈煌々と台風圏のシャンデリア/山口昭男〉円状の、大きな風の氾濫と小さな光の氾濫の対照を愛でる。