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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

岡田一実『小鳥』マルコボコム

ロキソニンSテープを買った日、岡田一実『小鳥』マルコボコムを読む。〈駆け上がれば水仙肺に痛きかな/岡田一実〉河岸段丘を駆け上がった呼吸困難、水仙のかたちから来る痛みの連想。〈うつくしく檸檬をぬらす島が待つ/岡田一実〉船でその島へ向かう。木になる檸檬が見え、雨で濡れているようで、高まる期待感。〈花器に底こほろぎにこゑありにけり/岡田一実〉花器に底がないと花を生けるという機能がなくなる。同じように、こおろぎに声がないとこおろぎとして機能がないように思われるという奇妙な感応。〈極月のマーブルチョコが散らばった/岡田一実〉十二月のカラフルな街だけど、本当のところは真の闇、闇の上に貼り付く薄い色。

負けるつもりで向日葵きいろ 岡田一実

斉田仁『異熟』西田書店

局内異動はあるかもと思った日、斉田仁『異熟』西田書店を読む。〈黄金週間終わるブラシで鰐洗い/斉田仁〉「黄金」と「鰐」で南洋王の風格。〈夏浅し老人ホームのおもちゃ箱/斉田仁〉呆け防止の器具だろう、しかし「老人」と「おもちゃ」字面は意外性に満ちている。〈万緑や寺格を誇る大薬缶/斉田仁〉どでんと檀家をもてなす鈍色、無機質なのに「万緑」が生命感を、それも滑稽な生命感を与えている。〈自ずから巻尺戻る薄暑かな/斉田仁〉なかなか測れない焦り。〈稲刈つてあらわとなりし毛野国/斉田仁〉群馬県栃木県の稲田の広さ。〈総入歯にて月光を浴びており/斉田仁〉総入歯という神に近い存在へ注ぐ月光、〈中也忌の透明傘の中の空/斉田仁〉「透明傘」がつくる小さな、寂しげな、それでいて豊かな世界は中原中也の詩に通じる。〈神無月とは年金の来ない月/斉田仁〉リアリズム。〈厚着して本懐すこし揺らぎたる/斉田仁〉厚着して楽になり失った心意気。〈上毛三山ひとつひとつに淑気かな/斉田仁〉群馬県人の誇り上毛三山。〈恵方から方向音痴の妻が来る/斉田仁〉恵方と方向音痴という方角上での真逆さの出会い。

わが死後もずっとラムネが冷えてます 斉田仁

「夜さり」『八田木枯全句集』ふらんす堂

放送大学の「漢文の読み方」単位認定試験を受けた日、「夜さり」『八田木枯全句集』ふらんす堂を読む。〈鶴は引く人差指のあひだより/八田木枯〉水や砂の漏れるように指の間を引く。〈うすらひや空がもみあふ空のなか/八田木枯〉最初の空は薄氷のなかに、二番目の空は水のなかに。〈麥秋は鳥のはらわたまで達す/八田木枯〉単なる消化を光線のように叙述することで異界が生まれる。〈父老いて銀漢の尾を捌きをり/八田木枯〉老いて擬神に。〈月光ははばたき水に火傷せり/八田木枯〉月光だからこそありうると思わせる「水に火傷せり」で曲輪を飛びだした。〈肝臓も漆紅葉もよく濡れて/八田木枯〉赤色が並ぶ、「肝臓」に「濡れて」のイメージ喚起力が強い。〈日の暮をととのへてゐる障子かな/八田木枯〉いろいろあった一日を整然と並べる。

雁病んで畳の縁を通りけり 八田木枯

「天袋」『八田木枯全句集』ふらんす堂

妻子が病にたおれたので足裏に湿布を貼り「天袋」を読む。〈卵黄のまんなかにゐる夏景色/八田木枯〉「ゐる」ということは作中主体の視線が卵黄のなか。〈ゆふぐれは紙の音する櫻まじ/八田木枯〉「紙の音」という視点、紙は夕の色を含みあたたかに。〈鳥は鳥にまぎれて永き日なりけり/八田木枯〉鳥が群にまぎれる緩慢さ、という春だ。〈小満の鳥はあうらを見せて飛ぶ/八田木枯〉小満は動植物が大きくなるけれど大きくなりきらないという二十四節気、蹠(あうら)にはその鳥の稚さがまだ残っているのかもしれないし、ひょっとすると霊気(アウラ)でもいいのかもしれない。

水澄みて空には隅のなかりけり 八田木枯

戸田響子『煮汁』書肆侃侃房

林檎を買った日、戸田響子『煮汁』書肆侃侃房を読む。〈乾杯でちょっと遠い人まぁいいかと思った瞬間目が合ったりする/戸田響子〉そしてすぐ目を逸したりする。〈エサが欲しいわけではなくて鯉たちの口の動きが送る警告/戸田響子〉鯉世界の破滅、あるいは人類の危機、〈さっきから配達員がやってくるバイクの音だけし続けている/戸田響子〉タウンが出てて軒数が多い、コツもトメもある。〈かみさまの言葉を忘れゆく子供擬音をつかわず「かみなり」と言う/戸田響子〉喃語を「かみさまの言葉」って言うの素敵。〈宅急便の複写紙に強く強く書く強くなければ届かぬ気がして/戸田響子〉「強く」が一番二番と三番とでは少し異なっている。

地下鉄の乗客たちは暗黙のうちに互いに視線を外す 戸田響子

岡野大嗣『サイレンと犀』書肆侃侃房

こども園からのお熱コールで町一つと町半分の配達を見捨てて帰った日、岡野大嗣『サイレンと犀』書肆侃侃房を読む。〈校区から信号ひとつはなれればいつも飴色だった夕焼け/岡野大嗣〉児童にとっての異界はいつも夕焼けだった。〈友達の遺品のメガネに付いていた指紋を癖で拭いてしまった/岡野大嗣〉「あっ」最期の指紋が消えた、〈キャスターは眉をひそめて「通常の通り魔像と異なりますね」/岡野大嗣〉通り魔に普遍性のある社会、〈鈴なりのカカオの下で八月の光をたべている少女たち/岡野大嗣〉カカオの実はマジックリアリスムのはじまり、〈夕焼けにイオンモールが染まっててちょっと方舟みたいに見えた/岡野大嗣〉現代の神殿としてのイオンモールは〈村民が幸福になるイオンへの忠誠心の高い順から/岡野大嗣〉にも。幸福は単純さ、なのかもしれない。

This video has been deleted. そのようにメダカの絶えた水槽を見る 岡野大嗣

「あらくれし日月の鈔」『八田木枯全句集』ふらんす堂

労組新春のつどいの日、「あらくれし日月の鈔」を読む。〈再会やピアノの端に雪降れり/八田木枯〉「ピアノの端」に「雪」という景へのこだわり。〈濤の間に歌留多の夜のたゆたひて/八田木枯〉波の躍動と児戯心の躍動と〈平仮名に波がかぶさる歌留多かな/八田木枯〉と比較して「たゆたふ」と「平仮名」は同じ働きをしている。〈埋葬の虹ひりひりとまつげにまで/八田木枯〉虹と睫毛のかたちの類似と視覚についての詩的言及。〈男のみ首すぢ濡らす藤の雨/八田木枯〉髪型の違いであるけれど「男のみ」とした清潔さが藤。〈病雁のまぶしすぎるよ手風琴/八田木枯〉雁と楽器と北辺の太陽という童話がある。

流涕や夕陽まみれのオートバイ 八田木枯

『寺山修司青春歌集』角川文庫

寺山修司というと私は川崎市の海岸地区を思い出す。暑すぎた夏の日々を、血の匂いのする夜の色彩を。それは戦後昭和の青春における体臭に似ているのかもしれない。〈啄木祭のビラ貼りに来し女子大生の古きベレーに黒髪あまる/寺山修司〉「古きベレー」に貧しさとひたむきさを、余る黒髪に情熱を。〈赤き肉吊せし冬のガラス戸に葬列の一人としてわれうつる/寺山修司〉肉屋と葬列、やがて「われ」にも順番に訪れる死への思い。〈ここをのがれてどこへゆかんか夜の鉄路血管のごとく熱き一刻/寺山修司〉私の南武支線として。〈トラホーム洗ひし水を捨てにゆく真赤な椿咲くところまで/寺山修司〉トラホームこと慢性角結膜炎の疼きとしての赤椿。

吸ひさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず 寺山修司

奥坂まや『妣の国』ふらんす堂

長靴にゴムを塗った日、奥坂まや『妣の国』ふらんす堂を読む。〈曼珠沙華茎に速度のありにけり/奥坂まや〉茎の直線性を「速度」とした妙手、〈まつすぐに此の世に垂れてからすうり/奥坂まや〉烏瓜の異界性を異界や他界などの単語を使わずに表現する。〈みんな顔のつぺり月の交差点/奥坂まや〉「月の」という省略が世界を広げるために効いている。〈いつせいにマスクをはづす一家かな/奥坂まや〉食事が一斉に来たのか、などと想像させる。〈内臓の重さ八重桜の重さ/奥坂まや〉内臓的なものと八重桜的なものとの共鳴が根底にある。

海は今しづかに月光の器 奥坂まや

岡野大嗣『たやすなさい』書肆侃侃房

出張が重なると転勤すると聞いた日、岡野大嗣『たやすなさい』書肆侃侃房を読む。〈パーカーの絵文字をさがすパーカーがとどいてうれしい気持ちのために/岡野大嗣〉パーカーは詩人の戦闘服、〈ここからの坂はなだらで夕映えてムヒで涼しい首すじだった/岡野大嗣〉皮膚感覚に定着された夕刻、〈人間はしっぽがないから焼きたてのパン屋でトングをかちかち鳴らす/岡野大嗣〉所在なげな動作の人間版と猫版と。

降っている桜のなかへ手を伸ばしドライブスルーの会計終える 岡野大嗣

「汗馬楽鈔」『八田木枯全句集』ふらんす堂

「癖に負けた」を桑名で聞いた日、『八田木枯全句集』の「汗馬楽鈔」を読む。〈七輪に祭過ぎたる影ありぬ/八田木枯〉祭後、影もまだ華やいでいるけれど七輪という地味な器物に落とされた影は哀愁を誘う。誰の影というより空気の影。〈凍蝶に天あり天をとばざるも/八田木枯〉この天は空ではない。〈虎落笛そびゆるごとき零時過ぐ/八田木枯〉時刻をそびゆるとした。巨大な時計塔のイメージ。〈天にまだ蜥蜴を照らす光あるらし/八田木枯〉の光は〈洗ひ髪身におぼえなき光ばかり/八田木枯〉の光でもあるし〈枯野の光髪にはつもることもなし/八田木枯〉の光でもある。〈熱さめて虹のうぶ毛のよく見える/八田木枯〉虹のうぶ毛は夢見から醒めたことの証、現実の把手かもしれない。

胎児のみにきこえて霜の降りにけり 八田木枯

谷川電話『恋人不死身説』書肆侃侃房

連休明けの物流に圧倒された日、谷川電話『恋人不死身説』書肆侃侃房を読む。〈「さみしい」と書いてあるのを期待して毎日開くきみのウェブ日記/谷川電話〉義務として。〈自動車できみがむかえにきてくれる このまま轢いてほしいと思う/谷川電話〉恋愛はあやふやに合意されているストーカー行為みたいなもの。〈二種類の唾液が溶けたエビアンのペットボトルが朝日を通す/谷川電話〉白いミトコンドリアみたいなのが泳いでいる。〈何回かトイレのドアをひらいたら一回ぐらいいてくれませんか/谷川電話〉トイレの神様。〈恋人が(ああ「元」だった)使ってた香水の味を思い出せない/谷川電話〉さりげなく「味」とか言っている。〈モザイクの向こう側にはあるだろう図鑑に載っていない性器が/谷川電話〉何の図鑑だろう。

前髪が視界の邪魔をするけれど深夜のランドリーにはちょうどいい 谷川電話

瀬戸正洋『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』邑書林

プラスチックゴミの日、瀬戸正洋『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』邑書林を読む。〈蒲公英や爆発しない手榴弾/瀬戸正洋〉凄いことを言っていそうで単に散種なのかもしれない、〈蒲公英や原子力発電所は壊れる/瀬戸正洋〉とともに。〈月光は血液縄跳をする男/瀬戸正洋〉「月光は血液」? 青白い縄跳男の不気味な素性。〈アイドリングストップ蚯蚓鳴きにけり/瀬戸正洋〉実際に音はなかったのだ。〈日短モータープールから人間/瀬戸正洋〉人間用出入り口が分からなかった人間だ。〈コンデンスミルク北窓開きけり/瀬戸正洋〉意外さ、しかないけれど、コンデンスミルクの甘さは春の予感めく。

鬼百合の「鬼」とは人のことである 瀬戸正洋

瀬戸正洋『Z湾』邑書林

咳にはムコダイン、瀬戸正洋『Z湾』邑書林を読む。〈掌の切符ぐにやぐにや夏帽子/瀬戸正洋〉夏帽子をかぶる男の心の内、焦燥をぐにやぐにやの切符が想像させる。〈出社拒否して玉葱の微塵切り/瀬戸正洋〉音に勢いがある、〈ハイソックスルーズソックス卒業す/瀬戸正洋〉類似語の羅列にも群衆性があると視界が開ける。〈グレープフルーツ二つに切りて解雇かな/瀬戸正洋〉グレープフルーツのエグみが人生の痛みに効く。〈黄沙降るリストラされてより詩人/瀬戸正洋〉唐代詩人の風格がある。

冷房や掌が知る頭蓋骨 瀬戸正洋

岡田幸生『無伴奏』ずっと三時

娘の前髪を切った日、岡田幸生無伴奏』ずっと三時を読む。それぞれ〈無伴奏にして満開の桜だ/岡田幸生〉〈さっきからずっと三時だ/岡田幸生〉から。「〜だ」という断定は自由律俳句特有の表現である。〈きょうは顔も休みだ/岡田幸生〉顔は休むとどんな顔になるのか、〈光をあつめて黒いタイツだ/岡田幸生デニール数が低い、〈スピカがあかるいあしたは休み/岡田幸生〉因果は語順の逆となっている。〈ネクタイのとける音すずしい/岡田幸生〉シュルシュルを温度に変換する、〈青空の仮病をつかった/岡田幸生〉「青空の仮病」という造語の爽快さ、〈雪ひらがなでふってきた/岡田幸生〉カタカナや漢字ではなく、〈ひしめく星の音とどかない/岡田幸生〉ひしめいているのに、音が小さいわけではなく、〈風邪をひいた喉がある/岡田幸生〉腫れたことで存在が強調された喉のこと。

いい風がきてうわの空 岡田幸生