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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

『寺山修司青春歌集』角川文庫

寺山修司というと私は川崎市の海岸地区を思い出す。暑すぎた夏の日々を、血の匂いのする夜の色彩を。それは戦後昭和の青春における体臭に似ているのかもしれない。〈啄木祭のビラ貼りに来し女子大生の古きベレーに黒髪あまる/寺山修司〉「古きベレー」に貧しさとひたむきさを、余る黒髪に情熱を。〈赤き肉吊せし冬のガラス戸に葬列の一人としてわれうつる/寺山修司〉肉屋と葬列、やがて「われ」にも順番に訪れる死への思い。〈ここをのがれてどこへゆかんか夜の鉄路血管のごとく熱き一刻/寺山修司〉私の南武支線として。〈トラホーム洗ひし水を捨てにゆく真赤な椿咲くところまで/寺山修司〉トラホームこと慢性角結膜炎の疼きとしての赤椿。

吸ひさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず 寺山修司