雑歌部分を読む。〈咲かぬ間の花待ちすさぶ梅が枝にかねて木伝ふ鶯の声/平時邦〉本番に備えて練習する鶯という「かねて木伝ふ」の面白さ。〈嬉しさも匂ひも袖に余りけり我がため折れる梅の初花/信生法師〉「袖に余りけり」という嬉しさの感情。現代なら「スーツを漏れる」だろうか?〈遅れ行くそのひとつらは数見えて先立つ雁の跡ぞ霞める/平熙時〉遅れ行く雁と先立つ雁の遠近の対比、空の広大さ。〈花盛り塵に馳すなる小車のわが身一つぞやる方もなき/前大納言為家〉花の上苑へ向かう小車の群れの華やかさ、その対比として取り残された我身か。〈夜をかけて遠方めぐる夕立にこなたの空は月ぞ涼しき/藤原泰宗〉遠方の夕立騒ぎと近くに浮かぶ静かな月との対比。〈枯れ渡る尾花が末の秋風に日影も弱き野辺の夕暮/読人知らず〉「日影も弱き」は光がまったく無いわけではない、微妙な光に濡れた野辺である。〈時雨れつる雲はほどなく峰越えて山のこなたに残る木枯らし/法印信雅〉時の経過に変わりゆく山岳風景が鮮やか。〈堰き止むる宇治の河瀬の網代木に余りて越ゆる水の白波/前大納言為氏〉を〈もののふの八十宇治川の網代木にいざよふ波の行方知らずも/柿本人麿〉と比較すると為氏は波のその後ではなく波の今に注目している点が特徴である。〈夕附日和田の岬を漕ぐ舟の片帆に引くや武庫の浦風/入道前太政大臣〉片帆という細かい描写が瀬戸内の光景を活き活きと再現させる。〈夕塩のさすにまかせて湊江の蘆間に浮かぶ海人の捨舟/藤原頼景〉荒涼の写生として。