以太以外

国は夜ずっと流れているプール 以太

萩原慎一郎『滑走路』角川書店

左足小指の爪が剥がれた日、萩原慎一郎『滑走路』角川書店を読む。表現が直截である。その屈折の無さに驚く。だからこそ歌作場面の歌もあるのだろう。〈青空の下でミネラルウォーターの箱をひたすら積み上げている/萩原慎一郎〉徒労に従事という清々しさ、〈街風に吹かれて「僕の居場所などあるのかい?」って疑いたくなる/萩原慎一郎〉散歩でときどき迷い込む憂鬱、〈停留所に止まってバスを降りるときここは月面なのかもしれず/萩原慎一郎〉こころを遊ばせてみた歌、〈あのときのこと思い出し紙コップ潰してしまいたくなりぬ ふと/萩原慎一郎〉突然降ってきた過去の映像に対し「ふと」という抑制、〈屋上で珈琲を飲む かろうじておれにも職がある現在は/萩原慎一郎〉絶対はない、絶対。〈牛丼屋頑張っているきみがいてきみの頑張り時給以上だ/萩原慎一郎〉私にとっては吉野家上北沢店、〈ぼくが斬りたいのは悪だ でも悪がどこにあるのかわからないのだ/萩原慎一郎〉悪が実在しないという優しさ、たぶん自分のなかに悪は。同じ一九八四年に生まれ、中学受験では武蔵に比べ格下になるけれど駒東に入り、早稲田大学に進み、卒業後は職を転々とした身としては萩原慎一郎は他人とは思えない。他人だけど。

生きているというより生き抜いている こころに雨の記憶を抱いて 萩原慎一

舘山寺