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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

髙柳克弘『涼しき無』ふらんす堂

〈麗らかに育てよ父に尿掛けて/髙柳克弘〉私事だが、はじめてのお襁褓替えのときに尿を掛けられた。〈本書くに読む本の数柚子の花/髙柳克弘〉一冊の本を書くために百冊、千冊読む必要がある。一つの柚子の実のために何十の花を咲かせ、そして何十の花を間引くのだろう。〈戦争も退屈も嫌白日傘/髙柳克弘〉戦争に退屈を対置させる、わかっている感。白日傘の白々しさがいい味だ。〈街の時間原野の時間鳥渡る/髙柳克弘〉ふたつの時間を併置したとき、時間の流れの違いを感じる。その時流の違いを利用して鳥が飛んでいく。〈通帳と桜貝あり抽斗に/髙柳克弘〉現在と過去の貨幣の並置とも見られる。〈塩も文明麻薬も文明新樹の夜/髙柳克弘〉もまた。〈牛乳に汚るるコップ遠き火事/髙柳克弘〉牛乳がコップを汚すまでの時間と火事までの距離の共鳴。〈釈尊の生に海なし鳥雲に/髙柳克弘〉ガウタマ・シッダールタが海のある国を生きていたら、仏教は変わっていたであろうか?〈落としたる鋏ひらきぬ晩夏光/髙柳克弘〉鋏が反射する光もまた晩夏光だろう。最後に現在だといろいろ思う句を。

熱風に薬莢の転がれる国 髙柳克弘

 

堀本裕樹『一粟』駿河台出版社

誌上句会で〈朝霞棺と思う部屋にいて/以太〉が採られていた日、『一粟』を読む。〈囀りを終へたる舌の余熱かな/堀本裕樹〉鳥の舌はまだ震えつつ熱を帯びている。〈落花生剥くとき小さき闇に触る/堀本裕樹〉旨味のある闇を隠している落花生の殻。〈ゆかりなき扉の数や秋の暮/堀本裕樹〉街に自分のために開かない扉のなんと多いことか。〈亡き人と月光を踏む遊びかな/堀本裕樹〉月光の使い方の巧みさ。亡き人とできるほぼ唯一の遊びとしての月光踏み。太陽ではできない。〈海の日のガススタンドの匂ひかな/堀本裕樹〉退屈なガソリンガールがいそう、ぬけるような青空とどこまでも広がる太平洋の海岸都市。ガソリンの突くようなにおい。〈峰雲やにんげんの罪量れざる/堀本裕樹〉もしあの入道雲が人間の罪なら、いつ我々は赦されるだろうか。〈行く夏のいるかに触るるための列/堀本裕樹〉いるかの肌に触れればいつまでも夏を思い出せるかもしれないと人々は列をなす。〈玉葱の香の指に繰る『自省録』/堀本裕樹〉生活の中にあるストア哲学

朝虹や尼僧の耳のピアス穴 堀本裕樹

 

 

江里昭彦『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』弘栄堂書店

俳句が共感を皮にかぶった違和感だとしたら短歌は違和感を皮にかぶった共感だろうか。〈富士はいつも富士削りとる風のなか/江里昭彦〉何千年も何万年もかけて平地へ戻される。〈ピアノから手首はみだし芒原/江里昭彦〉その手首はかつてピアノを弾く手であった。今はもう違うけれど。〈夕焼や空のどこかに挽肉機/江里昭彦〉血の色と終わりの予感。〈擾乱鎮圧後の都市の皮下出血/江里昭彦〉まだジクジク痛む都市。〈桜咲く死者の性欲遂げられて/江里昭彦〉花の噴きでるようにして遂げる。〈汗は黄金よ王の処刑で終わる劇/江里昭彦〉黄金は「きん」とルビ、汗は王の汗でよいけれど、可汗の汗とも読んでいい。〈産卵のはげしき雪の帝都かな/江里昭彦〉いろいろな思想の種が植え付けられている帝国という多様性。〈頭を砕き取りだすさくらの花一片/江里昭彦〉頭は「ず」とルビ、未生以前から頭には花一片が入っていた。〈囀りや魔羅を浄めるひとの口/江里昭彦〉鳴く機能を持つ口と浄める機能を持つ口と。〈バスタブに残る体毛ホテル去る/江里昭彦〉残心のようなもの。〈秋風や背に恋人のうすあぶら/江里昭彦〉背筋に指紋がついたのだ。夏の思い出として。

草競馬グラムシに肖たる男もいて 江里昭彦

 

 

第五回尾崎放哉賞受賞作品を読む

第五回尾崎放哉賞入賞作品が発表になった。私が十二月に提出した〈手話の降りつもり暖かな列車/以太〉は入賞した。受賞作品のうち気がかりな句について読む。大賞の〈蝉時雨浴びて秘密基地の入り口/大川 久美子〉は蝉時雨を浴びなければ現れない秘密基地への入り口がありそうだと思わせる。音の中の夏の光がまぶしい。そして、五六七と駆け上がる韻律を隠し持つ五三・六四のゆるやかな変則対句だ。春陽堂賞の〈選ばなかった道が交わる/伽瑤〉は「どちらを選んでもよかったのかい! 」とツッコミ待ちだろう。七三四と自由律ならではの独自の調子を持って「選ばなかった」のあとの余韻が心地いい。優秀賞の〈レモンどこまでころがる冬陽の片隅/重富佐代子〉は陽に照る檸檬の色が鮮やかすぎる景色だ。〈レシートを栞にして読み終えた/堀将大〉は五六五でやや定型気味なるも生活の中に読書が根を張っているだろう作者の生活への態度がわかる。入賞の〈星座になれぬ星も輝いて夜空できあがる/久光良一〉は「星座になれぬ星」への着目が同じ自由律俳人として誇らしい。〈徘徊と散歩の境目を歩く私/岡村裕司〉は新しい概念を詩で切り開こうという試みが愉快だ。〈曲線だけでできている笑っている女/重富蒼子〉は笑うことで体の直線が曲がったという読みは無粋、人は曲線だけで生まれたのだからそれを敢えて書くことに俳句描写の神髄がある。〈春が来たブランコかわってあげる/楽遊原〉「かわってあげる」と擬人化された春へ差し出されるブランコの座面がかわいい。〈白木蓮そのままに音のない家族/野田麻由可〉この家族は生きているのだろうか? 生きているなら自然に溶け込むようなたたずまいの家族なのだろう。白さがちらつく。〈あの涙知る髪が切られた/室伏満晴〉舞台の第二幕として、涙のほうへ髪ははらりと落ちていく。

嶋稟太郎『羽と風鈴』書肆侃侃房

〈止めていた音楽をまた初めから長い時間が経ってから聴く/嶋稟太郎〉初めから聴くけれど、もしかしたら止めたときの記録や栞のような痕跡が残っていたのだろうかと思わせる。〈やがて森の設計図となる旅客機が東の空にともされてゆく/嶋稟太郎〉飛行機の老朽化して引退したあとを思う。〈夕立の終わりは近く二輪車の音は二輪の線を引きつつ/嶋稟太郎〉二輪の水轍が少しずれて残るのだろう。暗い、優しい時間だ。〈月面に着陸したる人思う何も持たずに浴室を出て/嶋稟太郎〉別のところへ踏み込んだ違和感は宇宙飛行士も入浴者も同じかもしれない。〈おもむろに風吹く午後の地の上を擦りながら飛ぶ包装容器/嶋稟太郎〉好きだなぁ。〈問いかける形で記すいくつかの議題の文字は傾いたまま/嶋稟太郎〉「傾いたまま」の客観写生が効いている。〈車椅子を降りようとして美しい筋肉きみがマンボロを吸う/嶋稟太郎〉喫煙者の車椅子利用者という像がうつくしい。〈一晩はパジャマを借りるあたたかな異郷の風に髪が乾いて/嶋稟太郎〉着慣れないパジャマと吹き慣れない風の感じがわかる。〈ロッカーの鍵を手首にからませる地図で見つけた銭湯に来て/嶋稟太郎〉ロッカーの鍵は実感である。〈日だまりにレシートが散るポケットの底から鍵の束を抜いたら/嶋稟太郎〉レシートの白は光であろう。

かさぶたを剥がしたような西の果て飛行機雲はどこまで続く 嶋稟太郎

 

羽と風鈴

羽と風鈴

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荻原裕幸『リリカル・アンドロイド』書肆侃侃房

〈さくらからさくらをひいた華やかな空白があるさくらのあとに/荻原裕幸〉その空白は決して虚しくない。〈ここはしづかな夏の外側てのひらに小鳥をのせるやうな頬杖/荻原裕幸〉「夏の外側」という疎外感がなじむ。〈皿にときどき蓮華があたる炒飯をふたりで崩すこの音が冬/荻原裕幸〉黙々と炒飯を食べる時間、そんな言葉のない静寂さが冬。〈スマホの奥では秋草の咲く音がする結局そこもいま秋なのか/荻原裕幸スマホの奥から聴こえる音は脳のなかで鳴る音であろう。〈右折するときに大きく揺れながら春をこぼしてクロネコヤマト荻原裕幸〉春の落失事故である。〈壁のなかにときどき誰かの気配あれど逢ふこともなく六月終る/荻原裕幸〉誰かがいることは否定することなく終わる六月。梅雨の闇にひそむ生命あるいは生命なき物音の気配。〈ローソンとローソン専用駐車場とに挟まれた場所にひとりで/荻原裕幸〉あの名前のない場所に立つ、受動喫煙の烟に巻かれながら。〈緘でも〆でも封でもなくて春の字を記して封をした封書来る/荻原裕幸〉そんな封書来て欲しいし、そんな封書を出せる友が欲しい。〈誰も画面を見てゐないのにNHKが映りつづけてゐる大晦日荻原裕幸紅白歌合戦はもはや歌だけを届けている。〈この世から少し外れた場所として午前三時のベランダがある/荻原裕幸〉見慣れた場所は深夜にがらりと様相を変える。〈同じ本なのに二度目はテキストが花野のやうに淋しく晴れる/荻原裕幸〉一度目とは読める意味が変わってきたゆえ。〈四枚のキングのなかで髭のないひとりのやうに秋を見てゐる/荻原裕幸〉ハートのキングはカール一世だとか。彼はなぜ髭なしとされているのか分からないけど、そのくっきりとした目のような確かな視線で見る秋には冷ややかさがこもる。

春が軋んでどうしようもないゆふぐれを逃れて平和園の炒飯 荻原裕幸

 

 

柴田葵『母の愛、僕のラブ』書肆侃侃房

〈そとは雨 駅の泥めく床に立つ白い靴下ウルトラきれい/柴田葵〉ウルトラは広告宣伝の強調のための文句だったのかもしれない。異常なほどの低視線がある。〈紫陽花はふんわり国家その下にオロナミンC遺棄されていて/柴田葵〉オロナミンCに実存感が出る。〈地球だって宇宙なんだよこんにちはスターバックスにぎやかに夏/柴田葵〉宇宙がそこだけ延伸されてスターバックスになっているような店舗、ある。〈手をつないで 正しくは手袋と手袋をつないで ツナ缶を買って海へ/柴田葵〉手に対して手袋、鮪に対してツナ缶、模倣品でもいいから愛めいた景色が広がる。〈浅瀬には貝殻すらない冬の海このまま待てば夏になる海/柴田葵〉たいていの人は夏まで待てずに去ってしまう、でも。〈マーガリンも含めてバターと言うじゃんか、みたいに私を恋人と言う/柴田葵〉一度きりの関係でも恋人と言うじゃんか、みたいに。〈あしたには出社する旨メールしてその手で傷んだ檸檬を捨てる/柴田葵〉傷んだ檸檬がお守りだった。〈校庭の砂を散らして去ってゆく風になりたい月曜だった/柴田葵〉下の句が好き。月曜日もそうであれば愛されたであろう。〈盗まれやすい自転車みたいな人だから探すことには慣れているから/柴田葵〉そんな関係性、いいね。〈電車待つ他人の海でわたしだけわたしの他人ではないわたし/柴田葵〉わたしの関係者としてのわたしが人混みの中に立つ。離人症的な感覚への拮抗からうまれた歌。〈産まれたらなんと呼ぼうか春の日にきみはきっぱり別人になれ/柴田葵〉「きっぱり別人になれ」がなかなか言えないのだ。〈からまった髪をほぐして人を待つ金木犀にまぶされて待つ/柴田葵〉「まぶされて」が新しい。匂いに髪をまぶされる感じだろう。

 

母の愛、僕のラブ

母の愛、僕のラブ

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鷲谷七菜子「花寂び」『現代俳句体系第十五巻』角川書店

〈寒林の奥にありたる西の空/鷲谷七菜子〉西は仏教的な西方浄土だろう、そこへ辿り着くには寒林をぬけるしかない。明暗の対照がある。〈流し雛に水どこまでもうす明り/鷲谷七菜子〉鮮烈な「うす明り」の表現。〈孕み鹿のうなづき寄るも重まぶた/鷲谷七菜子〉「重まぶた」はうち重なるようなまつ毛を連想させる。〈曲がるたび音あらためて夕焼川/鷲谷七菜子〉川の屈曲部で音も色も変わるのだろう。〈雛買うて日向を帰る山の町/鷲谷七菜子〉ずっと日向、しかし山の町なので谷間の影がある。明暗の対照がここでも。〈生きものの闇の来てゐる障子かな/鷲谷七菜子〉影ではなく闇だ。存在感そのものとしての生きものが障子一枚を隔ててすぐそこにいる。

渡辺松男『雨る』書肆侃侃房

〈病棟に孤独の落ちてゐた朝はいちまいの楓のやうに拾ひぬ/渡辺松男〉孤独→楓の転換が鮮やか。〈生は死のへうめんであるあかゆさにけふ青年は遠泳したり/渡辺松男〉遠泳しているかのような息継ぎのような生として捉えた。〈こゑのうらこゑのおもてとひるがへりひるがへりつつもみぢは空へ/渡辺松男〉「空へ」の意外さ。表と裏の表現は〈まぶたのそとまぶたのうちにゆきはふりつまりわたしはもつゆきなのだ/渡辺松男〉も。〈ジョバンニの父のこと気になりながらねむるならくるしまずねむらめ/渡辺松男銀河鉄道の夜、冒頭のジョバンニの父のそれからは、私も気になる。〈一心にむすめのもてるシャーペンの芯のほそさの怖き立冬渡辺松男〉リットウの響きがシャープペンシルの芯の細さにも似て。

 

 

江戸雪『昼の夢の終わり』書肆侃侃房

〈白雲がとてもまぶしい春の日にあなたと椅子を組み立ててゆく/江戸雪〉組み立てるのはなんでもいいけれど、椅子なのがいい。居場所ができるから。〈ストライプの日傘をさして川へゆくときどき風が胸をぬけつつ/江戸雪〉大阪の運河と少し日の強すぎる町並みを思う、工業団地とか。〈降る雪にあしたの傘をかたむけて境界線のような道ゆく/江戸雪〉道は、人と人とをつなぐように見えて、実は人と人とを隔てる境界線なのかもしれない。〈電話してほしいとメイルにかいたあと瓶にのこったアーモンド食む/江戸雪〉青酸カリはアーモンドのにおいという。〈3ミリのボルトは箱にしゃらしゃらと風呼ぶように擦れあっている/江戸雪〉大阪の鉄工場の景だろう。運河の水音も聴こえそう。〈水無月は青い時間といつからかおもいておりぬ麻かばん抱く/江戸雪〉六月ならばその青の感覚はある、麻かばんの手触りにもそれはある。〈誤解されだめになりたる関係を舟のようにもおもう窓辺に/江戸雪〉無重力のように慣性のようにそのまま池面を離れてゆく舟として。最後に好きな歌を一首。

漆黒のぶどうひとつぶ口に入れ敗れつづける決心をする 江戸雪

渡辺松男『雨る』書肆侃侃房

〈癌のなかにゐずまひ正してきみはありゐずまひはかなし杏子のかをり/渡辺松男〉医師は杏林ともいう。最後の「杏子のかをり」の調べにクラっと来る。〈死後の永さをおもひはじめてゐるわれはまいにち桜はらはらとちる/渡辺松男〉数十億年の孤独に。〈黒煙を鴉と気づきたるときに鴉の多さに黒煙のきゆ/渡辺松男ブラックスワンのように黒煙がふっと消え鴉に変わる瞬間がある。〈ひかりほどせつなきものはなきものをみえざる雪を背おふ白鳥/渡辺松男〉見えないものを表現してくれる。〈とうめいなペットボトルはとうめいな水みたされてさへづりのなか/渡辺松男〉囀りのザワザワ感が粒子となり透明になってペットボトルにおさまる。きらきら光っている。〈はつなつのとほいみ空にゐる
ひとが降りてきてここ麦の穂の波/渡辺松男〉あの人にまた会える。〈すでに吾の非在なる世か目のまへのたんぽぽまでが無限に遠い/渡辺松男〉こういう感覚が尊い

渡辺松男『雨る』書肆侃侃房

週刊金曜日の金曜俳句に〈短調の隣より漏る室の花/以太〉が載っていた日、『雨る』のⅠを読む。〈ゆふかげはわが身を透かし地にあれば枯蟷螂にすぎぬたましひ/渡辺松男〉枯蟷螂に自分を仮託する、その自分、ことわが身は夕影に透けているという。危うい自己像。〈きいんとなにもなきまひるなり 歯の痛みいづるに遠き雪渓ひかる/渡辺松男〉「きいん」「雪渓」と歯の痛みは共鳴しあい、私は奥歯が痛い。〈すれちがひたり くらつとしたる香水に鼻腔のなかのビル群くづる/渡辺松男〉「鼻腔のなかのビル群」にクラっと来る。矜持が築き上げたビル群だろう。〈大き蠅うち殺したりそのせつな翅生えてわれのなにかが飛びぬ/渡辺松男〉魂ではなくとある感情に翅が生えたのだ。〈あぢさゐのやうにふつくらしたきみのひざがしらなどさむい図書館/渡辺松男〉紫陽花に喩えられる膝頭という豪奢。

渡辺松男『寒気氾濫』書肆侃侃房

〈約束のことごとく葉を落とし終え樹は重心を地下に還せり/渡辺松男〉落葉で樹の重心が変わるという発想が哀しくも冬めく。〈アリョーシャよ 黙って突っ立っていると万の戦ぎの樹に劣るのだ/渡辺松男〉人が木より勝るとしたら話し動くがゆえに。〈捨てられし自動車が野にさびていて地球時間に浸りていたり/渡辺松男〉投棄された自転車に「猿の惑星」感が出ている。〈樹は内に一千年後の樹を感じくすぐったくてならない春ぞ/渡辺松男〉芽吹きの感じを一千年後の樹と喩える驚き、〈春さむき大空へ太き根のごとく公孫樹の一枝一枝のちから/渡辺松男〉も芽吹きの感じがある。〈残業を終えるやいなや逃亡の火のごとく去るクルマの尾灯/渡辺松男〉終業後の尾灯ほど活き活きしている赤はない。〈君の乳房やや小さきの弾むときかなたで麦の刈り取り進む/渡辺松男〉そして、豊饒へ。〈絶叫をだれにも聞いてもらえずにビールの瓶の中にいる男/渡辺松男〉ビール瓶を一本開けて幻を思うとき。

 

黒瀬珂瀾『ひかりの針がうたふ』書肆侃侃房

巨大な箱に入っていた『ひかりの針がうたふ』を読む。〈しばらくを付ききてふいに逸れてゆくカモメをわれの未来と思ふ/黒瀬珂瀾〉今の自分という本質がもしあるならそれを逸れてゆく実存がカモメということか。〈海のいづこも世界の喉と思ふとき雲量8は7へと移る/黒瀬珂瀾〉海を世界の喉と喩え、雲量という体温のような具体に触れる。世界は我が身体のように変化する。〈西鉄は夜へと吾を運びゆく履歴書を書く男とともに/黒瀬珂瀾西鉄バスジャック事件を思う。履歴書を書いているのに彼は正気を保てるのだろうか。〈阿蘇の陽に首照らされて妻は立つ旅嚢を分かつひとのゐること/黒瀬珂瀾〉分かち持つ人のいる安心が自信に変わり、阿蘇の陽が妻を神々しく立たせる。

身のほぐれゆくくらがりに替へ玉、と声をあげたり大森静佳 黒瀬珂瀾

 

 

立花開『ひかりを渡る舟』角川書店

〈セーラー服色のチューブを探してる一気に塗ってしまいたくなり/立花開〉セーラー服を着ていることの煩わしさなどがあるのだろう、だから一気に片付けたい。〈セーラーを脱いだら白い胸にある静かな風をゆるす抜け道/立花開〉も。谷間だろうか。風音が爽やか。〈深海に部屋ごと引きずり込まれてゆく孤独は蛸の容をしている/立花開〉孤独というものを触手をもつ生物、蛸と捉える。引っ付いたら離れないゆえに。〈夕焼けを返して光る教室の机の水面にだまってふれる/立花開〉光を反射する机のつるつるを水面と呼ぶ。教室に生徒の数だけ池ができる。〈明るすぎて冷たい浜辺 持ち切れぬものとして足跡を残せり/立花開〉持ちきれずあふれたものとして足跡を捉える感覚に惚れる。〈友人はノートに頬をかぎりなく寄せながらその影に詩を書く/立花開〉高校生のころの私もそうしていた。そうしないとそのままを書けない気がしていた。〈たのしい日をつないで生きる凍空の星座はそうして創られたらしい/立花開〉たのしいと言っているのに悲しげな星座譚。〈ただひとつの惑星に群がり生きたれどみな孤独ゆえ髪を洗えり/立花開〉惑星にほしとルビ、本当は髪を洗うこと以外のことをしたいけど、今はそれしかできないから。