以太以外

蒼褪めた巨漢は笑う水澄んで 以太

放送大学「文学批評への招待」第3章詩の分析(2)

 学習課題2 萩原朔太郎詩篇を一つ選び、それが「詩」として成立している根拠を示しながら、1000字程度で丁寧に分析しなさい。

萩原朔太郎の「殺人事件」を読む。探偵と探偵のこひびとであり殺された女と曲者の三人の登場人物が出てくる推理小説とも読めるかもしれない。しかしこれは詩だ。なぜならことばをめぐる不確定な感覚を起こさせる意図があり、日本の伝統的な詩形を意識したことばの配置があるからだ。

まず「殺人事件」の舞台や小道具は奇妙だ。探偵は「玻璃の衣装」すなわち硝子でできたこの世ならざる衣装を着ている。殺人現場の床は晶玉であり、その床をながれる血は「まつさを」、血が真っ青とは人間離れしている。殺人現場を出て十字巷路には「秋のふんすゐ」が据えられている。歩道は大理石で敷き詰められている。それら舞台や小道具は現実のものではないだろう。夢の世界や詩のことばだけで形造られた世界と言われたのなら了解できる類のものだ。この不思議な世界で起こる出来事も奇妙だ。ぴすとるは二度鳴った。しかし殺された女の傷は「ゆびとゆびのあひだ」のどうやら一箇所のようだ。しかも、ぴすとるの弾が指と指の間のような箇所を撃ち抜けるとは考えられない。それにしてもどうして血はまつさをなのか。女の屍体の上で女の最期の嗚咽であるかのようにきりぎりすが鳴いているというも奇妙であり異常な事態だ。最後に探偵はなぜこひびとの窓からしのびこんだのだろう。なぜ探偵はうれひを感じているだけで曲者をすべつてゆくに任せるのだろう。探偵の動きは探偵という枠から外れている。これらの奇妙なことばと出来事はことばをめぐる不確定な感覚を読み手に起こさせる。読み手の意識を現実のどこかで起きた殺人事件ではなく、夢のなかの殺人事件などといった空想へ飛ばす力を持っている。

次に、この詩は三つ場面で構成されている。ぴすとるの鳴る場面、探偵と屍体ときりぎりすの場面、そして街の十字巷路での探偵と曲者の場面である。それら三つの場面は繋がっているようでそれぞれ独立している。これら三つの場面は発生順に並べられているというよりまったく別の時系列で起こった場面のようだ。もしかしたら循環して発生するのかもしれない。そんな、関連性が低いようだけれどどこか繋がりのありそうな三つの場面を並べるのは俳諧連歌あるいは連句の付けを意識している。さらに、つめたいきりぎりすが屍体のうへで鳴いているという唐突さは俳句的な二物衝撃の付けを連想できる。そもそも「秋のふんすゐ」という措辞が噴水を夏の季語とする歳時記の前提に立っている。「殺人事件」の作詩の根底には俳句の土壌がある。きりぎりすの有名な句に〈あなむざんや甲の下のきりぎりす/松尾芭蕉〉がある。甲の下のきりぎりすはつまり屍の上であり、かなしい女の屍体のうへで泣くきりぎりすと同じ位置にある。「あなむざんや」が萩原朔太郎の「殺人事件」でも響いている。しかし平家物語への回顧ではなく、現代的な感覚での悲しみへ、響く。

殺人事件

     萩原朔太郎

とほい空でぴすとるが鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、
こひびとの窓からしのびこむ、
床は晶玉、
ゆびとゆびとのあひだから、
まつさをの血がながれてゐる、
かなしい女の屍体のうへで、
つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。
しもつき上旬(はじめ)のある朝、
探偵は玻璃の衣裳をきて、
街の十字巷路(よつつじ)を曲つた。
十字巷路に秋のふんすゐ、
はやひとり探偵はうれひをかんず。
みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、
曲者(くせもの)はいつさんにすべつてゆく。