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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

俳句結社の探し方

 俳句結社の探し方とは、言い換えれば結社をどのように分類するかであろう。その視点から結社の探し方もしくは選び方について分類のための項を立てて書く。想定している読者は結社に入ろうと思っている人や結社に飽きて入社当初の目的を見失った人などである。
 ちなみに私は麦の会という俳句結社に2018年に入会し、2020年に同人になった。

類似した組織との違い

 まず、そもそも俳句結社とは何か? それを類似の組織との比較で述べる。結社と似たものに同人誌*1がある。結社にはたいてい同人*2と呼ばれる人たちがいて同人誌と紛らわしい。結社はおもに主宰やその主宰の俳句理念を戴いて結社誌を定期的に刊行するピラミッド型の相互研鑽組織である。一方で同人誌は主宰を置かず*3おもに仲間同士で同人誌を刊行するフラットな組織のことで、結社内の仲間で刊行したり、ときには結社を超えた超結社で刊行したりする。そのほか会費のないオンラインサロンのようなリゾーム状の組織*4もある。
 要は、俳句結社とは主宰や宗匠など先生と呼ばれる人がいて誌友*5・同人などの階層を一歩一歩のぼりながら相互研鑽していく、出版機能を有する組織のこと。現代の徒弟制度と言えるかもしれない。
 ちなみに私の入った麦には主宰はいない。主宰は初代の中島斌雄だけで継承した人は会長と呼ぶ。それでも俳句結社である。
ホトトギスの稲畑汀子

俳句結社の分類

 それでは俳句結社がどんなものかを明らかにしたので、以下に俳句結社の分類を10の項目で述べる。

結社誌があるか

 たいていの俳句結社は定期的に結社誌を刊行している。もちろん句会*6や全国大会*7を開催するだけで刊行物のない結社もあるかもしれない。
 結社誌があると、俳句という詩のアイデアを日付とともに発表できる。すると他の媒体で自分の俳句と同じようなアイデアを使った類想句やまったく同じ盗作句を見つけたら結社誌を示して「類想ですよ」もしくは「盗作ですよ」と告げることができる。ネットプリントや修正可能なブログでは難しいけれど結社誌ならそういうことができる。研究論文の発表みたいなものととらえてくれればいい。このような発表の場としての役割は結社の重要な存在理由のひとつと言える。結社誌がある結社にはそのような発表の場があるということ。
 メールや手紙などで依頼すれば見本誌として結社誌をとりよせられ、誌面のデザインなどを他の結社と比較できる。また、欠詠もあるので概算になるけれど結社の人数も推測できる。

師系と理念や句風

 俳句結社には俳句専門雑誌の広告やホームページや結社誌の冒頭でその結社をはじめた主宰やその主宰が師匠として学んだ人を明らかにしていることがある。それを師系と謂う。結社誌の見本誌をとりよせて眺めたりその師系に出てくる人の句集を本屋・通販サイト・図書館で探して読んだりするととその結社でどんな俳句を学べるかがわかる。
 また結社誌の冒頭などで理念や句風を謳っている結社もある。有季定型か無季か、旧仮名か新仮名か、文語か口語か、社会詠か写生句か、一字あけか自由律か一行詩か多行形式か、などをわかりにくく表現している。それは読み取らないとならない。また、雑詠欄の投稿で旧仮名縛りや新仮名縛りをしている結社もあるのでそれも見本誌に挟まっている投稿用紙で確認できる。そのほか、自由律俳句の結社は自由律と謳わず内在律・感動律・自然律・随句・口語俳句など独自の用語を使っていることがあるので注意が要る。
 自分が作りたい句風を探してもいいし、自分が触れたことのない句風に挑戦してみるのもいい。
 ちなみに私は「師系 中島斌雄」でググって麦に決めた。

つながりのある協会はどこか

 俳句結社はたいてい俳句協会、現代俳句協会俳人協会日本伝統俳句協会のうちどれかとつながりがある。ほかにも全国俳誌協会などがある。俳句協会が何かはこの記事の対象外なので詳細は書かない。それぞれの俳句協会の特色からつながりの俳句結社を選ぶ道もあるし、その逆の道もある。俳句協会へはほどよいタイミングで結社内の俳句協会会員から声がかかり推薦をもらって入会できる。もちろん入会したくなければ入会しないでいることもできる。俳句協会すべてに入りたいならそれぞれの俳句協会とつながりのある結社に入社するのが近道だろう。もちろんそれぞれの協会に知り合いの推薦人がいれば結社に入社しなくても俳句協会すべてに入会することはできる。
 麦は会長が現代俳句協会の副会長でありつながりが深い。でも私はひょんなことから口語俳句協会経由で現代俳句協会に入会してしまい、ちょっと気まずい思いを自分勝手にひきずっている。

全国規模か地方か

 俳句結社は日本全国に同人・誌友の散らばっている結社と特定の地方に集中している結社がある。全国か地方かに優劣はないけれど、特定の地方に集中している結社は大会がその地方で行われることが多いので、もし結社の全国大会で日本の各地をまわりたいなら全国規模の結社への入社をおすすめする。あるいは、もし身近な俳句仲間が欲しいなら自分が住んでいる地方に集中している結社へ入社した方が無難だろう。結社誌巻末の句会案内で同人・誌友の散らばりはある程度推測できる。
 私の住んでいる遠州地方には「みづうみ」「椎」「海坂」などの俳句結社がある。そこへも気持ちがすこし動いたけれど旅をしたかったので全国(関東、東北、九州)に同人が散在している麦に決めた。

結社賞の有無

 俳句結社には同人や誌友向けに結社賞を開催している結社もある。もちろん開催していない結社もあり、そういったところでは結社賞に該当するのが毎月の雑詠欄における巻頭ととらえられる。巻頭より結社賞受賞が俳句活動の励みになるというなら、それがある結社を選んだほうがいいだろう。
 ちなみに、麦には収穫祭という新作の賞や新人賞や作家賞という既発表作の賞がある。

投稿欄の選者は誰か

 主宰となる先生が好きで俳句結社を決めても、その先生が選者となっている投稿欄に投稿できないことがある。たいてい雑詠欄は主宰の選で誌友なら誰でも投稿できるものだけれど、結社によっては同人にならないと主宰選の欄へ投稿できないという制限があることもある。同人になるまで待てない! ということが起こらないよう投稿欄は誰が投稿でき、誰が選者なのかを事前に調べておいたほうがいい。
 ちなみに麦は誌友のときから会長選の地熱集へ投稿できる。そのほか俳句教室としての原生林欄がある。

句会があるか

 俳句結社には各地で毎月句会を開催していることが多い。結社に入ってから句会に参加する人もいれば、まず句会に参加してからそこの先生や仲間に誘われて結社に入社する人もいる。結社と句会、その関係はあいまいだ。結社誌の巻末には句会案内が書いてあり、連絡先の人はたいてい結社の同人だ。でも句会の参加者は必ずしもその結社の誌友とは限らない。実にあいまい。でも結社に入社したあとで句会に参加したいなら近所で句会を開催している結社に入社した方がいい。主宰が指導に来る句会もあれば、有力同人が先生として指導する句会もある。もちろん結社に入っても、その結社とまったくつながりのない句会に参加してもいい。
 ちなみに私は全国大会や新年句会などには投句しているけれど、毎月各地で開催される句会には参加していない。理由は近所に結社の句会がないから。

主宰は初代の親族か

 もしあなたが俳句結社にて奇特にも主宰に登極したいと思っていたら、その結社の主宰が初代*8の親族だけで継承されているか否かだけは調べておいた方がいい。もし主宰が親族だけで継承されていたら親族以外が主宰に就任する可能性はよほどのことがない限り小さいからだ。それには主宰のお嬢さんやお婿さんが主宰を継承して姓が異なっていることもあるから内実を調べる読解力が要る。ただ、その場合でも主宰親族に同年齢の異性がいれば婚姻制度を利用して主宰親族になる手もある。もちろん相手があることなのでうまくいかないこともある。
 ちなみに麦の会長職は親族継承ではない。それにものぐさなので私は主宰・会長を目指していない。

主宰はおいくつ

 主宰となる先生が好きで俳句結社を決めても、その先生に物故されてしまうと違う先生の教えを受けることになる。それならまだいい方で主宰物故ののちにその結社が解散してしまうこともある。せっかく入った結社が数ヵ月でなくなってしまうと数分は呆然としてしまうことだろう。誰が決めたか俳句は最低でも5年の修業期間は要るなんて言われているから主宰の現年齢に5~10年を足してみて、将来について案じてみるのも手だ。
 私は2017年12月ごろ妻の妊娠を期に結社を検討していた。最初、金子兜太の海程がいいなと思い、検討したけれど、金子兜太が1919年生まれと知ってやめた。

社風はどんなか

 俳句結社の社風や同人・誌友の人となりばかりは入社しないとわからない。でもその俳句結社に入っている同人などのブログやtwitterやインスタなどはグーグルで検索できるのである程度は調べることは可能だ。過去に何かいざこざがあったような記録も見つかるかもしれないけれど、いざこざは概してその結社が活発に活動して人数が多い証拠である。むかしは句会で灰皿が飛ぶ結社もあったらしいけれど、今の公民館は禁煙なので灰皿が飛ぶ指導熱心な結社は絶滅危惧種だろうし、構成員がほとんど後期高齢者である結社にやたら濃厚な人間関係を期待しても望み薄だろう。たいていは普通の老人会のようなものだ。
 もちろん入社したあとで不快な目に遭うかもしれない。本当にこればかりは入社しないとわからないことだけれど、結社も社会の縮図でありさまざまな文化圏から人が集まっている。実損がない限り、同じ言語を話して同じ俳句という趣味を持っていても違う文化圏の人なのだなと考えて接するのが得策だ。不快に思った側が正しいわけではなく、不快に思わせた側がなにか利を得ているわけではない。単に文化が違っただけ。不要な害意を見出す癖をオッカムの剃刀で削ぎ落とし判断保留、そののち文明的知性をフル稼働させ異文化との相互共存を図れば何の紛争も起こらない。もちろん実損がなければ、だが。年代も地域も違う人とうまく接することは俳句だけではなく人生の勉強になる。ニーチェ*9も人間の成長には厳しさとかが必要だと述べている。
 ちなみに麦で不快に思ったことまだ起きていない。単に私がすべてを楽しめる性格なだけなのかもしれないけれど。ただ麦には懇親会のときだけ味わえる特殊な一本締めの風習がある。「陋習」と陰で揶揄する人もいるかもしれないけれど、私はこれを気に入っている。

おわりに

 以上が私なりの俳句結社の探し方・選び方としての分類である。もちろん違う意見や違う分類法もあるだろうから、そのときは指導・鞭撻をいただけると幸いだ。
 もちろん俳句結社へ入ることだけが俳句活動の唯一の道ではない。ひとりで作り続けることも立派な俳句人生だ。でも、頭の片隅に俳句結社への道もあることを覚えておいいても損ではないと思う。バイパスって聞くとなんだかワクワクするでしょ。

*1:豈や豆の木や円錐など

*2:読み方はおもにドウニン、誌友として何年か投稿していると同人に推薦されたいてい会費が増額される。

*3:それっぽい人がいることもある。

*4:いつき組や俳句集団itakや旧屍派など

*5:会員と呼ぶ結社もある。

*6:たいてい月一回、公民館などで開催される。

*7:年一回、ホテルの会場や神社仏閣の式場などで開催される結社の大きな会。たいてい句会も開催する。

*8:創刊主宰とも呼ぶ。

*9:善悪の彼岸