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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

第三十八回麦新人賞受賞のことば

 麦新人賞*1へ推していただいた方*2へ感謝の意を伝えたい。

 俳句という、約十七音*3の短さのなかに季感*4と映像*5と屈折*6とを含む短詩形式は諦めたくなるほど難しい。しかし諦めなかった理由として他の短詩形式からも学べたことを挙げられる。

 まず短歌*7。この完成された詩型*8からは、俳句を詩たらしめるにはどんな映像の結びやすさが必要か、俳句を硬質*9たらしめるにどんな言葉を削がなければならないかを学んだ。

 つぎに自由律*10。自由律俳句における拍数の逸脱は定型への反発*11に基づく。ゆえに自由律俳句を試せば、定型俳句が五七五である理由を考える材料となる。

 さいごに連句俳諧連歌の発句を起源とする俳句を作るに際して、俳句に連なるだろう脇*12以下を意識して余白*13と屈折*14の構成を含ませるようになった。

 これら他の短詩形式からの学びと麦で与えられた学びの機会*15との両輪が私を俳句の道を進めるように導いてくれた。受賞を励みにさらに歩みを前へ進めていきたい。

『麦』2022年7月号

*1:壊れた公園」20句で受賞

*2:選者四人中三人が1位、一人も2位。

*3:五音七音五音の上下対称の完結感(高橋睦郎『私自身のための俳句入門』新潮選書)、五音七音五音の構造はその中に五音七音の音調と七音五音の音調を重畳している。(高橋睦郎『私自身のための俳句入門』新潮選書)字余りや字足らずを含む。

*4:したがって、四季の歌の母胎は相聞=恋なのだ。(高橋睦郎『私自身のための俳句入門』新潮選書)、「超季」ということは、季を超えるということである。有季とか無季とかいうことを超越することである。(中島斌雄『現代俳句の創造』毎日新聞社)季題や季語とはせず恋の生命感だけをとった。

*5:俳句は具象を捨てれば、たちまちひ弱い存在に堕してしまう。(中島斌雄『現代俳句の創造』毎日新聞社)具象へ託すこと。

*6:現代俳句の面白さは、いろいろあろうが、その一つが、こうした屈折感に見いだされるということは許されるであろう。(中島斌雄『現代俳句の創造』毎日新聞社)二句一章や二物衝撃や取り合わせとも。

*7:別名義で第50回全国短歌大会朝日新聞社賞などを受賞した。

*8:この五・七・五・七・七の強靭な韻律を持つ三十一文字の詩型は、景を描き作者の想いをも語る事が出来る器であり、それはつまり、かなり多彩な詩作を可能とし、およそ詠めない物は無いのではないかとさえ思ってしまった程である。(矢野錆助「短歌、俳句、短律。そして「浪漫派」長律」『蘭鋳』)+十四音は無限にも思える。

*9:硬質の抒情は、人間の知性をその温床とする(中島斌雄『現代俳句の創造』毎日新聞社

*10:第3回尾崎放哉賞に入賞、第5回尾崎放哉賞に入賞した。

*11:自由律の持つ「俳句らしさ」は、実は定型俳句からの借りものであった。(小西甚一『俳句の世界』講談社学術文庫)自由律で五音や七音は許すとしても五七調や七五調に頼るのは甘えだろう。

*12:連句の第二句目の七七。

*13:脇以下での発句への批評を許す余白ということ。

*14:この屈折を意識させるのが発句の「切れ」。

*15:共鳴十句や踏生脚光などの原稿依頼を指す。