以太以外

蒼褪めた巨漢は笑う水澄んで 以太

手向くるやむしりたがりし赤い花

見田宗介の『社会学入門岩波書店小林一茶の句として〈手向くるやむしりたがりし赤い花〉が紹介されている。この句は、顕在態と潜在態を説明する題材として、柳田国男の『明治大正史 世相篇』から見田が引用した。確かに『明治大正史 世相篇』の第一章「眼に映ずる世相」の四「朝顔の豫言」に

俳諧寺一茶の有名な發句に「手向くるやむしりたがりし赤い花」といふのがある

とある。

無季句である。もちろん一茶は無季句もつくっているからそれだけでは不思議ではない。しかし一茶の俳句データベースにこの句はない。不思議である。

岩波文庫の『一茶俳句集』には、手向くるやの句はなく、「さと女卅五日墓」の詞書で〈秋風やむしりたがりし赤い花〉が載っている。手向くるやの句はこの句が変わったかたちだろう。脚注によれば文政版一茶発句集は中七が「むしり残りの」だったそうだ。「むしり残りの」では柳田の解釈「可愛い小兒でさへも佛になる迄は此赤い花を取つて與へられなかつたのである」はあてはまらない。さと女がむしり残した赤い花を墓に手向けると解釈できるからだ。

〈手向くるやむしりたがりし赤い花〉は柳田の記憶違いか、当時一茶の間違った句が流布していたか、だろう。よく調べない孫引きはよくないという一例である。