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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

所以106

  • 輪郭のはっきりした絵はそれが何を表現しているのかを明確に伝えたい。
  • 奄芸郡林城安芸郡芸濃町林)、長野工藤氏の一族林裕行や林重越の居城(林城屋敷城/古城盛衰記)だったか? 亀山城主関盛信やその家臣の鹿伏兎定信に林氏は林城を逐われる。
  • 言語の力を信用する人は、国会議員を信用できる。どちらも代行主義だから。
  • 現代のメディア的状況は、私には天使主義的であり、古代のグノーシス主義の再来の側面があるように思われる。(山内志朗『中世哲学入門』ちくま新書
  • ↑唐突だな。
  • 山田晶テーゼ〈エッセンチアはエッセにおいてエクシステレスする〉
  • 物憂く廻転する椅子の上に/目の赤い魚が一匹乾いてゐた(吉岡実「昏睡季節Ⅰ」『吉岡実全詩集』筑摩書房
  • 砂の上に日曜日が倒れてうづまる(吉岡実「昏睡季節Ⅱ」『吉岡実全詩集』筑摩書房
  • 繋辞に相当するものは、古代中国語にもアラビア語にも存在しなかった。(山内志朗『中世哲学入門』ちくま新書
  • 自存する存在そのもの(ipsum esse subsistens)を認識するのは神の知性だけであり、神の本質を認識することは人間の自然本性的能力を超えている。(山内志朗『中世哲学入門』ちくま新書
  • 神においては存在(esse)と本質(essentia)は同一である。(山内志朗『中世哲学入門』ちくま新書
  • アラビア語で〈もの〉はシャイウشيء
  • アラビア語のシャイウは特異な概念であり、存在と非存在を含むとされる。事物は刹那滅の相にあり、存在と非存在が交互に交替するものとされる。(山内志朗『中世哲学入門』ちくま新書
  • 無限なる実体の海 pelagus infinitae substantiae
  • 短詩型文学も含めて日本の近代文学は、日本文学の古来の「伝統」を、基本的には「女」に分担させることで「男」性としての西欧リアリズム(写生)の導入を図ることができたと言えるだろう。(「俳句(=男性原理)におけるフェミニズムの系譜」『絓秀実コレクション2』blueprint)
  • 当事者主義は万能でないどころか、必ず頽廃する。(「当事者中心主義の彼岸」『絓秀実コレクション2』blueprint)
  • 全ては終わったと言うことによって、終りを引き延ばしにかかろうとするのがポストモダニズムである。(「ビールはポストモダン的な飲み物である」『絓秀実コレクション2』blueprint)
  • セクハラが当然にも社会的に禁じられているにもかかわらず、セクハラを自らに禁じることがレイプに通じてしまうのと同様である。(「「男らしさ」のディレンマ」『絓秀実コレクション2』blueprint)
  • サラリーマンは、全く栄養バランスを欠いたフルコースを食べることによって、今日のグルメ志向や健康幻想を嗤っていると言って良かろう。(「ラーメンはアンチ・グルメのフルコース」『絓秀実コレクション2』blueprint)