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以太以外

病名は人間性や夕野分 以太

所以151

  • 諸子百家→相互置相
  • 祭酒≒学長
  • 徳治(孟子)→礼治(荀子)→法治(韓非子
  • 始皇帝益壯,太后淫不止。呂不韋恐覺禍及己,乃私求大陰人嫪毐以為舍人,時縱倡樂,使毐以其陰關桐輪而行,令太后聞之,以啗太后。(「呂不韋列傳」『史記』)
  • 倫理的な価値(孝行・慈悲)は、政治的な価値(忠誠、秩序)と背反する。(安能務『春秋戦国志(下)』講談社文庫)
  • 儒家と法家の対立を参照にするまでもなく、家父長制的な価値観と愛国心ナショナリズムは背反する。
  • 天皇バンザイ」と叫び突撃した日本軍兵士は愛国主義者かもしれないが、反家父長制主義者だ。
  • 王と法は、まさしく矛と盾である。(安能務『春秋戦国志(下)』講談社文庫)
  • 「或」は「とある人」といった意味を表し、聞き手が認識していないであろう個人・個体に代替する。つねに主語となり、動詞の目的語とはならない。また主題主語のあとに用いられ、その主題主語の表す範囲のなかでの「ある人」を指すことも少なくない。(宮本徹、松江崇『漢文の読み方』放送大学教育振興会
  • 七・七的なものは、さまざまな再解釈を喚起しながら、現在のわれわれの思考を規定している。そのもっとも俗化したものが、PCと呼ばれる、今や保守派さえ否定できない基準であることは繰り返すまでもない。(絓秀実『1968年』ちくま新書
  • 「無」でありながら「核」であるような「主体」(絓秀実『1968年』ちくま新書
  • そうだ、もし言葉というものが問題になり、一語を置くだけで十分で、そしてその語を完全に自分で満たしたと悠然と自覚して、そっぽをむくことができる、ということになったらどうだろう。(1910年12月27日、谷口茂訳『カフカの日記1910-1923』みすず書房
  • 迷信:人が瑕のあるコップで飲むと、悪霊たちは、人間のなかへ入りこむ入口を手に入れる。(1911年10月27日、谷口茂訳『カフカの日記1910-1923』みすず書房
  • 確かにぼくにとっての可能性がいろいろある。だが、どの石の下にあるのか?(1914年1月12日、谷口茂訳『カフカの日記1910-1923』みすず書房
  • 仕事は、まだ治っていない傷がふさがることができるようなふうに、閉じる。(1922年5月6日、谷口茂訳『カフカの日記1910-1923』みすず書房
  • 素敵なことと大事なことはいつもずれている。
  • 可妻也、雖縲紲之中、非其罪也(『論語』)
  • 古典を学ぶということは多くの人が知っていることばのデータベースを手に入れることで、別に秋元康全歌詞集でもかまわない。
  • 禦人以口給、屢憎於人(『論語』)
  • 口給:口先の機転
  • 子貢曰、我不欲人之加諸我也、吾亦欲無加諸人。子曰、賜也、非爾所及也(『論語』)
  • ↑もはやコント。あと、人(主語)之(構造助詞)加(動詞)諸(第一目的語)我(第二目的語)、このSVOOが欲(動詞)の目的語になっている。
  • 子路有聞、未之能行、唯恐有聞。(『論語』)
  • マルチタスクが苦手な子路
  • 原形から差異を見出す読み
  • ソシュールは言語の本質を意味するもの(音韻)と意味されるもの(概念)の結合に見出している。しかし、それはすこしも新しい認識ではない。彼の新しさは、言語を価値としてみようとしたことにある。つまり、それは言語を「意味するもの」の示差的な関係の体系としてみることであり、意味はアプリオリにあるのではなく差異づけの体系のなかで、いいかえれば、語と語の間からあらわれると考えることである。(柄谷行人マルクスその可能性の中心』講談社文庫)
  • 意味するものシニフィアン、意味されるものシニフィエ、示差的ディファレンシャル
  • フロイトがいうように、意識するとは音声言語化することだ。われわれが意識するのは、貨幣=音声文字というかたちをとったものだけである。(柄谷行人マルクスその可能性の中心』講談社文庫)
  • いったい私たちはなぜ「書く」のか。「話す」ことによっては、もはやいい足りぬ何かをもつからだ。それこそ、ひとが「内面」とよぶものである。このような「内面」を、文字をもたぬ子供はもたない。「内面」そのものが、文字の結果なのだ。(柄谷行人マルクスその可能性の中心』講談社文庫)
  • 自分の解釈ではなく他人のことばによって傷つく人は文字を持たないのと同じだ。
  • カフェポエムでよく聞く「こっくり」はカカオよりチョコに近いという。
  • 天地不仁、以萬物爲芻狗(『老子』)
  • 天地之間、其猶槖籥乎。(『老子』)
  • ↑たとえば交通事故や通り魔事件に遭った人が「何も悪いことをしていないのに、なんで」と嘆くことがあるが、何も悪いことをしないようにしていても無駄なのだ。
  • 悪いことをしなければ何も変事が起きないというほど天地=自然は単純にできていない。ここらへんの老子の天地観はスピノザのDeus sive Naturaと似ている。
  • 夫婦のどちらかが家事(特に料理)をするようにしないと食品ロスが増える。
  • Digital collections of the Vietnamese Nôm Preservation Foundationベトナムの漢文
  • NLV国家図書館
  • 是以聖人退其身而身先、外其身而身存、不以其无私與。故能成其私。(『老子』)
  • デカルトスピノザの対立軸がすでに紀元前にあるのが中国。